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村上宏之のブログです

松川“ラン”敏也 ~その2~

2005-06-29 12:54:13 | BLIZARD
 とにかくあの頃はブリザード以外での自分、というのはあり得なかったし、ブリザードでドラムを叩くこと以外は何の興味もなかったですね。他のバンドの人達と交流したりとか、ブリザード以降どうするか、とか、全く何も考えていませんでしたし、ブリザードの曲を精一杯叩くことと、どうしたらプレイや曲が良くなるのか、とか、そんなことばっかり考えてました。

 しかし時が流れて、結局俺はブリザードを離れる決心をしてしまうんだけど、幾つかあった理由の中でも一番でかかったのが「このままブリザードでやってても、結局俺はランを越えられない。その為には外に出てって、もっと修行しなきゃだめだ」ということでした。一度外に出てもっと違うこともやってみて、いつか「やっぱりドラムは宏之で…」と言われなきゃ結局同じことだし「このままじゃ明日は無い」と思いこんでしまった、というのがありますね。そういうわけで俺にとってはラン=ブリザード、ブリザード=ランなので、彼抜きでブリザードの名前は語れないし、そんなのは嘘だし偽物だし、絶対にあり得ないですね。

 ブリザード以降のランとの思い出も幾つかあって、どれもこれも印象深いです。ブリザードを離れてからすぐに、ちょっとある人のバックバンドをやりだしたんだけど、そのライブも見に来てくれて「良かったよ。上手くなった。」と言われたことや、手伝っていた別のバンドのライブに「ゲストで出てくれないか」という話をした事があったこととか。

 その時は最初にお願いした時に一応OKは貰ってたんだけど、その後うまく連絡が取れなくて、結局流れてしまいそうな気配で半分諦めてました。ところが、そのライブの最後のリハに行くために電車を待ってたら、止まった車両の中にランが座ってて、俺は結構驚いたし、ちょっと慌ててしまったんだけど、何故かランは落ち着いていて「宏之に会うと思った」って言うんだよね。それで「例のセッションの件だけど…」「今からそのリハに行くんだけど…」って言ったら「そうか…じゃあ今から一緒に行くよ」と行って、手ぶらのままスタジオに一緒に来て、スタジオにあったボロボロのギターできっちりプレイして「じゃ、当日もよろしくね」と言って帰って行ったんだよね。

 「当日、本当に来るんだろうか?」とちょっと不安だったんだけど、本番もちゃんと来てギターを弾いてくれました。ライブは気合い入ったし楽しかったし…曲数の多いライブで、ランは最後の方に出たんだけど、ビデオ見ると自分のテンションが急激に上がってるのが分かりましたね。一緒に音を出すとアドレナリンが沸騰する、そういう数少ないプレイヤーだと再確認しました。自分に取って本気で張り合える、全身全霊でぶつかれる、そういう存在ですね。

 ブリザードを離れたあと、俺はバンドを4つ掛け持ち、翌年また違うバンドを4つ、っていう風に来た話は片っ端から引き受けて、ゼイゼイ言いながら自分なりに修行してました。そんな中で、多少ドラマーとして進歩した部分もあったし、自信も付けたりしました。が、しかし、一方のランはランでX-JAPANのヒデのツアー・メンバーとかをやってて、代々木競技場でのライブを見に行ったんだけど、その時は複雑な心境でした。「ランならこれ位やって当たり前だ」と思ったけど「どうしてブリザードでここまで来れなかったんだろう?」とも思いました。

 「ランはああしてランのままなんだから、やっぱり俺とかのせいかな?」と思ったり。単純に「すげーなー、もう絶対に追いつけないな」と思うとやっぱり寂しかったし「俺は一体何をやってんだろう?」「俺は本当は何がやりたくて、どうなりたいんだろう?」と、それまで頼りにしてた自分なりの信念とか自信が根底から揺らぎました。そうして打ちのめされて、かつてランと歩いた代々木競技場のそばを落ち込みながら歩いて帰りました。

 そういうわけで、自分の中でランはなんだか遠い存在になってしまったし、その後しばらく連絡を取ってなかったんだけど、なんかギタリストの企画物のCDにランも参加していて、聴いてみるとブリザードの「アゲイン」をアレンジしたものをやっていて、それを聞いた途端、懐かしくなって話をしたくなったので、思い切って電話をしてみた。

