「般若心経」というのがあるんだけど、
私が、暗記したのは、3歳半の頃だ。
一切、覚えよう!と努力したのではなく、
勝手に覚えていたのだ。
少し舌ったらず?な当時の声で、
祖母に録音されたテープを、
今、改めて聴き直すと、
その言葉の意味も解らずに、
1人前になったつもりで、
大きな声で、暗唱しているから、
皆に聴かせていた!と思うと、
穴があれば、入りたい気分だ(汗)
何故、暗記したのかと言うと、、、。
母方の祖母は、熱狂的な仏教徒だった。
あっ、母も私も、違うけどね(笑)
祖母の場合は、家中どころか、
各部屋の東西南北に、神棚を飾っていたから、
1部屋につき、4個もあったのだ。
仏教ではない?祖父は、
「これ以上は、増やさないように!」と
注意していたらしいけど。
祖母は、
朝起きると、全ての神棚に柏手をしていた。
何しろ、家中だから、これだけでも、
早くて30分以上は、掛かってたんじゃないかな?
その後に、
なぜか金箔だらけの?キラキラ仏壇で、
お経を読むのが始まるのだ。
「般若心経」を、
カセットテープと一緒に、読み上げ始める。
それを、私は、祖母の横に座り、
お経を聞いていたらしい。
恐らく、
何かの音楽とでも、思っていたんじゃないかな?
今も、頭の中には、
この「般若心経」が、しっかりと残っている。
ただ、当時と違うのは、
意味の理解が、ほんの少しだが、
出来るようになってることだろう。
般若心経って、
結構、良い教えを説いてくれている。
※()内は、「般若心経」の一文。
(遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃)
人は普通、
自分のことは自分でしていると思っていることだろう。
だが、本当にそうだろうか。
例えば、
心臓が、絶えず拍動をし続けているのは、
自分の意思なのだろうか?
熱い物を触ったとき手を引っ込めるのは、
考えた上でのことだろうか?
自分の体でありながら、
それらは、
自分の意思とは関係のないところで
自ずと働き続けてくれているのではないか?
それなのに、
多くの人は自分の体は自分のものであり、
自分の意思で、自分は生きている!と思っているのだ。
存在しないはずの自分を「有る」と
疑うことなく所有し続けているからだ。
このような誤った考えから離れるだけで、
心はずっと安らかになるというのに。
(故知 般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒)
存在が存在することの真実を見抜く
「般若波羅蜜多」という智慧は、
あらゆる人に平等にもたらされる、
これ以上ない尊いものなのだ。
人は、
「生きる」ということの意味を真剣に考えたとき、
必ず、この真実に向き合うことになる。
存在が存在することの意味を知らずして、
その存在は、
生きることの意味が、わかるわけがないだろう。
(能除一切苦 真実不虚)
この世に存在する、あらゆるものは「空」である。
この真実を本当に知る者は、どんな苦しみも、
それが概念でしかない自分が築き上げた、
さらなる概念であることに気がつくだろう。
だから、
苦しみから逃れようとして苦しむことなど、
あるはずもない。
病などによる、
痛みや疼きが消えるわけではないが、
それらを「苦」と認識して
「苦」から逃げようとすることはない。等々。
この他にも色々あるけど、省略。
こんなお経を、3歳半の子に言われても、
誰が、お経の言葉を納得するかな?と思う。
随分と、生意気に見えただろうなぁ?
うーん、
私からすれば、知らずに言ってたんだけどね。
そうそう、たま~に、
我が兄も、この「般若心経」の1節を出して、
例え話をすることもある。
「色即是空」とかを用いたりして、、、。
まぁ、兄の話は、終わりがなく続くので、
こちらが、疲れてくる時もあるけどね。
ってか、
こうした経は、
一生かけて、答えを説くことが大事なんだろうな?
まだまだ理解しているようで、
全然、出来てないことだろう。
ほんと、難しい課題だなぁ~っ!
それと、今日の体重は、、、