新・台所太平記 ~桂木 嶺の すこやかな日々~

N響定期会員・桂木嶺の、家族の介護・闘病・就職・独立をめぐる奮戦記を描きます。パーヴォ・ヤルヴィさんへの愛も語ります。

【朗報です!】 私、統合失調症ではなくなりました\(^o^)/!治療方針が変わりました!お医者様の言葉をご紹介します!

2019-02-14 01:39:51 | 体調のこと。

きょうは、本当に、雲の晴れ行く思いです!発病して16年、本当に長かったですが、お医者様の英断に感謝です!

きょうは、慈恵医大第三病院に行ってまいりました。MRIの検査の結果を伺いに行ったのですが、合わせて、精神神経科も受診することができました。MRI検査もおかげさまで「まったく綺麗なものでしたよ。全然脳梗塞の後などありません。だいじょうぶですよ♪」と太鼓判を頂きました。

精神神経科も併せて受診しました。担当のY先生は、相変わらず優しい笑顔で迎えてくれました。

「どうですか?その後調子は?」とやさしく聴いてくださいました。私は答えました。

「ハイ、父との仲も非常にうまくいっています。パーヴォさんが日本に帰ってきたことで、私自身大変精神的に安定し、穏やかな心を取り戻すことができました。父も安心しておりまして、母もとても安堵しています。二人との関係も和やかなものになり、パーヴォさんと一緒にいると、なにより、とても幸せです。パーヴォさんに会ったとき、私は思わず、嬉しくて、わんわん泣いてしまったんです。私は円満に毎日を送っています」

Y先生は、「それはよかったですね!」とにこやかに笑みを浮かべられました。そして、優しく、こう付け加えられました。

「横浜のあなたの前の主治医のS先生の診断書も拝読しましたよ。 S先生も私も同意見ですが、あなたは、統合失調症ではありません!」

わたしは「本当ですか?!」と嬉しくなって聞き返しました。Y先生はおっしゃいました。

「ええ。いまのところは、『そううつ病』という診断がついていますが、これも・・どうでしょうね。いまのところ、あなたは特に問題ありません。精神的にも落ち着いていらっしゃるし、お父様との仲も円満ですし、ご家庭内で穏やかに過ごせるのであれば、生活保護を受ける必要があるのかどうか?そこは調布市役所とよく話し合われたほうがいいと思います。」

「それから、あなたが懸念されている、パーヴォさんに対するあなたの感情は、あなたのような状況で長いこと闘病生活を送られていたら、当然抱くものであって、責められるものではありませんよ。恋愛妄想かどうか、ということについても、S先生も診断されていますが、当初S先生は、恋愛妄想を疑ったそうです。が、実際に12月8日にパーヴォさんのコンサートにS先生もいらして、しかと、あなたとパーヴォさんの様子を確認されたとあります。少なくともお二人には、とても親しい感情、友情以上のものがあって、あなたの一方的な恋愛妄想ではない、とS先生は確信したそうです」

「ほんとですか?」

「ええ!あなたの私にしてくださったパーヴォさんに関するお話も破綻がないですし、パーヴォさんのお立場を考えたら、あまりにも有名な方なのと、あなたに最初につけられた病名が大変深刻なものなので、あなたに対する態度を慎重にならざるをえなかったのでしょう。」

「パーヴォさんは、クラシックコンサートの場であなたをひたすら見つめ、励ますことで、あなたに対する愛情を精いっぱい表現されていたのでしょうね。S先生はそのように感じた、と書いていらっしゃいます。S先生は、あなたの可能性を大変高く買っておられて、あなたの幸せをとても考えておられますよ。」

と優しくおっしゃってくださったので、私は涙があふれてとまりませんでした。

「よかったですね、ながたさん!私もうれしいですよ」

とY先生はおっしゃってくださいました。

「私も、最初耳を疑ったのです。あなたみたいな立派なご経歴の、おだやかになんでもお話できる方が『統合失調症』だなんてありえない!とね。お父様もお母様もおつらかったことでしょうね。あなたは大変ご立派でおちついておられますし、しっかりされた女性だし、大変お気の毒だと思いました。16年間、いわれなき中傷誹謗と、まちがった病名に悩んでおられたわけですからね。」

「S先生もそう考えて、あなたの劇評やブログ、論文、レポートをすべて提出させ、ご自分が一生懸命読んだ、とあります。私もあなたがお書きになったレポートを読みましたが、実に見事できちんとされており、とても統合失調症とは思えなかった。おそらく、パーヴォさんもあなたの書かれた記事を読んでいて、その感をつよくされ、音楽療法を申し出てくださったのでしょうね。」

「なぜこういう病名をつけられてしまったのか、発病当時の状況を知る由もありませんが、『そううつ病』でも、幻聴はありえますし、被害妄想ということもありえるので、統合失調症としばし混同しやすいところではあるのです。最新医療ではそこを慎重に診断していますが、あなたが発病した当時(16年前)は、まだ医療の側も知識は十分ではなく、緊急に対応せざるをえず、あなたに『統合失調症』という病名がついてしまったものと思われます」

「しかし、私もS先生も、その診断はまちがっていたと思いますし、いまはとりあえず『そううつ病』ということで治療をうけていただいて、元通りの健康な生活に戻っていただきたいと思っています。お薬もお注射も、もちろんまったく必要はありませんよ。しいていうなら、カウンセリングが必要なくらいです。あなたはお立場上、会社でも、劇評でも、音楽評論の場でも大変なストレスにさらされてきたので、ときどき、悩みをざっくばらんに打ち明ける場が必要。まぁ、そのくらいでしょうね。」

