きょうはいよいよ、テレビのBS 8Kで、またNHK-FMの「ベスト・オブ・クラシック」(夜19時~)でも、パーヴォ&NHK交響楽団のみなさまの定期演奏会の生放送があります。というわけで、きょうの演奏演目の最初の曲である、「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18」をめぐる、さまざまなエピソードや曲の構成について、私なりに調べてみたことを、みなさまにご紹介したいと思います。
きょうは午前10時30分から、NHKホールにて、公開リハーサルがあります(すでに申し込みは締め切り済み。NHK文化センターの横浜みなとみらい教室で開催していたものです)。講師は、音楽評論家で「ラジオ深夜便」などでもすっかりおなじみの、奥田佳道先生です。貴重なお時間をいただけるということで、先生に、いろいろ質問をしてこようと思っています。
パーヴォの過去2回ほど公開リハーサルに参加させていただいておりますが、実はパーヴォ、公開リハーサルではあまり手の内を見せてくれません。ゲネプロでは、「大体このくらいのテンポでお願いします」とか「もうちょっとテンポを縮めて」とか、テンポに関する話は多いですが、全体をさっと流して、流れを確認して、おしまい、という形が多いようです。
でも、いざ本番になって舞台に立つと、パーヴォから、あの超人的なすさまじい指揮と演奏が生まれてしまうから不思議です。いったいどうやって、N響のみなさまと打ち合わせているのか、すごく不思議でなりませんね(^_-)-☆
公開リハーサルの模様は、また追ってご報告させていただくとして、きょうの1曲目である、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をめぐるお話をいくつか。参考にさせていただいたのは、こちらの、野中一郎さんの解説です。
①セルゲイ・ラフマニノフ (1873年~ 1943年)
ロシアを代表する作曲家にして、大ピアニスト。ペテルブルク音楽院、のちにモスクワ音楽院にて学びました。モスクワ音楽院では、アレンスキー、タネ―エフに学び、ピアノはニコライ・スヴェーレフに叩き込まれました。同期生には、あのスクリャービンがおり、ピアノを共に優等の成績で卒業しました。
1895年に交響曲第1番を作曲し、1897年に初演するも、キュイ(作曲家にして、音楽評論家。「五人組」のひとりでもあります)に酷評され、精神的に大打撃をうけました。
そこでスランプを脱却するため、精神科医であるニコライ・ダーリの施した「素晴らしいピアノ協奏曲を作ることができる」という暗示療法を受け、ダーリのおかげで、ラフマニノフは創作力を取り戻します。
このピアノ協奏曲第2番を中心に、最初の「傑作の森」時代を迎えます。このピアノ協奏曲第2番は、ダーリに捧げられています。
ラフマニノフは、生涯に、4つのピアノ協奏曲を作曲しています。またピアノとオーケストラのための、「パガニーニの主題による狂詩曲」を作曲しています。
ピアノ協奏曲第1番は、1890年~91年にかけて音楽院時代に作曲をしました。初演もおおむね好評だったのですが、ラフマニノフ自身は、この作品の出来に不満だったようです。第2番、第3番を作曲したのちに、全面的に第1番を改訂しています。
第2番は、1900年~1901年に作曲しています。これについては、後述。
第3番は、第2番のほぼ8年後に作曲されました。第2番に比べて、ピアノの比重が強く、また複雑な構成をもっています。ラフマニノフ自身がアメリカで演奏するために作曲されたのですが、第2番に比べて、音楽的に親しみやすさにかけ、ピアノソロの難易度が非常に高いため、始めはなかなか普及しませんでした。
しかし、この作品を有名にしたのは、ホロヴィッツなどで、以降ラフマニノフは、アメリカを中心にピアニストとしてのキャリアを充実させることとなります。
第4番は、1926年ころの作品です。
②ラフマニノフが作曲をスタートさせた頃の、
当時のロシアの音楽状況
1)モスクワ楽派~チャイコフスキーを代表とする
2)国民楽派~ 「五人組」(バラキレフ、キュイ、ムソルグスキー、ボロディン、リムスキ=コルサコフ)
この1)と2)の対立が解消されつつありました。
