まったく雲の上の人と思われた、松岡功 東宝㈱名誉会長ですが、意外に私がお話する機会はめぐってきました。
それは入社前の内定式を終え、内定者に人事課長のSさんが送ってくださる、マスコミ試写状で、1991年1月公開の映画「大誘拐」を見せていただいた時のことでした。これは岡本喜八監督の大傑作で、本当にすばらしく、私が実写の日本映画のなかで、最も愛する作品です。
主演は、いまは故人となられた北林谷栄さんと緒形拳さん。緒形拳さんは、私が中学1年のころから、大変かわいがっていただき、お世話になったので、なにがなんでも試写をみなくては!と駆けつけたのでした。
マスコミ試写には、映画評論家として大変な人気を誇る、「おすぎとピーコ」でおなじみの、おすぎさんもお見えでした。
私は同期入社のきまったN嬢(のちに宣伝部宣伝管理室長。結婚して退職しました)とともに、ワクワクしながら「大誘拐」の試写を拝見しました。おすぎさんもいらっしゃるので、大感激!自分たちが、ほんとうにあこがれの東宝に入れて、しかも、映画人としての第一歩をあゆみはじめたのだという希望に満ちていました。
映画の出来栄えはもう最高!爆笑に次ぐ爆笑、笑いあり、人情あり、涙あり、感動あり、サスペンスあり、ユーモアとペーソス、そして最後に流れたのは、岡本喜八監督の痛烈な「戦争反対!」というメッセージでした。わたしとN嬢は、
「これは大傑作だね!」
と興奮して試写室をでてきました。
おすぎさんも、私達が試写室の一番後ろで、きゃあきゃあ笑ったり泣いたりしている様子を気に留めてくださって、気さくに、「あなたたち、この映画面白かった?」と聞いてくださったのでした。私達は大感激しながら「はい!すばらしい映画です!ぜひおすぎさん、この映画をいろいろなところでほめて、宣伝してください!」とお願いしました。私とN嬢の、入社前ではじめての「宣伝パブリシティ活動」でした。おすぎさんは、笑顔で快諾され、宣伝を一生懸命してくださいました。とてもやさしく、面倒見の良い方で、私達はおすぎさんのことが大好きになりました!
宣伝プロデューサーは、矢部勝さん(のちに映像本部宣伝部長。現・東京現像所社長)と、”イセどん”こと伊勢伸平さん(のちに映像本部宣伝部長。現・東宝東和常務取締役)。まだおふたりとも大変若く、張り切って「大誘拐」の宣伝をされていました。おふたりとも、なんだか兄弟のようで、わたしとN嬢は、漫画チックなお二人の姿を見て、クスクスわらっていました。
「おーい、新人クンたち!映画の感想はどうだった??」とおふたりは気さくに聴いてくださいました。これがお二人と最初の出会いでしたが、まさにこんなにご縁が深くなろうとは!
私達は、飛び上がりながらいいました。「日本映画に傑作誕生ですね!すばらしいです!面白いし、泣けるし、感動しました!ぜひ大ヒットさせてください!」と言ったら、矢部さんも伊勢さんも「ばんざーい\(^o^)/ありがとう、ありがとう!」といいました。
「君たちはどこの部署を志望しているの?」と矢部さんと伊勢さんがきいてくださったので、
私は「私は映画の製作志望です!」
N嬢は「私は映画の営業志望です!」
とそれぞれ元気よく答えました。
矢部さんと伊勢さんは「映画の宣伝部も面白いよ!ぜひ志望を考えてみてね!」と言ってくださり、そのまま別れました。
私とN嬢は大興奮しながら、新宿の喫茶店でずっと長いことしゃべりまくっていました。
私「あんなにすごい映画、みたことないね!」
N嬢「うんうん。日本映画もこれで復活するかもね!」
私「日本映画、盛り上げたいよね!私、ちいさい頃から緒形拳さんにすごくかわいがってもらったんだ!それで映画会社に入りたいとおもって、東宝を希望したの!」
N嬢「私は、母が映画会社の大映で経理をしていたの。そのあと、母が津川雅彦さん(故人)のおもちゃ屋さん『グラン・パパ』に入って、それで、津川さんにいろいろお世話になったのよ」
私「わぁ奇遇!緒形さんと津川さんって大親友なんでしょ。わたしたちも仲良くなれるね!」
N嬢「そうだね!お互いがんばろう!」
そういって、お互いたのしく笑いあい、そのままわかれました。まさか彼女と宣伝部で8年半も一緒に仕事をすることになろうとは!いつも喜びも悲しみも、まっさきに分かちあう、良き仲間になった、これが最初のきっかけでした。
『大誘拐』はその後、大変なヒットを記録しました。当時のことを松岡会長は、岡本喜八監督の葬儀でこう弔辞を述べられ、岡本監督の遺徳を称えました。
※これは2001年「千と千尋の神隠し」にて。中央が宮崎駿監督、向かって左が松岡会長です。
「はじめ私は、この『大誘拐』がとてもヒットするとは思えなかったのです。それで、洋画系の『日比谷映画』チェーンをあけました。1月中旬の公開という時期でもあり、入りはどうなんだろう?と思っていました。ところが、宣伝部の矢部君や伊勢君が『若い女の子たちが、この映画を大変面白いと言ってくれています』と言ってきたのです。僕は信じられない思いでしたが、急遽『大誘拐』の試写を沢山回すことにし、洋画系なので公開規模を拡大したのでした。すると、予想外の大ヒットとなり、僕はあらためて自分の興行人生で大変勉強になったのでした」
松岡会長は、私が入社してから、いろいろ目にかけてくださいました。思わず、松岡会長の記憶力の良さを感じたのは、第1回東宝シナリオ大賞のときです。
当時社内報の編集は、旧・文芸部出身で、松岡会長の同期でもあり、信頼も篤かった、五明忠人さんでした。(故人)五明さんが入社したての私に、こうおっしゃいました。
「松岡社長(当時)がね、シナリオ大賞の記事に、ぜひ君の描いた、松岡社長の似顔絵を掲載してほしいというのだよ。社長の似顔絵、描いてくれるかね?」
私はビックリしました。まさか松岡さんが本当に私の、入社試験で言った一言を覚えていらっしゃるとは思わなかったからです!私は張り切って、とってもかわいらしくチャーミングな、松岡会長の似顔絵を描きました。反響は大変大きく、大爆笑する人あり、「あらきはサラリーマン人生を棒にふったな。馬鹿なやつだ」と嘲笑する人あり、さまざまでした。でも松岡会長は、「あらきさん、ええ似顔絵描いてくれて、ありがとうさん」とやさしく言ってくださったので、飛び上がりたいくらいに、うれしかったのでした!