 けど、留守電になってたので、どうしようかちょっと迷ったんだけどメッセージを残しといたら、なんとすぐに電話がかかって来て、大して返りを期待してなかったからもの凄く驚いた。例によって緊張してしまって、そんなに話はしなかったんだけど「またバンドが恋しくなっててさ」と言うので「ええ、じゃあやろうよ。最近、色んな奴とやってるから、ベースでもヴォーカルでも探して連れて行くから」「とにかくいっぺん会って話そうよ」って言ったらまんざらでもなさそうだったんだけど、それは丁度年末で「正月、ちょっと用事があるから、年が明けたら連絡するよ」ということになった。正直、その時は嬉しかったし「もしかしたらまたランとバンドがやれるかも」「ついにその時が来た」と思うと、本当に気合い入ったし「来年は絶対良い年にするぞ!」とか思ってたんだけど、結局ランと話をしたのはそれが最後になってしまった。

 年が明けてから何度か電話したんだけどずっと留守電のままで、そのうち「失踪した」という噂が流れてきて、最初は信じてなかったんだけど、結局、本当にそれっきり、どこでどうしてるのか全く分からなくなってしまった。肩透かしのような気分だったし、そのうち心配にもなったし「なんでギターを弾かなくなったんだ!!」ってもの凄く腹立たしかったり、悔しかったりしたけど、今は「きっと何か事情があったんだろう」「らしい、と言えばらしい行動だし」「ギターを弾かなくても、本人がその方がいいならそれがいいんだろうな」と思うようになりました。

 随分たくさんのバンドマンを見て来て、理由は様々だけど、やっぱりリタイアして行く人の方が断然多いわけだし、その事が悪いとか間違ってるとは思えなくなったし。いまだに未練がましく辞められず、マイペースだけどずっと続けてる自分の方が恵まれてるのか、でなければ、やっぱりどこかおかしいのかもしれないですね。

 結局、今の俺に出来ることはただ心の中でランに向かってドラムを叩き続ける、そのことだけになってしまいました。でもそれは今までもずっとそうでしたけどね。それでもいつか、また会うことが出来たら、と思う。そうしたらもう「ギターを弾いてくれ」なんて言わずに、今度は音楽以外の、もう少し中身のある会話もしたいな、と思うけど、どうかな。俺は仕事帰りとか、好きで時々高層ビルに出掛けて行って東京を空から眺めるんだけど、そうすると「確かに会えないけど、そんなに広い街じゃない、お互い生きてりゃ、どこかでまたばったり会えるかもしれないし」とか、そういう事を考えます。

松川“ラン”敏也 ~その1~

2005-06-13 15:57:56 | BLIZARD
 実は、俺はギタリストって結構好きなんだよね。ギタリストにはいつの時代でも「スター」であって欲しいと思ってます。レッド・ツェッペリンの映画も、見ていてジミー・ペイジが一番かっこ良かったし、高校の時に行ったレインボウも、目当てだったはずのコージー・パウエルよりもリッチー・ブラックモアを見てたし、そんな風にドラマーよりもギタリストの方を見てしまうことが多かったですね。でも自分でギターをやりたい、とは全然思わないし、どっちかというとドラマーとして張り合いたい、とかそういう風に考えますね。

 前に書いたように、80年代はドラマーとしての制限も多くて大変だったけど、やっぱりあの頃のギター・サウンドは良かったし、ルックスも良くて上手い人、たくさんいましたねー。特に好きだったのは、ジェイク・E・リー、ジョージ・リンチ、ウォーレン・デ・マルティニ、ジョン・サイクス等々。年代は違うけど、ジェフ・ベック、ジョー・ペリー、エース・フレイリーなんかも好きです。特にオジー・オズボーンの連れて来たギターはみんな良かったですよ。ランディー・ローズ、ジェイク・E・リー、ザック・ワイルド。ブラッド・ギルスやジョージ・リンチもツアーに参加したことがあったみたいだし。

 その中の初代ギタリストだったランディー・ローズを最初に聞いたのはラジオでした。ランディー・ローズの名前は知ってたんだけど、どうもブラック・サバスには抵抗感があって、それまでオジーのソロもちゃんと聞いてませんでした。ラジオでかかったのは「オーバー・ザ・マウテン」だったんだけど、一聴して「凄い!これがランディー・ローズか」と思わされました。

