新聞各紙報道の「自費出版大手」の認識は誤りである。
「自主出版」とは何か――第四の出版形態にて指摘した結果か、現在の当該ページ(http://www.shinpusha.co.jp/news/shuppan_soudan/04/index.html)からは「企画出版」「共同出版」「自主出版」のタームは消えた(掲載画像は20061214時点のものから加工)。こちら(http://www.shinpusha.co.jp/company/company_a.html)では「もちろん流通させない自主出版にも対応しております」のママであるが。
新P舎のいう「自費出版」は下掲画像の様に、
新P舎はこの様なインチキ・ブロッシャーを用いて、「表現者」諸氏へ流通するから「自費出版」では無い、と空嘯いて居たわけだ(この錯誤を招く為の詭弁の図式は他社も同様である(「中間Bタイプ(近代B芸社、実は一番歴史の古い)」、「協力出版、流通出版(文G社)」等)。
この論法で往けば新P舎の刊行書目の大部分は自費出版ではない、という事に為る。これは新聞各社の認識と大分異なる。
朝日新聞(私が見てきた限りでは、一番の広告出稿量があり、過去に盛大な提灯記事(キャッシュの更に魚拓、ここでも「これまで同社が手がけた本、約1万点がそろう。およそ9割が自費出版だ」とは、ある)をブチ挙げた)の先日の報道――今回は後ろめたさからか、ヘタレ甚だしくもその舎名を伏せた――でも「流通する自費出版」という表現をして居る。
「流通」しようがすまいが本来、「自費出版」には変わりが無い、という点では私も各紙と認識を同じくするところである(この「流通」についても錯誤の原因になる曲者のコトバだ、「流通」とは――老師・渡辺勝利氏「監修」:『自費出版Q&A』より参照)。
しかし、恐らく新聞各紙の「自費出版」の定義というのは、書目の制作費の一部または全部を支払って印刷された、位の認識なのだろう。
私は何度でも繰り返す、
新P舎の書目の刊行形態、殆ど全ては自費出版ですらない。
(「自費出版」とは何か参照)
だから私は[「似非」自費出版]と呼んで来た。
不幸にも「自費出版」の明確且つ普遍的な定義が、出版・取次・書店・読者の各界に存在しなかった為に、或いは放置してきたが故に、現今のステキな経営者とそのお花畑な「商法」の顕現を招いて居るのである。
私は、その「定義」の部分に以下の様な一文が必要であると想う。
至極当然と想われるかもしれない。当たり前過ぎて看過されて来たので、そこに付け込まれたのだ。
●P●は[「似非」自費出版]最大手である。
近代B芸社は[「似非」自費出版]大手の老舗である。
文B社は[「似非」自費出版]大手である。
碧天舎は[「似非」自費出版]大手であったが、倒産した。
「自主出版」とは何か――第四の出版形態にて指摘した結果か、現在の当該ページ(http://www.shinpusha.co.jp/news/shuppan_soudan/04/index.html)からは「企画出版」「共同出版」「自主出版」のタームは消えた(掲載画像は20061214時点のものから加工)。
これは「流通させない∧自費出版」ではなくて、「流通させない≡自費出版」という意味である。新P舎の場合「流通する自費出版」という概念は無い。
もちろん流通させない自費出版にも対応しております。
新P舎のいう「自費出版」は下掲画像の様に、
■流通しないのが大前提である。
■印税がない
新P舎はこの様なインチキ・ブロッシャーを用いて、「表現者」諸氏へ流通するから「自費出版」では無い、と空嘯いて居たわけだ(この錯誤を招く為の詭弁の図式は他社も同様である(「中間Bタイプ(近代B芸社、実は一番歴史の古い)」、「協力出版、流通出版(文G社)」等)。
この論法で往けば新P舎の刊行書目の大部分は自費出版ではない、という事に為る。これは新聞各社の認識と大分異なる。
朝日新聞(私が見てきた限りでは、一番の広告出稿量があり、過去に盛大な提灯記事(キャッシュの更に魚拓、ここでも「これまで同社が手がけた本、約1万点がそろう。およそ9割が自費出版だ」とは、ある)をブチ挙げた)の先日の報道――今回は後ろめたさからか、ヘタレ甚だしくもその舎名を伏せた――でも「流通する自費出版」という表現をして居る。
「流通」しようがすまいが本来、「自費出版」には変わりが無い、という点では私も各紙と認識を同じくするところである(この「流通」についても錯誤の原因になる曲者のコトバだ、「流通」とは――老師・渡辺勝利氏「監修」:『自費出版Q&A』より参照)。
しかし、恐らく新聞各紙の「自費出版」の定義というのは、書目の制作費の一部または全部を支払って印刷された、位の認識なのだろう。
私は何度でも繰り返す、
新P舎の書目の刊行形態、殆ど全ては自費出版ですらない。
(「自費出版」とは何か参照)
だから私は[「似非」自費出版]と呼んで来た。
不幸にも「自費出版」の明確且つ普遍的な定義が、出版・取次・書店・読者の各界に存在しなかった為に、或いは放置してきたが故に、現今のステキな経営者とそのお花畑な「商法」の顕現を招いて居るのである。
私は、その「定義」の部分に以下の様な一文が必要であると想う。
自費出版は、断るまでも無くこの「主体者」とは、印刷会社や出版社ではなく、多くは著者(著作権者)であり、制作費の全部又は一部を負担する者である。
刊行した書籍の部数の殆どが、主体者の所有である。
至極当然と想われるかもしれない。当たり前過ぎて看過されて来たので、そこに付け込まれたのだ。
(書きかけ)
このエントリは、「カラクリ」の一側面――これは或る意味、朝日の「スクープ」なのか?の前に書き始めて居たのだが、色々頭が混乱して精神白濁不可解の極みに至りかけたので途中で擲げて居た。故に倫次は整わない。加筆修正をしないかも知れない。
●P●は[「似非」自費出版]最大手である。
近代B芸社は[「似非」自費出版]大手の老舗である。
文B社は[「似非」自費出版]大手である。
碧天舎は[「似非」自費出版]大手であったが、倒産した。