MEDINT(医療通訳研究会)便り

医療通訳の制度化を目指す医療通訳研究会(MEDINT)のコラムです
〜続けていくことこそ難しい〜

医療通訳者が当事者になる日

2016-04-27 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
外国人支援の活動をしていると
特に日本人の立場でやっていると
日常生活に戻れば、困ることがないので
いつでもやめることができるなあと思うことがあります。

それは、どこか傍観者であり
誰かのためにという視点であり、
自分という観点が抜けている活動です。

ただでさえ通訳者は
医療通訳だけをやっているわけではないので、
もっと楽しい通訳を、報酬の確保できる通訳をと考えるのは
当たり前のことです。

また、ボランティアであれば
次々に出てくる新しい課題に目が移ると
この活動をやめても困らない状況にあるために
医療通訳者は増えていかないのだと思います。

なぜ、それが医療通訳者の問題にならないかというと
医療通訳者の議論の中に
医療通訳者自身が当事者として位置づけられていないからです。

外国人医療において医療通訳は「道具」です。
はさみや包丁などの「道具」は意見を言いません。
自分の仕事をきちんとすることが第一です。
ですが、道具は使う人によって力を発揮したり
発揮できなかったりします。
「こうつかえばもっと便利なのに」
「こうつかえば道具は増えていくのに」というのは
実は道具である医療通訳者自身しかわからないことなのです。

医療通訳の議論において
今まで黒子であった医療通訳者を
当事者として位置づけていくことが次の段階にあると思っています。
「このままだと私は嫌だ」と言いませんか。

そろそろ、誰かが何とかしてくれるという待ちの姿勢をやめて、
医療通訳の当事者として一緒に声をあげていきませんか?

今年はそういう年にしたいと思います。
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肺がんサバイバー

2016-04-20 21:19:33 | 通訳者のつぶやき
がん患者さんの通訳につくと、
長いつきあいになります。

治療も生活も生き方も仕事とのかかわり方も
みなさんそれぞれ違います。

今までは家族がいて、
患者と家族にきちんと通訳をつけて説明することで
どうしたいかということを決めることが多かったのですが、
最近は、患者以外にキーマンとなる家族がいないというケースも
少しずつ増えてきています。

母国には連絡したくない。
国に帰りたくない。
日本で治療したい。

バブルの終わりころ、
働き盛りで日本にやってきて
ずっと働き続けていた人が人生の半分を過ごした日本で
治療を受けたいという思いをもつのは不思議なことではないと思います。

海外では治療について様々な選択肢を出してもらって
自分で決めるのが一般的といわれています。
医師の説明は受けるけれど、
その選択肢の中から自分で決めるいうのは
日本人には少し苦手かも知れません。

最近では
拠点病院にがん専門相談窓口があって
看護師や社会福祉士といった専門職が
違った角度から患者に寄り添ってくれます。
とても心強い存在です。

私たち通訳者は
こうした場面では治療したり、相談にのったりはできません。
情報を正確に伝え、患者の希望をきちんとつなぐ。
文化の違いを埋めていくだけです。

ただ、治療方針を決める患者さんの選択に
心のなかはざわざわしても、
こういう生き方もあるのだなと思います。

先日、ETV特集「肺がんサバイバー〜余命宣告から6年 命の記録〜」を見ました。
映像を記録することが仕事の長谷川さんが
ご自分の肺がんの闘病生活を6年にわたって記録しています。
薬の名前、治療法・・・聞いたことのある単語もでてきます。

時には、医師のアドバイスを聞かない、
自分で納得がいくまで病院を回る、
外科手術をする、
自分で患者団体を立ち上げ、学会で請願をだす。
その前向きな闘病はある意味、誰でもできるものではないと思います。

末期がんだったAさんが
緩和ケアをすすめる医師に本気で怒っていたこと、
主治医をかえる通訳をしたことを思い出しながら見ました。

今週末、再放送があります。
深夜ですが、見逃した方は是非見てください。

ETV特集「肺がんサバイバー〜余命宣告から6年 命の記録〜」
4月23日(土)午前0時00分〜午前1時00分
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259534/


金曜日の夜です。





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医療通訳に必要な自治体の要件

2016-04-13 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
ちょっと前の話ですが、2月27日に岡山で開催された
日本国際保健医療学会に参加しました。

CHARMさんが日本の在住外国人医療についての報告をされるのを
聞きにいったのですが、
その中で地方自治体で医療通訳制度を作るには
どのような要因が必要かという質問がありました。
「在住外国人の数」か「首長の意識の高さ」かという質問でした。

「在住外国人の数」はやはり集住している都市であれば
病院で外国人患者を見かけることも多くなるでしょうし、
病院も外国人患者ケースをたくさん持っており、
医療通訳の必要性を理解してもらいやすいような気がします。

