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森史朗著『特攻とは何か』を読む

2007年08月20日 | 折々の読書
毎年この時期に読む戦争を考える本。今年は特に重く暗いテーマの本になった。炎暑の時季には普段は読まない大戦関連の本を読み,戦争があったことを振り返り,現在を見つめているのだが(多分(笑))...

この本は,数多くの特攻関係でも特攻を命じた側に軸を置いて書かれた本としてユニーク。また,実際に生存している当事者に取材を行っているので信頼性が高い。戦争・特攻経験者が高齢化し少なくなっているわけだから,その意味でもこの本は貴重と言えるだろう。

「特攻の創始者」とされる大西瀧治郎海軍中将。彼が第一航空艦隊司令長官としてフィリピンに赴任したことが特攻作戦の始まりとされるが,実際には他にも特攻を唱道するものはあったようで,劣勢を特攻攻撃により何とか挽回したいという儚い希望が(というか足掻きか)醸成され,大西中将がその象徴となったような流れではないだろうか。その彼ですら,決断するまでには長い間懊悩しており,強制命令を下すことによる士気の低下をしきりと心配している。命令よりも若い搭乗員が手を挙げるのを待つのがよいと考えている。これはどう解釈したらよいのであろうか。命令一下で動くはずの軍隊が,自主的な行動を称揚しているとも受けとれる。これは日本の軍隊組織の複雑さなのだろうか。

特攻。ご存知のとおり,軍用機が爆弾を抱えたまま敵の艦船に体当たりして損害を与えようとする戦法。生還を期さない必死の戦闘方法である。日本の在フィリピン航空戦力は圧倒的な米軍艦隊,航空部隊に叩かれ,まったく歯が立たない。そこで考案されたのが零式戦闘機などに250kg程度の爆弾を吊り下げパイロットもろとも敵艦(特に航空母艦)に突っ込む作戦である。しかし,そんなことで戦況が好転するわけもない。希望的観測と独善が蔓延していたのだろう。これは末期的症状以外の何ものでもないではないか。

命令のまま,あるいは信念から敵艦に突っ込んでいった若い特攻隊員が哀れである。そして,その命令を出した者もあるいは戦死し,あるいは暗い過去を背負って余生を生きなければならない。
特攻戦死者は4,300名余。日本を造るはずだった多くの若い搭乗員の命が喪われた。それから62年。経済的には復興した日本。その国の自殺者は年間30,000人を超えるという。(合掌)

■森史朗著『特攻とは何か』(文春新書515),文藝春秋,2006年7月


2 コメント

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夏になると (かんちゃん)
2007-08-21 10:23:21
 毎年、夏になると思い出しますよね。
この季節限定でしか思い出さないってそれだけ幸せな事なんでしょうね。
 独身の頃、今の奥様(昔の奥様とかは居ませんよ)や友人達と広島県の江田島旧海軍兵学校の教育参考館を見学させて貰った事があります。
人間魚雷『回天』等も展示してありましたし、今から特攻に行く人たちが書かれた小さな小さなハンカチや紙に両親や家族宛てに書かれたものも展示して有りました。
 見学を終えて出てくる頃には泣いていない人は居ませんでした。

彼らが命を賭して守ろうとしてくれた未来を私は本当に大切に使っているのかと思うと胸が痛くなります。 
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どこまで平和か (isis)
2007-08-21 21:21:40
かんちゃん,

コメントありがとうございます。
戦争について考えるのも特攻となると深刻になります。特攻隊を含め,戦争の犠牲者には手を合わせる他はありません。

でも,現代が平和かというとどうなのか。。。各地で戦争は起こっているし,その戦争自体も様変わりしていて手が付けられない。。。平和な国でも経済的戦争,企業の合併合戦,倒産,雇用不安と戦争状態があります。

でも,それでも生きていた方がいいですよね。しっかり練習しようではありませんか(笑)。
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