MEDINT(医療通訳研究会)便り

医療通訳の制度化を目指す医療通訳研究会(MEDINT)のコラムです
~続けていくことこそ難しい~

通訳者を「使う」

2016-07-26 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
日本渡航医学会の学術集会が終わりました。

私は一般演題の中で、外国人模擬患者を使った接遇トレーニングの
プログラムについてご紹介しました。

助産師教育の話だったので、
医師の多い当学会では少し反応が薄かったのが残念でした。
ただ、毎回挑戦的な演題を出し続ける歯科医のT先生のような方もいらっしゃるので、
学際的な様々な演題を排除せず受け入れる学会の自由な雰囲気は貴重です。

その中で座長をしてくださった公立甲賀病院の井田健先生からご質問をいただきました。

質問は私が説明の中で何度も

通訳の「使い方」
通訳を上手に「使う」

と道具のように通訳を「使う」と表現したことに
違和感があるとのことでした。

長年にわたって、医療通訳についてご意見を述べられ、
ご自分の病院でも医療通訳制度を作られた先生だからこその
ご質問であったと思います。

先生は医療通訳者と医師を結び付けてくださった
私にとっては恩人でもあります。

では、私がこの質問にどう答えたかというと、

まず「ああ、こうしたコメントがもらえる時代になった」のだと
しみじみと感じました。

なぜなら、これまで私は
医療通訳者は心を持った専門職であり
外国人医療においてはチームの一員として
重要な役割を担うことができると主張してきたからです。
つまり、「道具ではないぞ!」という認識です。

医療通訳者の役割として
最近では倫理規定や厚生労働省の教科書などでも
明確にいわれていることです。

それと同時に
私は通訳者としての美学みたいなものを持っています。
「通訳者がいないと思うくらい、コミュニケーションが進む」状態が
私にとっては理想なのです。

スペイン語圏は英語圏の人たちとは違い
日本社会に遠慮しながら生きていると感じます。
通訳を使うことで、彼らがいきいきと自分の主張を述べてくれることが私の喜びでもあります。
だから通訳者がしゃしゃりでるのはあまり格好のよいことではない。
そこにいないのではなく、邪魔をしないということです。

でも、日本社会では、
医療通訳者が邪魔をせずにコミュニケーションが進む現場は
まだまだ少ないです。
だから、姿をあらわさざるを得ない場面があるのですが、
それは医療通訳の使い方が医療者に浸透していないからでもあります。
その課題を解決するための接遇トレーニングなので、
私たち通訳者の役割を理解して、
外国人医療のコミュニケーションのイニシアチブを医療者にも持って欲しいというのが
発表の主旨でした。

その場ではうまく回答できなかったのでここで書いてみました。

最後に司馬遼太郎のエッセイの中に「花器」を表現している一文があります。
私はこの花器のような
花を活けてはじめて花も生き己も生きるような通訳者になるのが目標です。

******************************

ちかごろの花器は、自己主張のアクが強すぎるのではないか。
花器は「用」をはなれて存在しない。
花を活けてはじめて花も生き己も生きるというハタラキが「用」の精神というべきものだが、
若い陶芸家にはこれが満足できないらしい。
花を押しのけて自分を主張しようとする。

司馬遼太郎(薔薇の人 「未生」4-11)
******************************







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こころのしこり

2016-07-12 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
バングラデシュで国際協力のために赴任していた
日本人専門家の方々がテロの犠牲となりました。

まだまだ課題が山積みの国。
貴重な志が消えたことは無念でなりません。

犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。

かつて協力隊を受験したとき
私はバングラデシュを希望していました。
募集説明会で見た要請一覧の
バングラデシュ女性プロジェクトが魅力的で、
だから野菜栽培を選んで農業大学校を受験したのです。

農業大学校1年目の年は不合格でした。
面接で「バングラデシュ以外は行きません」といったのも
ひとつの理由かもしれません。
2年目のときも同じことを聞かれて、
今度はさすがにこれ以上浪人することはままならず
「バングラデシュ以外でも・・・・行きますが」と言って
南米のパラグアイで合格通知が届きました。

それから私の南米とのかかわりが始まるのですが、
今ならバングラデシュでの農業指導は南米よりもはるかに
技術的に難しいものだったことは理解できます。

今回のテロも
テロリストとバングラデシュ人は違う。
このことをしっかり理解しておかなければいけないと思います。

************************

ペルー人の相談支援の仕事をしていて、
私の心の中にひとつのしこりがあります。

1991年の今日7月12日におきたワラル事件です。
JICAの農業試験場で3名の専門家の方々が
テロの犠牲になりました。
お1人は直前までパラグアイの農業試験場にいらした方なので
指導を受けたことがありました。