「首長の意識の高さ」ももちろん大切だと思います。
外国人に優しい都市は、いろんな人への配慮にも長けています。
住民としての外国人を大切にしてくれれば、
おのずと何に力を入れるべきかも理解してもらいやすいでしょう

それ以外に、「住民の意識の高さ」も重要だと思います。
通訳をやれる人がいても、
その人たちが医療通訳を選んでくれるかどうかは意識にかかっています。
医療通訳は楽しい通訳ではないけれど必要な通訳です。
その使命感でやってくれる人たちがたくさんいるということと
それを応援してくれる人がたくさんいるということも大切でしょう。

もっといえば、
外国人住民自身が声を上げられるようなシステムになっていること、
必要な施策について提案できるような場所があることも重要でしょう。
医療通訳が必要だと強く思っているのは病院以上に利用者たち本人なのですから。

ひとつの要素ではなく、
いろんな要素が重なって
必ずしも集住していない都市であっても
すばらしい医療通訳制度を実現しているところは日本の中にあります。

制度やシステムは「人」だと思います。

今年はできればそういう都市を訪ねて、
がんばっている人たちと議論したいと思っています。

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ぶつぶつ・・・・

2016-04-06 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
基礎レベルの医療通訳は、
「予想できる内容の通訳」と書きましたが、
診療所やクリニックでの医療通訳が
簡単だというのは大きな誤解です。

原因不明の湿疹に苦しんでいるAさん。
皮膚科を転々としていますが、治りません。
自分の症状やいつから発疹がでているか、
持病の説明、
生活環境の説明、
服薬について、
その他もろもろ思い当たること・・・・。

同じ「ぶつぶつ」でも、
原因を特定するまでにいろんな聞き取りを行います。
医師は病気を特定するまでに、
問診を繰り返したり、薬を試してみたり・・・。
クリニックレベルでの医療通訳の内容は
多岐にわたる場合が多いと感じます。

逆に、紹介状を持っていく病院では、
とりあえず診療科と病気の目処はついています。

医療通訳の難しさは、場所ではなく場面によって違うのだなと思います。

**********************

最近、苦労しているのは
知的障害とまではいかないけれど、
生活に家族や周りの援助が必要な人の通訳です。

本人に日本語で伝わらないだけでなく、
通訳をしても、伝わらない。
わかりやすく言っても伝わらない。

単身で来日している場合は、
この人のことを把握しているキーパーソンもいない。
情報がそれぞれバラバラで、
病気や生活や福祉サービスも分断しており、
把握できるのは本人だけという状況。

もちろん、通訳者も断片的にしか係わり合いがありません。

医師は通訳者に「薬出しときましょうか」と聞きます。
通訳者は本人に聞いてくださいとお願いします。
医師は通訳がいなければ「怖くて診察できないよ」といいます。
通訳者は医療の通訳ができる人は
平日昼間にそんなにごろごろ転がってないってと
心の中で思います。

誰も「この人」を把握していない。できない。
この状況での治療ははっきり言って本当に困難です。

ただ、このようなケースが増えてきているように思います。
医療通訳が「何も足さない」でよかった時代が懐かしく思えます。



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医療通訳における電話通訳のメリット・デメリットについて

2016-03-22 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
「医療通訳は診察室の同席でなければいけない」という話はよく聞きます。

この話を聞いて、「恵まれてるな〜」と思います。

私の住む地方都市では、
府県単位を少人数の医療通訳者がカバーしなければいけない現状ですので、
特別なケースを除きとても現場まで行くことはできません。
そこで、登場するのが電話通訳です。

最初に書いておきますが、
電話通訳には熟練とトレーニングが必要です。
最初から誰でもできるわけではありません。
それでも、対面通訳にないメリットがあるので、
今後、日本で医療通訳を制度化するにあたり、
この電話通訳や遠隔通訳の活用をはずすことができません。

今日は、この医療通訳を電話で行う際の
メリットとデメリットをまとめておきたいと思います。

メリット
1:通訳者の交通費がかからない。
通訳者を派遣する場合、その交通費がかかります。
電話通訳なら、現地に行くことがないので、交通費がかかりません。

2:待ち時間が発生しない
電話通訳の多くは病院に行ってから通訳依頼が発生します。
ですので待合室で待つことなく、診察室に入ってから、通訳を始めることができます。
また、だいたいの待ち時間を知ることができるため、その間に準備することが可能です。

3:件数をこなせる
私はスペイン語なので、1日平均5件程度ですが、
もっとメジャーな言語や人数の多い地域なら件数はもっと多いかもしれません。

4:秘密を守りやすいと感じる
あまり知られたくない病気や治療のケースでは
顔の見えない通訳との関係は、後腐れなくつかえるというメリットがあるように感じます。

5:感染症の場合
感染症患者の現場では、通訳者への感染の危険があります。
そのために電話通訳に切り替えます。
新型インフルエンザやSARSのときも電話通訳が活用されました。

