真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

吉村昭さんの初の本格評伝を読んでみる

2008-09-23 | 読書-2008
『吉村昭』川西政明 2008年

吉村作品を読み込んで、各地の関係者に取材して、みっちり書き込まれた、という感じ。
津村節子さんから資料の提供も受けたという、公認評伝だな。

吉村さんの評伝を書くんです、というと各地の関係者が資料を快く提供してくれたという。
故人の真摯な取材スタンスが、テーマとなった事件関係者の信頼を勝ち得たことがわかるよね。
とっつきにくそうだけど、話してみると、「この人なら事実を公平に評価して真相を書き残してくれるだろう」と関係者が頼りにした、ということなのでしょうな。
事件の関係者には、「その件にはもう触れたくない」とひっそりと暮らしてきた人もいたろうし、それまで興味本位のいい加減な取材者多数に遭遇して心を閉ざしてきた人もいたことだろう。「あんただから話すけど」と、吉村さんでなければ不可能だった取材も数多くあったことだろう。

とはいえ、評伝の方は、(個人的には)既読作品に触れた章では、なんとか話についていけるが、未読作品の章では苦しい。とても苦しい。
文章がしつこい気もする。少なくとも南面堂にはリズムが合わない、ということらしい。
玄人向けなのかな。

もくじ:
吉村家の系譜
骨を折る
戦艦武蔵
逃げる(1)北へ
逃げる(2)脱獄の哲学
逃げる(3)逃げ場所がない
逃げる(4)1941年12月1日上海号
逃げる(5)長英を追う
逃げる(6)桜田門外の雪
逃げる(7)輪王寺宮の悲劇
流される
土と羆
仮釈放



妙なことを連想してしまう。
「逃げる(1)北へ」
旧海軍基地(霞ヶ浦航空隊)の少年整備兵が、帰営が遅れそうになる。厳しい制裁(どこぞの‘日勤教育’もずいぶん過酷だったようだが、こっちは肉体的にも苛烈)を受ける事が確実。
そこに救いの手が・・・。
ところが、それをきっかけにとんでもない事件に巻き込まれ、攻撃機を爆破炎上させるという破壊活動までさせられる。死刑は確実。
疑いを受け拘禁されるが、脱走して北海道のタコ部屋で生き延びる。戦後、進駐軍の情報員として働くが、後に・・・という実話を基にした作品なのだが(説明乱暴?)、その話から現代の不幸な鉄道員(故人)のことを思い出してしまう。

民鉄との競争もあって、過密ダイヤの厳守が徹底して求められていた西日本の鉄道で、若い運転士が定時運行の成績が悪いことから会社側から詰められ、また詰められ、さらに詰められ、精神的に追い込まれてしまう。
“これ以上遅延を起こしてしまうと自分はもう終わりだ”とぎりぎりの精神状態で乗務したある日、あろうことか停車駅でタイミングをしくじって大幅に行き過ぎてしまう。
とりあえず車掌には「小幅に報告しておいて!!」と懇願するが、頭の中ははもうパニック!
この遅れを何とかしないと自分はもう駄目だ、という考えで頭の中が一杯になる。
運転指令所からは報告を求める無線ががんがん入るが、もう何も耳に入らない。
もうスピードは上げられるだけ上げるしかない。
で、急カーブ・・・

という経緯なのかなと勝手に理解している(違ったらごめん)。
表面は何の共通点もないのだが、かわいそうな整備兵とかわいそうな運転士、組織の体質という点で通底するものがあるのではないか、と思ってしまったとさ。
ご遺族や被害者に対する事故後の会社側の対応からも、組織の体質が浮かび上がるようであるし...

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