CAFE PACIS

ユルゲンが「カフェで政治が行なわれているんだ」って言う。じゃあ、カフェで平和やるか。

ダウニング・ストリート・メモのその後:ブッシュとブレアの運命

2005-06-07 14:22:26 | ニュース@海外
 先月ロンドンのサンデー・タイムズが報道した「ダウニング・ストリート・メモ」以来、さらに新しい情報がでてきています。

 おさらいをすると、「ダウニング・ストリート・メモ」は、イラク戦争開始の8ヶ月前の2002年7月にトニー・ブレア首相と側近たちがもった極秘会議の議事録。この会議で英諜報機関(MI6)のディアラブ長官は「米はすでにイラク攻撃を計画している」、さらに、「いま諜報と事実がこの政策に沿って作られているところ」と発言しています。

 さて本題は、このメモ発覚以降さらに新たな情報がでているということでしたが、それは戦争開始(と議会承認以前)のずっと前から、米英が戦争の口実を作るためにフセインを挑発すべく空爆を強化していた、つまり「戦争」を開始していたという事実。

 以下、この点に関するThe Nationの記事です。ご一読下さい。

 が、要点を言ってしまうと、ブッシュは戦争開始にあたり連邦議会と国民を欺き、米国憲法違反をした、ということ。で、これの意味するところは、いま議会での調査を要求する運動が広がっているが、実際に調査がなされ憲法違反行為が確認されれば、ブッシュは弾劾される、ということです。

 もうひとつ。ダウニング・ストリート・メモの今後の影響。

 メモに記録されているように2002年7月の時点で英法務長官はブレアにこの戦争の法的根拠を見つけるのは難しいだろうと伝えています。そして、法務長官は、最後までブレアに明確な法的根拠を提示しませんでした。つまり、国際法違反の戦争と認めていることの裏返しであり、ブレアは国際刑事裁判所で戦争犯罪に問われる可能性が、メモ発覚で高まったということです。

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もうひとつの爆撃 The Other Bombing

ザ・ネーション
ジェレミー・スケイヒル
2005年6月1日

 大規模空爆であった。米英の爆撃機100機がほどクウェートを飛び立ちイラクの空域に侵入。この一大作戦には、米のF15爆撃機イーグル・英空軍の空爆機トルネードを含め、少なくとも7種類の航空機が参加。イラク西部の防空施設に精密誘導爆撃を投下することで、ヨルダンで待機する特別部隊ヘリのために道を切り開いた。これ以前の攻撃は、イラクの指揮統制センターやレーダー探知システム・フセインの革命防衛部隊・通信センター・移動防空システムなどを対象にしてきた。しかし、今回のペンタゴンの目的は明白であった。イラクの抵抗力の粉砕。つまり戦争だったのである。

 しかし、落とし穴があった。戦争は少なくとも正式には開始されていなかったのである。なぜならこれは2002年9月の事であって、米議会がイラク侵略に利用される権限をブッシュ大統領に与える決議を行う1ヶ月前、国連がこの問題を決議にむけ議題にのせた2ヶ月前、「衝撃と畏怖」作戦が正式に開始される6ヶ月前のことだったからである。

 この時、ブッシュ政権は国民に対し空爆の規模を小さく見せていた。アメリカは、いわゆる飛行禁止地域を防衛しているだけだ、と主張していた。しかし、ダウニング・ストリート・メモへの反応から出てきた新情報からは、この時すでに戦争は既定の結論となっていたこと、攻撃はまさに宣言なしのイラク侵略の開始であったことが明らかになっている。

 このたび、(ロンドンの)サンデー・タイムズ紙は次の点を裏付ける新しい証拠を報道した。つまり、「2002年、英米の航空機は空爆の規模を2倍に強化したが、その目的は、連合国が戦争の口実を作れるよう、サダム・フセインを挑発することにあった」。同紙は、英国防省が新たに発表した統計を引用している。「連合軍が2002年の前半にイラクに落とした爆弾の数は、2001年全体の2倍」であり、侵略の正式開始のゆうに数ヶ月以前から「全面的空爆」が準備されていたのである。

 この新情報がアメリカの議員に与える影響はすさまじい。当時、米政府と世界の外交界において、飛行禁止区域での米空爆の本当の目的が、シーア派やクルド人の防衛などでないことは周知の事実であった。しかし、この新情報のすごいところは、ブッシュへの戦争権限付与をめぐり米議会が議論している最中に、ハンス・ブリックス率いる国連兵器査察団がイラクで活動している最中に、世界の外交官たちが最後の和平交渉を仲裁すべく奔走している最中に、ブッシュ政権がすでに全面戦闘体制に入っていた、ということを明らかにしている点である。ダウニング・ストリート・メモが示したような諜報書類一式の改ざんにとどまるものではない。まさに戦争そのものを始めることで行動を開始していた、ということである。サンデー・タイムズ紙によれば、ブッシュ政権は、フセインが攻撃に対し、ブッシュ政権が必死に売ろうとしている戦争の口実として使えるような反応して欲しい、とさえ願っていたのである。

 正式の開戦が差し迫っていた2003年3月8日、ブッシュはラジオ国家演説でこう述べた。「私たちは、イラクでの戦争を回避するために万事を尽くしています。しかし、サダム・フセインが平和的に武装解除をしなければ、フセインは武力により武装解除をすることになるでしょう」。ブッシュのこの発言は、体系的で侵攻的な空爆の一年もあとのものである。この間イラクは、来る侵略準備に向け、すでに武力により武装解除させられていた。ペンタゴン自身が、2002年だけでもイラクに対し78回の攻撃空爆をおこなったことを認めている。