6:外からでも問い合わせが可能
予約変更や薬の副作用が出た場合など、患者が外から病院に電話することもあります。
その際に、電話であればトリオフォンシステムを使って3者同時に話をすることができます。

デメリット
1:患者の顔が見えない
患者の顔、表情だけでなく、患部や薬やそういったものが見えません。
「ここ」といわれればそのまま訳しますが、
通訳者には「ここ」が「どこ」なのか見えないまま訳す必要があります。
具体的に言語で表現する医療従事者側のトレーニングが必須となります。

2:対話通訳でなく、ある程度まとめて通訳する
医療通訳の原則は対話を通訳するのですが、
電話の場合、携帯や固定電話であれば電話口がひとつのため、
医療者と患者の間で受話器が行き来することがあります。
そのため、ある程度まとめて通訳する必要があり、
話した内容を漏らさないように、
メモを確実に取るなどの通訳者のスキルが求められます。
ハンズフリー設定で、診察室すべての会話をきくことができる機器であれば
ノイズは増えますが受話器のやり取りはなくなります。
また、受話器のやりとりにおける医療者への感染の危険も減少できます。

3:ユーザートレーニングが必要
一般通訳の利用も慣れていない日本人が多い中、
電話での医療通訳の使い方に、医療者も患者、家族も慣れる必要があります。
また、当然のことですが、目配せやジェスチャーなどは見えません。
通訳者が場所の空気も読みにくいことも確かです。
ユーザーサイドは伝えたいことをすべて的確に「言葉」で伝える必要があります。

ちなみに、2002年のワールドカップのとき、
医療通訳ボランティアの携帯電話を登録して、
24時間対応しようという試みがありましたが、
私は登録しませんでした。
寝ているときや外出中にかかってきたとしても
ベストの状態で、また守秘義務が守れる場所で受けることはできません。
家族と過ごす時間や映画を見ている時間に電話がかかってきても
気持ちよく医療通訳に打ち込むことができないのであれば
受けるべきではないと思います。
医療通訳は片手間にできる通訳ではないことも理解すべきです。
センターのような場所を用意して、守秘義務が守れる環境を用意する必要があります。

先週の倫理の問題にも触れますが、
医療通訳者自身の通訳環境の管理は通訳者自身で行う必要があり
自信をもって通訳できないのであれば、受けないという責任感も必要です。

一人でも多くの患者に医療通訳を使えるように考えたとき、
同席でなければ通訳できないのであれば
救急の対応や遠隔地の少数言語などは対応できないことになります。
しかし、医療通訳を必要としている人は日本中にいます。
医療者、医療通訳者、患者それぞれが電話通訳に慣れることによって、
格段に通訳できる場面は増えるとおもいます。


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「できません」と言わせて

2016-03-15 15:07:25 | 通訳者のつぶやき
医療通訳をやっている人たちの研修に参加すると
本当にいろんな声が聞こえてきます。

医療通訳は、病院派遣の場合
「一人で行って、一人で通訳して、一人で帰ってくる孤独な作業」と
表現した人がいましたが、本当にそう思うことがあります。

看護師や医師のように同じ職種の人たちとカンファレンスしたり、
倫理に関してアドバイスをもらうというような機会はほとんどありません。

日本の医療通訳者には日本独特の「医療通訳者あるある」があります。

でも、今までなかなかそれを共有したり、議論したりする機会がありませんでした。

以前にも書きましたが、
私たちは「道具」だけど、心を持つ「道具」であることをあまり理解されません。
医療通訳の制度を作るとき、
通訳者の意見や仕事のしやすさ、倫理にかかわる問題を無視して作ると、
制度はあっても、それを行使する通訳者が根付かないものになってしまいます。

2011年に医療通訳士協議会では「医療通訳倫理規定」を作りました。

私も策定委員の一人として参加しましたが、
現在、医療通訳倫理のワークをやるときに
この倫理規定に当てはめて考えていくようにしています。
するとワークを重ねれば重ねるほど、よくできた倫理規定だと思います。

ところで、この前文と9つの条項の中で一番私が気に入っているのは、第4条の部分です。

4:業務遂行能力の自覚と対応
医療通訳士は、自己の業務遂行能力について自覚し、
中立性を保てない場合や自らの能力を超える場合は、
適切な対応を講じ、あるいはその業務を断ることができる。

医療通訳を始めた頃
未熟な状況で様々な医療通訳場面に遭遇し、
逃げ出したくてたまらなかったです。

他にできる人がいたら、その人にお願いしたかった。
私にはできませんと断りたかった。
でも、それが正しいことなのかどうかわかりませんでした。
また、患者や家族を前にして、「通訳できません」はとてもじゃないけど言えなかった。

