契約書に「出版権の設定」が謳われている場合、著者献本の50部程度を除いては、全て新風舎の所有(財産)となる。したがって、すくなくとも民事再生手続開始の決定(会社更生手続、破産手続へ移行する場合もある)が下るまでは、保全処分が発令された以上、買取さえ出来ない。
「出版権」の解除を希望される方が多い様に観られるが、私の考えでは、契約書に「災害などの場合の処置(この契約の履行が困難と認められるに至ったとき)」などの文言が在れば、内容証明郵便で「出版権」の解除を通知すれば可能と想う。
民事再生法の適用申請(≠「破産」、しかし一般的には「倒産」と看做される〔
倒産の定義〕)は十二分に「この契約の履行が困難と認められる」に相当するであろうから。
真っ当な「協議」が望めない場合は、出版権解除確認の裁判が必要かも知れない。その場合は同じ希望のある著者同士が纏まって行うのが好いだろう。
個人的には、民事再生法の適用申請は認められないと感じる。好くて会社更生法の適用(この場合経営陣は総退場となる、このままでは「破産」が順当な手続きではないか)の場合、契約自体が成り立たなくなり「出版権」は消滅する。
そもそも「出版権」とは、出版者に独占的な複製権を認める代わりに、印税等の「対価」を受け取るものなので、本来は著作権者の方にイニシアチヴがある。
この出版者の発行権――出版権は、その成立の大前提が、著作権者=複製権者の判断、意思で設定されるものであって、出版者が原初的に、あるいは恣意的に出版権者になり得るものではない。出版行為によって自動的に出版者に認められるものではないのである。複製権者がいやだといえば、他の債権的・限定的な出版の契約形態に変更せざるを得ないものである。出版行為に伴って自動的に発生するものではない。
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豊田きいち『編集者の著作権基礎知識 [第四版]』日本エディタースクール出版部 2002.2 より
その「対価」が各人において、果たして納得のいくものだろうか。
初版(多くは300~500部だろう)に限っては、ゼロである。増刷分からは7%程度の「印税」が支払われるとはいえ、費用負担を賄う(元の取れる=収支±0)為には数万部の販売が必要だ。「対価」は一切存在しないと、私は断言する。
「出版権消滅後の頒布(乙は出版権消滅後も本著作物を頒布することができる)」は別段奇異な事ではない。「出版権」を設定したことにより、その書目の所有権は出版者にあるので、印刷・製本をした分に見合った「対価」を支払って居る(はず)以上、「出版権」の消滅後の継続販売、裁断等は出版者の自由だ。つまり著者の多くは
「債権者」ですらない。
出版者所有とはいえ、著者の名前の刷られた書目の行方は大変に気に掛かることと想う。初版分の契約の時点で出版者に利益が発生して居るにも係わらず、これ以上の持ち出しを著者に要求するのは可笑しいが、契約上は問題が無いだろう。
実際は、<一万数千点×平均保管冊数>の書籍の在庫があるとして(数十万冊規模だから、私は無いと想う)、その全てが新風舎の資産として課税対象になり、保管費用(貸し倉庫代等)が膨大になる以上、多くの書目は裁断されると想う。
それに対して著者の方々は文句がいえない、それに見合った「対価」を支払って居る(はずだ)から。
正当な「対価」を受け取って居るといえるだろうか。繰り返すが、著者の多くは
「債権者」ですらない。
これらが新風舎の著者を十把一絡げに「被害者」と感じる、私の根拠だ。
「著者買取」はお勧めしない。
瑣末事かも知れないが、「著者買取」された書目は再販売価格維持契約制度(再販制)の埒外なので、実質は中古品(古本)と看做される。
新風舎に良心が残って居るならば(元々それが在ったとすればだが)、在庫圧縮(課税対策)・保管費用を考えて――送料等は著者の実費になるだろうが、無償でそれらの書目を著者に引き渡すべきだと想う。そういった要求は団結した上で、
新風舎ではなく、東京地裁の選任した民事再生手続の監督委員である川島英明弁護士、その次に民事再生手続開始申請の代理人である滝久男弁護士へ、通すべきだと想う。
もし新風舎に対して何らかの「被害」を感じて居るならば、なにはともあれ「国民生活センター」・「消費生活センター」へ相談される事を私は第一に勧める。