とにかくあの頃はブリザード以外での自分、というのはあり得なかったし、ブリザードでドラムを叩くこと以外は何の興味もなかったですね。他のバンドの人達と交流したりとか、ブリザード以降どうするか、とか、全く何も考えていませんでしたし、ブリザードの曲を精一杯叩くことと、どうしたらプレイや曲が良くなるのか、とか、そんなことばっかり考えてました。
しかし時が流れて、結局俺はブリザードを離れる決心をしてしまうんだけど、幾つかあった理由の中でも一番でかかったのが「このままブリザードでやってても、結局俺はランを越えられない。その為には外に出てって、もっと修行しなきゃだめだ」ということでした。一度外に出てもっと違うこともやってみて、いつか「やっぱりドラムは宏之で…」と言われなきゃ結局同じことだし「このままじゃ明日は無い」と思いこんでしまった、というのがありますね。そういうわけで俺にとってはラン=ブリザード、ブリザード=ランなので、彼抜きでブリザードの名前は語れないし、そんなのは嘘だし偽物だし、絶対にあり得ないですね。
ブリザード以降のランとの思い出も幾つかあって、どれもこれも印象深いです。ブリザードを離れてからすぐに、ちょっとある人のバックバンドをやりだしたんだけど、そのライブも見に来てくれて「良かったよ。上手くなった。」と言われたことや、手伝っていた別のバンドのライブに「ゲストで出てくれないか」という話をした事があったこととか。
その時は最初にお願いした時に一応OKは貰ってたんだけど、その後うまく連絡が取れなくて、結局流れてしまいそうな気配で半分諦めてました。ところが、そのライブの最後のリハに行くために電車を待ってたら、止まった車両の中にランが座ってて、俺は結構驚いたし、ちょっと慌ててしまったんだけど、何故かランは落ち着いていて「宏之に会うと思った」って言うんだよね。それで「例のセッションの件だけど…」「今からそのリハに行くんだけど…」って言ったら「そうか…じゃあ今から一緒に行くよ」と行って、手ぶらのままスタジオに一緒に来て、スタジオにあったボロボロのギターできっちりプレイして「じゃ、当日もよろしくね」と言って帰って行ったんだよね。
「当日、本当に来るんだろうか?」とちょっと不安だったんだけど、本番もちゃんと来てギターを弾いてくれました。ライブは気合い入ったし楽しかったし…曲数の多いライブで、ランは最後の方に出たんだけど、ビデオ見ると自分のテンションが急激に上がってるのが分かりましたね。一緒に音を出すとアドレナリンが沸騰する、そういう数少ないプレイヤーだと再確認しました。自分に取って本気で張り合える、全身全霊でぶつかれる、そういう存在ですね。
ブリザードを離れたあと、俺はバンドを4つ掛け持ち、翌年また違うバンドを4つ、っていう風に来た話は片っ端から引き受けて、ゼイゼイ言いながら自分なりに修行してました。そんな中で、多少ドラマーとして進歩した部分もあったし、自信も付けたりしました。が、しかし、一方のランはランでX-JAPANのヒデのツアー・メンバーとかをやってて、代々木競技場でのライブを見に行ったんだけど、その時は複雑な心境でした。「ランならこれ位やって当たり前だ」と思ったけど「どうしてブリザードでここまで来れなかったんだろう?」とも思いました。
「ランはああしてランのままなんだから、やっぱり俺とかのせいかな?」と思ったり。単純に「すげーなー、もう絶対に追いつけないな」と思うとやっぱり寂しかったし「俺は一体何をやってんだろう?」「俺は本当は何がやりたくて、どうなりたいんだろう?」と、それまで頼りにしてた自分なりの信念とか自信が根底から揺らぎました。そうして打ちのめされて、かつてランと歩いた代々木競技場のそばを落ち込みながら歩いて帰りました。
そういうわけで、自分の中でランはなんだか遠い存在になってしまったし、その後しばらく連絡を取ってなかったんだけど、なんかギタリストの企画物のCDにランも参加していて、聴いてみるとブリザードの「アゲイン」をアレンジしたものをやっていて、それを聞いた途端、懐かしくなって話をしたくなったので、思い切って電話をしてみた。