「自己の業務遂行能力の自覚」ということの大切さを
「中立を保てない」「自らの能力をこえる」ということを自分で判断できる力を
適切な対応を行使する能力を
そして、業務を断る勇気をもつことをこの条項では伝えています。

医療通訳士倫理規定はあらためて「医療通訳者を守るために作られた」と実感します。
みなさんも困ったとき、是非一度この条文を読み返してみてください。




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たかが缶コーヒー、されど缶コーヒー

2016-03-07 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
2月末は医療通訳に関する研修が続きました。

全部日帰りなので、
途中から自分がどこにいるのか時々わからなくなりました。
徳島から始まって、JIAMの医療通訳研修、岐阜まで1週間、
いわゆる「インプット」と「アウトプット」が交互にでてくる
「医療通訳漬け」の1週間でした。

2月28日、岐阜県の医療通訳研修にいきました。

ほとんどの方が医療通訳やコミュニティ通訳経験のある方で、
言語もタガログ、中国、ポルトガルの3つでした。

研修内容はいつもだいたい同じなのですが、
さすがに参加者の人たちは実践をしている人たちなので、
鋭い意見や質問、共感できる体験談が出てきます。
講師である私自身、学ぶことの多い刺激的な研修会でした。

特に「医療通訳をして御礼に缶コーヒー(120円相当)をもらうこと」について議論したときは
「もらう」派と「もらわない」派に別れたのは興味深かったです。

いつもはだいたい、教科書どおり「缶コーヒーをもらわない」となります。
ただ、現場ではもう少し複雑なやり取りが展開されるのです。

では、もう少し高いスター○ックスのコーヒーはいいのか?
1000円相当の菓子折りは?
現金は?
そもそも値段の問題なの?・・・・
となっていきます。

私自身もボランティアでついていったあとの
正当な通訳報酬以外の謝礼に関しては今でもとても悩みます。

そして、もらったとき、もらわなかったとき
どちらのケースでも「これはまずかったなあ」という経験をしています。

もらうとそのあと特別扱いを期待されたとか、
喜んでもらっていると、ある日患者にお金がなくなってボランティア依頼できなくなったとか
(そのまま孤独死されたこともあります。お金がないなら何もいらなかったのに・・・。)
でも無邪気にもらっていた自分が情けない。
20年以上前のことだけど、その時から何かをもらうのは断ろうと心に決めました。

でも、もらわないと患者のプライドが傷つくということも
経験しました。
その缶コーヒーには患者の「借りを作りたくない」という気持ちも
含まれていることも理解しなければいけないと感じました。

もし患者側が、医療通訳相当の一部なりを支払えれば
通訳者に報酬を払っているから「借り」と感じないかもしれないと思います。

そうすれば患者がよくない通訳にクレームを出せるかもしれません。
今はボランティアに対しての遠慮があって、
クレームが出しにくいのではないかとも感じることもあるのです。

たかが缶コーヒー、されど缶コーヒー。

1本の缶コーヒーの中には
教科書ではかけないたくさんのことが詰まっていて、
医療通訳者は日々、悩み続けているのです。

今週は京都府の中国帰国者支援の人たちの研修に行きます。
いろんな現場の痛みや悩みを共有できればと思います。
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医療通訳の「基礎レベル」について

2016-02-29 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
先日の医療通訳研修会で、
医療通訳の認証における区分のお話をした際に
具体的なレベルについての質問を受けました。

ここに、私が考える基礎レベルについて書いておきたいと思います。

あくまでも村松の現在時点のイメージであるとご理解ください。


医療通訳士基礎レベル(村松私案 2016.2.29 現在)

「予想のつく内容」の母語での通訳・案内
ある程度日本語のできる外国人患者のアテンド
やさしい日本語や日本語の読み書きの手伝いなど

たとえば・・・・
病院案内
問診票記入手伝い
会計・薬局つきそい(通常ケース)
療養病床
健康診断
4か月検診や3歳児検診(ハイリスクは除く)
予防接種
新生児訪問(ハイリスクは除く)
健康相談

イメージとしては
クリニックレベル(1次医療機関*)での通訳
保健所での通常通訳
健康診断など

*一次医療機関とは
健康管理、予防、一般的な疾病や外傷等に対処して、
住民の日常生活に密着した医療・保健・福祉サービスを提供する機関
開業医などの診療所が主で、一般的な外来、初期医療はここで なされます。
予防接種、健康診断や健康相談などもできます。


こうした通訳業務は「簡単」なものという位置付けてはなく、
より広く必要であり、難しい医療通訳士レベルの扱う通訳との分業が必要だと考えます。


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感情の持続

2016-02-18 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
「どうして、この人を助けてくれないの?」