☆ラフマニノフは、オーケストレーション面では、チャイコフスキーと同時に、リムスキー=コルサコフの音楽に大変影響を受けていました。
ストラヴィンスキーのような革新性はないものの、先人たちと同じように、与えられた編成で、最大限の効果を上げるよう意図されています。
ラフマニノフは、チャイコフスキーに学生時代から目をかけられていました。チャイコフスキーのオーケストレーションを詳細に研究しています。ピアノ協奏曲第2番も、その跡が窺えます。
③ピアノ協奏曲第2番 全曲の構成
この曲が大変愛される理由として、
1)素晴らしく息の長い旋律の美しさ
2)1)を支える、独特の和声の響き
が挙げられます。
この長い旋律線をピアノで歌いきるために、数多くの音が、幅広い音域でおかれることになりました。ラフマニノフ的な「ピアノ書式」がここにあります。
交響楽的な構成も申し分がありません。又、しばしば、オペラの所作を思わせる身振りの大きさ、劇的な振り幅がこうした構成に大変寄与しています。
過去の協奏曲の影響としては、
1)ショパンの協奏曲のもつ、装飾的なフィギュア※。
※フィギュア:いくつかの音からなる、特徴を持った音楽の最も小さい構成部分。
2)リストの影響も大きい。
と言われています。たとえば、2)のリストの影響については、旋律は木管のソロに託し、ピアノソロがそれを伴奏します。いわば「ピアノを含む室内楽」風な書式となっています。リストのピアノ協奏曲第1番の影響も、頻繁にみられます。
(参考)リスト:ピアノ協奏曲第1番第1楽章
https://www.youtube.com/watch?v=NwD_mj2SOVs
また、第3楽章の様々な場面で、ピアノソロが一種のカデンツ(終止形)をファンタスティックに奏する所など、カデンツが随所におかれる、リストの協奏曲なしには、ありえませんでした。
また、チャイコフスキーや、同期生である、スクリャービンの影響もあります。
ラフマニノフのピアノ協奏曲は、ロマン派以降のピアノ書式の集大成として表れています。
また、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の影響も大きいです。
(参考)ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番
https://www.youtube.com/watch?v=BYpyxFOjFUU
たとえば、両端楽章のハ短調に対して、緩徐楽章に全く色彩の異なるホ短調を置いたことも、この協奏曲の影響が大きいでしょう。
例)第3楽章のロンド・ソナタの展開部では、ベートーヴェンの協奏曲第3番の、第3楽章そっくりといえます。
ピアノ協奏曲で、このフーガ風のパッセージをもつことは、珍しいです。また、短調の協奏曲の最後が、同主長調で終わるのは、やはり、ベートーヴェン協奏曲第3番の影響だそうです。
しかし、ラフマニノフ自身が、大変な大ピアニストであったことも、大いに影響していると申せましょう。そのラフマニノフのピアノ書式のすばらしさ、美しさは比類なきものです。ピアノをロマンティックに奏でる、まさに「究極の」姿を見せています。
まず、ピアノソロによる「鐘」の音が鳴り響きます。「鐘」はムソルグスキー、スクリャービン、ラフマニノフ・・19世紀末から20世紀前半にかけての「ロシア楽派」にとって、大変重要なモティーフです。
ラフマニノフ自身は、大変手の大きな人だったと伝えられています。そこで開離配置(※意味はしらべてきます!>奥田先生にきいてみます!)で、密度の詰まったピアノ書式。ピアニッシモ(pp)からフォルテシモ(ff)へ直線的な変化を見せます。・・
・・・・といった具合に、楽譜には詳細な楽曲の構成が掲載されています。もし、ご興味のある方は、ぜひご覧になってみてください。
私も、正直内心、訳がわからないながらも、一生懸命書き取って、漠然とこの曲がすごい、と思っていたのが、非常に緻密かつ理論的に、よく完成された作品であることがわかり、大変勉強になりました!
というわけで、公開リハーサルまで、あと6時間!
ワクワク、ドキドキがとまりません!
さて、パーヴォはどんなリハーサルを見せてくださるのか、今から大変楽しみです~\(^o^)/
がんばれパーヴォ がんばれNHK交響楽団のみなさま