 丁度その頃「(東京の)X-rayというバンドにランという凄いギターがいる」という噂が流れて来てライブ写真とかも見せられてて「へー、こんな人がいるんだ」と思ってたんだけど、まさか後々その本人とバンドをやることになるとは思ってもみませんでした。それがブリザードのギタリストでリーダーだった、“ラン”こと松川敏也だったわけです。

 ランはその頃出入りしてた事務所から紹介されたんだけど、最初に会った時からとにかくオーラがあって、なんか圧倒されましたね。髪も金髪のストレートで腰位まであって「なーんか、この人、俺なんかとはバンドに掛けてる意気込みが違うんじゃないか」という気分にさせられましたね。その頃は一般人・男子の長髪なんか全くいなかったし、俺もまだそんなに長髪じゃなかった(と言っても一見して「バンドマン」と分かる感じだった)ので「やっぱり真剣にバンドやるならこれ位思い切ったところが無いとダメだ」と思って俺も更に髪を伸ばしました。

 紹介されたあと、セッションや曲創りのためにスタジオに入って音出しも始めたんだけど、ランはルックスだけじゃなくギターも相当上手かったし、自分としてもレベルが段違いに上の人とやるのは初めてで緊張もしたけど、刺激されてやる気になったし「こういう人とバンドやれるなんて夢のようだ」といつも思ってましたね。そういうわけで、ランにはもの凄く影響されたし、心の底から尊敬してました。でも、それと同時に何を考えたかというと「俺はこの人を越えるか、同等に張り合えるようにならないとだめだ」ということでしたね。

 「付いて行く」とか「サポートしてもらう」とかそういうのはイヤで、認められて同等の立場でバンドを動かして行きたいと思っちゃったんですね。そういうところが自分でも天の邪鬼で可愛気の無いところだったと思うんですけど、そういうわけで言うことを聞くばっかりじゃなくて、いつも突っ張って、張り合って挑戦してました。現実的には全く追い付いてないし負けてばっかりだったんだけど「ギターヒーローの時代だからこそ俺はギタリストに勝ちたい」とか思ってて、多分ランにしてみればかなり鬱陶しかったと思いますね。

 ブリザードをやりだして最初の挫折は、ランに「このままじゃこのメンバーで続けられない」と言われたことでした。それはバンドとして動き出したばっかりの、ファースト・アルバムが出る1年位前で自分でも「このままじゃダメだ」と分かり出した頃だったので、ショックだった半面「やっぱり言われちゃったな」という感じだったんだけど、それでもバンドを続けたかったし、切られるのも投げ出すのもいやだったので意地になって練習しました。

 基礎練習も随分やりましたけど、外タレのプレイとかも真剣に聞き直したり、それまでコピーしたことの無かった曲をコピーしたり…。でもそれは良いことだったんだな、と思いますね。初めて真剣に練習するようになったし、どっちにしたってその後、世間様から相当叩かれたわけですけど、それ以前に一回「ピシャッ!」とやられてたのでそんなにこたえずに済みましたしね。しばらくして「宏之のドラムは最近良くなった、一番進歩してる」と言われたことがあって、その時は本当に嬉しかったですよ。やっぱり尊敬してる人の言葉というのは説得力がありましたね。

 ブリザードをやってて最初に、真剣に危機感を持ったのはランがソロアルバムを出した時で、アルバムを聞いた時は結構ショックでした。曲も良かったし、歌も良かったし、ドラムも到底真似の出来ないようなレベルの高さだったし…。「このままランはブリザードを辞めてこっち方面に進んでしまうのでは?」とか「それかメンバー・チェンジ位あってもおかしくない」と真剣に不安になったんだけど、同時に「でも、ランが本当に勝負するならこれ位のレベルの人達とやった方がいいんじゃないかな?」とも思いましたね。

 結論から言うと、結局ランはそれ以降もブリザードのリーダーのまま、何年も俺らの面倒を見てくれたんだけど、未だに何故あの時そうしなかったのかさっぱり分からないです。時間が経ってから一度気になって、直接本人に聞いてみたんだけど、何故か答えを濁らされて、はっきりとは教えてくれませんでした。

 俺としては、ただ聞いて焦ってても仕方ないのでランのソロアルバムは随分頑張ってコピーしたし、ブリザードのライブでもソロからの曲をやったんだけど、予想以上にバンドにも合っててリアクションも良かったので、ワーナーからソニーに移る間に、事務所の企画物で出したブルースの自主制作シングルのB面にそれが入ってます。A面はどうでもいいんだけど、実は俺はB面に入ってるそのテイクが結構気に入ってて、録った時も「珍しくうまく行ったんじゃないか?」と思ってたんだけど、雑誌のインタビューの時にその音源を聞いたインタビュアーに「ほんとに君がやってるの?」って、失礼だし「ちょっとちょっと」ってことを言われたんだけど「ドラム、良くなったねー」「何かを見つけたの?」と言われ「成る程ね」と思った覚えがあります。