80年代南米はとても危険でした。

でも、私たちは
国際協力で来ているから、
日本人だから、
現地の人たちに溶け込んで同じ生活をしているから、
「大丈夫」だと思いながら活動をしていました。

でも、ペルーでJICA専門家の方々が標的になった。
これはとても衝撃的でした。

帰国して、スペイン語の相談員をはじめたころ、
多くのペルー日系人たちの来日動機が
「安全」であることをひしひしと感じました。
彼らもまた、危険な状況から安全な場所を求めていたのでした。

テロリストとペルー人は違う。
それは頭でわかっています。

でも、心がなかなか受け付けられない。
「なぜ」犠牲にならなければいけなかったのかという
しこりとして残り続けています。

今日も変わらずスペイン語の相談を受け、通訳をしています。
平和な一日であることを祈って。
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第20回日本渡航医学会へのお誘い

2016-07-04 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
今までは医療通訳者の立場で現場について訴えてきましたが、
これからの流れは、医療通訳者がどのように医療専門職の一員として
今の日本の外国人医療を支える側に立つかに移ってきたと感じます。

MEDINTを作ってからずっと取り組んできたことは
医療職者との相互理解をすすめることであり、
どうしたら日本にいる外国人が安心して受診できる
外国人医療環境を実現できるかということです。

日本渡航医学会に参加し
評議員として活動してきたこともその一環です。

今月、第20回日本渡航医学会学術集会が岡山県倉敷市で開催されます。

学会といえば少し敷居が高いかもしれませんが、
普通では聞けない医療の最先端の話が聞けて、
なんといっても医師や看護師の方々や
研究者の方々と同じ視点で議論ができるので
ものすごく勉強になります。

医療通訳者の参加はまだ少ないので、
今回は締め切りましたが、演題の提出や学術誌への投稿にも挑戦してくださいね。

プログラムは こちら

私も今年は一般演題を提出しました。
テーマは「医療通訳者と外国人模擬患者(SP)を活用した助産師養成教育における外国人接遇研修」です。
7月23日(土)一般演題「インバウンド」で発表します。

また、昨年からインバウンド委員会の活動がはじまり
中村先生を座長に在住外国人の医療を考える動きが加速化しています。

シンポジウム1 【インバウンド委員会企画】7月23日(土) 10:45-12:15 第1会場

インバウンド医療の未来像:外国人が安心して受診できる病院に変えよう!
ファシリテーター:中村 安秀(大阪大学大学院人間科学研究科)
         村松 紀子(医療通訳研究会(MEDINT))  

1.外国人が安心して受診できる病院
中村 安秀  大阪大学大学院人間科学研究科

2.異なる文化とことばの間で医療通訳をするということ
森田 直美  東京医科大学 人文科学領域英語教室
       多言語社会リソースかながわ(MICかながわ) 

3.国立大学病院での外国人患者診療と海外医療従事者研修の受入れ
吉川 絵里  大阪大学医学部附属病院 国際医療センター
       大阪大学大学院医学系研究科 国際・未来医療学講座

4.遠隔医療通訳の可能性とめざすもの
澤田 真弓  一般社団法人ジェイ・アイ・ジー・エイチ


会場は倉敷の美観地区にあり、観光もできます。
皆さん、ご参加をお待ちしています。
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理解者を増やす

2016-06-19 18:10:51 | 通訳者のつぶやき
当たり前だけど、
医療通訳者だけが外国人医療で心を砕いていると思ったら大間違いです。

病院に行くと、看護師やMSW、薬剤師、検査技師、もちろん医師だって
ほとんどの人たちが何とかしてあげたいと思ってくれています。
私も今まで医療職の人たちに助けてもらいながらだからこそ、通訳ができています。
ただ、病院には「外国人受け入れ」の経験とノウハウがないだけです。
それでも、最近ではどんどん患者さんを受け入れている病院も少しずつ増えてきました。
心強い限りです。

日本の医療は健康保険制度もそうですが、
医療専門職の一人一人の人間力はすごいなあと思うこともあります。

先日、日本看護協会の研修会に行ってきました。

テーマは、病院で治療を受ける外国籍患者・家族への対応
「 日本国内における外国籍患者への医療・福祉制度の現状/文化や医療システムの違いに配慮すべきこと/
事例から考える対応」