けど、留守電になってたので、どうしようかちょっと迷ったんだけどメッセージを残しといたら、なんとすぐに電話がかかって来て、大して返りを期待してなかったからもの凄く驚いた。例によって緊張してしまって、そんなに話はしなかったんだけど「またバンドが恋しくなっててさ」と言うので「ええ、じゃあやろうよ。最近、色んな奴とやってるから、ベースでもヴォーカルでも探して連れて行くから」「とにかくいっぺん会って話そうよ」って言ったらまんざらでもなさそうだったんだけど、それは丁度年末で「正月、ちょっと用事があるから、年が明けたら連絡するよ」ということになった。正直、その時は嬉しかったし「もしかしたらまたランとバンドがやれるかも」「ついにその時が来た」と思うと、本当に気合い入ったし「来年は絶対良い年にするぞ!」とか思ってたんだけど、結局ランと話をしたのはそれが最後になってしまった。
年が明けてから何度か電話したんだけどずっと留守電のままで、そのうち「失踪した」という噂が流れてきて、最初は信じてなかったんだけど、結局、本当にそれっきり、どこでどうしてるのか全く分からなくなってしまった。肩透かしのような気分だったし、そのうち心配にもなったし「なんでギターを弾かなくなったんだ!!」ってもの凄く腹立たしかったり、悔しかったりしたけど、今は「きっと何か事情があったんだろう」「らしい、と言えばらしい行動だし」「ギターを弾かなくても、本人がその方がいいならそれがいいんだろうな」と思うようになりました。
随分たくさんのバンドマンを見て来て、理由は様々だけど、やっぱりリタイアして行く人の方が断然多いわけだし、その事が悪いとか間違ってるとは思えなくなったし。いまだに未練がましく辞められず、マイペースだけどずっと続けてる自分の方が恵まれてるのか、でなければ、やっぱりどこかおかしいのかもしれないですね。
結局、今の俺に出来ることはただ心の中でランに向かってドラムを叩き続ける、そのことだけになってしまいました。でもそれは今までもずっとそうでしたけどね。それでもいつか、また会うことが出来たら、と思う。そうしたらもう「ギターを弾いてくれ」なんて言わずに、今度は音楽以外の、もう少し中身のある会話もしたいな、と思うけど、どうかな。俺は仕事帰りとか、好きで時々高層ビルに出掛けて行って東京を空から眺めるんだけど、そうすると「確かに会えないけど、そんなに広い街じゃない、お互い生きてりゃ、どこかでまたばったり会えるかもしれないし」とか、そういう事を考えます。
しかし時が流れて、結局俺はブリザードを離れる決心をしてしまうんだけど、幾つかあった理由の中でも一番でかかったのが「このままブリザードでやってても、結局俺はランを越えられない。その為には外に出てって、もっと修行しなきゃだめだ」ということでした。一度外に出てもっと違うこともやってみて、いつか「やっぱりドラムは宏之で…」と言われなきゃ結局同じことだし「このままじゃ明日は無い」と思いこんでしまった、というのがありますね。そういうわけで俺にとってはラン=ブリザード、ブリザード=ランなので、彼抜きでブリザードの名前は語れないし、そんなのは嘘だし偽物だし、絶対にあり得ないですね。
ブリザード以降のランとの思い出も幾つかあって、どれもこれも印象深いです。ブリザードを離れてからすぐに、ちょっとある人のバックバンドをやりだしたんだけど、そのライブも見に来てくれて「良かったよ。上手くなった。」と言われたことや、手伝っていた別のバンドのライブに「ゲストで出てくれないか」という話をした事があったこととか。
その時は最初にお願いした時に一応OKは貰ってたんだけど、その後うまく連絡が取れなくて、結局流れてしまいそうな気配で半分諦めてました。ところが、そのライブの最後のリハに行くために電車を待ってたら、止まった車両の中にランが座ってて、俺は結構驚いたし、ちょっと慌ててしまったんだけど、何故かランは落ち着いていて「宏之に会うと思った」って言うんだよね。それで「例のセッションの件だけど…」「今からそのリハに行くんだけど…」って言ったら「そうか…じゃあ今から一緒に行くよ」と行って、手ぶらのままスタジオに一緒に来て、スタジオにあったボロボロのギターできっちりプレイして「じゃ、当日もよろしくね」と言って帰って行ったんだよね。