やはり、そして、松岡会長も、「ながたさん、この映画のできはどうでっか?」とやさしくいつも聴いてくださいました。私は松岡会長にも正直になんでも感想をお話していました。また、宣伝部に異動になってから、ポスターが出来上がって、私が旧本社の9階の会長室の廊下に掲出すると、真っ先に見てくださいました。「ながたさん、ええポスターができあがりましたな!」と大変喜んでくださいました。
時には、ポスターを一緒に張るのを手伝ってくださったこともありました。いつもたのしく、松岡会長と廊下で、映画のポスター制作にまつわるおかしな話や苦労話をお聞かせしました。松岡さんはクスクスわらいながら「そうでっか。ながたさん、えらい苦労しはりましたなぁ。ごくろうさん!」と言ってくださり、励ましてくださったのでした。
私が統合失調症を患い、資料室(社団法人映画文化協会。現在は一般社団法人・映画演劇文化協会に組織変更。「午前十時の映画祭」「東宝ミュージカルアカデミー」などを主催している団体として、すっかりおなじみになりました)に異動になってからも、とても心配してくださり、ときどき様子を見に来てくださいました。
また同協会の総会には、映画文化協会の会長として出席された松岡さんでしたが、末席にいた私に、「では、新入社員のご紹介をします。ながたともこさん。どうぞ、ご挨拶を」とすすめてくださいまして、大変私は恐縮した覚えがあります。協会の役員には、高名な弁護士、税理士、映画界の重鎮ともいうべきVIPの方々、そして高井社長も名を連ねていたからです!
私が「新入社員ですが、一生懸命がんばります!」と精いっぱいご挨拶すると、松岡さんは大変目を細められて、「ながたさんが健康を回復して、立派にご挨拶されたので、うれしかったですよ」とおっしゃいました。
そして、一年後、私は本社の総務部広報室に異動になりました。松岡会長は、社内報『宝苑』の顔として、私の取材にも笑顔でいつもこたえてくださり、社内報が全面的にリニューアルしたときも、「大変ええ出来栄えの社内報になりましたな。ごくろうさん。がんばってね」とはげましてくださったのでした!
療養休職中に、お目にかかることもできました。松竹さんが日生劇場で「越路吹雪物語」を上演し、そのご招待客の中に、松岡会長もいらしたのでした。私がたまたま見に行くと、秘書室長のM女史が「ながたちゃん、きょう松岡会長がおみえになっているから、ご挨拶をなさいね。会長もあなたのことを心配されているから」と、取り次いでくださり、松岡会長と感激の再会を果たしたのでした。
松岡会長は私をみるなり「ながたさん!元気かね!ちゃんとクリニックにはいってはるの?」と駆け寄ってきました。私はわーんと泣きました。「会長!私、いちばん東宝で大事なのは会長です!会長と早くお仕事がしたいです!」といいました。松岡会長は大変うれしそうに、そしてちょっと声をつまらせて「そこまで思ってくれて、僕もうれしいよ。早く元気になってもどってきてね」と言ってくださったのでした。うれしい、うれしい思い出でした。松岡会長がわたしのことをとても大事に思ってくださっていることがわかったからです!
怒られたことはいっぺんもありません。「ながたさんは頑張り屋さんやな。宣伝部でいつも残業してはるけど、なんでやの?」と、「アメリカ版ゴジラ」の完成披露試写会のおり、パーティーに呼んでくださって、松岡会長は、お話をじっくりきいてくださいました。
「実は、私には夫がいるのですが、彼が司法試験の浪人をしています。彼もアルバイトをしてくれていますが、生活費は私が稼いでいます。なので、残業をしないと、生活がもたないのです。親もタクシーの運転手なので、あまり裕福ではなく、実家の援助は期待できません。彼の父も早世していて、彼の実家からも援助は難しいのです。でも、彼の学費やら本代などを出さなくてはならないので、私が頑張るほかないのです」
そう私が申し上げたら、松岡会長は眼鏡の奥の目をみるみる潤ませておられ、「そうか、そうか。あなたはとても苦労されているのやね。早くご主人が司法試験に受かるといいね!」といいつつ、こう最後におっしゃいました。「ながたさんはいつも東宝のことをおもってくれるね。みんな、ながたさんみたいな社員だと、ほんとにうれしいのやけどね・・」
いまにして思えば、最高のお褒め言葉でした。広報室でも非常にかわいがっていただきましたし、いろいろ苦労はありましたが、いつも松岡会長の大きな背中と笑顔をみて、頑張ってこられたように思います。
東宝を退職して9年になろうとしていますが、松岡会長がいつまでもお元気で、映画・演劇の発展のためにご尽力され、ご活躍されますように、深い感謝をしつつ、お祈りしたいと思います!