昔、不思議に思っていたことがあります。

というのは、
原爆が落とされたのに、広島、長崎に大勢の人が戦後すぐから住むようになったのはなぜ❓
また、爆心地付近で生存者がいるのはなぜ❓
ということ。原爆投下後は、何十年も人も住めず草木も生えず、というようなことを聞いたことがあるのですが、それが今でも多くの人々が普通に暮らしていて、緑も多い。
こんな事、しばらく忘れていたのですが、こういう本が出版されていて、昔に疑問に思っていたことを思い出しました。

作者によると、広島、長崎の原爆はプルトニウムではなくて、ナパーム弾とか毒ガスとかああいう類のものだったのではないのか、という事です。
第一、世界初のプルトニウムの原爆にしては、記録を全くとっていないとか、日本人の科学者が記録していたものが、アメリカに提出して以来行方不明になってしまっているとか、とにかく、原爆の影響の記録が全くと言っていいほど残っていないことのようです。
意図的に隠しているような雰囲気もある、ということです。
さらに、医学的観点から考察すると、広島、長崎の被害者の怪我の様子が、実際に放射能被害にあった方々の傷の様子とは随分違う、ということです。
実際に原発事故などで放射能を浴びた人に、皮膚症状は殆ど見られないということですが、広島、長崎でよく聞いた話は、皮膚が溶けているような記述が多いです。
またこの本では、マンハッタン計画に参加していた科学者が、1945年4月の時点で、大量のプルトニウムを確保するのにはあと3年かかると、委員会で発言していた、ということです。そういうことを考えると、1945年時点で、プルトニウム型の原爆を製造するのには不可能、と推測できるようです。
原爆ドームの建物の中で働いていたにもかかわらず、原爆を生き延びた女性がいるということを知った時、ホントかいな、と思ったのですが、原爆じゃないとしたらありえるかもしれませんね。
だって、原爆だったら一瞬にして4000度の熱線を浴びるわけですよ。それなのに生存者が何人も、ってありえるでしょうか❓
全く、世の中、何が真実かわかりません。
歴史はこうやって作られるのですね。
嘘は必ず暴かれる。陸軍も、生存不可能な放射線はなかった、と記録に残していたようですが、日本は戦後はアメリカに全面協力。
アメリカってこんなことばかりやってるから、衰退してくんじゃないの❓