実は、俺はギタリストって結構好きなんだよね。ギタリストにはいつの時代でも「スター」であって欲しいと思ってます。レッド・ツェッペリンの映画も、見ていてジミー・ペイジが一番かっこ良かったし、高校の時に行ったレインボウも、目当てだったはずのコージー・パウエルよりもリッチー・ブラックモアを見てたし、そんな風にドラマーよりもギタリストの方を見てしまうことが多かったですね。でも自分でギターをやりたい、とは全然思わないし、どっちかというとドラマーとして張り合いたい、とかそういう風に考えますね。
前に書いたように、80年代はドラマーとしての制限も多くて大変だったけど、やっぱりあの頃のギター・サウンドは良かったし、ルックスも良くて上手い人、たくさんいましたねー。特に好きだったのは、ジェイク・E・リー、ジョージ・リンチ、ウォーレン・デ・マルティニ、ジョン・サイクス等々。年代は違うけど、ジェフ・ベック、ジョー・ペリー、エース・フレイリーなんかも好きです。特にオジー・オズボーンの連れて来たギターはみんな良かったですよ。ランディー・ローズ、ジェイク・E・リー、ザック・ワイルド。ブラッド・ギルスやジョージ・リンチもツアーに参加したことがあったみたいだし。
その中の初代ギタリストだったランディー・ローズを最初に聞いたのはラジオでした。ランディー・ローズの名前は知ってたんだけど、どうもブラック・サバスには抵抗感があって、それまでオジーのソロもちゃんと聞いてませんでした。ラジオでかかったのは「オーバー・ザ・マウテン」だったんだけど、一聴して「凄い!これがランディー・ローズか」と思わされました。
丁度その頃「(東京の)X-rayというバンドにランという凄いギターがいる」という噂が流れて来てライブ写真とかも見せられてて「へー、こんな人がいるんだ」と思ってたんだけど、まさか後々その本人とバンドをやることになるとは思ってもみませんでした。それがブリザードのギタリストでリーダーだった、“ラン”こと松川敏也だったわけです。
ランはその頃出入りしてた事務所から紹介されたんだけど、最初に会った時からとにかくオーラがあって、なんか圧倒されましたね。髪も金髪のストレートで腰位まであって「なーんか、この人、俺なんかとはバンドに掛けてる意気込みが違うんじゃないか」という気分にさせられましたね。その頃は一般人・男子の長髪なんか全くいなかったし、俺もまだそんなに長髪じゃなかった(と言っても一見して「バンドマン」と分かる感じだった)ので「やっぱり真剣にバンドやるならこれ位思い切ったところが無いとダメだ」と思って俺も更に髪を伸ばしました。
紹介されたあと、セッションや曲創りのためにスタジオに入って音出しも始めたんだけど、ランはルックスだけじゃなくギターも相当上手かったし、自分としてもレベルが段違いに上の人とやるのは初めてで緊張もしたけど、刺激されてやる気になったし「こういう人とバンドやれるなんて夢のようだ」といつも思ってましたね。そういうわけで、ランにはもの凄く影響されたし、心の底から尊敬してました。でも、それと同時に何を考えたかというと「俺はこの人を越えるか、同等に張り合えるようにならないとだめだ」ということでしたね。
「付いて行く」とか「サポートしてもらう」とかそういうのはイヤで、認められて同等の立場でバンドを動かして行きたいと思っちゃったんですね。そういうところが自分でも天の邪鬼で可愛気の無いところだったと思うんですけど、そういうわけで言うことを聞くばっかりじゃなくて、いつも突っ張って、張り合って挑戦してました。現実的には全く追い付いてないし負けてばっかりだったんだけど「ギターヒーローの時代だからこそ俺はギタリストに勝ちたい」とか思ってて、多分ランにしてみればかなり鬱陶しかったと思いますね。
ブリザードをやりだして最初の挫折は、ランに「このままじゃこのメンバーで続けられない」と言われたことでした。それはバンドとして動き出したばっかりの、ファースト・アルバムが出る1年位前で自分でも「このままじゃダメだ」と分かり出した頃だったので、ショックだった半面「やっぱり言われちゃったな」という感じだったんだけど、それでもバンドを続けたかったし、切られるのも投げ出すのもいやだったので意地になって練習しました。