看護大学での「国際看護」の授業は
教科書「国際看護学−グローバル・ナーシングへの展開」をお手伝いしたこともあって
いくつか担当させてもらっていますが、
現任者向け研修ははじめてでした。
声をかけてくれた看護部会のSさんに感謝です。

1日の研修でしたが、全国からたくさんの参加者があり、
中には語学が堪能な看護師さんや留学経験のある方もいらっしゃいました。

私が話したのは
病院にくる外国人たちの背景と
在留資格や社会保障制度の確認、
異なる文化への対応、
伝わる日本語での話し方や通訳の使い方です。

ロールプレイにも通訳役として参加しました。

そうしたなかで看護師の人たちの伝える力は普通の人より強いと感じました。
それは、「なんとかしたい」といういわゆる思いの強さの現れだと思います。

看護教育は私の専門ではありません。
でも、実際に病院に行った時
外国人医療を理解している人が一人でもいてくれることは
私たちの仕事がやりやすくなるということでもあります。
ユーザー教育というより、
理解者を増やして、現場での外国人医療を少しでもスムーズにしていきたいという思いです。

医療通訳者として
医療現場で私たちの一番近くにいてくれるのが看護師だと感じます。
看護師の方に医療通訳の役割を理解してもらうこと、
外国人医療を理解してもらうことが
外国人に使いやすい医療の第一歩のような気がしています。

来週は薬学部の講義に行きます。
薬局は特に訪日外国人の最初の医療の窓口だと思っています。
彼らもまた実習先で外国人クライアントにであうことでしょう。
よろしくお願いしたいです。

現場に理解者を増やすことは医療通訳の仕事場の環境を改善することにもつながります。
また、そこから医療者の仕事を学び伝えることも大切な活動です。

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お久しぶりです

2016-06-08 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
前回の投稿から1ヶ月以上がたってしまいました。

5月は少し体調を崩していて、
でも無理やり仕事をこなしていました。

本人としてはヘトヘトな状態だったので、
ブログを書くことができませんでした。

ゴールデンウイークは1週間寝ていたのですが、
なかなか疲れって取れないものですね。

ここ数年、医療通訳や外国人支援が「やりたい活動」「やれる活動」から
「やらなくてはいけない活動」になってきました。
それだけ社会的責任が出てきたということかなあと思います。
それは歓迎すべきことなのですが、
かなりハイペースに仕事と活動をこなしてきたことに気づきました。

今回、本当にありがたいと思ったのは、
同じ医療通訳者仲間の励ましでした。
MEDINTでも皆さん忙しいのに「あとは任せて」「かわりに行くよ」といってくれるメンバー、
話を聞いてくれたり、自分の話をしてくれる通訳仲間、
本当にありがたく、一人で抱え込まなくてもいいんだと思えるようになりました。

医療通訳研修で医療通訳者の自己管理の話しをしながら
自分が一番自己管理しなければ・・・と思ってしまいます。
でも、教科書に書いていない、通訳者ならではの痛みなら
私も同じように経験してきたから、だから自己管理って必要なんだよなと思うのです。

2016年は医療通訳者にとって大きく羽ばたけるかどうかのチャンスです。
外国人患者と家族の人たちの支援の先にあるものを
きちんと制度につなげていけるように、
もうひとがんばりですね!
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医療通訳者が当事者になる日

2016-04-27 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
外国人支援の活動をしていると
特に日本人の立場でやっていると
日常生活に戻れば、困ることがないので
いつでもやめることができるなあと思うことがあります。

それは、どこか傍観者であり
誰かのためにという視点であり、
自分という観点が抜けている活動です。

ただでさえ通訳者は
医療通訳だけをやっているわけではないので、
もっと楽しい通訳を、報酬の確保できる通訳をと考えるのは
当たり前のことです。

また、ボランティアであれば
次々に出てくる新しい課題に目が移ると
この活動をやめても困らない状況にあるために
医療通訳者は増えていかないのだと思います。

なぜ、それが医療通訳者の問題にならないかというと
医療通訳者の議論の中に
医療通訳者自身が当事者として位置づけられていないからです。

外国人医療において医療通訳は「道具」です。
はさみや包丁などの「道具」は意見を言いません。
自分の仕事をきちんとすることが第一です。
ですが、道具は使う人によって力を発揮したり
発揮できなかったりします。
「こうつかえばもっと便利なのに」
「こうつかえば道具は増えていくのに」というのは
実は道具である医療通訳者自身しかわからないことなのです。

医療通訳の議論において
今まで黒子であった医療通訳者を
当事者として位置づけていくことが次の段階にあると思っています。
「このままだと私は嫌だ」と言いませんか。

そろそろ、誰かが何とかしてくれるという待ちの姿勢をやめて、
医療通訳の当事者として一緒に声をあげていきませんか?

