真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

海軍水雷戦隊―駆逐艦と魚雷と軽巡が織りなす大海戦の実相 大熊 安之助ほか著 2016/11

2023-10-07 | 読書-歴史

海軍水雷戦隊―駆逐艦と魚雷と軽巡が織りなす大海戦の実相

肉を切らせて骨を断つ。駆逐艦と魚雷と軽巡が一体となって織りなす必勝の肉薄魚雷戦法!一水戦から六水戦まで。神通や那珂、川内阿武隈に名取夕張ら旗艦軽巡に率いられて、...

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私は“水雷屋”九三式酸素魚雷との五年間(大熊安之助)
闇夜を彩ったベララベラ沖の魚雷決戦(原為一)
肉を斬らして骨を断つ駆逐艦「江風」の闘魂(長井一雄)
第三水雷戦隊「綾波」ガ島沖への突撃行(小池英策)
六水戦「夕張」副長ソロモン海の九ヵ月(島田英治)
ここにひとり“水雷屋の神”ありき(原為一)
第一水雷戦隊の足跡と思い出(大森仙太郎)
あゝ旗艦“水雷戦隊司令部”二十四時(板谷隆一)
伝家の宝刀“夜戦”こそ連合艦隊の必勝法(小池英策)
艦隊決戦に放った雄大無比の一斉魚雷戦(小柳冨次)〔ほか〕

光人社NF文庫 ノンフィクション
海軍水雷戦隊
2021/08
私は“水雷屋”九三式酸素魚雷との五年間
闇夜を彩ったベララベラ沖の魚雷決戦
肉を斬らして骨を断つ駆逐艦「江風」の闘魂
第三水雷戦隊「綾波」ガ島沖への突撃行、六水戦「夕張」副長ソロモン海の九ヵ月
ここにひとり“水雷屋の神”ありき
第一水雷戦隊の足跡と思い出
あゝ旗艦“水雷戦隊司令部”二十四時
伝家の宝刀“夜戦”こそ連合艦隊の必勝法
艦隊決戦に放った雄大無比の一斉魚雷戦
日本海軍水雷戦隊の”魚雷戦法”入門
近代海戦の先兵”水雷屋”誕生秘話
実験責任者が告白する酸素魚雷の秘密
世界に冠絶した酸素魚雷創造の裏ばなし
魚雷の誕生と歩み日本雷撃兵器の全貌
魚雷&魚雷戦ものしり雑学メモ
青い眼が見た九三式酸素魚雷奮闘記
米海軍を驚倒させた田中子規駆逐観戦法
八艦隊水雷参謀ショートランド戦時日誌
ガ島急行”輸送駆逐隊”一四〇日の盛衰

水雷戦隊 - Wikipedia
水雷戦隊は日本海軍の部隊で、軍艦1隻と、駆逐艦3隻もしくは4隻からなる駆逐隊を、2隊以上束ねて編制されている。

軽巡1隻を旗艦とし、子隊(ねたい)として駆逐艦3隻から4隻によって編成される駆逐隊が3隊から4隊、すなわち軽巡1隻と駆逐艦12隻から16隻で編成される。。。

まあ、いうたら理想と描いた艦隊決戦で、前座の潜水艦、二つ目の軽巡+駆逐艦、最後に真打の戦艦登場というところだったのかな。
これに空母がをうまく絡めることができず(空母機動部隊を発明して運用し、成果を見せるなどしてきっかけを作ったくせにね)、自慢の夜戦もレーダー装備の出遅れで圧倒されるし、さらには海上交通の護衛・対潜戦への関心の低さが致命的だったよね。

水雷屋、駆逐艦乗り諸氏は、本書で回想されるごとく体を張って奮闘したものの、むなしい結果となったというほかない。

日米で評価の分かれた
田中頼三 - Wikipedia
”アメリカ海軍関係者の評価
海軍上層部からはたび重なる意見具申(航空機による爆撃支援要請や艦隊根拠地の後方移転)を煙たがられ、勇壮を重んじる部下からの評判も芳しくなく、帝国海軍での評価は低かったが、はるかに優勢なアメリカ艦隊を相手に大勝を収めたルンガ沖夜戦の指揮官として、敵側であったアメリカからの評価は非常に高かった。海軍戦史家であるサミュエル・エリオット・モリソンが"redoubtable Tanaka"(不屈の猛将・田中)と評し、軍事史研究家のハンソン・ボールドウィンは、その著書の中で「太平洋戦争で日本の名将を2人挙げるとするなら、陸の牛島・海の田中」と綴った。
アメリカ側からの高い評価を受けて、戦後の日本では田中が再評価されるようになった。”

本書では、戦後判明した米の高評価を受けての再評価の流れに沿う記事。
それにしても直話を聞いていた半藤一利さんは凄い件。
追悼 「歴史探偵」半藤一利 「あの戦争」の真実を語り継いできた文春新書の11冊 | 特集

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