【最初の地方遠征】
俺は小さい頃、車に乗るのが大好きでした。電車やバスよりも「家の車」に乗るのが好きで、「ずっと乗っていたい」「どこまでも行ってみたい」とよく思ってました。その希望はバンドマンになったことによって、以外な形で実現したのですが…。
プロになったら「当然ツアーとか、地方へは新幹線や飛行機で移動するんだろう」と思いこんでました。だから、最初に地方へ「車で行って来い」と言われた時は少なからずショックでした。「移動だけでも相当疲れそうだけど、その後ライブなんてやれるんだろうか?」とか「事故に遭ったらどうするんだろうか?」とか。事務所からは「若い時の苦労は金を払ってでもしろって言うだろ」と言われたのですが「しなくて済む苦労ならしたくないんだが」と思った覚えがあります。
実はプロになってすぐ、俺は閉所恐怖症になってしまって結構苦労しました。2ドアの車の後部座席や混んでいる地下鉄やバス、止まってしまいそうな古いエレベータとかが本当にダメで、そういう場面に出くわすと動悸がして手にじっとりと汗が出て顔から血の気が引いてしまうのでした。そういうこともあったので「そんなに長時間、狭い車の中でじっとしていられるんだろうか?」という不安もありました。
そんなわけで最初の地方遠征、確か名古屋・大阪だったと思うんですけど、その出発の時はかなーり憂鬱だった覚えがあります。その時は機材車と普通の乗用車での移動でしたが、まだ見晴らしがよくて解放感があった機材車にマネージャーさんと乗って行った記憶があります。
そうしたら他のメンバーが気にしてくれて、高速道路で機材車を追い抜きながらみんなで「芸」をやったりして笑わせてくれたのを思い出します。最初にそうしたせいか、何故か機材車に乗るが気に入ってしまって、その後も移動中に飽きたら、よく機材車に乗せてもらいました。椅子も悪いし、決して乗り心地はよくなかったと思うんですけど「旅気分」は機材車での方が強かったと思います。
出発の時は重くて暗い気分でしたけど、それでも「ライブをやりにみんなで地方へ行く」というのはずっと前から憧れてたことだったし、「今後やって行くには慣れるしかない」とも分かっていました。それと、俺と孝之は両親が関西なので、家の車で東京−京都・神戸とか行ったことも何度かあったので「名古屋は以外に近い」という印象でした。
ライブは名古屋・E.L.Lでのワンマンだったんですけど、ライブが始まってステージに出て行ってみると、俺が予想してた以上に人が多く来てました。「どうしてこんなに人が来てるんだろう?」と、何だか不思議な気分でしたが、みんなステージ前まで詰めて来て、盛大に騒いでくれました。「待っててくれたんだ」「初めてなのに応援してくれるんだ」「来て良かったな」と思えて、本当に嬉しかったですよ。今でも、その時ステージから見た場面を鮮明に思い出します。
E.L.Lはその後も何度かお世話になりましたけど、今は改装してしまって全然違うライブハウスになっているようですね。あの頃は天井がやや低くて、ドラムを組むと丁度真上に何かのパイプがあって、ライブ中、よくそれを叩いてしまった記憶があります。
そんなわけでライブが始まってしまえば気分良かったし気楽だったんですけど、まだライブ慣れしていない頃だったので、後半は相当息もあがってバテた記憶があります。でも、どっちかというと慣れない移動や初めてのライブハウスとか、そういうことの方で緊張していたので終わったらどっと疲れました。しかも記憶もここまでは鮮明なのですが、翌日のことや帰りのことはさっぱり思い出せません。大阪はキャンディー・ホールだったように思うのですが?