「当日、本当に来るんだろうか?」とちょっと不安だったんだけど、本番もちゃんと来てギターを弾いてくれました。ライブは気合い入ったし楽しかったし…曲数の多いライブで、ランは最後の方に出たんだけど、ビデオ見ると自分のテンションが急激に上がってるのが分かりましたね。一緒に音を出すとアドレナリンが沸騰する、そういう数少ないプレイヤーだと再確認しました。自分に取って本気で張り合える、全身全霊でぶつかれる、そういう存在ですね。
ブリザードを離れたあと、俺はバンドを4つ掛け持ち、翌年また違うバンドを4つ、っていう風に来た話は片っ端から引き受けて、ゼイゼイ言いながら自分なりに修行してました。そんな中で、多少ドラマーとして進歩した部分もあったし、自信も付けたりしました。が、しかし、一方のランはランでX-JAPANのヒデのツアー・メンバーとかをやってて、代々木競技場でのライブを見に行ったんだけど、その時は複雑な心境でした。「ランならこれ位やって当たり前だ」と思ったけど「どうしてブリザードでここまで来れなかったんだろう?」とも思いました。
「ランはああしてランのままなんだから、やっぱり俺とかのせいかな?」と思ったり。単純に「すげーなー、もう絶対に追いつけないな」と思うとやっぱり寂しかったし「俺は一体何をやってんだろう?」「俺は本当は何がやりたくて、どうなりたいんだろう?」と、それまで頼りにしてた自分なりの信念とか自信が根底から揺らぎました。そうして打ちのめされて、かつてランと歩いた代々木競技場のそばを落ち込みながら歩いて帰りました。
そういうわけで、自分の中でランはなんだか遠い存在になってしまったし、その後しばらく連絡を取ってなかったんだけど、なんかギタリストの企画物のCDにランも参加していて、聴いてみるとブリザードの「アゲイン」をアレンジしたものをやっていて、それを聞いた途端、懐かしくなって話をしたくなったので、思い切って電話をしてみた。
けど、留守電になってたので、どうしようかちょっと迷ったんだけどメッセージを残しといたら、なんとすぐに電話がかかって来て、大して返りを期待してなかったからもの凄く驚いた。例によって緊張してしまって、そんなに話はしなかったんだけど「またバンドが恋しくなっててさ」と言うので「ええ、じゃあやろうよ。最近、色んな奴とやってるから、ベースでもヴォーカルでも探して連れて行くから」「とにかくいっぺん会って話そうよ」って言ったらまんざらでもなさそうだったんだけど、それは丁度年末で「正月、ちょっと用事があるから、年が明けたら連絡するよ」ということになった。正直、その時は嬉しかったし「もしかしたらまたランとバンドがやれるかも」「ついにその時が来た」と思うと、本当に気合い入ったし「来年は絶対良い年にするぞ!」とか思ってたんだけど、結局ランと話をしたのはそれが最後になってしまった。
年が明けてから何度か電話したんだけどずっと留守電のままで、そのうち「失踪した」という噂が流れてきて、最初は信じてなかったんだけど、結局、本当にそれっきり、どこでどうしてるのか全く分からなくなってしまった。肩透かしのような気分だったし、そのうち心配にもなったし「なんでギターを弾かなくなったんだ!!」ってもの凄く腹立たしかったり、悔しかったりしたけど、今は「きっと何か事情があったんだろう」「らしい、と言えばらしい行動だし」「ギターを弾かなくても、本人がその方がいいならそれがいいんだろうな」と思うようになりました。
随分たくさんのバンドマンを見て来て、理由は様々だけど、やっぱりリタイアして行く人の方が断然多いわけだし、その事が悪いとか間違ってるとは思えなくなったし。いまだに未練がましく辞められず、マイペースだけどずっと続けてる自分の方が恵まれてるのか、でなければ、やっぱりどこかおかしいのかもしれないですね。
