新・台所太平記 ~桂木 嶺の すこやかな日々~

N響定期会員・桂木嶺の、家族の介護・闘病・就職・独立をめぐる奮戦記を描きます。パーヴォ・ヤルヴィさんへの愛も語ります。

「踊る大捜査線 THE MOVIE」の思い出に、母が大爆笑!~事件は会議室で起きてるんじゃない、給湯室で起きてるんだ?!スペシャル~

2018-12-16 02:50:15 | とにかくVIPの思い出(^_-)-☆

ただいま、両親の家に転がり込んで5日目です!

はじめはちょっとホームシックを起こしていた私も、明るく朗らかで仲良しな両親の愛情に支えられて、次第に元気になりつつあります。きのうは、ネイルをオフしに行ったり、就職活動用のカバンを用意したり、履歴書を書いたり、元オットのもとに預けてある荷物をひきとるべく、トランクルームを借りる相談をしたりと忙しく過ごしました。

両親は、はじめのうちこそちょっと「まったく、はるちんとけんかしちゃって」ととまどい気味。

ましてや名古屋にまでパーヴォに会いにいったので、父などはあきれ顔でしたが、次第に両親も「せっかくチコちゃんが家にいることだし3人でたのしくやろうや」という雰囲気になりました。

わけても喜んでくれたのは母で、「チコちゃんはおしゃべりが面白いからうれしいわ(^_-)-☆」とご機嫌に。

毎日、ほぼ寝たきりの母を介護する父も、わたしが母の介護を積極的に手伝ったので、次第に顔が恵比寿様になってきて、父の若かりし頃の自慢話が、食卓で飛び出るなど、あかるい雰囲気につつまれました。

特に、父のいちずな母への愛情をみると、ほんとうに、半世紀以上両親がつれそってきて、よかったなと、あらためて私も胸が熱くなりました。

また、いま母の部屋で一緒に母と寝起きをともにしていますが、昨夜は、母が、私の東宝時代の「踊る大捜査線 THE MOVIE」(映画版の第1作目ですね^^)の思い出話をしたら、大爆笑してしまい、寝付くに寝られないほど、ふたりで笑い転げてしまいました(^_-)-☆

母は病身ではありますが、いつもユーモアをもって私を迎え入れてくれるひとでありました。母が大爆笑してしまったのは、私が映画「踊る大捜査線」の第1作目の宣伝費が、当時の上司・Nさん(当時常務)によってカットされそうになったのを、私が思わぬ機転で、宣伝費を倍に増やすことになったくだりです。「チコちゃん、そのお話絶対面白いからブログで紹介したらいいよ」とひぃひぃ笑っているので、私も調子にのって、披歴する次第です。もう、時効だからいいですよね(^_-)-☆

「踊る~」は1998年10月に公開になり、もう20年の月日がたっていますが、企画自体がもちあがったのは、その1年前からでした。宣伝プロデューサーになったのは、関西出身で、大阪の天ぷら屋の息子さんだったU君。ある日U君が「チコさん、ちょっとご相談があるんですよ」とかなしそうな顔をされました。「N常務が、『踊る大捜査線なんて、そんなテレビドラマみたいな映画が当たるわけがない!ヒットせぇへん映画の宣伝費なんてカットするぞ!』といわはるんですよ。どないしましょ~ ボク、シネコンが増えてきたから、特大バナーを作りたかったですけど、宣伝費カットやったら、バナーがつくれないやないですか・・・宣伝費カットされたら、劇場宣伝、どないしたらええのでしょ😢」

U君は当時まだ名古屋の支社の宣伝課から東京の本社の宣伝部に着任したばかり。まだ本社のようすは、右も左もわからず、1年先輩で、広告宣材物の制作担当だった私になきついてきたのでした。「おまえ、10月公開の『踊る大捜査線』を担当しろ」と言われて途方にくれていました。「10月末の公開やから、そんなにヒットするわけがないからや、とN常務はおっしゃるんですけど、チコさんは『踊る』、めちゃくちゃ大ファンやないですか。どないなところが、これ、おもろいんですか」というのです。(東宝はもともと関西の阪急グループの会社なので、東京であっても、関西弁がほとんど公用語でした(笑)

