Casa de Celia

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「頸肩腕症候群」

2007-02-01 | Monologo(独り言)

 ホットブログに紹介された「頸肩腕症候群との日々」を読んで、少し驚いた。

 そっか。頸肩腕症候群って、意外に知られてないんだ・・・。

 労働運動が華やかなりし頃――というのは、さすがの私もよく知らない。
 ただ、その時代に起きたことが周囲で語られていた時代と、多少カブっている。
 「頸肩腕症候群」も、その当時、聞いた言葉である。

 当時、労働組合の課題として取り上げられていた労災・職業病は炭鉱労働者のCO中毒、山林で働く人がチェーンソーの振動によって指先の毛細血管が破壊され血が巡らなくなる「白ろう病」、そしてもう一つが、この「頸肩腕症候群」であった。略称、ケイワンと言われ、電電公社(今のNTT)で交換業務に就いていた若い女性たちが多く罹病した。
 当時の電電公社の労働組合は最強無敵だったらしいが、頸肩腕症候群が職業病として認識されたのは不幸にして一人の女性の自殺がきっかけだった。
 多分、70年代半ば――だから詳しくは知らないが、確か名前は鈴木千恵子さん。23才の彼女は、ケイワンの痛みに耐えかねて、5月のある日、福島県の猪苗代湖に入水自殺をしたという。
 ブログにも書かれているとおり、頸肩腕症候群の辛い症状は本人以外、医者でさえわからない場合が多い。いくら「キツイ、ツライ」と言ってもわかってもらえない以上、逆に心ない対応をされて傷つくのを恐れ、我慢していた人も多かったそうだ。それが、彼女の自殺をきっかけに、罹病者たちは口を開き始めた。労働組合もその声を取り上げ、「ケイワン闘争」として公社を相手に労働軽減や勤務時間の短縮を勝ちとっていった。
 その当時、彼女たちの声をもとに幾つか歌も創られた。
 組曲「五月の湖」もその一つ。
 若い頃に一度聞いただけで、残念ながらところどころしか覚えていない。

  ・・・夏来れば水ぬるむ、みずうみ、みずうみ
 今年も五月はきた 今年も五月はきた

 みずうみの 底深く すすり泣く声
 かすかに聞こえた気がして
 振り返る 振り返る 五年の月日
 あなたの名前を思い出す私

 今年もおまえに五月はきたぞ
 今までおまえは何をしていたのか
 職場の仲間の身体は良くなったか
 それでは彼女も浮かばれはしまいさ
 それでは彼女も浮かばれはしまいさ・・・

 罹病者が発生した当時、公社の幹部が涙ながらに謝罪したというが、時間が経てば人の気持ちも状況も変わってくる。何人もの罹病者が勤務軽減され、他の人に仕事が加重に回される中、ケイワン罹病者は職場で邪魔者扱いされていった。
 最強無敵を誇った労働組合も、公社側が役員選挙に末端の職制を立候補させ、結果ドミノのように切り崩されていった。
 公社に半ば乗っ取られた労働組合は「ケイワン」という言葉を封印した。前述の「五月の湖」は歌ってはいけない歌とされ、作曲者(組合役員だったそうだ)も自らこの作品を否定した。また、罹病者に対し一人ひとりに「完治を宣言せよ」と迫った。休みの日に買い物にでかけても、家族と旅行に行っても、気晴らしに編み物をしても、見つかれば、「もう完治してるんだろう」と、公社より先に労働組合に詰められた、という。

 まだ子どもだった私は、罹病者からそんな話を聞いて、何で辞めないんだろう、と思っていた。
 どうして?と無邪気に聞いたこともある。
 その中の一人は「責任追及のため」と言った。こんな身体にした責任を取らせるためだと。また「社員を病気にさせたら損するのはソッチだ、ということじゃなければ、職業病はなくならない」とも言った。
 罹病者たちは、そろそろ定年の年を迎えている。
 鍼灸に通いながら何十年と、周囲の悪意と向き合って職場に居続ける辛さは想像を絶する。退職の日は、凱旋に近い感慨があったのではないだろうか。

 しかし、「頸肩腕症候群との日々」を読んで、ケイワンはまだ健在であることを知った。本当の凱旋は遠い。
 この病気の存在がもっと知られるようになれば、おそらく罹病者も少なくなるだろうし、予防法や治療法も出来てくるのではないだろうか。
 そういう意味でも、本人たちにはその自覚はないだろうし、こんなことを知っている人間はあまりいないだろうけれども、「ケイワン」が発生した事実を握りつぶした電電公社(現在のNTT)と組合の責任は重いと、私は思っている。
 「頸肩腕症候群との日々」のブログ主さんを(密かに)応援したい



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