MEDINT(医療通訳研究会)便り

医療通訳の制度化を目指す医療通訳研究会(MEDINT)のコラムです
~続けていくことこそ難しい~

一年に一冊

2016-09-19 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
以前、本屋さんに「医療通訳の本の棚を作ること」が目標ということを書きました。

単著でも編著でも共著でもいいので
外国人医療に関する書籍がある程度増えていかないと
社会的な認知を得ることができないという考えからです。

もちろん、ネットのほうが手軽に手に入れられるし、
実際に論文などではネットで手に入る論文等のほうが引用が容易です。
ただし、書籍を手に取り線を引いたり付箋を貼ったりしながら、しっかり読み込むことも
とても大切だと思っているし、そういう時間が私はとても好きなのでやはり書籍にこだわります。

いつのころからか、せめて1年に1冊は本にかかわりたいなと思ってきました。
昨年は、「実践医療通訳」という連利博先生と阿部裕先生との編著を上梓しました。

今年は、多文化間精神医学会の皆さんを中心に
野田文隆先生と秋山剛先生を編者とした本に参加させてもらいました。
「あなたにもできる外国人へのこころの支援」 岩崎学術出版社 2016.9

内容は、在住外国人支援の中で「こころの支援」をする際に
医療者、支援者、日本社会の皆さんに知っておいてほしいことが網羅されています。
特に、初学者にもわかるように、ハウツーにも対応できるようになっています。
目次を引用すると・・

はじめに
 パート Ⅰ 知ってほしい:外国人へのこころの支援のイロハ
 パート Ⅱ 立場で違うこころの問題①
1 本人の場合
2 配偶者の場合
3 児童の場合
 パート Ⅲ 立場で違うこころの問題②
1 留学生では
2 難民・難民認定申請者では
3 外国人労働者では
4 国際結婚では
5 中国語精神科専門外来では
 パート Ⅳ こころの支援者や団体を活用するコツ
1 国際交流協会と連携する
2 スクールカウンセラーを利用する
3 医療通訳を使う
4 保健師に相談する
5 精神保健福祉士に相談する
6 心理士に相談する
7 精神科医に相談する
 パート V 医療現場で実際に起こること
 パート Ⅵ 文化的背景を知らないと困ること

私は「医療通訳を使う」の項目を書きました。
在住外国人の精神科支援の場面を通訳できる通訳者は多くありません。
従って、「医療通訳者を探す」ことは結構難しいと感じることもあります。
しかし、家族や子供がやることがよい場面ばかりではありません。
先日書いた「医療通訳を使う」という表現についても賛否両論があると思いますが、
日本社会ではまだ医療通訳以前の問題も多いので
外国人の心の支援におけるコミュニケーションについて広く取り上げました。

私の周りでは「こころの支援」を含む医療通訳場面が少なくありません。
うつや統合失調だけでなく、子供の発達障害や家族の問題、依存症など
たぶん、日本の医療の中で、もっとも解決が難しく、でも一番通訳者を必要としている
分野のひとつだとおもうからこそ、皆さんにも目を向けてほしいと思います。

医療通訳において「精神科は置いておいて・・・」の議論では意味がありません。
患者のつらさは、どちらがつらいと計れるものではないのです。

図書館に頼んでいただければ、
いろんな方の目に留まっていいかもしれませんね。
よろしくお願いします。

今週は湯治で秋田に来ています。
最近では、夏の終わりに身体をリセットしておかなければ
年末まで持たないようになってきました。
ちゃんと休んで、また戻ります。
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2言語優先か、全言語実施か?

2016-09-12 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
日本医療教育財団による「医療通訳技能認定試験」がはじまります。
https://www.jme.or.jp/exam/sb/index.html

これは「技能認定」という形です。

現在、日本の医療機関においては
医療通訳者を使うにあたっての不安として
「この通訳者は信用できるのか」をあげています。
であれば、こうした指標は医療者にとっても
歓迎すべきものなのかもしれません。

ただ、これには心配もあります。

日本のコミュニティ通訳の現場は多言語です。
在住外国人数をみればわかりますが、
英語以外の多言語で構成されています。
ゆえに、いくつかの言語だけが認定されていて
他の言語は認定されていないという不安定な状況が起きるのではないかということです。
認定試験ですので、業務独占とは言いませんが、
名称独占にしても、技能認定されていない言語の通訳者は
いつまでたっても「技能認定されていない」通訳者になってしまう。

