セスタバジカ Cesta Basica

「基礎的なバスケット」という意味のポルトガル語。
ブラジルでは「日常生活を送るための必需品のセット」を指します。

爆弾発言(その2)

2009年07月13日 | ナミビア
前回は謎めいた一節で締め括りましたが、もしクイズとして回答を募っていれば、これまでの本ブログの流れからして、おそらく「出家」が最も多かっただろうと想像します。ですが残念ながらハズレです。その機はまだ熟していません。(しつこいようですが、こういうのはあくまで笑いを取るためにやってます。時に「似合ってるね」と言われて複雑な心境になったりもしますけど・・・・)

正解は「渡航」でした。アフリカ大陸の南に位置するナミビア共和国に11月10日頃から(コムギの種播きが終わったら直ちに)3月末、つまり年度いっぱい出張します。5月に田植えのため県大に来ていたペトルスさんの祖国です。大学の在外研修制度を利用するので旅費と滞在費は県が持ってくれます。

アフリカ行きを志願したのは昨年12月のこと。長期在外研修(3ヶ月以上6ヶ月未満)には当初希望者が全く現れず(大学教員はそう簡単に抜けられませんから無理もないことですけど)、秋になって再募集がかけられました。丁度その頃です。翌年度に卒業研究の指導をする学生が誰も付かないと確定したのは。(成績評価が厳しすぎたかな?)これは千載一遇のチャンスとばかり国外逃亡を思い立った次第です。(その大きな動機として当時の私が人生全般に抱いていた閉塞感があります。)結局は大学全体で応募したのが私だけだったためスンナリ決まったみたいです。

そんな訳で年明け早々に内定通知をもらっていたのですが、もちろんその時には外国人支援運動に関わることになろうとは夢にも思っていませんでした。また大っぴらにして万が一にも没になったら格好悪いという考えもありました。(そういえば一昨年12月のブラジル行きの話は土壇場で潰れ、ビザの取得費約3万円が全くの無駄になりました。あれも国の金ですけど。)何にしても今まで隠しごとをしていたのは事実ですからお詫びします。

なお同国へ行くのは2005年の3月以来です。その時はわずか4週間の滞在でした。左の画像は寝泊まりしたゲストハウス、小さく写っているのはボリビア人留学生のウォルター(Walter Zegada-Lizarazu)君、ついでに右は振り返って撮った風景です。彼との会話は全てスペイン語だったので、感覚的ながら協力隊時代の95%まで語学力が戻ったのが最大の収穫でした。(ちなみに例の予行演習写真は現地で彼に撮ってもらったものです。剃ってくれたのも彼です。)また、農場の管理を任されていた人達も流暢な西語を話していたのにビックリ仰天。なんでもキューバへ出稼ぎに行っていたことがあるのだとか。

前回は畑作物の試験と調査でした。このように雑穀のトウジンビエとマメ科作物のササゲをゴッチャに植える混作が現地の一般的な栽培方式です。どちらも暑さと乾燥には非常に強いです。右は根の調査のため塹壕を掘ってもらっているところ。人件費が安いのをいいことに人海戦術を採りましたが、炎天下での作業のため逃亡者が多数出ました。

そして今回の任務は稲作です。ナミビア北部では雨期になると隣国アンゴラとの国境地帯にあるクネネ川という大河が氾濫し、こんな大きな水溜まりがそこら中にできます。ただし深さはそんなにありません(深くても2メートル以内)。なので牛飼いが水を飲ませるために放しているのもよく見かけました。このような季節性湿地帯は現地語で「オシャナ」(oshana)と呼ばれていますが、そこにイネを植えてみたらどうだろうか、との発想から数年前に栽培試験がスタートしました。ザンビアに近いカプリビ州(ウィキペディアに掲載されている地方行政区分地図では1番の出っ張った州)のカティマ試験場には大統領が首都からはるばる視察に来たという話です。

ところが今年初めに数十年に一度という大雨が降ったため大洪水が発生。大学内にある3ヘクタールの水田が水没してイネは全滅!(水深90cmが何週間も続いたそうです。そりゃ枯れるわな。)そのため次年度の試験に使う種子が足りないということで、急遽県大で増殖することになりました。秋に収穫したら直ぐさまナミビアに空輸し、それを播きます。もはや綱渡りみたいですが、2年連続の失敗ということになればプロジェクトの存続自体が危ぶまれますので責任重大です。が、今や口癖となった感もある「なんくるないさー」の心構えで臨むつもりです。自分で自分にプレッシャーを掛けるとろくなことがないので。

話を戻しますと、セスタバジカ運動を途中で放り出してしまうことになり、申し訳ない気持ちで一杯ではありますが、「名ばかりだいひょう」の私が抜けるぐらいではビクともしないでしょう。学生ボランティアさん達に精米のノウハウはちゃんと伝えましたし。帰国してみたら本会は既に使命を終えて(支援の必要がなくなって)解散していた、というのが一番望ましい筋書きですけどね。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown ()
2009-07-13 07:59:51
移住でなくてよかった。
名ばかり代表だなんてとんでもない
先生がいなくなったらどうしよう・・・
そればっかり考える今日この頃です。
でも、大切な任務が全うできるように祈っています。
返信する
Unknown (だいひょう)
2009-07-13 08:27:58
ああ「移住」ですか。
それもないことはないですけど、
今のところは "Quizás, quizás, quizás"
(たぶんそのうち)ですね。
でも必要条件がクリアできるかなぁ?
返信する

コメントを投稿