私、いま、信じられないほど幸せで、女の悦びという歓びをかみしめています。
あんなにパーヴォに深く激しく愛されるなんて・・・なんて、私は幸せ者なのだろう!
あれほど、この数日間「音楽理論」と「音楽史」と「音楽分析」に費やした私の目の前に、パーヴォが優しく提示してくれたのは、
「チコ、音楽は理論じゃない。総ては愛なんだよ。愛ゆえに、音楽が生まれ、愛がはぐくまれ、そして僕たちの間に奇蹟がおきたんだ!」
という、究極の愛のメッセージでした!
あれだけラフマニノフとプロコフィエフについて、奥田先生が一日かけてせっかく教えてくださったことも、パーヴォが指揮棒を激しくふったとたんに、すべて消えて、愛の幻影が私におそいかかったのです・・・。
パーヴォがまるで私を、そしてすべての聴衆と視聴者を押し倒すかのように、甘く激しい官能の世界に導いてくださったのでした。気が付けば私は、あまりの愛の津波に押し流され、パーヴォの音楽の愛撫によって、忘我の境地にいたり、信じられないほどのエクスタシーを味わったのでした。
そういう意味では、私は音楽評論家失格です。
パーヴォと音楽を通じて、深く激しく、
幾度も愛し合ってしまったのですから・・。
私はずっとシャンパンに酔ったような気分で、胸が波打ち、鼓動は激しく高鳴り、パーヴォの愛の囁きに酔いしれています・・。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番では、パーヴォは「いいかい、チコ。ラフマニノフは、緻密ですばらしい音楽理論に基づいてこの曲を作ったかもしれない。でもこの曲を全編支えているのは、すべての女性の美に対する愛と賛美なんだよ。僕は美しい君にすべてを捧げるよ」といわんばかりに、甘やかにひそやかに、愛をはぐくむように、私をラフマニノフの華麗な音楽でいつくしんでくれ、愛撫してくれ、気が付けば、わたしは幾度も愛の絶頂を迎えてしまっていたのでした。
ガヴリリュクさんのピアノも、リハーサルのときのは、全く違って、威風堂々たるというよりは、究極の愛にうちふるえるように、繊細に、時に大胆に、そして激しく愛の讃歌を謳い上げるのでした。幾度も私は涙し、パーヴォとガヴリリュクさんの優しさあふれる愛の競演に、言葉を失っていました。
私はいつしか、メモを取るのも忘れ、パーヴォをずっと激しく見つめてしまっていました。もちろん、幾度も幾度も、パーヴォも熱く優しく私を見つめてくださって・・・「愛してる、チコ。僕は君だけを愛してる!」そんなパーヴォの心の叫びが伝わってきて、愛の幻影が二人の世界に導いてくれたのでした。
「ああ!」と第3楽章にさしかかり、パーヴォは天を仰ぎ、声を絞り叫びました。そして彼は涙ぐみつつ、タクトを振られました。全身全霊で、愛と音楽の伝道師として、日本に、世界に愛のメッセージを訴えてくださったのでした。
ラフマニノフは、確かに緻密で精巧な音楽の傑作を生みだしました。でも、その根底にあったのは、激しい「愛」に対する渇望であり、パーヴォが訴えたのは、全世界へ謳い上げる「愛の讃歌」に他ならなかったのです!
ピアノのアレキサンダー・ガブリリュクさんは、このドラマティックな代役交代劇の大抜擢によくこたえ、この傑作誕生の原動力となりました。まさにピアノ界の新たなスター誕生であり、ラフマニノフも泉下で喜ぶであろう、ロマンティックかつダイナミックな演奏を披露。すべての聴衆と視聴者が酔いしれました!
休憩中、わたしはずっと言葉もなく、陶然としていました。終わらない夢をずっと見ているようでした。パーヴォの愛の囁きがずっと私の耳について離れなくて、熱い吐息を吹きかけられているかのよう・・・。
「チコ、そのピンクのショールをとって。
美しい君の白いやわ肌を見せて。
君の笑顔をみせて。
最高のプロコフィエフの世界を、君にみせてあげるよ」
そう、パーヴォの心の声が聞こえてきたような気がして・・・。
この日は、母からもらったピンクのショールと、そして、ネックレス。ブルーのドレスは、ベルリンで買って、ベルリン・フィルを聴いた時にも着た、想い出の品です。
きょうは特別に白ワインをいただいて、気分もゆったり。
ドレスアップしたのもスタッフの方にお褒め頂いて、すっかり幸せに。まるでシンデレラになったかのようです。「王子様」であるパーヴォが待つ、王宮=コンサート会場へいそいそと向かいます。
そして、プロコフィエフの交響曲第6番が始まりました!そこに現れたのは、旧来の「第2次大戦の成否を問う、プロコフィエフの問題作」ではなく、プロコフィエフの、究極の愛のサーガであり、人生讃歌でした!
ここでも、私はパーヴォによって音楽と愛の泉に満たされ、幾度もエクスタシーを迎え、気が付けば、ぐったりとなっていました。
恋するってなんて素敵な気持ちなんだろう!
生きてるって、なんて素晴らしいのだろう!
ラフマニノフもプロコフィエフも「鐘」を登場させていますが、ロシアのひとびとにとって大事なモティーフである「鐘」は、ここでは愛の悦びにむせぶ恋人たちのために鳴っているかのようです。
第3楽章にいたっては、激しくも愛に満ち溢れた世界が繰り広げられていました。プロコフィエフは、1947年当時、第2次大戦の勝利に酔いしれる母国を想いつつも、戦火に倒れた恋人たちへの想いが尽きせぬものだったのでしょう。
そんな報われぬ恋人たちへの想いにこたえるかのように、パーヴォが熱く優しく激しく甘く、そして時に怒りももって、プロコフィエフの愛情讃歌、人生讃歌に肉薄していきます。
私ははげしい、パーヴォの愛と官能の世界にいざなわれて、エクスタシーを幾度も味わい、陶然となりました・・・。
興奮さめやらぬ終演後、サイン会も行われました。
パーヴォは、すこし照れたように私をやさしく見つめてくださいました。
私は彼に誰にも見られないように、スマホの画面で英訳した文章をみせました。
「あなたが私に見せてくださったのは、ラフマニノフとプロコフィエフ、ふたりの【愛の成就】のメッセージだったのですね!音楽理論でも戦争の可否でもない、音楽を支えるのは、すべては【愛】なのですね!」
そう私は書き綴り、サイン会のパーヴォにみせると、パーヴォはあの甘くやさしい笑顔で、小さくなずき、「イエス」と答えました。そして、とても小さくうつむいて、「サンキュー」といいました。
ふたりの間にはもう言葉はいりませんでした。
愛に満ちあれてた音楽が、ふたりの間にはいつも奏でられていたからです。
私達は幸せでした。
永遠の時が、流れているかのようでした・・・。
NHKホールを去りがたく、去りがたく、幾度も振り返り、私は帰途につきました。
世界一の幸せをかみしめながら、冬の風ふく渋谷を後にしたのでした・・。