 「他人に良いと言われるのは、案外ちょっとしたところなんだ」って気付いたし、やっぱり練習っていうのは成果として出るんだな、と実感しました。そういうわけで危機感を感じながらもドラマーとしてちょっと前進できたし、同時にランがそれでもブリザードをやるんだ、と分かって安心したし、結果としては良かったと思います。

 そんな風にランというのは行動や態度で凄いところを見せつけて俺をやる気にさせたり、練習する気にさせたり…ほんとに世話になったし鍛えられたな、と思いますね。ただし、そんな風にランという存在を尊敬しつつも自分の中では最大のライバルだったし越えるべき目標だったので、どうも意識が強すぎてなんか妙に緊張してしまい、対すると構えてしまってました。一度、何かの仕事明けに二人だけになったことがあるんだけど、話のきっかけとか話題が見つからず、ふたりともただ黙って風に吹かれて歩いてるだけでしたね。場所は代々木競技場のところで、時間は夕方でした。

 ランはランで俺のことを多少持て余してたんじゃないかな。俺はバンドの中でちょっと浮き気味だったし、ランはギタリスト同士ということもあってメンバーでは孝之と一番仲が良かったですね。そう言えば、最初の頃はレコーディングでギター・ソロを録るのを楽しみながら見てたんだけど「宏之がいるとやりにくい」とはっきり言われてしまって、途中からは立ち会えなくなってしまった、なんてこともありました。

 そんな風に同じバンドで長いこと一緒にやってたんだけど、ランとプライベートな話とかは全然しなかったし、実はどういう人物なのか、俺は分かって無かったのかな?と最近は思いますね。ランは基本的に無邪気でユーモアがあったし、根っからの音楽人間で才能も勿論あったからスタッフ受けも良かったし、他のメンバーも信頼しているようだったし、安心してリーダーを任せられました。ブリザード以降、あんな人物に出会ったことはないし、心の底からこういう奴ならリーダーを任せてもいいな、と思う奴にも出会ってないですね。

続く

スランプはある日突然やって来る

2005-06-01 15:11:08 | ドラム談義
 
 先日、アンセム/アニメタルの坂本英三さん企画による、セッション&練馬マッチョマンでの久々ライブがあったんだけど、リハ~本番を通して充分楽しめたし、大きな問題も無く終わることが出来ました。詳しいことはまたそのうち、と思ってるんだけど、去年の春に初台ドアーズでやった「新生・練馬マッチョマン」でのライブの頃は大変だった。

 その頃、何故か超・スランプに落ち込んでしまい、ビート的には頭の中で鳴ってる音とは程遠く、何やらベタベタと重くて安定感も欠如したひどいものだったし、曲を通してのテンポ感も悪くなってた。更に手も足も思い通りに動かず、それまで何の気負いも無くスラっと叩けたフレーズが引っ掛かったり、そうなるとフレーズを叩く瞬間、一瞬躊躇するようになる、という悪循環に陥り、悪くなる一方だった。

 他の人はどうなのか知らないけど、俺の場合、スランプはある日・ある瞬間、突然やってくるし原因がよく分からない。身体的なものなのか、メンタル的なものなのか…、ひどい時はライブ中、突然ペースが乱れてそこから後はメロメロになって立ち直るのに結構日数が掛かったりすることもある。そうなると、とにかく叩いてても違和感があって爽快感とかが無くなってしまうし、余計なことが気になったりしてしまう。

 その大スランプの真最中に「新生・練馬マッチョマン」のリハと新ユニット「スリム・スラム」のリハが始まってしまい非常にきつかった。どちらも初顔合わせのメンバー(練馬はこの時、ベースがビジランテの海野君)との音出しで「よりによってこんなに時期に」と思ったしプレッシャーを感じてしまった。ただ、スリム・スラムはやり慣れたイノセント・アークなんかの曲のセッションから始まったのでまだ誤魔化しがきいたけど、練馬マッチョマンは「ライブまで」という締め切りもあり、本当にきつかった。練馬マッチョマンの最近の音源はドラムを打ち込みで作っているので勝手に変えてやってしまって、リクエストがあれば直すだけなのでそれ程問題は無かったんだけど、昔のアルバムに入っている、生ドラムでレコーディングしている曲のドラム・アレンジは大変だった。覚える曲数が多かったし、どれも決めや曲構成が結構凝っててむずかしいのと同時に、大前提として他人のコピーはなるべくせず、可能な限り自分らしくしたい、というのがあるので。…実は何をやってるのかよく分からないところとかもあったりしたんだけど…。