今年はそういう年にしたいと思います。
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肺がんサバイバー

2016-04-20 21:19:33 | 通訳者のつぶやき
がん患者さんの通訳につくと、
長いつきあいになります。

治療も生活も生き方も仕事とのかかわり方も
みなさんそれぞれ違います。

今までは家族がいて、
患者と家族にきちんと通訳をつけて説明することで
どうしたいかということを決めることが多かったのですが、
最近は、患者以外にキーマンとなる家族がいないというケースも
少しずつ増えてきています。

母国には連絡したくない。
国に帰りたくない。
日本で治療したい。

バブルの終わりころ、
働き盛りで日本にやってきて
ずっと働き続けていた人が人生の半分を過ごした日本で
治療を受けたいという思いをもつのは不思議なことではないと思います。

海外では治療について様々な選択肢を出してもらって
自分で決めるのが一般的といわれています。
医師の説明は受けるけれど、
その選択肢の中から自分で決めるいうのは
日本人には少し苦手かも知れません。

最近では
拠点病院にがん専門相談窓口があって
看護師や社会福祉士といった専門職が
違った角度から患者に寄り添ってくれます。
とても心強い存在です。

私たち通訳者は
こうした場面では治療したり、相談にのったりはできません。
情報を正確に伝え、患者の希望をきちんとつなぐ。
文化の違いを埋めていくだけです。

ただ、治療方針を決める患者さんの選択に
心のなかはざわざわしても、
こういう生き方もあるのだなと思います。

先日、ETV特集「肺がんサバイバー~余命宣告から6年 命の記録~」を見ました。
映像を記録することが仕事の長谷川さんが
ご自分の肺がんの闘病生活を6年にわたって記録しています。
薬の名前、治療法・・・聞いたことのある単語もでてきます。

時には、医師のアドバイスを聞かない、
自分で納得がいくまで病院を回る、
外科手術をする、
自分で患者団体を立ち上げ、学会で請願をだす。
その前向きな闘病はある意味、誰でもできるものではないと思います。

末期がんだったAさんが
緩和ケアをすすめる医師に本気で怒っていたこと、
主治医をかえる通訳をしたことを思い出しながら見ました。

今週末、再放送があります。
深夜ですが、見逃した方は是非見てください。

ETV特集「肺がんサバイバー~余命宣告から6年 命の記録~」
4月23日(土)午前0時00分~午前1時00分
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259534/


金曜日の夜です。





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医療通訳に必要な自治体の要件

2016-04-13 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
ちょっと前の話ですが、2月27日に岡山で開催された
日本国際保健医療学会に参加しました。

CHARMさんが日本の在住外国人医療についての報告をされるのを
聞きにいったのですが、
その中で地方自治体で医療通訳制度を作るには
どのような要因が必要かという質問がありました。
「在住外国人の数」か「首長の意識の高さ」かという質問でした。

「在住外国人の数」はやはり集住している都市であれば
病院で外国人患者を見かけることも多くなるでしょうし、
病院も外国人患者ケースをたくさん持っており、
医療通訳の必要性を理解してもらいやすいような気がします。

「首長の意識の高さ」ももちろん大切だと思います。
外国人に優しい都市は、いろんな人への配慮にも長けています。
住民としての外国人を大切にしてくれれば、
おのずと何に力を入れるべきかも理解してもらいやすいでしょう

それ以外に、「住民の意識の高さ」も重要だと思います。
通訳をやれる人がいても、
その人たちが医療通訳を選んでくれるかどうかは意識にかかっています。
医療通訳は楽しい通訳ではないけれど必要な通訳です。
その使命感でやってくれる人たちがたくさんいるということと
それを応援してくれる人がたくさんいるということも大切でしょう。

もっといえば、
外国人住民自身が声を上げられるようなシステムになっていること、
必要な施策について提案できるような場所があることも重要でしょう。
医療通訳が必要だと強く思っているのは病院以上に利用者たち本人なのですから。

ひとつの要素ではなく、
いろんな要素が重なって
必ずしも集住していない都市であっても
すばらしい医療通訳制度を実現しているところは日本の中にあります。

制度やシステムは「人」だと思います。

今年はできればそういう都市を訪ねて、
がんばっている人たちと議論したいと思っています。

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ぶつぶつ・・・・

2016-04-06 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
基礎レベルの医療通訳は、
「予想できる内容の通訳」と書きましたが、
診療所やクリニックでの医療通訳が
簡単だというのは大きな誤解です。