そんなことは「技能認定」を作っていらっしゃるかたも理解されていると思いますし、
もちろん、できることからはじめるというのは
何事においても大切なことです。

ただし、外国人支援の現場にいる立場から
外国人患者にとって何が必要かよりも
日本社会にできることを優先してしまうと
それで終わってしまう日本社会の「飽きやすさ」も嫌というほど見ています。

英語と中国語を中心に「技能認定」してしまうと
他の言語通訳者が「偽者」のまま地域に残されてしまうのではないかとの
危惧がどうしても抜けないのです。

また、英語以外の言語は
日本人ではなくネイティブ通訳者が圧倒的に多いために
「試験」の内容にも配慮が必要です。

ただ、箱は開き始めています。
だめだめというだけでは前には進みません。
「技能認定」に反対しているのではなく、
今後、他の言語への配慮がきちんとなされるように強く望みたいと思います。

この状況を見ながら
当事者の皆さんには失礼なたとえかもしれませんが、
北方領土の2島返還と全島返還の議論に似ているなと感じるのは
私だけかもしれませんが・・・。
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バウンダリー(心の境界線)について

2016-09-05 10:42:35 | 通訳者のつぶやき
「医療通訳者」及び「医療通訳ボランティア」研修の中で
必ず問題になるのが、このクライアント(患者、家族)との
「バウンダリー」つまり「心の境界線」についてです。

特に経験の少ない通訳者は
この境界線の引き方でつまづいて、
医療通訳を引き受けられなくなることがあります。

だから、医療通訳者の自己管理の一環として
きちんと「境界線」という概念を自覚しておく必要があります。

20年ほど前の私の話をします。
当時、入管法改正から5年以上経過して、
日系南米人の中には
長引きすぎた出稼ぎで疲れている人たちが多くいました。
また、阪神淡路大震災からも数年たって
街が落ち着いてきた時期でもありました。

Aさんからも最初は相談ということで電話を受けるようになりました。
今のように、在住外国人の精神疾患についての
論文や研究がなかった時代のことです。
だんだん、私もこの人が精神疾患であることに気づきはじめて、
少しずつ信頼関係を作って精神科への受診を促して、受診を始めたある日のこと。
公衆電話からの電話を受けました。

「もう死にたい」

突発的な言葉でしたが、その時どうしていいかわかりませんでした。
もともと、この人がとても孤独であることは理解していました。
一通訳者がこの言葉をどうすればいいのか途方にくれました。
結局、この人にもしものことがあったら
母国の家族に連絡するということを約束して、
二つの電話番号を預かって
そのあと、この人のところに飛んでいきました。
とりあえずその日は落ち着きました。

ちなみに、Aさんは今も元気で暮らしています。

知識のない状態でそれが必死で考えた対応策でした。
今考えても、なんてことをしたのかと思います。

通訳と友人は紙一重、
通訳と支援者も紙一重です。

でも、その紙の境界線をきちんと担保することが
専門職としての通訳者に求められるのです。

私はどうして一人で決めたのでしょうか。
精神科やソーシャルワーカーに知り合いがいなかったからです。
相談すべき団体や仲間がいなかったからです。
そして、何よりも私が動かなくても
他にふさわしい人がいたかもしれないのに、
そのことを知らなかったからです。

私が通訳者としてやらなければいけないことは何か。
もしかしたら、私自身もAさんに依存していたのかもしれません。

団体に所属している人は、団体のルールで
そんな問題も最初からクリアされているといいます。

でも、その団体のルールを決めた時点でも
バウンダリーに苦しんだ通訳者が何人かいて、
みんなにその苦しみを味合わせないためにこのルールを作ったのです。

個人で通訳を受けている人や
団体があっても通訳を守ってくれない、理解してくれない場合は
通訳者が自分で判断しなければいけないケースが今でもあります。

通訳を断るのは簡単でした。
でも、断ることはできなかった。
では、どうすればよかったのか。
それこそが、医療通訳の倫理の中で学ぶべきことなのだと思います。



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医師法19条と医療通訳

2016-08-28 21:40:10 | 通訳者のつぶやき
関西と関東の外国人医療支援をしているグループで
外国人の医療と福祉のハンドブックの改訂版の準備をしています。

医療と福祉関連の外国人支援にかかわる法律や通達など
支援者に知っておいて欲しいことを、
専門のNGOや支援者が書いています。

その医療通訳に関する項目を担当するにあたって、
医療通訳を受ける権利に関する法律って何があるだろうと。

たとえば時々、セミナーなどで聞く医師法19条「応召義務」について
皆さんはどう思いますか?

