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ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父7 マカオ教区の発展

2018-08-04 01:00:42 | ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父
『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 7

 1906年の「マカオ教区報」11月号のトップニュースです。司教司式のもとに10月14日に19名の生徒が初聖体をうけました。その日は、教区じゅうのこの上もない祝い日となったことは、いうまでもありません。50名の生徒のなかからこれほどの恵みがあろうとは! この生徒たちは、3日間の黙想にもあずかっています。そのとき、司教からサレジオ会総会長にあてた手紙には、サレジオ会の活躍に対する深い感謝がありました。

 "ブラスバンドのない事業は活発でない"といったドン・ボスコのことはが、サレジオ会にはよく守られています。でも買いたくても楽器は高価で、手が出ません。今度も司教の協力で、この理想は実現しました。そのうえ、宣教師は神学生の時代からそのすじの専門家です。生徒の世葦毛日にみえ、3年もたたないうちに、マカオのサレジオ楽団は、当時の南中国の首府カントン市に招待されるほどの腕になりました。

「大変なことになりました」と告げる司教の顔は、深い悲しみに包まれています。宣教師たちは、もう覚悟をきめていました。問題は1910年に革命の起きたポルトガルが出した勅令です。すべての修道会をただちに排除すべしというこの命令は、このマカオにまで届いたのです。

 やむなく司教は、その司教区であった中国本土の南カントウ地方のシェウンチャオをかれらに任せることにしました。総人口百万人中、300人の信者です。

 マカオを去らねはならなかったサレジオ会員は、まず香港に行きました。ここで新しい宣教師たちがシェウンハオの布教地のために来るのを待つのです。かれらがつくと、ことばの勉強をさせるため、そこに残して、ヴェルシリア神父と、オリーヴェ神父のふたりがまず船に乗って目的地に向かいました。



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