原因不明の湿疹に苦しんでいるAさん。
皮膚科を転々としていますが、治りません。
自分の症状やいつから発疹がでているか、
持病の説明、
生活環境の説明、
服薬について、
その他もろもろ思い当たること・・・・。

同じ「ぶつぶつ」でも、
原因を特定するまでにいろんな聞き取りを行います。
医師は病気を特定するまでに、
問診を繰り返したり、薬を試してみたり・・・。
クリニックレベルでの医療通訳の内容は
多岐にわたる場合が多いと感じます。

逆に、紹介状を持っていく病院では、
とりあえず診療科と病気の目処はついています。

医療通訳の難しさは、場所ではなく場面によって違うのだなと思います。

**********************

最近、苦労しているのは
知的障害とまではいかないけれど、
生活に家族や周りの援助が必要な人の通訳です。

本人に日本語で伝わらないだけでなく、
通訳をしても、伝わらない。
わかりやすく言っても伝わらない。

単身で来日している場合は、
この人のことを把握しているキーパーソンもいない。
情報がそれぞれバラバラで、
病気や生活や福祉サービスも分断しており、
把握できるのは本人だけという状況。

もちろん、通訳者も断片的にしか係わり合いがありません。

医師は通訳者に「薬出しときましょうか」と聞きます。
通訳者は本人に聞いてくださいとお願いします。
医師は通訳がいなければ「怖くて診察できないよ」といいます。
通訳者は医療の通訳ができる人は
平日昼間にそんなにごろごろ転がってないってと
心の中で思います。

誰も「この人」を把握していない。できない。
この状況での治療ははっきり言って本当に困難です。

ただ、このようなケースが増えてきているように思います。
医療通訳が「何も足さない」でよかった時代が懐かしく思えます。



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医療通訳における電話通訳のメリット・デメリットについて

2016-03-22 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
「医療通訳は診察室の同席でなければいけない」という話はよく聞きます。

この話を聞いて、「恵まれてるな~」と思います。

私の住む地方都市では、
府県単位を少人数の医療通訳者がカバーしなければいけない現状ですので、
特別なケースを除きとても現場まで行くことはできません。
そこで、登場するのが電話通訳です。

最初に書いておきますが、
電話通訳には熟練とトレーニングが必要です。
最初から誰でもできるわけではありません。
それでも、対面通訳にないメリットがあるので、
今後、日本で医療通訳を制度化するにあたり、
この電話通訳や遠隔通訳の活用をはずすことができません。

今日は、この医療通訳を電話で行う際の
メリットとデメリットをまとめておきたいと思います。

メリット
1:通訳者の交通費がかからない。
通訳者を派遣する場合、その交通費がかかります。
電話通訳なら、現地に行くことがないので、交通費がかかりません。

2:待ち時間が発生しない
電話通訳の多くは病院に行ってから通訳依頼が発生します。
ですので待合室で待つことなく、診察室に入ってから、通訳を始めることができます。
また、だいたいの待ち時間を知ることができるため、その間に準備することが可能です。

3:件数をこなせる
私はスペイン語なので、1日平均5件程度ですが、
もっとメジャーな言語や人数の多い地域なら件数はもっと多いかもしれません。

4:秘密を守りやすいと感じる
あまり知られたくない病気や治療のケースでは
顔の見えない通訳との関係は、後腐れなくつかえるというメリットがあるように感じます。

5:感染症の場合
感染症患者の現場では、通訳者への感染の危険があります。
そのために電話通訳に切り替えます。
新型インフルエンザやSARSのときも電話通訳が活用されました。

6:外からでも問い合わせが可能
予約変更や薬の副作用が出た場合など、患者が外から病院に電話することもあります。
その際に、電話であればトリオフォンシステムを使って3者同時に話をすることができます。

デメリット
1:患者の顔が見えない
患者の顔、表情だけでなく、患部や薬やそういったものが見えません。
「ここ」といわれればそのまま訳しますが、
通訳者には「ここ」が「どこ」なのか見えないまま訳す必要があります。
具体的に言語で表現する医療従事者側のトレーニングが必須となります。