第一九条 「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、
正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」

これを根拠に外国人の医療を拒んではいけないというがもいます。

でも、私はそれは違うと思います。

医師にのみ、外国人医療の負担を押し付けるのはどうなのか。

今まで、いろんなところで医療通訳を断る時、
「あなたが通訳をやらないならば診ませんよ」
「患者を殺すんですか」
と、言われてきました。
その時は一種の脅迫だよなあと思いました。
通訳できる人が、そこにいるのに通訳しないのは
医療通訳者としてどうなのか。

それと同じことを医師にいうことになるような気がするのです。

誰かが悪いというのは簡単です。
患者の擁護をして医療機関と喧嘩をすることもありました。
でも、それは誰のためにもならないのだということも知っています。

誰かだけの負担や義務から発生する事態は
どこかでほころびが起きるものです。
医療機関だけに「義務」として外国人の診療を押し付けるのは
現実的ではありません。

司法通訳のように
「国語に通じない者に陳述させる場合には,通訳人に通訳をさせなければならない」(刑事訴訟法175条)
という法律があれば、予算もつけて
司法通訳人の人たちは、この法律を根拠に通訳環境についての議論ができます。

でも、医療通訳はそもそも根拠となる法律がないところで議論しています。
法律がなくても、せめて通達があればなあと思うのです。

医療通訳セミナーが終わりました。
こうしたセミナーをやるたびに
医療通訳者は声をあげ、強くなってきているような気がします。
とても頼もしく、まぶしく、うれしく思います。

セミナーの中で
ブログを読んでくれているという方に何人かお会いしました。
本当にありがたいです。

たまにしか更新しないブログに
辛抱強く付き合ってくださりありがとうございます。

もうすこし更新頻度を上げて情報発信できるようにしたいなといつも思うのですが、
これからもおつきあいくださいね。
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コミュニティ通訳の中の医療通訳

2016-08-18 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
ここ15年ほど、ずっと「医療通訳」のことを考えてきました。

でも、私の出発点は外国人支援と
スペイン語でのソーシャルワークで、
その中でも一番大変で言語的な社会資源が少ないのが「医療」分野だったので
「医療通訳」からはじめたのです。

あくまでも心の中では
まず「医療通訳」をと考えてきました。

また、私が「医療通訳」から始めたのは、
日本の担当省庁が医療、司法、行政、教育とそれぞれ分かれているからです。
いわゆる「縦割り」というやつです。

「コミュニティ通訳」のくくりで制度がつくれるのは、
オーストラリアのように「移民を支援する省庁がある」こと、
アメリカのように「移民に関する法律が作れること」が最低条件です。

日本には現在、「移民のため」の省庁がありません。
入国管理局は移民のための省庁ではなく、
あくまでも移民を管理するための機関です。

あえて言えば地方自治体が住民サービスという立場から
「コミュニティ通訳」を考えることができると思いますが、
地方自治体によって地域格差が大きいです。

最近、医療通訳だけを議論していると
思考が引きちぎられるような気がします。

私の興味は、あくまでもその後ろにある「生活」だからです。

病気が治るだけでは、健康は取り戻せない。
元の生活は取り戻せないことが多すぎる。

だから、やっぱり「医療通訳」でなく、
「コミュニティ通訳」の中の「医療」という立ち位置でなければ
なんとなくしっくりきません。

ただ、現実を見ると
「コミュニティ通訳」の制度化を実現させるためには
ユーザー側のニーズや社会的合意、制度を作ることのできる場所が必要で
それに一番近い場所にいるのがあえて言えば医療通訳なのではないかと思います。

全部を一度に実現するのか
まずは実現しやすいものから実現していくのか。
これは戦略的な課題です。

ただ、ユーザーである外国人利用者はどう考えているのだろう。

たぶん、今議論が進んでいる方向と
違う声がでてくるのではないかあと思います。

先日、「手話を生きる」 斉藤道夫 みすず書房を読みました。
最初、やっと図書館で順番がまわってきたから読んだのですが、
付箋だらけになってしまったので、あわてて購入しました。

言語である日本の手話のことを本当に知らなかったんだなあとあらためて認識したし、
音声言語である外国語通訳を考える上でもすごく参考になりました。

ろう者が必要としている手話は本当はどれなのか。
ろう児が必要としている教育はどんなものなのか。

外国語の医療通訳が
本当に利用者である外国人当事者が必要としているものになっているのか。
それを目指すことができているのか。
病院や医師が使い勝手のよいだけのものになっていないか。
あらためて自問自答しています。

8月27日、28日の医療通訳者セミナー、是非いらしてくださいね!
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コミュニケーションの壁を乗り越えるために