ずっとこの声を聞いてきました。
医療通訳が探せない現状は、
じわじわ変わってきてはいるけれど
制度ができて、誰でもいつでもが実現しているわけではありません。

そういうことを言う人は、外国人を気の毒だと思っている人。
もちろん、よい人です。
他者を思いやって怒ってくれることはすばらしいことです。

でもそのあと、その怒りの気持ちが継続する人は10人に1人もいないかもしない。
たいていの人は、その場を離れ、家に帰り、
おいしいお酒を飲んだら忘れてしまう。

医者が悪い。

病院が悪い。

ぐずぐずしている支援団体が悪い。

患者だけがかわいそう。

そこまでは、誰でも言えます。
で、「私」はこの状況を変えるために何をするのか、
そこを一緒に考えて欲しいのです。

その人の前から困った人がいなくなっても
問題が解決したわけではありません。
あなたの友人以外にも困っている人はいます。

MEIDNTをはじめたとき、
通訳をしているある人にインタビューをしました。
その人からとても「静かな怒り」を感じました。
その人は通訳者として今でもずっと支援を続けています。
その人は怒りを心の奥に隠していつもニコニコしています。
この人の姿は支援者としての私のお手本です。

なんで、医療現場に医療通訳がいないのか。
いつでも使えるシステムがないのか。
その疑問を感じて、怒りを感じた感情を
明日忘れないでください。
ずっと忘れないで下さい。


ちなみに、誤解のないように書いておくと、
これらの言葉は「誰か」への言葉ではなく、
最近、いろんなことに諦め気味の「私」への喝です。







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周産期の通訳は特別か

2016-02-04 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
精神や感染症といった公権力にかかる通訳は難しいというお話をしました。

だから一般の医療通訳と少し違う通訳技術や知識を使うということで
「専門科目」として考えるのはどうかなと思っています。

以前、精神科の通訳をされている通訳者の方に
「精神科の通訳は一般診療の通訳とは違います!」と言われ、
診察の後に、通訳者と医師のセッションがあるとか、
通訳の仕方についても苦労の多いことを聞きました。

30日のFacilの尼崎で開催されたシンポジウムで
医療通訳の認証について個人的な意見を話す機会がありました。
そこで、認証には一般のものと中級と上級とかあれば
勉強するモチベーションがあがるという話と共に
一般医療通訳とは少し違うものについては、
認証○○とか認定○○のように看護師みたいに特別なトレーニングをして
プラス特別な診療科については別認証をするといいのではないかという意見を述べました。

実は、前の晩まで
その例題として3つくらいあげてみようと思ったので
これを「精神」「感染症」「緩和ケア」と考えていたのですが
直前になって「緩和ケア」を「助産」に変えました。

案の定、会場からそこを質問されました。
助産を別にしているのは、
私自身、周産期の場面での通訳依頼が一番多いことと
「看護師」と「助産師」の役割が違うこと、
患者との距離感が病気とは少し違うことなどを述べ、
Facilの方からも使う制度の違いなどについて指摘がありました。

しかし、そのあと質問者から
「助産の場面は、日常生活の延長なので、なぜ特別なのかと思いました」といわれ
「あ、それが答えだよ」と思いました。

日常に近ければ近いほど、
医療通訳に文化が介入してきます。
言葉についても、「インフルエンザ」や「MRI」なんかは
知っているか知らないかは別として、
外国人でも自分の国でも基本的には同じものです。

治療の仕方や方針については少し違うかもしれませんが、
日本のインフルエンザだけが特別なわけではなく、
ましてやインフルエンザが国によって違うとは思えません。

ただし、インフルエンザに関する考え方が国によって違うという事例は
「実践医療通訳」の中の小笠原理恵先生の章での指摘があります。
目からうろこですので是非ご一読ください!

つまり、日常に近いほど文化が介入してきます。
ましてや出産は本当に国によって考え方が違います。
母体の保護について、体重制限や食べるものについても違うし、
産み方も違うし、子供の予防接種に関する考え方も違う。
つまり、使う言葉は日常の言葉なので、外来語も入ってきていないし、
その人の育ってきた文化がそのまま反映されます。

先日、ある周産期を扱う病院でスタッフ対象の研修会をしたのですが、
外国人当事者の方が、「出産は半分生きてて、半分死んでいるみたいな状態」と
表現していて、出産は病気ではないけれど
本人にとっては命がけなのだということを再認識しました。