それで、いっぺん行って帰ってきたら地方へ行くのが大好きになり、その後は大いに楽しめるようになりました。ブリザード以降、違うバンドでは念願叶って、新幹線や飛行機での移動もありましたが、何故かその時は感激した覚えや楽しめた記憶もあまりなくて、思い出されるのは延々と車で移動をしていた頃のことですね。とは言う物の、体調を崩してしまったり、車が故障してしまったりと、大変な事もたくさんありました。
続く
俺は小さい頃、車に乗るのが大好きでした。電車やバスよりも「家の車」に乗るのが好きで、「ずっと乗っていたい」「どこまでも行ってみたい」とよく思ってました。その希望はバンドマンになったことによって、以外な形で実現したのですが…。
プロになったら「当然ツアーとか、地方へは新幹線や飛行機で移動するんだろう」と思いこんでました。だから、最初に地方へ「車で行って来い」と言われた時は少なからずショックでした。「移動だけでも相当疲れそうだけど、その後ライブなんてやれるんだろうか?」とか「事故に遭ったらどうするんだろうか?」とか。事務所からは「若い時の苦労は金を払ってでもしろって言うだろ」と言われたのですが「しなくて済む苦労ならしたくないんだが」と思った覚えがあります。
実はプロになってすぐ、俺は閉所恐怖症になってしまって結構苦労しました。2ドアの車の後部座席や混んでいる地下鉄やバス、止まってしまいそうな古いエレベータとかが本当にダメで、そういう場面に出くわすと動悸がして手にじっとりと汗が出て顔から血の気が引いてしまうのでした。そういうこともあったので「そんなに長時間、狭い車の中でじっとしていられるんだろうか?」という不安もありました。
そんなわけで最初の地方遠征、確か名古屋・大阪だったと思うんですけど、その出発の時はかなーり憂鬱だった覚えがあります。その時は機材車と普通の乗用車での移動でしたが、まだ見晴らしがよくて解放感があった機材車にマネージャーさんと乗って行った記憶があります。
そうしたら他のメンバーが気にしてくれて、高速道路で機材車を追い抜きながらみんなで「芸」をやったりして笑わせてくれたのを思い出します。最初にそうしたせいか、何故か機材車に乗るが気に入ってしまって、その後も移動中に飽きたら、よく機材車に乗せてもらいました。椅子も悪いし、決して乗り心地はよくなかったと思うんですけど「旅気分」は機材車での方が強かったと思います。
出発の時は重くて暗い気分でしたけど、それでも「ライブをやりにみんなで地方へ行く」というのはずっと前から憧れてたことだったし、「今後やって行くには慣れるしかない」とも分かっていました。それと、俺と孝之は両親が関西なので、家の車で東京−京都・神戸とか行ったことも何度かあったので「名古屋は以外に近い」という印象でした。
ライブは名古屋・E.L.Lでのワンマンだったんですけど、ライブが始まってステージに出て行ってみると、俺が予想してた以上に人が多く来てました。「どうしてこんなに人が来てるんだろう?」と、何だか不思議な気分でしたが、みんなステージ前まで詰めて来て、盛大に騒いでくれました。「待っててくれたんだ」「初めてなのに応援してくれるんだ」「来て良かったな」と思えて、本当に嬉しかったですよ。今でも、その時ステージから見た場面を鮮明に思い出します。
E.L.Lはその後も何度かお世話になりましたけど、今は改装してしまって全然違うライブハウスになっているようですね。あの頃は天井がやや低くて、ドラムを組むと丁度真上に何かのパイプがあって、ライブ中、よくそれを叩いてしまった記憶があります。
そんなわけでライブが始まってしまえば気分良かったし気楽だったんですけど、まだライブ慣れしていない頃だったので、後半は相当息もあがってバテた記憶があります。でも、どっちかというと慣れない移動や初めてのライブハウスとか、そういうことの方で緊張していたので終わったらどっと疲れました。しかも記憶もここまでは鮮明なのですが、翌日のことや帰りのことはさっぱり思い出せません。大阪はキャンディー・ホールだったように思うのですが?
それで、いっぺん行って帰ってきたら地方へ行くのが大好きになり、その後は大いに楽しめるようになりました。ブリザード以降、違うバンドでは念願叶って、新幹線や飛行機での移動もありましたが、何故かその時は感激した覚えや楽しめた記憶もあまりなくて、思い出されるのは延々と車で移動をしていた頃のことですね。とは言う物の、体調を崩してしまったり、車が故障してしまったりと、大変な事もたくさんありました。
続く
一人の人間にはそれぞれにドラマがあると言いますが、本当にそれは真実だと思うんですよね。
閉所恐怖症だったんですか・・・。
実は私も、若い頃にそのような状態になりました。
貴方もそうだったなんて想像もしてませんでした。
相当辛い時期でしたね。
よくわかります。
私の場合は、そういうことに対して何も解決になることが見つからず、それからヒーリングに傾いてきたような気がします。
それで、今はプチヒーラーですが、ヒーリングエネルギー入りの音楽を作ったりしてます。(ま、してるだけですが・笑)
その後はどうなんですか?
それによって、結果、多くのことを得たかもしれませんね。
一人一人それぞれが持つ光を活かして生きていけますように❤ฺ(*◡‿◡✿ฺ人)