2016-08-11 11:56:25 | 通訳者のつぶやき
今週は「やさしい日本語研修」で山梨県の笛吹市役所に行きました。

行きは神戸から名古屋、中央本線経由でいったのですが、
途中岐阜県から長野県に入るあたりの山の美しさは久しぶりに心が洗われる体験でした。

看護職の人や医療職の人たちにやさしい日本語で対応しでもらえれば、
通訳なくても大丈夫なケースも結構あることを伝えてきましたが、
行政の窓口でもそれは同じです。
特に、行政通訳をやっていると、本題以外の言葉が多く、
本当に伝えたいことがぼやけてしまう話し方をする人が少なくないと感じます。
いい意味では「丁寧」なのですが、悪い意味では「伝わらない」ということが起こってきます。
やさしい日本語の使い方のテクニックとともに、文化圏の違う人たちと一緒に暮らすということ、
災害があれば助け合ってともに生き伸びなければいけないことを理解してもらう必要があるのです。

言葉の壁は「気合でいける」ことも結構あると私は思います。
自分の通訳の仕事を減らすような行動ととらえられるかもしれませんが、
特に地方都市では、通訳は限りある資源であるということを知ってほしいと思うのです。
また、やさしい日本語は実は「通訳しやすい日本語」です。
日本では英語以外の通訳者は日本人ではない場合のほうが多くなっています。
通訳者にもわかりやすい日本語を話してもらえれば、通訳ミスを減らすことにもつながります。

地方都市へ行くと、外国人にとっての通訳などの社会資源が少ないかわりに
暖かいご近所や特別扱いしない同僚などがいて
意外と住みやすいなあと感じることもあります。

私は外国人の医療におけるコミュニケーションの問題を
通訳だけで解決しようとは思っていません。
できるだけ通訳を使わなくてもコミュニケーションのとれる手段が普及し、
外国人の状況を理解できるソーシャルワーカーが増え、
日本語の先生や学校の先生、民生委員さんや保護司さん、
いろんな人がそれなりにコミュニケーションを助けてくれれば
暮らしやすくなるのだと思っています。
足りないと言えばどこまでも足りない。
でも、足りない、ダメだと言っていては前へは進みません。
もちろん、必要なところには専門職である通訳者をつける。
でもコミュニケーションの壁はどこからでも理解ある場所から穴をあけていけばいい。
理解者を増やしていく。
その努力をしなければとおもいます。

来週は広島で手話通訳の方々の研修に参加します。
ヤクルト戦もあるので、1年ぶりにズムスタへも応援に行ってきます。
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医療通訳者集まれ~!

2016-08-03 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
先週末は静岡県で開催された相談員の研修会に行ってきました。
外国語の相談員ばかりではなく、
外国親や外国人患者にかかわる日本人ワーカーの人たちも来られていて、
関心の高さを感じました。

いつも思うのは、現場の人たちはみんななんとかしたいと思ってくれているのです。
だけど、なんとかする方法が見当たらない。
外国人相談には「言葉」だけでなく
「制度」や「文化」の違いへの配慮が必要となります。

適切な対応をするためには
同情はいりません。
また、「情熱」だけでなく「知識」が必要です。
ただ、「知識」を得るためには、そのための「情熱」が必要なんですけどね。

夜間にも関わらず多くの方が参加してくださり、
エネルギーをもらうという言葉は陳腐で好きじゃないですが、
ここにも仲間がいるという勇気をもらった気がします。


土曜日には神戸市のユニティ(神戸市の大学連携施設です)で
医療通訳の市民向け公開講座がありました。
神戸市外国語大学と神戸市看護大学の連携講座です。
今回はスペイン語と中国語の講座でしたが、
これからスペイン語をやってみたいという市民の方々が集まってくれました。
私たちにとっても外国人にとっても語学のできる支援者が増えることはありがたいことです。
こうした医療通訳に興味をもってくれる市民の方が増えるようにもがんばりたいと思います。

そこで、お知らせです。

8月27日(土)と28日(日)に東京医科大学にて、「第1回医療通訳者セミナー」を開催します。
これは、医療通訳者の皆さんに集まってもらえるように
医療通訳者目線でプログラムを作成したものです。
私も実行委員会の一人として参加させてもらっています。

とにかく、全国に散らばっている医療通訳者の皆さんが
2日間かけて、仲良くなれるようなセミナーになればいいなあと思っています。
是非、ご参加ください。

開催日:2016.8.27(土)午後と28(日)終日
会場:東京医科大学 新教育研究棟 3階(東京都新宿区西新宿6-7-1)
主催:「医療通訳者セミナー」実行委員会
会費: 5000円(当日払い)