そんなこんなで、子供が生まれる場面というのは
医療通訳の立ち位置が少し違うよなあと感じます。

「看護師」と「助産師」が違うようなものかもしれません。

ということで「周産期」場面は医療通訳者にとっても
特別な通訳であることは間違いありません。

もし、私が通訳場面を選べるのだったら
是非、「周産期」の通訳を選びたいですね。
だって「おめでとう!」と言える医療通訳だから。


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医療通訳者の声

2016-01-29 18:03:42 | 通訳者のつぶやき
医療通訳の議論をしているのに、
肝心の通訳者の声が聞こえてこないという声を耳にします。

声を上げにくい状況こそが問題なのだということに
どのくらいの人が気づいてくれているでしょうか。

これは私のイメージですが、
通訳者は組織に属したり群れたりするタイプでなく
一匹狼の職人タイプが多いような気がします。

組織に属していれば別ですが、
フリーであれば通訳技術で評価される専門職です
常に競争にさらされています。

「医療通訳が私のビジネスになれば考える」
というひとが多いのは仕方がないことです。

また、コミュニティ通訳をやっている人は
連携がなければやっていけないので、仲間意識はありますが、
賃金が低いので、学会とか研修会にいくのにも一苦労です。

私がこの活動を始めた頃も、
東京に行かなければいけない、地方の学会で発表しなければいけないというとき
一番問題になったのがお金でした。
東京を往復すれば何日か分の生活費が飛びます。
宿泊などしようものなら、月給の1/3を超えてしまいます。
だとしたら、誰が簡単にシンポジウムに顔を出せるでしょうか?
私が医療通訳の活動ができたのはひとえに円安のお蔭です。
旅費が必要になった時、円安になってくれたのでその差益で交通費を出しました。

その反対に円高になった時は、近場の研修会に行っても懇親会にはいけなくなりました。

最近は、科研にいれてもらえたり、
研究費や研修で呼んでいただけたり、無駄遣いをしなければ、
交通費は何とかなるようになりましたが、
それでも、潤沢なわけではありません。

生活を守りながら医療通訳の制度化にむけての声を上げるのは
医療通訳者にとっては簡単なことではないことを知ってほしいと思います。

皆さんの身近に通訳者がいるはずです。
医療通訳者には言いたいことはたくさんあると思います。
その声を届けられる人が届けてください。
その声をあげられる人があげてください。

医療通訳者自身が動けるようになるのは、
この活動が仕事として安定してからのことになると思います。
それまでは、もっと皆さんの力を貸してください。

明日は尼崎総合医療センターで「医療通訳研修会」があります。
お近くの方は是非おこしください。
詳細は こちら
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医療通訳の難しい診療科

2016-01-15 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
時々、初めてお会いする方に「ブログ見てます」と言っていただくと
すごく恥ずかしいような、じゃ話が速いわと思うような、
複雑な、でもうれしい気持ちになります。

このブログは「グルメ」とか「暮らしに役立つ知識」とかといった
面白いものでも、生活に役立つものでもないので、
読んでいらっしゃる方は「医療通訳オタク(研究者)」か
同じ志の医療通訳者の皆さんくらいと思うのですが、
貴重な時間の中で読んでいただき大変感謝しています。

今日のテーマは医療通訳の難しい診療科です。

私個人の意見を言うと、
医療通訳を始めたころは、「小児科」でした。
患者本人(子ども)が症状を説明することができないうえに
親はパニック状態で、あまり詳細に説明できないこともあります。
「何としても子供の命を」「子供がかわいそう」という思いが強くて
冷静な対応ができなかったり
「なんでもっと早く気付かなかったのか」と自分を責める親御さんの思いに
引っ張られることもありました。

次に、癌治療の患者さんも難しいと感じました。
癌の告知から治療、再発、また治療、再発から余命告知と長い時間のお付き合いになるし、
そのたびに打ちひしがれる患者さんと家族さんを見るのはつらいです。
長期になるとお金の問題も出てきます
通訳者は冷静に第3者の立場ということはわかっていても、
付き合いが長くなると、感情を置いておくことが難しくなってきます。
また、癌はすでに私たちの身近な病気なので、
通訳者自身の家族のなかに癌の治療をしている人がいれば、そのことと重なって複雑な思いになります。

最近は、「精神科(統合失調症)」と「感染症」ですね。
先日阪大のシンポジウムでお会いした感染症の先生にその話をしたときに
「それは隔離や措置入院といった公権力を使う疾患だからです」と言われて
なるほどなあと思いました。
本人の意思とは関係なく、入院をしてもらうように促すためには、
単なる医療用語以上の制度や法を把握しておく必要があります。
本人が「痛い」とか「つらい」といった症状より前に動くこともあるので、
その場合は、日本のやり方や法律についてもきちんと説明することが必要です。

皆さんにとって難しいと感じる診療科はどれですか?
もし、よろしければコメント欄で教えてください。
今後、通訳者研修を行うに当たって、
「教える人がいる診療科」ではなく、
「本当に医療通訳者が学ばなければいけない診療科」はどれなのか
という議論もしなければいけないので、
その参考にできればと思います。

*******************

私の活動する地方では、
一方でNPOによる病院派遣がすすんでいるのですが、
ボランティアベースでやる通訳者や団体は減ってきている気がしてなりません。
90年代の野戦病院状態が再び始まっています。
声があげる余裕がなくなるくらいの疲弊する日々に
いつまでもつかなあという不安が募ります。
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医療通訳の需要と供給について思うこと

