Nicaragua debe sobrevivir・・・「ニカラグアは生き続けなければならない」。
意味もわからないまま、頭の片隅に置いてきたスペイン語の一文。
縁あってその言語を勉強している私は、今ではもう意味もわかるし、その言葉が言われた頃に、ニカラグアで起きたことも知っている。
そして今、ニカラグアの歴史が再び動き始めたことも。
私の手元に、1本の古いカセットテープがある。
知人の知人の知人・・・あたりに、ニカラグア連帯運動に関わっている人がいて、支援のための物資販売に協力して代わりにもらったものだ。
ちなみにカンパ込みで買ったのは、なぜかキューバのラム酒だった。
グレープフルーツに何滴かたらして、南国の香りを楽しんだ(ゴメンナサイ。マダ未成年デシタ)。
カセットには、1984年、ニカラグア革命5周年記念集会の模様が収録されている。
雑音の中、ニカラグア国歌が流れ、続いて、1人のリーダー役の声に続けて民衆が同じメロディで繰り返す。ケースに添えられたメモには、「ニカラグア革命5周年記念集会ー30万人が歌う憲法」と書かれていた。
続いて、ダニエル・オルテガ大統領(当時40才)の演説が始まる。
ネットとは面白いもので、この場に居た人が、その模様をレポートしているページを見つけた。
以下、「自由が死か ニカラグア」より抜粋。
フォンセカ記念スタジアムにアナウンスが響きわたった.場内は一斉にしずまり返る。ファンファーレに続いて国歌とサンディニスタ賛歌の斉唱だ。すさまじい音の圧力が地響きをたてるように体を包みこむ。
「前座」もなく、いきなりオルテガ政府評議会議長が演壇に立つ。やせて猫背で、一見したところは余り風采のあがらない男だ。カストロがキューバ国民に一種のスター的人気を集めているのに較べると、ちょっと頼りない印象を抱かせる。
一語一語をゆっくり切って話し始める。やや甲高い声だ。詩の朗読でもするように語尾をのばして大時代なロぶりである。後で英語のテキストをみても、まるでシェイクスピア劇のセリフのようだ。例えば出だしはこうだ。
「五年前,われわれは勝利をおさめ悪夢の王国を葬り去った。五年前、鳥の歌が夢と希望の王国の勝利を告げた。五年前、鐘が鳴り渡り、ライフルと機関銃が鳴り響き、自由ニカラグアの誕生という嬉しい知らせが伝えられた」
まずはレーガンの「非常事態」をめぐる反共デマ攻撃に対する反撃だ。
アメリカの本格的侵攻開始以来の三年間で、ニカラグア国民の犠牲者が七千三百十九人、損害額が二億ドル余りであること明らかにした。そして現在の非常事態について誰がそうさせているのか、何故そうせざるを得ないのか、小国ニカラグアのせつない立場を諄々と訴えた。
続いて注目される選挙の問題に移った。79年の革命以来国政選挙は一度も行われていない。そのことが「ニカラグアに民主主義はない」とするレーガンの最大の攻撃ポイントになっていた。オルテガは,たとえ非常事態の中でも選挙はやる、そして選挙活動の自由は最大眼に保証するとのべた。デモと集会の完全な自由、軍事機密を除く検閲の全面解除、旧ソモサ軍政治犯の恩赦が宣言された・・・
この頃はまだネットもない時代で、ニカラグアがその後、どうなったのかわからないまま長い時間が過ぎた。
そして、ニカラグアは、いつの間にか親米国家になっていた。
この間のことは「Wikipedia」や「ニカラグア革命史」で確認することが出来る。
サンディニスタ革命は、反革命勢力(コントラ)を支援するアメリカの実質的武力干渉の前に、停戦のための妥協を余儀なくされ、コントラのテロ攻撃に疲弊したサンディニスタ革命は、一時、その歩みを止めた。
90年2月に行われた大統領選挙では、世界の超大国を相手に闘い、和平をかち取ったサンディニスタは楽観的に選挙に臨んだものの、対立候補のUNOのビオレータ・チャモロに完敗したのである。
しかし、この11月5日、ダニエル・オルテガは再び新しく大統領に選ばれた。
79年のサンディニスタ革命から今日に至る小国の歩みの過酷さ、再び歩み出したサンディニスタの強さには感服する。
サンディニスタに愛された革命歌「ノーパサラン」、私も若い日に口ずさんだあの歌は、今も彼らの中に生きているだろうか。
オルテガ政権のこれからの歩みとともに、気になっている
ノーパサラン(No pasaran)=直訳:「通すな」
ともに歌おう
いまたたかうときだ
歌声、ひびかせつづけよう
自由の武器から束となって
わきでる心いだいて
ともに歌おう
いまたたかうときだ
ぼくらのとりできずこう
裏切る者らに打ち勝とう
勇気と武器の力で
汗にまみれ勝ちとる
ニカラグアの明日を
ノーパサラン
勝ちとろう勝利、ノーパサラン
鳥が歌い子どもが笑う
新しい朝はそこだ
僕らひきさかれても君に誓う
ノー ノーパサラン