ちらしは こちら

連絡先:tokyomedlab@gmail.com (森田直美)

たくさんの皆様のご参加をお待ちしています。
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通訳者を「使う」

2016-07-26 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
日本渡航医学会の学術集会が終わりました。

私は一般演題の中で、外国人模擬患者を使った接遇トレーニングの
プログラムについてご紹介しました。

助産師教育の話だったので、
医師の多い当学会では少し反応が薄かったのが残念でした。
ただ、毎回挑戦的な演題を出し続ける歯科医のT先生のような方もいらっしゃるので、
学際的な様々な演題を排除せず受け入れる学会の自由な雰囲気は貴重です。

その中で座長をしてくださった公立甲賀病院の井田健先生からご質問をいただきました。

質問は私が説明の中で何度も

通訳の「使い方」
通訳を上手に「使う」

と道具のように通訳を「使う」と表現したことに
違和感があるとのことでした。

長年にわたって、医療通訳についてご意見を述べられ、
ご自分の病院でも医療通訳制度を作られた先生だからこその
ご質問であったと思います。

先生は医療通訳者と医師を結び付けてくださった
私にとっては恩人でもあります。

では、私がこの質問にどう答えたかというと、

まず「ああ、こうしたコメントがもらえる時代になった」のだと
しみじみと感じました。

なぜなら、これまで私は
医療通訳者は心を持った専門職であり
外国人医療においてはチームの一員として
重要な役割を担うことができると主張してきたからです。
つまり、「道具ではないぞ!」という認識です。

医療通訳者の役割として
最近では倫理規定や厚生労働省の教科書などでも
明確にいわれていることです。

それと同時に
私は通訳者としての美学みたいなものを持っています。
「通訳者がいないと思うくらい、コミュニケーションが進む」状態が
私にとっては理想なのです。

スペイン語圏は英語圏の人たちとは違い
日本社会に遠慮しながら生きていると感じます。
通訳を使うことで、彼らがいきいきと自分の主張を述べてくれることが私の喜びでもあります。
だから通訳者がしゃしゃりでるのはあまり格好のよいことではない。
そこにいないのではなく、邪魔をしないということです。

でも、日本社会では、
医療通訳者が邪魔をせずにコミュニケーションが進む現場は
まだまだ少ないです。
だから、姿をあらわさざるを得ない場面があるのですが、
それは医療通訳の使い方が医療者に浸透していないからでもあります。
その課題を解決するための接遇トレーニングなので、
私たち通訳者の役割を理解して、
外国人医療のコミュニケーションのイニシアチブを医療者にも持って欲しいというのが
発表の主旨でした。

その場ではうまく回答できなかったのでここで書いてみました。

最後に司馬遼太郎のエッセイの中に「花器」を表現している一文があります。
私はこの花器のような
花を活けてはじめて花も生き己も生きるような通訳者になるのが目標です。

******************************

ちかごろの花器は、自己主張のアクが強すぎるのではないか。
花器は「用」をはなれて存在しない。
花を活けてはじめて花も生き己も生きるというハタラキが「用」の精神というべきものだが、
若い陶芸家にはこれが満足できないらしい。
花を押しのけて自分を主張しようとする。

司馬遼太郎(薔薇の人 「未生」4-11)
******************************







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こころのしこり

2016-07-12 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
バングラデシュで国際協力のために赴任していた
日本人専門家の方々がテロの犠牲となりました。

まだまだ課題が山積みの国。
貴重な志が消えたことは無念でなりません。

犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。

かつて協力隊を受験したとき
私はバングラデシュを希望していました。
募集説明会で見た要請一覧の
バングラデシュ女性プロジェクトが魅力的で、
だから野菜栽培を選んで農業大学校を受験したのです。

農業大学校1年目の年は不合格でした。
面接で「バングラデシュ以外は行きません」といったのも
ひとつの理由かもしれません。
2年目のときも同じことを聞かれて、
今度はさすがにこれ以上浪人することはままならず
「バングラデシュ以外でも・・・・行きますが」と言って
南米のパラグアイで合格通知が届きました。

それから私の南米とのかかわりが始まるのですが、
今ならバングラデシュでの農業指導は南米よりもはるかに
技術的に難しいものだったことは理解できます。

今回のテロも
テロリストとバングラデシュ人は違う。
このことをしっかり理解しておかなければいけないと思います。

************************

ペルー人の相談支援の仕事をしていて、
私の心の中にひとつのしこりがあります。

1991年の今日7月12日におきたワラル事件です。
JICAの農業試験場で3名の専門家の方々が
テロの犠牲になりました。
お1人は直前までパラグアイの農業試験場にいらした方なので
指導を受けたことがありました。