私はU君に『踊る』のドラマ版の面白さを力説した後、こう言い放ちました。「N常務は頭カタイからね~、もう彼のことはほっとこうよ。映画営業部の西野専務(いまは故人です)にお願いしてみようよ!」U君は目を丸くしました。「えぇ?!でも、西野専務はドがつくほどケチやないですか。宣伝費あげてくれるわけがないですよぉ~」確かに、西野専務は大変なケチで有名でした映画営業部では、無意味な残業は認めないし、メモは失敗したコピーやファックスを切って、裏紙を使えというし、ちびた鉛筆を2本ホチキスでとめて、それで筆記用具にしろとか、とにかくケチぶりが徹底していました(笑)

わたしはニヤリとしました。「まぁ、見てなって(笑)」

わたしにはイチかバチかの勝算がありました。雲の上の人・西野専務とお話できるチャンスのある場所を知っていたからです。それは・・・・本社(旧本社・いまはシアタークリエのあるところです)の8階の給湯室!いつも西野専務は、そこで、お昼ご飯を食べ終わった後、かならず入れ歯を洗っていたことを、女子社員はみんな知っていたのです(笑)

そこで、私はとある昼休み、お弁当を食べ終わった後、給湯室に行きました。女性社員の化粧ポーチをそこにしまうので、みんな給湯室に行っていました。化粧ポーチをとりにいくふりをしたら、西野専務はやっぱり、入れ歯をごしごしとあらっていたのでした(笑)

「あの・・・西野専務?」と私が声をかけたら、西野専務はいつもの厳しさはどこへやら、「はぁ(ふが)?」とニコニコとされました。「ちょっといまお話があるんですが、よろしいですか?」と私が聴くと、西野専務は(茨城のご出身だったので、ちょっと茨城訛りがありました)「ああ、ええよ」というので、私は、真っ赤な顔をしていいました。「西野専務、『踊る大捜査線』の宣伝費がカットされるってほんとですか?N常務がカットされるとおっしゃったとか」

西野専務は、急に眼が鋭くなり、茨城訛りで「なんでだ?」と短く聴きました。私は、思い切り深呼吸してこういいました。「専務、お願いがいあります!『踊る』は絶対当たります!騙されたと思って、宣伝費、上げてください!」

西野専務は、入れ歯を洗うのをやめて、さらにぎろりとにらみました。このにらみで、全国の映画館の館主さんが震えあがるほど、怖い西野専務だったのです。そして、こうひくく尋ねられました。

「永田(これが私の本名です)・・・『踊る』はあたるのか?」

私は、大きくうなずいて、「あたります!絶対に、あたります!」

西野専務は急に優しい顔になり、こう茨城訛りでおっしゃいました。「わかった。宣伝費は増やしていいよ。何に使うんだ?」わたしは、我が意を得たりとばかりに叫びました。「専務、シネコンがいま増えてきているので、特大バナーを作りたいと思うんです。劇場に配ったら、みんな喜んで掲出してくださると思います。とにかく、U君とも話してるんですが、『踊る』はすべてが斬新なので、いろいろ新しい試みをやってみてもいいと思うんですが!」

西野専務はよしよし、と大変優しい顔になり、「いいよ。好きにやれ。N(常務)には俺から宣伝費あげろ、っていっとくから。心配するな」

わたしは、がばっと最敬礼しました!「専務!ありがとうございます!!!ありがとうございます!」

西野専務は入れ歯を口にはめて、ニコっとしました。とてもやさしい好々爺の顔でした。私はU君にさっそく報告しました。仰天したのはU君です!「西野専務が宣伝費上げてくれるっていったんですか!永田さん、すごすぎですわ!」私の天敵(?)・N常務は数日後ふしぎそうな顔をして、U君にこう言ったそうです。「なんや西野専務が『踊る』は当たりそうやから、宣伝費増やせぇっていうてきたんや。どういうことやろか?まぁたのしい宣伝メニュー、考えてや」U君はクスクス笑いながら、私に報告してくれました。「永田さんのおかげです。ありがとうございます。ボク、『踊る』でなんでもやってみますわ!」

