ANTI-新P舎

それがぼくには目障りだったから ©[L.Torvalds (et) S.Fujiwara] by 資

「自費出版」とは何か

2006-12-10 | 駄文
「日本自費出版クラブ」によれば、

著作権を有するものが、全てのリスクと内容に責任を負い、その主導権のもとに発行する出版物

(発起人:(株)東京経済代表 渡辺勝利氏、2002年半ば頃設立)
だという。

 因みに「日本自費出版クラブ」の「理念」とは。

私たち自費出版に携わる者は、出版の原点を忘れることなく、出版文化の持つ社会的責任を自覚し、高い道義意識の元に倫理綱領を定め、我が国の自費出版、強いては出版文化の健全なる発展を希求していく。そのために日本自費出版クラブのメンバーは、互いに切磋琢磨し、知識と情報の交流を図ってゆく友好的な集団でなければならない。

しかるに、
私がこの定義を踏まえて、更に蛇足を付け加えて具体的にするなれば、以下の通りである。


自費出版とは、
著者――すなわち著作権者が、書籍の製造原価の殆どを負担し、或いは広報・宣伝等を一部委託し、もちろん著作物内においては公序良俗を乱さず――まいては剽窃など以ての外、敷衍して出版行為全般(対出版者・対印刷会社・対書店・対読者、諸々の関係性も願わくはスムースに!)のリスク・内容に責任を持ち、であるからこそ、主体性とイニシアチブを執って(「合意管轄裁判所」なんぞは著者の近所で当たり前だ! 否、その様な設定自体が「自費出版」への冒瀆である)推し進める出版行動、並びにその結果の刊行物である。

 服の仕立てに譬えれば理解が易いだろうか、
 文字通り身の丈に合うように、店と客が――、素材を採り、サイズを測り……。
 客は自分の好みや指示に自信を持って、代金を払う。服は客の物だ。

 「王様は裸だ!」という結果が待って居れば、
 店も裁判の心配をするかも識れない。
 その時「王様」は服が無い。夢想した服を所有して居ない。 



「出版権」を設定しないのが「自費出版」

という定義も可能ではないか。
云い方を替えれば、

「自費出版」には「印税」はない

刷った書目の所有権が著者に無いのは「自費出版」ではない


だから、新P舎の書目の刊行形態、殆ど全ては自費出版で(すら)ない。

「彼らの云うところの――企画出版」>「共同出版」>「自費出版」
という錯誤をもたらせる為の図式・方便はなんだったのか。

「自費出版」は流通しない等々との独自の解釈で、当時の――「共同出版」の優位性を各所で謳って居たのではないか?(http://image.blog.livedoor.jp/sangakubu/imgs/c/8/c814a457.jpg〔共同出版のメリット〕 「大日本山岳部」より)
昨今の提灯新聞記事等では、「自費出版」が前面ではないか。

私にはこれらを止揚して新たなテーゼ(まやかし)を導き出すにはアンビバレンスに過ぎるように想えるが、M崎氏麾下、「出版プロデューサー」諸氏に是非にも聴いてみたい。

繰り返す。
だから、新P舎の書目の刊行形態、殆ど全ては自費出版ですらない

最近は「共同出版」という表現は避けて居る様――「出版(実現)プログラム」だろうがなんだろうが――だが、やって居る事は同じで「自費出版」以下だ。
では何なのか。それに名前をつけてやる必要は無い(「新P舎商法」位ならばお似合いだ)。

「自費出版」の定義に対して、所謂一般の(嗚呼!もどかしい)「出版」を定義できれば好い。さうすれば、新P舎の御飯事はどんな「出版」でもなくなるであろうから。
表現者たらんとすれば努々、その様なオママゴトに銭を払ってまで付き合ってはいけない。

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