2:対話通訳でなく、ある程度まとめて通訳する
医療通訳の原則は対話を通訳するのですが、
電話の場合、携帯や固定電話であれば電話口がひとつのため、
医療者と患者の間で受話器が行き来することがあります。
そのため、ある程度まとめて通訳する必要があり、
話した内容を漏らさないように、
メモを確実に取るなどの通訳者のスキルが求められます。
ハンズフリー設定で、診察室すべての会話をきくことができる機器であれば
ノイズは増えますが受話器のやり取りはなくなります。
また、受話器のやりとりにおける医療者への感染の危険も減少できます。

3:ユーザートレーニングが必要
一般通訳の利用も慣れていない日本人が多い中、
電話での医療通訳の使い方に、医療者も患者、家族も慣れる必要があります。
また、当然のことですが、目配せやジェスチャーなどは見えません。
通訳者が場所の空気も読みにくいことも確かです。
ユーザーサイドは伝えたいことをすべて的確に「言葉」で伝える必要があります。

ちなみに、2002年のワールドカップのとき、
医療通訳ボランティアの携帯電話を登録して、
24時間対応しようという試みがありましたが、
私は登録しませんでした。
寝ているときや外出中にかかってきたとしても
ベストの状態で、また守秘義務が守れる場所で受けることはできません。
家族と過ごす時間や映画を見ている時間に電話がかかってきても
気持ちよく医療通訳に打ち込むことができないのであれば
受けるべきではないと思います。
医療通訳は片手間にできる通訳ではないことも理解すべきです。
センターのような場所を用意して、守秘義務が守れる環境を用意する必要があります。

先週の倫理の問題にも触れますが、
医療通訳者自身の通訳環境の管理は通訳者自身で行う必要があり
自信をもって通訳できないのであれば、受けないという責任感も必要です。

一人でも多くの患者に医療通訳を使えるように考えたとき、
同席でなければ通訳できないのであれば
救急の対応や遠隔地の少数言語などは対応できないことになります。
しかし、医療通訳を必要としている人は日本中にいます。
医療者、医療通訳者、患者それぞれが電話通訳に慣れることによって、
格段に通訳できる場面は増えるとおもいます。


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「できません」と言わせて

2016-03-15 15:07:25 | 通訳者のつぶやき
医療通訳をやっている人たちの研修に参加すると
本当にいろんな声が聞こえてきます。

医療通訳は、病院派遣の場合
「一人で行って、一人で通訳して、一人で帰ってくる孤独な作業」と
表現した人がいましたが、本当にそう思うことがあります。

看護師や医師のように同じ職種の人たちとカンファレンスしたり、
倫理に関してアドバイスをもらうというような機会はほとんどありません。

日本の医療通訳者には日本独特の「医療通訳者あるある」があります。

でも、今までなかなかそれを共有したり、議論したりする機会がありませんでした。

以前にも書きましたが、
私たちは「道具」だけど、心を持つ「道具」であることをあまり理解されません。
医療通訳の制度を作るとき、
通訳者の意見や仕事のしやすさ、倫理にかかわる問題を無視して作ると、
制度はあっても、それを行使する通訳者が根付かないものになってしまいます。

2011年に医療通訳士協議会では「医療通訳倫理規定」を作りました。

私も策定委員の一人として参加しましたが、
現在、医療通訳倫理のワークをやるときに
この倫理規定に当てはめて考えていくようにしています。
するとワークを重ねれば重ねるほど、よくできた倫理規定だと思います。

ところで、この前文と9つの条項の中で一番私が気に入っているのは、第4条の部分です。

4:業務遂行能力の自覚と対応
医療通訳士は、自己の業務遂行能力について自覚し、
中立性を保てない場合や自らの能力を超える場合は、
適切な対応を講じ、あるいはその業務を断ることができる。

医療通訳を始めた頃
未熟な状況で様々な医療通訳場面に遭遇し、
逃げ出したくてたまらなかったです。

他にできる人がいたら、その人にお願いしたかった。
私にはできませんと断りたかった。
でも、それが正しいことなのかどうかわかりませんでした。
また、患者や家族を前にして、「通訳できません」はとてもじゃないけど言えなかった。

「自己の業務遂行能力の自覚」ということの大切さを
「中立を保てない」「自らの能力をこえる」ということを自分で判断できる力を
適切な対応を行使する能力を
そして、業務を断る勇気をもつことをこの条項では伝えています。

医療通訳士倫理規定はあらためて「医療通訳者を守るために作られた」と実感します。
みなさんも困ったとき、是非一度この条文を読み返してみてください。




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たかが缶コーヒー、されど缶コーヒー

2016-03-07 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
2月末は医療通訳に関する研修が続きました。