U君は大変はりきって、いろいろ新しい宣伝メニューを打ち出しました。

そのひとつが、邦画宣伝で初めての、インターネットを使った宣伝でした。公式ホームページを作ってファンを呼び込み、「踊る」の役者さんのインタビュー、監督のメッセージ、カエル急便の小ネタページ、掲示板など、いまの邦画宣伝ではもう当たり前になっていることを、次々と打ち出したのでした。言い出したのは、フジテレビジョンの亀山千広プロデューサー(元フジテレビ社長。現BSフジ社長)もそのひとりで、いろいろアイディアのサポートをしたのが、本広克行監督と、前述の「食べる刑事」で私をプロデューサーに抜擢してくださった、石原隆さん(「古畑任三郎」「HERO」などの編成担当を経て、現・フジテレビジョン取締役)でした。

そして、「踊る」の大ヒット伝説がここから生まれました。インターネットの宣伝は大評判を呼び、連日すさまじいアクセス数を記録しました。織田裕二さんの劇中着ていたコートはネットで通販をしたところが飛ぶように売れ、カエル急便のコーナーも大人気。そして、人気者3人の署長・副署長・課長のトリオによる「スリーアミーゴス」の深夜番組まで出来上がってしまいました。

スリーアミーゴスの北村総一朗さん(劇団昴)、斎藤暁さん、小野武彦さんは、テレビ部時代、私が初プロデュースした深夜ドラマ、『食べる刑事』で一緒にプロデューサーをしてくださった、大プロデューサー・津島平吉さん(故人。代表作に「教師びんびん物語」「アナウンサーぷっつん物語」があります。「ゴジラ対ヘドラ」のチーフ助監督でもありました)と仲良しのゴルフ友達でした。彼らはよく東宝テレビ部のドラマに出てくださっていたので、私がU君に、「あのお三方はとてもいい人たちだから、宣伝にも喜んで協力してくれるとおもうよ♪」とお話していたのを、U君が覚えていて、お三方を「笑っていいとも!」にセミレギュラー出演させて、瞬く間に三人をお茶の間の人気者にしたのでした。

「踊る」はこうしたムーブメントも手伝って、10月末の公開番組としては異例の前売り券が爆発的に売れていました。ポスター・チラシ・割引券・前売り券はあっという間に増刷を繰り返しました。「これは何かが来る」と思い、出来上がった試写をみたら、大変出来栄えがいいので、N常務は「よーし、マスコミ試写をどんどん回すぞ!」と大号令を発しました。

そこで、やってきたのが、映画評論家で、キネマ旬報やテレビ・ラジオ出演でもおなじみの、大久保賢一さんでした。私がたまたま夜残業していて、宣伝部の倉庫で、宣材の在庫確認と整理を行っていたら、「踊る」の試写を見終えた大久保さんが、大興奮して 私に話しかけました。

「踊る大捜査線って・・・傑作だよね!スゴイ映画だね!僕すごく気に入りました」

私は大久保さんと話すのはもちろん初めてでしたが、私は大喜びして、「踊る大捜査線」の魅力について熱弁をふるいました。大久保さんはニコニコと聴いていて、「僕、テレビドラマの映画化ってあまり感心しないんですけど、『踊る』はちょっと違うね。東宝も新しい鉱脈を探り当ててよかったですね!」と絶賛してくださったので、私が、またがばっと、試写室と宣材倉庫の前の廊下で、大久保さんに土下座しました。

「お願いします!キネマ旬報で『踊る大捜査線』は東宝の大傑作だ!と書いて、宣伝してください!この通りです!私たちは絶対に『踊る』を当てたいんです!」

大久保さんはビックリして「お手をあげてください。もちろん、ボクも書きますし、たぶんみんなこの映画を気に入りますよ。絶対にあたりますよ(^_-)-☆」と笑顔でこたえてくださり、「あなたのお名前は?」と聴かれたので、私が「永田と申します」といったら、お名刺を交換したのでした。「永田さん。宣材のご担当?・・・覚えておきますね(笑)」と、笑顔で去って行かれ、私はまたまたU君に次の朝報告しました。

