知人の伝手で某大学図書館のものを閲する機会を得た。研究報告書の様な簡素な体裁。
内容の分析は未だであるが、一読するにB芸社の内実の多くが顕わにされて居る大変に興味深い書目。老師の苦労に頭が下がる想いがする。
内容の分析は未だであるが、一読するにB芸社の内実の多くが顕わにされて居る大変に興味深い書目。老師の苦労に頭が下がる想いがする。
本書は自費出版、書店・出版業界の必要最低限と想われる基本事項を、一問一答形式で110項目に亘り平易に解説して居る。自費出版を前提にした説明であるので、それ故の方法論や、一般の書店・出版業界を紹介する書目に洩れがちな観点が多く、ある意味新鮮。発刊から10年余を経ても内容の殆どが有効である。脚注も大変に親切。
1 「素朴な疑問・予備知識」―まず、基本的なことを知っておこう
2 「製作依頼する前に注意すべきポイント」―どこへ頼むかの決め手となるのは何か
3 「原稿を渡してから本が完成するまでの流れ」―どんなふうにして本はつくられるのか
4 「後悔しないための“杖”として」―本ができてから起こりがちなトラブル
5 「出版したい本のジャンルによって」―こんな本の場合、どうすればいいの
6 「本の捌き方の工夫あれこれ」―やっぱり、より多くの人に読んでもらいたい
Q34 「書店に本を流通します」というような文句を見かけますが、「流通」とはどういう意味なのでしょうか?
A いくつか解釈はありますが、ふつう「書店流通」といった場合は、正規ルートを通じて委託販売されることを指します。
(一部抜粋、強調は引用者による)
さて、ここで気をつけなければならないのですが、ひと口に「書店流通」といっても三通りの解釈があります。一つは、できあがった本を取次を通して全国の書店に配布するという「委託配本」の形態で、ふつうこれを指して「書店流通」と呼びます。二つめは、数軒あるいは数十件の書店に出版社から働きかけて、主に返品条件付で本の注文を貰い、それだけを取次経由で流すというかたち。もう一つが、ただ単に、書店から本の注文があった際には、出版社が取次に出荷して書店に回すことができるというもの。このうち後者二つについては、出版社は注文品のみを扱うということで、「委託配本」とは区別され、「流通する」という意味合いもまったく違うものとなります。しかしこれらも、たしかに出版流通の要である取次を通して書店に本が流れるわけですから、流通しているといえばいえるのでしょう。
某出版社の話が出る。本当は書きたいというか、潰したいのだが、
相手は企業なので書けない。喧嘩するにも、法律上では営業妨害でやられるのだ。
私はやられても良いのだが、法律上では慰謝料を払わないといけないのだ。
金があるなら、法律で負けても、筋は通せる。しかし、金はないし、相手はずる賢い。
私のOCNは10MBしかないから、10MB程の事を書く。
出版をチラツカセテ、田舎の純朴な子供のテル番を集め、
営業のプロが強引なテルをする。
私も迷惑したが、私の場合は「なにこらあ、頭を出せや!」と言える人間である。
嫁さんが益々来なくなるので、書きたくないが、
実際は先物取引の勧誘以上の熱心さに頭に来て、
「そんなさあ、写真なんて金にならないし、どうでもいいじゃん。
君、男いる?」
しかし、相手は悪徳商法なのだ。相手の女性は単なるサラリーマンだが、
その会社は写真と芸術の敵だ。
現に私の札幌のワークショップに来た若い子は、怖くて泣きそうになりましたと
言った。私にとって、写真家志望の子は、大事なのである。
悪徳出版社のOLがどんなに美人で、巨乳でも、、、、、違うか。
私のHPなぞ、見てる人は少ないと思うが、ぜひこういう情報は伝えて欲しい。
写真や芸術を守ろうよ。
ちなみに、私の友人の知人が金を出して、この出版社から本を作ったのだが、
あまりにひどくて、出した100万すべて、弁償させたという。
こんな出版社の広告塔になっているウワベカメラマン、、、、。
も批判したいのだが、、、、。
ポンカメ、アサカメも、、、、のっけているんだよね。ウワベを。
〔20061206〕
昨日、悪徳出版社のことを書いたが、私の知人はそこで働いていたことがあるのだ。
その人が言っていた。本当にひどい所だと。この出版社は頑張らないで欲しい。
資本の論理はわかる。私も金は欲しいし、大好きだ。
しかし、それだけで人間が動く事は絶対にないと思っている。
また、資本の論理としては正しくても、写真や芸術の論理から見ると、
絶対的な敵なのだ。
しかし、新風社の営業マンはどこの会社でも通用するだろう。
私は新聞や株や宗教等の勧誘等、胡散臭いものに対して、
ドヤシつけてきた男だ。
しかし、あの営業の女は、この私に食らいついてきてたもんな。
(ある意味、凄いと認めたもんね。)
あんなものにかかれば、世間知らずの若いガキどもや、芸術をやってる
人間ならやられるのが当たり前だろう。
(気が強い方の娘分でさえ、泣いたのだからね)
しかし、新しい風の会社と言う意味合いだろうが、笑っちまうね。
まあ、金に至賞に名前を変えるのなら、私は貝になるけどね(笑)。
他の写真団体のシンパからのメールも書く。
新風舎の件は、他の方からも話を伺いました。
写真業界では、既にかなり話が広まっています。
夢に向かって一生懸命努力をしている人の努力や気持ちを踏みにじる行為を
出版社が常習的に行っているとは本当に残念です。
私の日記を読む人は写真関係者が多いだろう。
ぜひ、皆さんの友人達にも、写真家や写真家志望の若者の敵、
新風社の平間至賞の事を伝えて、被害を少なくして欲しい。
有名な流行りの写真家や出版社がホリエモンでは、世も末じゃ。
健全な写真の世界でないと、一般の人に写真が受け入れられなくなる。
頑張っていこうぜ。
パレットに堆く積まれた数万冊単位の本は、全て返品され焼却処分になった本だという。その多くは自費出版で作られた本で、本屋の棚に置かれることもなく、ある契約上の一定期間の経過と共に、この倉庫に集められ焼却されるのだという。ぺらぺらめくって見ると、なるほど誰も買いそうにない本ばかりである。自己陶酔型の小説、子供の成長を記した本や、詩集、どこかの異郷を旅した感想文、誰かが死んでしまって悲しいぞ系の本が、無残な姿でパレットに整理されていた。文章を書く身として非常に辛い現場であるが、これが現実なのだ。
これらの本を焼却しても出版社自体には損害は発生しない。作者から出版費用は回収済みなので、万が一売れればそのまま利益になるし、売れなくても損はしない仕組みになっている。出版社が製本するだけで金になる自費出版に期待を寄せるのも妙に納得できたりする。商売出版社と製紙会社と輸送業者が儲かり、作成者だけが損をする。倉庫も利益を上げられるが、一冊何銭の世界では商売のうまみはなく、ただただ捨てる作業に寂しさも募るという。
当の作者は自分の作品が誰かの目に止まり、共感を得られたかもしれないという満足に浸っているのだろう。200万円以上の出費をしてもなお、そんな満足に浸れるのなら安い投資かもしれない。しかし、倉庫に積まれた本は、かつて誰にも見られなかった本である。作者の思惑とはかけ離れた物流の仕組みの中で、ただA地点からB地点を経由してC地点に廃棄され、資源として再利用される。不毛である。そんな本が山積みされて、木枯らしが一層身に沁みる。辛い光景だ。