結局、今の俺に出来ることはただ心の中でランに向かってドラムを叩き続ける、そのことだけになってしまいました。でもそれは今までもずっとそうでしたけどね。それでもいつか、また会うことが出来たら、と思う。そうしたらもう「ギターを弾いてくれ」なんて言わずに、今度は音楽以外の、もう少し中身のある会話もしたいな、と思うけど、どうかな。俺は仕事帰りとか、好きで時々高層ビルに出掛けて行って東京を空から眺めるんだけど、そうすると「確かに会えないけど、そんなに広い街じゃない、お互い生きてりゃ、どこかでまたばったり会えるかもしれないし」とか、そういう事を考えます。
最近昔RUNがTVに出てたインタビューの映像を見つけ。。懐かしく見てました。。
壁には下敷きに宏之さんの切り抜き。。。
田舎だったからLIVE行けませんでしたが。。
いつか。青春を取り戻しに会いに行きたいです。
今度は(音)を聞きに行きます。。。
応援しています。
宏さんにとっても、ランさんの存在は大きなものだったんですね。当たり前のことなのですが、嬉しくもあり、また新鮮に感じました。
前回の記事を読ませて頂き、以前から「宏さん、どうして?」と思っていた事も納得できました。
高3の夏から持ち越してきた疑問です(笑)。
それに、以前宏さんに「ランさんはお元気ですか?」とお尋ねしたときの宏さんの表情やお答え…ずっと忘れられないでいたのですが、
そこには宏さんの思いがあったからなんでしょうね。
…私は…ずっとランさんのギターが聴けると思っていました。
あの頃はそう信じて疑いませんでした。
私にとって、ランさんは一番のギタリストです。これまでも、これからも。
だから、出来る事ならまたランさんのギターが聴きたいと思っています。
反面、ランさんがお元気でいらっしゃるなら…お幸せでいらっしゃるならそれでいいとも思っています。
絶対に忘れることなんて有り得ないですから。だから。
もちろん、宏さんや他のメンバーさんもですよ。
また、お邪魔させて頂きますね。
BLIZARDは私にとっても青春の1ページで今も変わらず愛聴しています。
宏之さんのおっしゃる通り『生きていれば会えるかもしれない』ですもんね。BLIZARDのメンバーの皆さんはいつまでたっても私にとって大切な存在です。
1年ぶり位にSHOW ME THE WAYから宏之さんのブログに辿り着きました。驚きました。約1年前に書かれてた事。あなたが云われる通りかもしれないですね。ギターでなくとも。
同じく尊敬する立場としては身近な立場におられたあなたの言葉に感動しました。
私もギターを志してましたが、やめました。
成二郎さんが脱退し、やっぱり日本でRockは無理だな・・・と解釈して・・・
本当は自分に自身が無かったからです。
でも、息子には“敏也”と命名しました。
RAN以上のギタリストになってもらいたくて!
宏之さんはじめ、みなさんガンバッテ下さい!
そしてRANにはギター弾いて、聴かせて欲しいけど・・・!
一杯想いはあるんですが、文章にするのは、難しいですね。乱文で申し訳有りません。
RANに負けないミュージシャンになって下さい!
高校の頃、ブリザードを聴いていました。失礼ながらめちゃくちゃファンと言うわけではありませんでしたが;; 長くなるので省きますがRANさんにはちょっとした想い出があったんです。もちろん他のメンバー様も覚えておりますよ! RANさん、今はどうしていらっしゃるのでしょうか・・・宏之さんもご存知ないなんてびっくりしました。かなり昔の記事ですし、なんとなく検索してたどり着きたのですが、表には知らせていなくてもRANさんからの風の便りがブリザードのメンバーさんに届いていれば・・・と願わずにはいわれません。本当にメンバーさんもご存知ないなんてショックです。昔好きで聴いていたバンドのメンバーの方々が亡くなっていたり、病気になっていたり、現在も活躍してらっしゃったり・・・切なくなる事もあります。自分自身もきちんと生きていかなくちゃといい歳して反省の毎日です。宏之さん、お身体ご自愛くださいね。
ranさんと繋がってると思い
こちらにアクセスです。
良かったら、なんか情報ください。
sherryoak_30@msn.com
ranさんはごけんざいですか?