 「まるで、一方のボクサーには動くなといって、他方にはパンチしてよしとするボクシングです。パンチを繰り出している方が、対戦相手がもう動けないところまで弱っていると確信した時初めて攻撃をやめる。しかも、実際の対戦が始まる前にです。」1998年から2000年まで国連のイラク担当トップを勤め30年のキャリアをもつ外交官である、元国連事務次長ハンス・フォン・スポネック氏の評である。クリントン、ブッシュどちらの政権においても米政府は、これらの攻撃が国連決議688に基づくものだ、と一貫してかつ誤った主張をしてきた。湾岸戦争後に採択されたこの決議は、クルド人地域の北部とシーア派地域の南部におけるイラク政府の抑圧停止を要求したものである。フォン・スポネック氏は、両政権の主張を決議の「まったくの誤称」だと一蹴している。ザ・ネーション誌でのインタビューで同氏は、この新情報は自身の長年の主張を「遅まきながら追認する」ものだ、と述べた。「飛行禁止区域は、民族・宗教グループをフセインの圧制から守ることなどとはほとんど関係がなく」、「米英二国の利益のために、、、不法に設置されたもの」だったというのが事の真相である。

 これらの攻撃はほとんど報道されず、フォン・スポネック氏によると、遡ること1999年の時点で、アメリカとイギリスは国連に対し、攻撃に注意を払わないようにと圧力をかけていた。イラク担当を務めていた間、同氏は空爆ごとの記録をつくりはじめ、「民間施設への定期的攻撃には、食糧倉庫、住居、モスク、道路、国民がふくまれている」ことを示した。同氏によれば、これらの報告を、事務総長コフィ・アナン氏は歓迎したが、「米英の政府は強硬に反対した」。また、記録活動をやめるようにとの圧力を受けたが、そのときイギリスの上級外交官が言った言葉がこうである。「あなたの行為は、イラクのプロパガンダに国連の承認印を押しているだけだ」。しかし、フォン・スポネック氏は、被害を記録し続け、攻撃された多くの地域に足を運んだ。1999年だけでも、同氏は、この米英爆撃による民間人144人の死亡と400人以上の負傷者を確認した。

 9・11が起こると、ブッシュ政権内部で、この攻撃に対する態度に重大な変化が起こった。もはやシーア派やクルド人を守るといった口実は投げ捨てられ、外部からの攻撃を迎え撃つイラクの能力を体系的に削ぐ、つまり、イラクの防空・攻撃指令施設を爆撃し、通信・レーダーインフラを破壊する計画になったのである。2002年11月APは、「これらの高価で、修復困難な施設は、イラクの防空に必要不可欠なものである」と報道している。統合参謀本部で地球規模作戦の次長を務めたデイビッド・ゴブ海軍少将は、2002年11月20日、米英のパイロットは「本質的に戦闘作戦をしている」と述べている。2002年10月3日、ニューヨーク・タイムズ紙は、アメリカのパイロットがイラク南部を使って「練習直線飛行、模擬の攻撃、実際の攻撃」をしていると報道。

しかし、この対イラク政策の根本的変化の真の重要性が明らかになったのは、つい先月、ダウニング・ストリート・メモが世の中に出てのことである。このメモは、イギリスの国防相ジェフ・フーンが、2002年、アメリカの政府関係者と会った後にこう言ったと記録。「アメリカは政権に圧力をかけるためすでに『活動の急速な強化』を始めている」。これは、空爆強化に言及したものだ。いまや、サンデー・タイムズ紙により、この急速強化が「全面的空軍攻撃となった」、換言すれば戦争、となったことが明らかになっている。

 ミシガン州選出のジョン・コンヤーズ下院議員は、こうした攻撃に関する新事実を「決定的証拠の拳銃に決定的な弾丸まで入っている”the smoking bullet in the smoking gun”」と呼んでいる。ブッシュ大統領が、イラク決議に望む議会を欺いたことの反駁できない証拠、というわけである。議会にイラクでの武力行使承認を求めたとき、ブッシュは、武力は、すべての手段が尽くされたあとの最終手段としてのみ使うとも述べた。しかし、ダウニング・ストリート・メモにより、ブッシュ政権がすでに武力によりフセインを倒す決定をしていたこと、この決定を正当化するよう諜報操作をおこなっていたことが暴露した。この情報は、戦争開始の一年前からおこなわれた正当な理由を欠く空爆の強化に、あらたな光をあてている。ブッシュ政権は、証拠の有無に関わらず、イラクに戦争を始める決意であっただけでなく、議会の承認決議にかけられる数ヶ月前から戦争を開始していたのである。

 大統領弾劾手続き開始は議員一人で足り、コンヤーズ議員は手続き開始を検討していると述べている。弾劾プロセスが始まれば必ず実態がさらけ出される。議会はラムズフェルド国防相、リチャード・メイヤーズ将軍、トミー・フランクス将軍はじめ、1990年後半に遡る飛行禁止地区爆撃に関わったすべての軍司令官・パイロットを召喚できる。彼らは何を命令し、命令されたのか。それらの答えのなかに、弾劾の論拠が眠っているかもしれない。

 しかし問題がある。特に戦争承認に票を投じたのに今となって欺かれたと言っている民主党議員だ。なぜ、正当な理由もなく承認もされていない空爆が実際に進行している時に、ブッシュ政権の戦争準備に実のある一打を食らわすことができたかもしれなかった時に、この空爆が調査されなかったのか? おそらく、ブッシュ弾劾のためにダウニング・ストリート・メモを使おうという広がる草の根運動の声が連邦議会の耳に届かないのは、このためだろう。事実は、ブッシュは、前任のクリントン同様、国際の委任も国内の委任もない主権国に対するベトナム以来最長継続爆撃キャンペーンを監督していた、ということである。決定的証拠の拳銃は、両政党にとって触るには熱すぎるのであろう。

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