80年代南米はとても危険でした。

でも、私たちは
国際協力で来ているから、
日本人だから、
現地の人たちに溶け込んで同じ生活をしているから、
「大丈夫」だと思いながら活動をしていました。

でも、ペルーでJICA専門家の方々が標的になった。
これはとても衝撃的でした。

帰国して、スペイン語の相談員をはじめたころ、
多くのペルー日系人たちの来日動機が
「安全」であることをひしひしと感じました。
彼らもまた、危険な状況から安全な場所を求めていたのでした。

テロリストとペルー人は違う。
それは頭でわかっています。

でも、心がなかなか受け付けられない。
「なぜ」犠牲にならなければいけなかったのかという
しこりとして残り続けています。

今日も変わらずスペイン語の相談を受け、通訳をしています。
平和な一日であることを祈って。
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第20回日本渡航医学会へのお誘い

2016-07-04 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
今までは医療通訳者の立場で現場について訴えてきましたが、
これからの流れは、医療通訳者がどのように医療専門職の一員として
今の日本の外国人医療を支える側に立つかに移ってきたと感じます。

MEDINTを作ってからずっと取り組んできたことは
医療職者との相互理解をすすめることであり、
どうしたら日本にいる外国人が安心して受診できる
外国人医療環境を実現できるかということです。

日本渡航医学会に参加し
評議員として活動してきたこともその一環です。

今月、第20回日本渡航医学会学術集会が岡山県倉敷市で開催されます。

学会といえば少し敷居が高いかもしれませんが、
普通では聞けない医療の最先端の話が聞けて、
なんといっても医師や看護師の方々や
研究者の方々と同じ視点で議論ができるので
ものすごく勉強になります。

医療通訳者の参加はまだ少ないので、
今回は締め切りましたが、演題の提出や学術誌への投稿にも挑戦してくださいね。

プログラムは こちら

私も今年は一般演題を提出しました。
テーマは「医療通訳者と外国人模擬患者(SP)を活用した助産師養成教育における外国人接遇研修」です。
7月23日(土)一般演題「インバウンド」で発表します。

また、昨年からインバウンド委員会の活動がはじまり
中村先生を座長に在住外国人の医療を考える動きが加速化しています。

シンポジウム1 【インバウンド委員会企画】7月23日(土) 10:45-12:15 第1会場

インバウンド医療の未来像:外国人が安心して受診できる病院に変えよう!
ファシリテーター:中村 安秀(大阪大学大学院人間科学研究科)
         村松 紀子(医療通訳研究会(MEDINT))  

1.外国人が安心して受診できる病院
中村 安秀  大阪大学大学院人間科学研究科

2.異なる文化とことばの間で医療通訳をするということ
森田 直美  東京医科大学 人文科学領域英語教室
       多言語社会リソースかながわ(MICかながわ) 

3.国立大学病院での外国人患者診療と海外医療従事者研修の受入れ
吉川 絵里  大阪大学医学部附属病院 国際医療センター
       大阪大学大学院医学系研究科 国際・未来医療学講座

4.遠隔医療通訳の可能性とめざすもの
澤田 真弓  一般社団法人ジェイ・アイ・ジー・エイチ


会場は倉敷の美観地区にあり、観光もできます。
皆さん、ご参加をお待ちしています。
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理解者を増やす

2016-06-19 18:10:51 | 通訳者のつぶやき
当たり前だけど、
医療通訳者だけが外国人医療で心を砕いていると思ったら大間違いです。

病院に行くと、看護師やMSW、薬剤師、検査技師、もちろん医師だって
ほとんどの人たちが何とかしてあげたいと思ってくれています。
私も今まで医療職の人たちに助けてもらいながらだからこそ、通訳ができています。
ただ、病院には「外国人受け入れ」の経験とノウハウがないだけです。
それでも、最近ではどんどん患者さんを受け入れている病院も少しずつ増えてきました。
心強い限りです。

日本の医療は健康保険制度もそうですが、
医療専門職の一人一人の人間力はすごいなあと思うこともあります。

先日、日本看護協会の研修会に行ってきました。

テーマは、病院で治療を受ける外国籍患者・家族への対応
「 日本国内における外国籍患者への医療・福祉制度の現状/文化や医療システムの違いに配慮すべきこと/
事例から考える対応」