 あと、曲によってはアプローチ自体が古く感じるパターンや、叩いててしっくりこない、ノリが悪くなるパターンは変えたいとか、そういう風に思うところがたくさんあったので暗中模索しつつ固めて行った。あとは時代的に2バス・フレーズが多いんだけど、基本的にライブはワンバスでやるつもりだったので、それをどうするかも考え所だった。

 実は練馬マッチョマンの曲はもの凄くむずかしい。単なる80年代ロックのくくりではとても出来ないものが多い。基本的にはロックなので「パワー感」「線の太さ」は最低限必要だし、同時に「ポップなセンス」「ジャズっぽい感じ」「ファンキーな感じ」「昭和歌謡の味」「なんだか妖しい雰囲気」「同時に明るい雰囲気」とか、ほんとに色んな要素がある。しかもダンサーがいてステップもあったりするので、テンポとかノリの良さも考えなきゃいけないし…こう書いてくると、今なら「そりゃあ苦労するよ」と思うんだけど、その頃は「とにかくやらなければ」とひたすら思ってましたね。

 ドラムの問題点は、他人はどうだか知らないけど、俺の場合は頭で考えたフレーズと実際叩いた時とのギャップがある、っていう事で、どれだけ仕込みをやっても実際に音を出してみたらどうにもならない場合がある。この時も何曲かそういうものがあって、テンポ感が掴めなかったり、仕込んで来たフレーズに詰まったり、とにかく最初のリハはズタボロで、終わった後はすっきりしなくてストレス溜まりまくった。メンバーに特別何かを言われたわけじゃなくても、そういう時はほんとに落ち込みます。リハの帰りに何回も音源聞きなおしたりするし、帰って速攻練習したり。

 ただし俺の場合、仕込みの段階ではレベルをある程度高いところに設定しておくし、なるたけ新しいことも取り入れよう、と考えていて色んな事を試しながらやってるせいもあるんだけど。それで、ストレスが溜まってくると急に開き直ってしまって「どうこう言われてもいいや」「叩くのは自分で、自分が楽しめなきゃ仕方ないんだし」「見栄張って難しいことやるのは止めよう」と思って自分なりに納得できるラインでまとめに入る。まとめたら微調整して終わり、というか、今回のライブはここまで、と決めて後はリハで精度を上げて曲慣れするまで繰り返す、という感じかな。

 でも、その過程で寝かせといたアイデアが復活してくることもあったりするんだけど。だから俺にとってリハは結構重要で、セッションっぽい、リハの少ないライブは実はあんまり得意じゃない。それでも「曲を覚えてざっと様子を見て」という段階でやるしかない時は、それなりに対応するけどね。でもどっちかというと細部まできちんと見えてて準備出来てる方が好きです。

 あと、この時は英三君が超・忙しい頃で、結局ライブ寸前のリハまで来れなくて、最後の最後に「こことあそことあの部分はこうならないかなー?」と言われたんだけど、面白いなーと思ったのは、そういう部分って大抵ドラマー的に違和感があって変えたところとか「なんでわざわざこんな風になってるんだろう?普通はこういうドラムは付けないんだけど」と思ったところとかで、やっぱり他のパートの人は違う感性があるんだな、と思った。殆どが「CDのままで」というリクエストで、ちょっとしたフックとして英三君が考えたところでしたね。どっちにしても、元々まんまコピーしてからアレンジしてるので問題無く対応できました。でも基本的に英三君は、あんまり細かくどうこう言わなくて、ドラムは殆どやりたいようにやらせて任せてくれるので助かるし、やりがいがありますね。

 そんなわけで不安もありつつの新生・練馬マッチョマンのライブに望んだんだけど、緊張したのが返って良かったのか、本番は結構うまく行きました。そうしてライブを一本こなしたら春先のスランプからなんとか脱する事が出来たんだけど、今度はいつ、どんな形でやって来るのかな?まあ、このところは好調なんですけどね。