基礎練習も随分やりましたけど、外タレのプレイとかも真剣に聞き直したり、それまでコピーしたことの無かった曲をコピーしたり…。でもそれは良いことだったんだな、と思いますね。初めて真剣に練習するようになったし、どっちにしたってその後、世間様から相当叩かれたわけですけど、それ以前に一回「ピシャッ!」とやられてたのでそんなにこたえずに済みましたしね。しばらくして「宏之のドラムは最近良くなった、一番進歩してる」と言われたことがあって、その時は本当に嬉しかったですよ。やっぱり尊敬してる人の言葉というのは説得力がありましたね。
ブリザードをやってて最初に、真剣に危機感を持ったのはランがソロアルバムを出した時で、アルバムを聞いた時は結構ショックでした。曲も良かったし、歌も良かったし、ドラムも到底真似の出来ないようなレベルの高さだったし…。「このままランはブリザードを辞めてこっち方面に進んでしまうのでは?」とか「それかメンバー・チェンジ位あってもおかしくない」と真剣に不安になったんだけど、同時に「でも、ランが本当に勝負するならこれ位のレベルの人達とやった方がいいんじゃないかな?」とも思いましたね。
結論から言うと、結局ランはそれ以降もブリザードのリーダーのまま、何年も俺らの面倒を見てくれたんだけど、未だに何故あの時そうしなかったのかさっぱり分からないです。時間が経ってから一度気になって、直接本人に聞いてみたんだけど、何故か答えを濁らされて、はっきりとは教えてくれませんでした。
俺としては、ただ聞いて焦ってても仕方ないのでランのソロアルバムは随分頑張ってコピーしたし、ブリザードのライブでもソロからの曲をやったんだけど、予想以上にバンドにも合っててリアクションも良かったので、ワーナーからソニーに移る間に、事務所の企画物で出したブルースの自主制作シングルのB面にそれが入ってます。A面はどうでもいいんだけど、実は俺はB面に入ってるそのテイクが結構気に入ってて、録った時も「珍しくうまく行ったんじゃないか?」と思ってたんだけど、雑誌のインタビューの時にその音源を聞いたインタビュアーに「ほんとに君がやってるの?」って、失礼だし「ちょっとちょっと」ってことを言われたんだけど「ドラム、良くなったねー」「何かを見つけたの?」と言われ「成る程ね」と思った覚えがあります。
「他人に良いと言われるのは、案外ちょっとしたところなんだ」って気付いたし、やっぱり練習っていうのは成果として出るんだな、と実感しました。そういうわけで危機感を感じながらもドラマーとしてちょっと前進できたし、同時にランがそれでもブリザードをやるんだ、と分かって安心したし、結果としては良かったと思います。
そんな風にランというのは行動や態度で凄いところを見せつけて俺をやる気にさせたり、練習する気にさせたり…ほんとに世話になったし鍛えられたな、と思いますね。ただし、そんな風にランという存在を尊敬しつつも自分の中では最大のライバルだったし越えるべき目標だったので、どうも意識が強すぎてなんか妙に緊張してしまい、対すると構えてしまってました。一度、何かの仕事明けに二人だけになったことがあるんだけど、話のきっかけとか話題が見つからず、ふたりともただ黙って風に吹かれて歩いてるだけでしたね。場所は代々木競技場のところで、時間は夕方でした。
ランはランで俺のことを多少持て余してたんじゃないかな。俺はバンドの中でちょっと浮き気味だったし、ランはギタリスト同士ということもあってメンバーでは孝之と一番仲が良かったですね。そう言えば、最初の頃はレコーディングでギター・ソロを録るのを楽しみながら見てたんだけど「宏之がいるとやりにくい」とはっきり言われてしまって、途中からは立ち会えなくなってしまった、なんてこともありました。
そんな風に同じバンドで長いこと一緒にやってたんだけど、ランとプライベートな話とかは全然しなかったし、実はどういう人物なのか、俺は分かって無かったのかな?と最近は思いますね。ランは基本的に無邪気でユーモアがあったし、根っからの音楽人間で才能も勿論あったからスタッフ受けも良かったし、他のメンバーも信頼しているようだったし、安心してリーダーを任せられました。ブリザード以降、あんな人物に出会ったことはないし、心の底からこういう奴ならリーダーを任せてもいいな、と思う奴にも出会ってないですね。
続く