看護大学での「国際看護」の授業は
教科書「国際看護学−グローバル・ナーシングへの展開」をお手伝いしたこともあって
いくつか担当させてもらっていますが、
現任者向け研修ははじめてでした。
声をかけてくれた看護部会のSさんに感謝です。

1日の研修でしたが、全国からたくさんの参加者があり、
中には語学が堪能な看護師さんや留学経験のある方もいらっしゃいました。

私が話したのは
病院にくる外国人たちの背景と
在留資格や社会保障制度の確認、
異なる文化への対応、
伝わる日本語での話し方や通訳の使い方です。

ロールプレイにも通訳役として参加しました。

そうしたなかで看護師の人たちの伝える力は普通の人より強いと感じました。
それは、「なんとかしたい」といういわゆる思いの強さの現れだと思います。

看護教育は私の専門ではありません。
でも、実際に病院に行った時
外国人医療を理解している人が一人でもいてくれることは
私たちの仕事がやりやすくなるということでもあります。
ユーザー教育というより、
理解者を増やして、現場での外国人医療を少しでもスムーズにしていきたいという思いです。

医療通訳者として
医療現場で私たちの一番近くにいてくれるのが看護師だと感じます。
看護師の方に医療通訳の役割を理解してもらうこと、
外国人医療を理解してもらうことが
外国人に使いやすい医療の第一歩のような気がしています。

来週は薬学部の講義に行きます。
薬局は特に訪日外国人の最初の医療の窓口だと思っています。
彼らもまた実習先で外国人クライアントにであうことでしょう。
よろしくお願いしたいです。

現場に理解者を増やすことは医療通訳の仕事場の環境を改善することにもつながります。
また、そこから医療者の仕事を学び伝えることも大切な活動です。

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お久しぶりです

2016-06-08 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
前回の投稿から1ヶ月以上がたってしまいました。

5月は少し体調を崩していて、
でも無理やり仕事をこなしていました。

本人としてはヘトヘトな状態だったので、
ブログを書くことができませんでした。

ゴールデンウイークは1週間寝ていたのですが、
なかなか疲れって取れないものですね。

ここ数年、医療通訳や外国人支援が「やりたい活動」「やれる活動」から
「やらなくてはいけない活動」になってきました。
それだけ社会的責任が出てきたということかなあと思います。
それは歓迎すべきことなのですが、
かなりハイペースに仕事と活動をこなしてきたことに気づきました。

今回、本当にありがたいと思ったのは、
同じ医療通訳者仲間の励ましでした。
MEDINTでも皆さん忙しいのに「あとは任せて」「かわりに行くよ」といってくれるメンバー、
話を聞いてくれたり、自分の話をしてくれる通訳仲間、
本当にありがたく、一人で抱え込まなくてもいいんだと思えるようになりました。

医療通訳研修で医療通訳者の自己管理の話しをしながら
自分が一番自己管理しなければ・・・と思ってしまいます。
でも、教科書に書いていない、通訳者ならではの痛みなら
私も同じように経験してきたから、だから自己管理って必要なんだよなと思うのです。

2016年は医療通訳者にとって大きく羽ばたけるかどうかのチャンスです。
外国人患者と家族の人たちの支援の先にあるものを
きちんと制度につなげていけるように、
もうひとがんばりですね!
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医療通訳者が当事者になる日

2016-04-27 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
外国人支援の活動をしていると
特に日本人の立場でやっていると
日常生活に戻れば、困ることがないので
いつでもやめることができるなあと思うことがあります。

それは、どこか傍観者であり
誰かのためにという視点であり、
自分という観点が抜けている活動です。

ただでさえ通訳者は
医療通訳だけをやっているわけではないので、
もっと楽しい通訳を、報酬の確保できる通訳をと考えるのは
当たり前のことです。

また、ボランティアであれば
次々に出てくる新しい課題に目が移ると
この活動をやめても困らない状況にあるために
医療通訳者は増えていかないのだと思います。

なぜ、それが医療通訳者の問題にならないかというと
医療通訳者の議論の中に
医療通訳者自身が当事者として位置づけられていないからです。

外国人医療において医療通訳は「道具」です。
はさみや包丁などの「道具」は意見を言いません。
自分の仕事をきちんとすることが第一です。
ですが、道具は使う人によって力を発揮したり
発揮できなかったりします。
「こうつかえばもっと便利なのに」
「こうつかえば道具は増えていくのに」というのは
実は道具である医療通訳者自身しかわからないことなのです。

医療通訳の議論において
今まで黒子であった医療通訳者を
当事者として位置づけていくことが次の段階にあると思っています。
「このままだと私は嫌だ」と言いませんか。

そろそろ、誰かが何とかしてくれるという待ちの姿勢をやめて、
医療通訳の当事者として一緒に声をあげていきませんか?