2016-01-05 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
新しい年になりました。

阪神淡路大震災以来、
年始の「おめでとう」の挨拶はやめました。
対人支援の活動をしている一人として
どこかに悲しみを抱えている人がいるということを
忘れないでいたいという戒めからです。

また、よく言われますが、年齢を重ねるごとに
時間の感じ方が速くなりますが、
昨年は本当に速かったです。
やるべきことに振り回されながら
なんとかこなした1年でした。

MEDINTの活動やメンテナンスが、
少し滞っているところがあるので
気合を入れなければいけないと思っています。
少し速度を落として、
じっくりと活動に取り組むべき時期ですね。

皆さんのご期待に沿える活動は
なかなかできていませんが、引き続きのご支援をお願いします。

*************************

各地で医療通訳ボランティア登録をされている皆さんから
活動機会が少ないという不安が寄せられます。

活動が必要ないということは
困っていないということだからいいことだと思いたい。

でも、そうでない可能性もあります。
そこを忘れてはならない。
それは需要と供給がうまくあっていない場合です。

医療通訳の必要な時間に稼動できる人がいない。
かなり前に申し込まなければいけないので、急な医療通訳を頼めない。

病院や患者は24時間365日というけれど、それには大きなシステムが必要です。
地方都市では不可能ですので、
実際に稼動するときにできることとの折り合いをつけ、
どこかで線をひかなければいけない悩ましいところです。

もうひとつは、医療通訳のレベルが低いという場合。
日本にきて日が浅い人は別ですが、
80年代、90年代に日本に来ている人はある程度日本語ができます。
その人の日本語と通訳者の外国語を比較したときに
2000年代以降、患者の日本語のほうが優れているケースが散見されました。
医療通訳のレベルが患者に必要なレベルに達しているかは
いくらボランティアといえども、通訳者自身も心しておかなければいけないことです。
単にバイリンガルでは医療通訳はできないということは
様々な場所ですでに確認されています。
医療通訳を受ける以上、患者に信頼されるレベルを常に保つ努力をすることが
私たち医療通訳者に求められるということをいつも覚えておかなければと思います。

需要と供給がうまくいっている上で、
今日も困った人がいないのなら、それは「ほっと」すべきことなのではないでしょうか。

医療通訳は語学練習の場所ではありません。
もちろん、経験をつむことは重要です。
でも、何のために医療通訳を行うのか。
常に患者に視線を向けつづけることが大切だと感じます。

1月には三重県
JIAM多文化マネージャー研修
医療通訳研修会
2月には岐阜県、徳島県、
JIAM医療通訳研修に行きます。
どこかでお会いしたら、声をかけてくださればうれしいです。

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外国人医療費の未収と未払い

2015-12-28 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
外国人医療といつもセットに出てくる「医療費の未収と未払い」の問題。
日本に住んでいる外国人医療を支援している立場から、
「ちょっと違うな」と感じることが多いので、
今日はそのことを少し書きたいと思います。

国民健康保険や社会保険の健康保険に加入できる人(*1)が
未払いになるケースは大きく分けて次の3つかなと思います。
あくまでも私の個人的な印象ということで読んでください。

1:患者が日本の医療制度、社会保障制度を知らない
医療者が在住外国人が日本の医療制度や社会補償制度を使えることを知らない

高額療養費や限度額認定などの制度を知らず、
それが自分に適応されると知らなくて、
とにかく高額になることを恐れて受診をしない人がいます。

たとえば医療費と支払額がごっちゃになっていて、
こんなの払えない!と思い込んでしまう人もいます。
まずはMSWや外国人支援団体に相談してくれればいいのですが、
怖くて払えないと思い込んでしまうこともあります。

日本人も同じですね。

また、最近は少なくなりましたが、
外国人イコール「保険がない」と病院側が思い込んでいたり、
外国人イコール「保険に入れない」と思い込んでいると
適切なアドバイスができないことがあります。

中長期に合法に滞在している在日外国人の人たちは
公的保険の加入することができます。
入っていなければ日本人と同じように
遡って保険料を納めて遡及します。
別表2の在留資格の方は生活保護の医療扶助も準用されます。

未払いだと諦める前に相談をしてください。
何らかの手立てがあることが多いのです。

2:事前に治療費の目安が示されていない。

また、医療費は前交渉という習慣の国も少なくないので、
「こんなに高いの聞いていない!」
「あの検査は無駄だったんじゃないか」という苦情がでることがあります。
これは外国人診療になれている病院であれば
最初に電卓片手に医療費の交渉を行ってから検査や治療をすれば
ある程度の誤解は防ぐことができます。