前に書いたように、80年代はドラマーとしての制限も多くて大変だったけど、やっぱりあの頃のギター・サウンドは良かったし、ルックスも良くて上手い人、たくさんいましたねー。特に好きだったのは、ジェイク・E・リー、ジョージ・リンチ、ウォーレン・デ・マルティニ、ジョン・サイクス等々。年代は違うけど、ジェフ・ベック、ジョー・ペリー、エース・フレイリーなんかも好きです。特にオジー・オズボーンの連れて来たギターはみんな良かったですよ。ランディー・ローズ、ジェイク・E・リー、ザック・ワイルド。ブラッド・ギルスやジョージ・リンチもツアーに参加したことがあったみたいだし。
その中の初代ギタリストだったランディー・ローズを最初に聞いたのはラジオでした。ランディー・ローズの名前は知ってたんだけど、どうもブラック・サバスには抵抗感があって、それまでオジーのソロもちゃんと聞いてませんでした。ラジオでかかったのは「オーバー・ザ・マウテン」だったんだけど、一聴して「凄い!これがランディー・ローズか」と思わされました。
丁度その頃「(東京の)X-rayというバンドにランという凄いギターがいる」という噂が流れて来てライブ写真とかも見せられてて「へー、こんな人がいるんだ」と思ってたんだけど、まさか後々その本人とバンドをやることになるとは思ってもみませんでした。それがブリザードのギタリストでリーダーだった、“ラン”こと松川敏也だったわけです。
ランはその頃出入りしてた事務所から紹介されたんだけど、最初に会った時からとにかくオーラがあって、なんか圧倒されましたね。髪も金髪のストレートで腰位まであって「なーんか、この人、俺なんかとはバンドに掛けてる意気込みが違うんじゃないか」という気分にさせられましたね。その頃は一般人・男子の長髪なんか全くいなかったし、俺もまだそんなに長髪じゃなかった(と言っても一見して「バンドマン」と分かる感じだった)ので「やっぱり真剣にバンドやるならこれ位思い切ったところが無いとダメだ」と思って俺も更に髪を伸ばしました。
紹介されたあと、セッションや曲創りのためにスタジオに入って音出しも始めたんだけど、ランはルックスだけじゃなくギターも相当上手かったし、自分としてもレベルが段違いに上の人とやるのは初めてで緊張もしたけど、刺激されてやる気になったし「こういう人とバンドやれるなんて夢のようだ」といつも思ってましたね。そういうわけで、ランにはもの凄く影響されたし、心の底から尊敬してました。でも、それと同時に何を考えたかというと「俺はこの人を越えるか、同等に張り合えるようにならないとだめだ」ということでしたね。
「付いて行く」とか「サポートしてもらう」とかそういうのはイヤで、認められて同等の立場でバンドを動かして行きたいと思っちゃったんですね。そういうところが自分でも天の邪鬼で可愛気の無いところだったと思うんですけど、そういうわけで言うことを聞くばっかりじゃなくて、いつも突っ張って、張り合って挑戦してました。現実的には全く追い付いてないし負けてばっかりだったんだけど「ギターヒーローの時代だからこそ俺はギタリストに勝ちたい」とか思ってて、多分ランにしてみればかなり鬱陶しかったと思いますね。
ブリザードをやりだして最初の挫折は、ランに「このままじゃこのメンバーで続けられない」と言われたことでした。それはバンドとして動き出したばっかりの、ファースト・アルバムが出る1年位前で自分でも「このままじゃダメだ」と分かり出した頃だったので、ショックだった半面「やっぱり言われちゃったな」という感じだったんだけど、それでもバンドを続けたかったし、切られるのも投げ出すのもいやだったので意地になって練習しました。
基礎練習も随分やりましたけど、外タレのプレイとかも真剣に聞き直したり、それまでコピーしたことの無かった曲をコピーしたり…。でもそれは良いことだったんだな、と思いますね。初めて真剣に練習するようになったし、どっちにしたってその後、世間様から相当叩かれたわけですけど、それ以前に一回「ピシャッ!」とやられてたのでそんなにこたえずに済みましたしね。しばらくして「宏之のドラムは最近良くなった、一番進歩してる」と言われたことがあって、その時は本当に嬉しかったですよ。やっぱり尊敬してる人の言葉というのは説得力がありましたね。
