その夜
石垣りん
女ひとり
働いて四十に近い声をきけば
私を横に寝かせて起こさない
重い病気が恋人のようだ。
どんなにうめこうと
心を痛めるしたしい人もここにはいない
三等病室のすみのベッドで
貧しければ親族にも甘えかねた
さみしい心が解けてゆく
あしたは背骨を手術される
そのとき私はやさしく、病気に向かっていこう
死んでもいいのよ
ねむれない夜の苦しみも
このさき生きてゆくそれにくらべたら
どうして大きいと言えよう
ああ疲れた
ほんとうに疲れた
シーツが
黙って差し出す白い手の中で
いたい、いたい、とたわむれている
にぎやかな夜は
まるで私ひとりの祝祭日だ。
~詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」より~
一人で生きてゆく、生易しいことではありません。何があっても誰にも頼れない、その心細さ。この詩を初めて読んだとき、私は見ず知らずの他人であるにもかかわらず、「お見舞いに行きたい」と思いました。何もできなくても、手を握っているくらいのことはできる、と。
作者にとって「生きる」ことは、それだけで苦しみなのでしょう。ひたすらに働いて働いて、病気になるまで働いて、死ぬかもしれないその瀬戸際にも、親族にさえ頼れない、それはなんという寂しさでしょう。
幸い、私は病のときにたった一人で寝込んでいた、ということがなく、今まで生きてこられました。そのことを心から感謝しています。もしもこの先、この詩のような状態におちいることがあったとして、絶望せずに生き抜くことができるかどうか、わかりません・・・。私は「一人」の状態にとても弱く、「孤独」に耐え切れないので。
家族や友人が病気のとき、私はいつも落ち着かない気持ちになります。特に、誰にも看病してもらえない状態で、大切な人が寝込んでいると知ったらなおさら。何か自分にできることはないだろうかと、あれこれ一人で密かに気を揉んでいたりもします。心配したからといって、病状が良くなるわけでもないのに。
風邪やインフルエンザが流行っています。皆様どうぞお気をつけて。失って初めてその重要さ・ありがたさがわかるもののひとつは「健康」ですよ。元気でいてくださいね。
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