「ヴァージン・スーサイズ THE VIRGIN SUICIDES」2005年11月23日
【ひとこと】
次々に散っていった美しい花たちの記憶。
【物語のあらすじ】
リズボン家の美しい5人姉妹はみんなの憧れの的。父親は真面目な数学教師。母親は非常に敬虔なクリスチャン。ある日、末娘のセシリアが、手首を切って自殺しようとする。一命は取り留めたけれど、それ以来、一家にはぎくしゃくした空気が濃く立ち込めるようになってしまった。気晴らしにと近所の男の子たちを招いて開いた初めてのホームパーティーの晩、セシリアは窓から鉄柵へむかって身を投げ絶命。以後、深い悲しみの中、姉たちの行動にも厳しい制限が設けられるようになってしまった。しかし、4番目の娘・ラックスに恋したトリップが、強引に姉妹をダンスパーティーに誘い出し、その夜を境にまたも一家に悲劇が・・・
【感想など】
ソフィア・コッポラ監督の長編初監督作品です。撮り方によっては非常に重苦しいテーマなのに、なんとも軽やかな、しかも美しい映画ですねぇ。うら若き乙女たちが、世を儚んで次々に自ら命を絶ってしまうなんて、悲しい話ですよ。それを彼女らに魅了されていた少年たちが回想するという手法で描いて、「なぜ死なねばならなかったのか?」という部分を推測させようとしています。
が、実際に映画を観ていると、「理由」はたいして気にならなくなってきます。それよりも、少女たちの日常の断片を見ているのが楽しいというか面白いんですね。彼女たちの部屋の様子や、好きな音楽や、他愛無いやりとりや・・・憧れの存在が普段はどんな風にしてるんだろう?と少年が想像するように、こっそり覗き見る感覚です。
近所の人たちの反応とか、マスコミの取材の様子、我が子の自殺で精神の均衡をなくした母親の心情、どう近づけばいいのかわからない若者たちのもどかしさ、そういうさまざまな要素が、丁寧に映し出され、それが決して押し付けがましくない、ここにソフィアのセンスがよく現れていると思います。使っている音楽も、彼女の美意識や好みを如実に反映していますね。少年たちと少女たちがお互いにレコードをかけあって、自分の気持ちを歌詞に託すあたり、微笑ましいエピソードになっています。
なぜ、リズボン姉妹が死なねばならなかったのか、普通に考えればあまりにも厳しすぎる親に反抗して、なんでしょう。死ぬ前にもっと何か手立てがなかったのか、と思うと、なんだか悔しいような気持ちになります。いつかは親の手を離れてしまう娘を必要以上に厳しく育てると、こうなるかもしれませんよ?と警鐘を鳴らしているのだと取れなくもありません。しかし・・・
そこは、この作品の言わんとするところではないのでは?妙な言い方かもしれませんが、それはおよそどうでもいいことなのでは?少女たちが自ら命を絶った悲劇を描いていながら、この映画はあまりにも綺麗なんですよね、不自然なくらいに。それは、「死」ではなくて、「生」を見せたかったから、ではないかと思います。
少女たちが、どれほど危うく脆い存在であるか。それゆえにどんなに美しく、人の心を捉えるか。ソフィアはそんな「瞬間」を切り取って見せたかったのではないか?と思います。センチメンタルな撮り方をしていないのは、すぐに失われてしまう「少女期特有の美」をフィルムに焼き付けるためだったのでは?
この人の映画の撮り方は、まるで呼吸をするかのように自然ですね。計算が入り込む余地がない、とでも言いましょうか。生まれた時から映画というものの空気に常に触れていたからでしょうか?彼女には次にどうすればいいのかがもうすっかりわかっている気がします。本能にしたがって、ごく自然に映画を撮り、当たり前のように自分の美意識をその隅々にまで活かしてしまえる、これって天賦の才能なんでしょう。
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