全部日帰りなので、
途中から自分がどこにいるのか時々わからなくなりました。
徳島から始まって、JIAMの医療通訳研修、岐阜まで1週間、
いわゆる「インプット」と「アウトプット」が交互にでてくる
「医療通訳漬け」の1週間でした。

2月28日、岐阜県の医療通訳研修にいきました。

ほとんどの方が医療通訳やコミュニティ通訳経験のある方で、
言語もタガログ、中国、ポルトガルの3つでした。

研修内容はいつもだいたい同じなのですが、
さすがに参加者の人たちは実践をしている人たちなので、
鋭い意見や質問、共感できる体験談が出てきます。
講師である私自身、学ぶことの多い刺激的な研修会でした。

特に「医療通訳をして御礼に缶コーヒー(120円相当)をもらうこと」について議論したときは
「もらう」派と「もらわない」派に別れたのは興味深かったです。

いつもはだいたい、教科書どおり「缶コーヒーをもらわない」となります。
ただ、現場ではもう少し複雑なやり取りが展開されるのです。

では、もう少し高いスター○ックスのコーヒーはいいのか?
1000円相当の菓子折りは?
現金は?
そもそも値段の問題なの?・・・・
となっていきます。

私自身もボランティアでついていったあとの
正当な通訳報酬以外の謝礼に関しては今でもとても悩みます。

そして、もらったとき、もらわなかったとき
どちらのケースでも「これはまずかったなあ」という経験をしています。

もらうとそのあと特別扱いを期待されたとか、
喜んでもらっていると、ある日患者にお金がなくなってボランティア依頼できなくなったとか
(そのまま孤独死されたこともあります。お金がないなら何もいらなかったのに・・・。)
でも無邪気にもらっていた自分が情けない。
20年以上前のことだけど、その時から何かをもらうのは断ろうと心に決めました。

でも、もらわないと患者のプライドが傷つくということも
経験しました。
その缶コーヒーには患者の「借りを作りたくない」という気持ちも
含まれていることも理解しなければいけないと感じました。

もし患者側が、医療通訳相当の一部なりを支払えれば
通訳者に報酬を払っているから「借り」と感じないかもしれないと思います。

そうすれば患者がよくない通訳にクレームを出せるかもしれません。
今はボランティアに対しての遠慮があって、
クレームが出しにくいのではないかとも感じることもあるのです。

たかが缶コーヒー、されど缶コーヒー。

1本の缶コーヒーの中には
教科書ではかけないたくさんのことが詰まっていて、
医療通訳者は日々、悩み続けているのです。

今週は京都府の中国帰国者支援の人たちの研修に行きます。
いろんな現場の痛みや悩みを共有できればと思います。
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医療通訳の「基礎レベル」について

2016-02-29 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
先日の医療通訳研修会で、
医療通訳の認証における区分のお話をした際に
具体的なレベルについての質問を受けました。

ここに、私が考える基礎レベルについて書いておきたいと思います。

あくまでも村松の現在時点のイメージであるとご理解ください。


医療通訳士基礎レベル(村松私案 2016.2.29 現在)

「予想のつく内容」の母語での通訳・案内
ある程度日本語のできる外国人患者のアテンド
やさしい日本語や日本語の読み書きの手伝いなど

たとえば・・・・
病院案内
問診票記入手伝い
会計・薬局つきそい(通常ケース)
療養病床
健康診断
4か月検診や3歳児検診(ハイリスクは除く)
予防接種
新生児訪問(ハイリスクは除く)
健康相談

イメージとしては
クリニックレベル(1次医療機関*)での通訳
保健所での通常通訳
健康診断など

*一次医療機関とは
健康管理、予防、一般的な疾病や外傷等に対処して、
住民の日常生活に密着した医療・保健・福祉サービスを提供する機関
開業医などの診療所が主で、一般的な外来、初期医療はここで なされます。
予防接種、健康診断や健康相談などもできます。


こうした通訳業務は「簡単」なものという位置付けてはなく、
より広く必要であり、難しい医療通訳士レベルの扱う通訳との分業が必要だと考えます。


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感情の持続

2016-02-18 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
「どうして、この人を助けてくれないの?」

