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チェロローグへようこそ! 万年初心者のひとり語り、音楽や身の回りのよしなしごとを気ままに綴っています。

『牧野富太郎自叙伝』

2023年03月06日 | 折々の読書



4月からのNHK朝ドラが牧野富太郎(1862-1957)がモデルというので、参考にしようと図書館から借りました。私自身は、ネジバナ以外に植物には興味のない人間ですが、牧野富太郎には興味があったので、これを機会に知ろうと思ったわけです。


一読して、牧野の植物愛に圧倒されました。この方は植物以外に何もないといってよいです。植物研究のために家の金を使い尽くします。おとなしい、地道な研究者肌の人と思っていただけに驚きました。

高知の古い酒屋に生まれ、両親とは幼いうちに死別します。少年の頃から植物を追って山野を駆け回っていたというので、この辺がその後の生涯を決定づけたのでしょう。

牧野の学歴は小学校を「いつとはなしに退学」でしたが、そこは江戸末・明治初期という時代、藩の学校で学び、私塾では英語も学習して、基本的には十分以上の基礎学力を得ていたようです。 いえ、明治時代としては恵まれた学習環境だったでしょう。
もっと言えば、社会のあらゆることが揺籃期であり、今までの格式や習慣によらないことが起こり始めていたのだと思います。図らずも多様性に富んだ時代だったのか混乱の時代だったのかは分かりませんが、牧野にとっては、苦しい時代があったとしても、活躍ができた舞台であったと思います。


そんな時代だったからこそ彼は東大の植物学教室に出入りし、研究ばかりでなく植物系の雑誌まで創刊します。力を大いに発揮できたわけですし、社会へ貢献できたのです。しかしながら、世の中にはいろいろな人がいます。アカデミズムもそうであり、やがて、牧野は教授から妬まれるようになり大学を追い出されます。

牧野は植物採集や旅行にも家の金を惜しみなく使いました。
話が飛びますが、牧野の東京旅行には当時の社会や交通状況が如実に写し出されています。
先立って送別会が行われ、元番頭などを伴って実家を出ます。高知から汽船で神戸へ、京都までが汽車、そこからは歩いて四日市、そこから外輪船で横浜に着き鉄道で東京入りという道中です。鉄道開通直後の水運が栄えていた頃の日本の姿が図らずも記録されています。

実家が傾くと貧乏生活を余儀なくされます。それでも植物への愛は変わりません。借金を繰り返し支援者の援助も得て研究と植物誌や雑誌の刊行を継続しました。寿衛子夫人もそんな夫を支えました。牧野は発見した新種の笹にスエコザサ Sasaella ramosa var. suwekoana と命名しその名を残しました。

これからは山野に出るにはよい季節です。高い山は無理でも里山辺りを植物を愛でながら歩いてみたいものです。


[牧野富太郎著]『牧野富太郎自叙伝』(人間の記録4)、日本図書センター、1997年2月刊.※底本は『牧野富太郎自叙伝』(1956年、長嶋書房)による。


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