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津田梅子さん と 大山捨松さん

2022-03-07 00:27:00 | ドラマ
ドラマを見てしまった。

津田梅子 〜お札になった留学生〜



TVerで。
津田梅子さんて、名前は良く知っていますが実際の人生はあまり知りませんでした。幼くしてアメリカに渡った、という事は知っていましたが、その後の事も殆ど知らず。

このドラマを見ての感想は、一言、

良く日本に帰ってきたね

という事。
というのも、6歳からアメリカで11年間なんて、もう殆どアメリカ人じゃないですか❓第一、日本語も喋れない、書けないというような状況で、日本に帰って来るのが怖くなかったのかと。梅さん、アメリカ滞在中は他の日本人留学生とは別々のところにいたようですから、日本語を喋る事もなかったのではないでしょうか。初等教育を日本で受けずにアメリカって、そりゃもう、アメリカ人です。
でも、官費で留学していたのだから、帰国はしょうがないですね。





その後、2回目の留学をしていた事も全然知らなかった。この時も良く日本に帰って来ましたね、という感想。

今回のこのドラマ、今の時代でも帰国子女の皆さんには、あるある、と納得されるだろう内容だと思います。
逆カルチャーショックが大きくて、日本の生活に馴染めず困った、とか。結局は日本に馴染めず海外の大学に行ってそこで就職、とかするような人も今は多いのではないでしょうか。実際、私の知っている人も幼い頃に家庭の都合でカナダに渡って以来、日本に帰って来ることが殆どありません。
明治の頃など、そういう逆カルチャーショックが今の時代の数十倍も、数百倍も大きかった、と想像します。特に梅の場合は6歳で日本を離れていますから、余計にそのショックは大きかったのではないでしょうか。ドラマではその辺の苦悩があまり伝わっては来ませんが。
日本語、どうやって勉強したのでしょうか。漢字は❓
また、ドラマでは、帰国そうそう日本語で会話されていましたが、本当は日本語も話せなかったのでは❓

という事で、今も昔も状況は変わらないな、と思ったというのがこのドラマの感想。

今の時代ですら、帰国子女の皆さんなんか、日本の習慣に馴染めない人も多い思われますが、明治の頃に6歳でアメリカに渡った梅子さんなんか、日本での生活は無理のように思えてしまうのです。でも、女子教育という目標があったから日本にいられたのかしら❓国に恩返しをしたいという信念が強かったのかな❓

2度目の留学では生物学を学んだという事も初めて知りましたが、当時、アメリカに残って研究を、と勧められたようですが、日本に帰国されました。あのまま生物学を研究していたら、どうなっていたのでしょうか。

また、気になるのは一緒に留学して一緒に帰国した捨松さんという方。捨松さんは11歳で渡米されています。梅さんは6歳でしたが、この5年の違いは大きいと思います。それでも、日本語は忘れるだろうし、カルチャーショックはあったと思いますが、日本での生活にアメリカでの経験をうまく活かして、日本で花開く人生を送り、梅さんを助けて女子教育にも尽力して、社会に大きな変化を与える事が出来た女性だと思います。



wikiより

明治時代の女性とは見えないくらい洗練されている方。今でいう、ファッションリーダー的な存在です。


それにしても、当時、10年間の留学を官費で、ってすごいと思います。
留学生たちに対する最終目的とは一体なんだったのだろうと、逆に考えてしまいます。10年間も日本を離れていて、日本の事なんか見向きもしなくなる可能性、とか考えなかったのか、と逆に不思議に思ってしまいます。どうして10年間も❓

また、女子教育というか女性の勉学に対する姿勢も、今も昔も変わらないな、とも思いました。








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