今年はそういう年にしたいと思います。
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肺がんサバイバー

2016-04-20 21:19:33 | 通訳者のつぶやき
がん患者さんの通訳につくと、
長いつきあいになります。

治療も生活も生き方も仕事とのかかわり方も
みなさんそれぞれ違います。

今までは家族がいて、
患者と家族にきちんと通訳をつけて説明することで
どうしたいかということを決めることが多かったのですが、
最近は、患者以外にキーマンとなる家族がいないというケースも
少しずつ増えてきています。

母国には連絡したくない。
国に帰りたくない。
日本で治療したい。

バブルの終わりころ、
働き盛りで日本にやってきて
ずっと働き続けていた人が人生の半分を過ごした日本で
治療を受けたいという思いをもつのは不思議なことではないと思います。

海外では治療について様々な選択肢を出してもらって
自分で決めるのが一般的といわれています。
医師の説明は受けるけれど、
その選択肢の中から自分で決めるいうのは
日本人には少し苦手かも知れません。

最近では
拠点病院にがん専門相談窓口があって
看護師や社会福祉士といった専門職が
違った角度から患者に寄り添ってくれます。
とても心強い存在です。

私たち通訳者は
こうした場面では治療したり、相談にのったりはできません。
情報を正確に伝え、患者の希望をきちんとつなぐ。
文化の違いを埋めていくだけです。

ただ、治療方針を決める患者さんの選択に
心のなかはざわざわしても、
こういう生き方もあるのだなと思います。

先日、ETV特集「肺がんサバイバー~余命宣告から6年 命の記録~」を見ました。
映像を記録することが仕事の長谷川さんが
ご自分の肺がんの闘病生活を6年にわたって記録しています。
薬の名前、治療法・・・聞いたことのある単語もでてきます。

時には、医師のアドバイスを聞かない、
自分で納得がいくまで病院を回る、
外科手術をする、
自分で患者団体を立ち上げ、学会で請願をだす。
その前向きな闘病はある意味、誰でもできるものではないと思います。

末期がんだったAさんが
緩和ケアをすすめる医師に本気で怒っていたこと、
主治医をかえる通訳をしたことを思い出しながら見ました。

今週末、再放送があります。
深夜ですが、見逃した方は是非見てください。

ETV特集「肺がんサバイバー~余命宣告から6年 命の記録~」
4月23日(土)午前0時00分~午前1時00分
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259534/


金曜日の夜です。





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医療通訳に必要な自治体の要件

2016-04-13 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
ちょっと前の話ですが、2月27日に岡山で開催された
日本国際保健医療学会に参加しました。

CHARMさんが日本の在住外国人医療についての報告をされるのを
聞きにいったのですが、
その中で地方自治体で医療通訳制度を作るには
どのような要因が必要かという質問がありました。
「在住外国人の数」か「首長の意識の高さ」かという質問でした。

「在住外国人の数」はやはり集住している都市であれば
病院で外国人患者を見かけることも多くなるでしょうし、
病院も外国人患者ケースをたくさん持っており、
医療通訳の必要性を理解してもらいやすいような気がします。

「首長の意識の高さ」ももちろん大切だと思います。
外国人に優しい都市は、いろんな人への配慮にも長けています。
住民としての外国人を大切にしてくれれば、
おのずと何に力を入れるべきかも理解してもらいやすいでしょう

それ以外に、「住民の意識の高さ」も重要だと思います。
通訳をやれる人がいても、
その人たちが医療通訳を選んでくれるかどうかは意識にかかっています。
医療通訳は楽しい通訳ではないけれど必要な通訳です。
その使命感でやってくれる人たちがたくさんいるということと
それを応援してくれる人がたくさんいるということも大切でしょう。

もっといえば、
外国人住民自身が声を上げられるようなシステムになっていること、
必要な施策について提案できるような場所があることも重要でしょう。
医療通訳が必要だと強く思っているのは病院以上に利用者たち本人なのですから。

ひとつの要素ではなく、
いろんな要素が重なって
必ずしも集住していない都市であっても
すばらしい医療通訳制度を実現しているところは日本の中にあります。

制度やシステムは「人」だと思います。

今年はできればそういう都市を訪ねて、
がんばっている人たちと議論したいと思っています。

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