ずっとこの声を聞いてきました。
医療通訳が探せない現状は、
じわじわ変わってきてはいるけれど
制度ができて、誰でもいつでもが実現しているわけではありません。

そういうことを言う人は、外国人を気の毒だと思っている人。
もちろん、よい人です。
他者を思いやって怒ってくれることはすばらしいことです。

でもそのあと、その怒りの気持ちが継続する人は10人に1人もいないかもしない。
たいていの人は、その場を離れ、家に帰り、
おいしいお酒を飲んだら忘れてしまう。

医者が悪い。

病院が悪い。

ぐずぐずしている支援団体が悪い。

患者だけがかわいそう。

そこまでは、誰でも言えます。
で、「私」はこの状況を変えるために何をするのか、
そこを一緒に考えて欲しいのです。

その人の前から困った人がいなくなっても
問題が解決したわけではありません。
あなたの友人以外にも困っている人はいます。

MEIDNTをはじめたとき、
通訳をしているある人にインタビューをしました。
その人からとても「静かな怒り」を感じました。
その人は通訳者として今でもずっと支援を続けています。
その人は怒りを心の奥に隠していつもニコニコしています。
この人の姿は支援者としての私のお手本です。

なんで、医療現場に医療通訳がいないのか。
いつでも使えるシステムがないのか。
その疑問を感じて、怒りを感じた感情を
明日忘れないでください。
ずっと忘れないで下さい。


ちなみに、誤解のないように書いておくと、
これらの言葉は「誰か」への言葉ではなく、
最近、いろんなことに諦め気味の「私」への喝です。







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周産期の通訳は特別か

2016-02-04 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
精神や感染症といった公権力にかかる通訳は難しいというお話をしました。

だから一般の医療通訳と少し違う通訳技術や知識を使うということで
「専門科目」として考えるのはどうかなと思っています。

以前、精神科の通訳をされている通訳者の方に
「精神科の通訳は一般診療の通訳とは違います!」と言われ、
診察の後に、通訳者と医師のセッションがあるとか、
通訳の仕方についても苦労の多いことを聞きました。

30日のFacilの尼崎で開催されたシンポジウムで
医療通訳の認証について個人的な意見を話す機会がありました。
そこで、認証には一般のものと中級と上級とかあれば
勉強するモチベーションがあがるという話と共に
一般医療通訳とは少し違うものについては、
認証○○とか認定○○のように看護師みたいに特別なトレーニングをして
プラス特別な診療科については別認証をするといいのではないかという意見を述べました。

実は、前の晩まで
その例題として3つくらいあげてみようと思ったので
これを「精神」「感染症」「緩和ケア」と考えていたのですが
直前になって「緩和ケア」を「助産」に変えました。

案の定、会場からそこを質問されました。
助産を別にしているのは、
私自身、周産期の場面での通訳依頼が一番多いことと
「看護師」と「助産師」の役割が違うこと、
患者との距離感が病気とは少し違うことなどを述べ、
Facilの方からも使う制度の違いなどについて指摘がありました。

しかし、そのあと質問者から
「助産の場面は、日常生活の延長なので、なぜ特別なのかと思いました」といわれ
「あ、それが答えだよ」と思いました。

日常に近ければ近いほど、
医療通訳に文化が介入してきます。
言葉についても、「インフルエンザ」や「MRI」なんかは
知っているか知らないかは別として、
外国人でも自分の国でも基本的には同じものです。

治療の仕方や方針については少し違うかもしれませんが、
日本のインフルエンザだけが特別なわけではなく、
ましてやインフルエンザが国によって違うとは思えません。

ただし、インフルエンザに関する考え方が国によって違うという事例は
「実践医療通訳」の中の小笠原理恵先生の章での指摘があります。
目からうろこですので是非ご一読ください!

つまり、日常に近いほど文化が介入してきます。
ましてや出産は本当に国によって考え方が違います。
母体の保護について、体重制限や食べるものについても違うし、
産み方も違うし、子供の予防接種に関する考え方も違う。
つまり、使う言葉は日常の言葉なので、外来語も入ってきていないし、
その人の育ってきた文化がそのまま反映されます。

先日、ある周産期を扱う病院でスタッフ対象の研修会をしたのですが、
外国人当事者の方が、「出産は半分生きてて、半分死んでいるみたいな状態」と
表現していて、出産は病気ではないけれど
本人にとっては命がけなのだということを再認識しました。

そんなこんなで、子供が生まれる場面というのは
医療通訳の立ち位置が少し違うよなあと感じます。

「看護師」と「助産師」が違うようなものかもしれません。

ということで「周産期」場面は医療通訳者にとっても
特別な通訳であることは間違いありません。

もし、私が通訳場面を選べるのだったら
是非、「周産期」の通訳を選びたいですね。
だって「おめでとう!」と言える医療通訳だから。


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