金融広報中央委員会によると日本の3割の世帯が貯金ゼロというご時世。
外国人の中にも自転車操業の世帯が少なくありません。
中にはクレジットカードを使って
支払いを翌月に延ばす世帯もあります。
日本人だって同じですよね
その場合、クレジットカードが使えれば
取りあえずリボ払いでも分割でも支払いは後でもOKなのですが、
急な医療費に使える現金がないこともあります。
病院がクレジット払いになってくれれば
医療費については、あとで考えることができるので助かるなと思います。
(医療費がなくなるわけではなく、根本的な問題は残るのですが、)

3:この病院には二度と来たくないと思う

「患者さまは外国人」のなかに
でてきたエピソード。
この漫画にでてくる病院(実在します)は保険診療をしていなくて、
全額自費になるのですが、それも了解の上で
ドクターを頼って多くの外国人がやってきます。

ある日、ブラジル人が治療費が高すぎるから払わないといって
受付の人と押し問答になりました。
そこで奥からドクターが出てきて
「わかった。今日はいらない。だけど、二度とこの病院にこないでほしい」
と、言い放ったのです。
その瞬間に患者は二度とこれないのは困るからとすぐ支払いました。
お金がないわけではなかったのでした。

ある病院で医療通訳を置いたら未収が減ったというデータがありました。
もちろん、医療を受けるにあたっての説明がきちんとなされて
治療費も納得の上で治療が受けられたというのもあるかもしれませんが、
その中にまたこの病院に来たいから、
医療通訳を使える病院は自分にとって大切だから
絶対払わなければという損得勘定もちょっとだけ混じっているように感じます。

日本に住んでいる
ほとんどの外国人患者さんは踏み倒そうとは思っていません。
自分にとっては大切な病院ならなおさらです。
ただし、手持ちがないから、制度を使ったり、分割で支払ったり
という工夫が必要なのです。

私が社会福祉士の国家資格をとったのは、
お金のせいで、医療を受けられない外国人患者が多いから。
社会保障制度に適切に結びつかなくて治療を回避して我慢している人が
少なくないという現実を知ってほしいと思います。

一定数の未収が出てくることは日本人でも同じです。
医療通訳を置くことは
少なくとも在日外国人医療においては未収を増やすのではなく、
未収を減らすものなのだと思うのですが、皆さんはいかがですか?


逆に、最近地方でも増えている「訪日外国人」の未払い問題については
制度的になんらかの工夫が必要なのではないかと思います。
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トリックルダウン幻想

2015-12-15 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
12月11日に東京で開催された
大阪大学国際医療シンポジウムGo Global!!7に参加してしました。

様々な取り組みが紹介されて
とても興味深いシンポジウムでしたが
驚いたのは参加者の多くが企業関係の方だったこと。

アウトバウンドについては別の視点ですが、
インバウンドについて、
「医療と健康はビジネスチャンス」ととらえる人たちが多くて
逆に驚きました。

外国人医療支援は、
外国人の医療を受ける権利を守ることと
言語、文化、制度の壁を越えてきちんとした治療を受けられるように
医療者も通訳者もボランティアベースで動いてきました。

それが突然「ビジネスチャンス」といわれても違和感があります。

私は医療者はビジネスだと思って働いていないと思っています。
医療通訳者も患者が第一だと思っています。
これはきれいごとではなく、そういう思いがなければ
医療現場は耐えられないと思うからです。

「ビジネスチャンス」の枠組みで医療通訳が議論されれば、
メディカルツーリズムの患者や富裕層の患者を対象とするか
訪日外国人への日本アピールの材料として使うかになってきます。

そうなれば在日外国人医療における
医療通訳は放置されてしまう懸念があります。

何度も言いますが、
私は医療通訳をビジネスの枠で考えてはいけないと思います。
メディカルツーリズムだけを考える人たちが
在日外国人の医療に目を向けてくれる可能性は薄い。
医療通訳においてはトリックルダウンセオリーは幻想です。

(詳しくは Mネット2015年4月号の拙著「外国人医療における医療通訳のあり方について」をご覧ください)

あくまでも、
日本に暮らす外国人の医療を軸に
その知見をメディカルツーリズム患者や訪日外国人の医療に生かしていくという
構図でなければいけないと思います。

対立を望んでいるわけではありません。
ただ、毅然と医療通訳の役割は何であるのかを考えていなければ
医療通訳者は医療者に尊敬され、一緒に働くものとしてはみてもらえません。

これから医療通訳を議論していくにあたって
その見ている場所に患者がいるかどうかが見分ける鍵になると思っています。


話は変わりますが、私の携帯待ちうけ画面は「太陽の塔」です。
以下は、岡本太郎さんの大好きな言葉


思想はほとんどの場合、社会の情勢とは悲劇的に対立する。
しかし、その対決で世界は充実していく。
それが“思想”なんだよ。
ほんものの思想だったら、情況はどうあれ、
そんなにかんたんにコロコロと変わるものではないはずなんだ。

「強く生きる言葉」 岡本太郎 イーストプレス
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