「大久保賢一さんが『踊る』を絶賛してくれたよ!」

U君は、もうすっかり堂々と大宣伝プロデューサーになっていました(^_-)-☆「ええ、試写の評判がものすごくいいんです。これは相当いけますね!」

そして、初日舞台あいさつを迎えました。日劇東宝(有楽町マリオンの9階にありました)で舞台あいさつを行ったのですが、土曜日の初日にもかかわらず、木曜日の夜からマリオンの周りに、ファンが殺到し、長蛇の列を作り、織田裕二さんの歌う主題歌をみんなで歌ったり、大変な騒ぎになりました。

西野専務が「永田君、『踊る』は当たりそうだな(笑)」とニコニコしながら話しかけてくれました。

そして、舞台挨拶のときにいらしたのが、主演の織田裕二さん、柳葉敏郎さん、深津絵里さん、ユースケ・サンタマリアさんたちです。織田さんと柳葉さんは、実は大の仲良しでした。ふたりで(例によって控室のお茶くみ係をしていた)私に、「すみません、僕たち、ちょっとこっそり、日劇のお客さんたちの並び具合を見に行きたいんですけど、いいですか?」と言ってきました。私は、うれしくて「いいですよ!」といったら、織田さんと柳葉さんはニコニコしながら、こっそり、日劇のまわりを見てきたのでした。ところが、ファンがやっぱり気が付いてしまって、おおさわぎになったのですが、お二人は、「どこから来たの?」「見に来てくれてありがとう!」とたのしくファンと交流したので、ファンのみなさんは大感激!(織田さんも柳葉さんも実に気持ちのいい人たちですばらしい方々でした。ふたりが仲が悪い、と週刊誌は、うそばっかり書いていましたが、それは本当に違うので、いま、きっぱりと訂正させていただきます!)

織田さんと柳葉さんは、「ばんざーい!日劇のまわりを7周半もお客さんたちがとぐろまいてるぞ!」とふたりで肩を抱き合い、パンパンパン!と歓びあいました。深津絵里さんもユースケさんも大変ゴキゲンでしたし、スリーアミーゴスのみなさんも大喜び。北村総一朗さんにいたってはあの口調のまんまで「僕らみたいな役者まで、初日舞台挨拶にきちゃっていいのかなぁ~(笑)」といっていましたが、実際の現場でも、みんな北村総一朗さんのいうことを織田さんも柳葉さんも深津さんもきいていました。そういう意味では、北村さんは、真の署長ともいえる人ですばらしい方でした。

結果的には、「踊る」の第1作目は、なんと配給収入50億円を記録。(興行収入になおすと、約100億円になります)

U君は一躍大ヒット宣伝プロデューサーの仲間入り。今では東宝の、映画調整部のプロデューサーで「永遠の0」を大ヒットさせたあと、現在は映像事業部の部長さんに大出世しました。

亀山さんはフジテレビの社長さんに。石原さんはフジテレビの取締役に。本広監督はこれで大監督の仲間入りをしました。

織田裕二さんも、柳葉敏郎さんも、深津絵里さんも、ユースケ・サンタマリアさんも大スターの仲間入り。

「踊る」の2作目が作られたときには、日本映画の実写映画の興行収入の第1位を記録。今だにその記録は破られていません。

 

あのとき、給湯室で西野専務が入れ歯を洗っていなければ!

西野専務が「宣伝費、増やすぞ」と言わなかったら・・・・。

「踊る」はどうなっていたでしょう!!!

「事件は会議室で起きてるんじゃない、給湯室で起きてるんだ!」

というわけです(笑)

専務の遺徳と、大英断に、心から感謝するのみです!

そして、「踊る」を愛するすべての皆さんとの出会いに感謝です!

母もすっかり大喜びで、元気になってしまったので

うれしい、うれしい思い出です!



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