ブリザードをやってて最初に、真剣に危機感を持ったのはランがソロアルバムを出した時で、アルバムを聞いた時は結構ショックでした。曲も良かったし、歌も良かったし、ドラムも到底真似の出来ないようなレベルの高さだったし…。「このままランはブリザードを辞めてこっち方面に進んでしまうのでは?」とか「それかメンバー・チェンジ位あってもおかしくない」と真剣に不安になったんだけど、同時に「でも、ランが本当に勝負するならこれ位のレベルの人達とやった方がいいんじゃないかな?」とも思いましたね。
結論から言うと、結局ランはそれ以降もブリザードのリーダーのまま、何年も俺らの面倒を見てくれたんだけど、未だに何故あの時そうしなかったのかさっぱり分からないです。時間が経ってから一度気になって、直接本人に聞いてみたんだけど、何故か答えを濁らされて、はっきりとは教えてくれませんでした。
俺としては、ただ聞いて焦ってても仕方ないのでランのソロアルバムは随分頑張ってコピーしたし、ブリザードのライブでもソロからの曲をやったんだけど、予想以上にバンドにも合っててリアクションも良かったので、ワーナーからソニーに移る間に、事務所の企画物で出したブルースの自主制作シングルのB面にそれが入ってます。A面はどうでもいいんだけど、実は俺はB面に入ってるそのテイクが結構気に入ってて、録った時も「珍しくうまく行ったんじゃないか?」と思ってたんだけど、雑誌のインタビューの時にその音源を聞いたインタビュアーに「ほんとに君がやってるの?」って、失礼だし「ちょっとちょっと」ってことを言われたんだけど「ドラム、良くなったねー」「何かを見つけたの?」と言われ「成る程ね」と思った覚えがあります。
「他人に良いと言われるのは、案外ちょっとしたところなんだ」って気付いたし、やっぱり練習っていうのは成果として出るんだな、と実感しました。そういうわけで危機感を感じながらもドラマーとしてちょっと前進できたし、同時にランがそれでもブリザードをやるんだ、と分かって安心したし、結果としては良かったと思います。
そんな風にランというのは行動や態度で凄いところを見せつけて俺をやる気にさせたり、練習する気にさせたり…ほんとに世話になったし鍛えられたな、と思いますね。ただし、そんな風にランという存在を尊敬しつつも自分の中では最大のライバルだったし越えるべき目標だったので、どうも意識が強すぎてなんか妙に緊張してしまい、対すると構えてしまってました。一度、何かの仕事明けに二人だけになったことがあるんだけど、話のきっかけとか話題が見つからず、ふたりともただ黙って風に吹かれて歩いてるだけでしたね。場所は代々木競技場のところで、時間は夕方でした。
ランはランで俺のことを多少持て余してたんじゃないかな。俺はバンドの中でちょっと浮き気味だったし、ランはギタリスト同士ということもあってメンバーでは孝之と一番仲が良かったですね。そう言えば、最初の頃はレコーディングでギター・ソロを録るのを楽しみながら見てたんだけど「宏之がいるとやりにくい」とはっきり言われてしまって、途中からは立ち会えなくなってしまった、なんてこともありました。
そんな風に同じバンドで長いこと一緒にやってたんだけど、ランとプライベートな話とかは全然しなかったし、実はどういう人物なのか、俺は分かって無かったのかな?と最近は思いますね。ランは基本的に無邪気でユーモアがあったし、根っからの音楽人間で才能も勿論あったからスタッフ受けも良かったし、他のメンバーも信頼しているようだったし、安心してリーダーを任せられました。ブリザード以降、あんな人物に出会ったことはないし、心の底からこういう奴ならリーダーを任せてもいいな、と思う奴にも出会ってないですね。
続く
子供の頃から音楽に興味があって今でも音楽無しの人生は考えられないと思っています。そんな私が最初に音楽ってカッコイー!と思えたバンドがブリザードでした。
それから16?17年くらい経ったと思います。
その頃はあまりに子供でブリザードの音しか知らなかった。
今、こういう形でメンバーが語る「ブリザード」を読み自分の中で記憶が新しい情報を元に再構築されて完結していく感じがして自分にとってのセラピーのようでした。
根っこの部分が固まってシッカリできたような気になりました。
長々とスミマセン。感謝の気持ちをご報告したくて、こんなんになっちゃいました。
これからのご活躍も楽しみにしています。
ありがとうございました。