「さて、ここからが調布市役所の福祉課とご相談ですが、慈恵医大の精神神経科には、カウンセリングの施術はないのです。また入院する病棟もありません。そこで、あなたのレスパイト入院については、カウンセリングができ、かつレスパイト入院のできる病院への転院が必要と思われます。そこで、体調をしばし整えられてはいかがでしょうか?」

わたしは質問しました。「就職活動はできるでしょうか?生活保護はうけたほうがいいと思いますか?」

Y先生は答えました。「就職活動は、当面休まれたほうがいいでしょうね。というのは、カウンセリング治療をうけることで、心身ともに健康を取り戻すことが、まずながたさんには不可欠だと思われるからです。心の不調をかかえたまま就職すると、また結局退職を繰り返すことになりますからね。」

「また、生活保護ですが、これは、ご両親と調布市役所とご相談すべきだと思いますが、もしご両親と同居されて、現在安心して生活できるのであれば、特に受ける必要もないのではないかと私は思っています。もともとあなたがご両親と一緒に暮らせる精神状況ではない、というところから始まった話ですからね。ご両親との感情的な軋轢がないのであれば、親子三人で仲良くくらせるほうが、あなたの心にいい効果が与えられるのではないでしょうか。」

「しかしね、ながたさん。先日あなたがこの精神神経科にいらしたときと、決定的に違うことがあるんですよ。なんだと思いますか?」とY先生はいたずらっぽく微笑みました。

私は「なんですか?」と聞き返しました。するとY先生は、とってもニコニコとされました。

「あなたは今日は赤いニットのセーターとスカートで、とっても華やかなスタイルでこちらにいらしたことですよ!しかもパンプスを履いて、綺麗にお化粧もしていらっしゃる!大変ファッショナブルでいらしたので、私はビックリしたのです。前回いらしたときは、全然ノーメイクで、髪もやや乱れ、運動靴を履き、まったくオシャレに構わない恰好でいらしていた。ところが今日はとてもあでやかでいらっしゃる。なぜなのかな、と思って最初ビックリしたのです。そしたらあなたは開口一番おっしゃいました。『パーヴォさんに会えて、私はとっても幸せになりました!パーヴォさんに会えて、私はわんわん泣きました!』とね(笑)」

私は顔が真っ赤になりました。「おはずかしい。照れ臭いです・・」

Y先生は感心したようにおっしゃいました。「あなたは本当に、一途に、パーヴォさんのことを愛しておられるんですね。あなたは、ずっと海外にいらっしゃるパーヴォさんを想っていて、きっとそのストレスが心身にすごい影響を与えて、とても体中が変調を起こしてしまったのだとおもいますよ。ところが、パーヴォさんが来日されてからのあなたは、とても生き生きと輝いていらっしゃる。だからあなたのお父様もその変化に気づいて、うれしくなって、あなたへの対応を改めたのだとおもいますよ!」

「パーヴォさんにも、このことを伝えてくださいね。あなたの健康回復に、パーヴォさんが果たした役割はとても大きいのです。人を愛するというのは、とても大きなことで、何よりもすごいお薬なんですよ。パーヴォさんに僕のいったことをお伝えすれば、パーヴォさんの周りのスタッフの方も、あなたに対する対応を改めると思いますし、あなたに不当に加えられた中傷を覆すことができると思いますよ」

Y先生はそういって、「僕も、久々にとてもうれしいケースを診療させてもらって光栄です」と口元を緩めました。

私は泣き笑いの表情になりました。「先生、ありがとうございます!」

Y先生は「いえいえ、こちらこそ。まだ2回しか診察していませんからね。でも、こんなケース、本当にめずらしいです。僕もうれしいですね!」と破顔一笑しました。

「あなたのブログの文章も拝読しました。大変すばらしいし、ユニークだし、毎回とてもユーモアと愛情にあふれていてすばらしい。それでいて、時々ほろりとさせられる。毎日読みにいらっしゃるファンの方が多いのも、むべなるかなですね。パーヴォさんだって、きっとあなたのことが気がかりで、ずっと読んでいらっしゃることでしょう。あなたのご人徳ですよ、ながたさん」

「それにしても、パーヴォさんはすごい方ですね。医者の僕たちでもできないことをした。あなたを愛情と音楽の力で治したのですからね!」

私は胸がいっぱいになりました。いま、こうしている間にも、パーヴォは、一生懸命リハーサルに取り組んで、がんばっておられるんだろうなと思うと、涙があふれてとまりませんでした。パーヴォに早く知らせたい、と思いました。

「早く幸せになってくださいね。転院については、紹介状はいつでも書きますので、調布市の福祉課とお話し合いになってみてください」

「ありがとうございます、先生!」

私は、足取りも大変かるく、家への道を急ぎました。統合失調症ではなくなりました!でも、この病名だったことで、得た人生の宝は数知れません。神さまが与えた長い試練でしたが、この試練にも感謝し、いまなお、この病名で苦しむ方々のために日々回復を祈り、彼らが偏見にさらされることなく、幸せになっていくことを祈りつつ、私は帰途につきました。

両親にさっそく報告したら、両親はもちろん大喜びです!父の喜びようったらなかったですし、母は思わずもらい泣きです。

パーヴォにもメールを打とうとおもいます!でも、まずはこのブログをきっと読んでくれていると思いますので、このブログの記事で、パーヴォにも、このブログを応援してくださるたくさんの読者の皆様にも、お礼のご報告とさせていただきます!!\(^o^)/

すべての人に、「ありがとう」!!!!

パーヴォ、あなたが世界で一番大好きです!!!

 



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