もう、ピークは越えたと言われている花粉だが、今日は一段と症状が辛い。
長距離の仕事は、花粉を浴びまくって帰ってくるからだろうか?
疲れが溜まって、体調が悪いから症状が辛いのか、症状が辛いから体調が悪いのか?
遅かったが、 昨日の暖かさが花粉を運んできたようようで 、花粉症の症状が出始めてしまった。
そして今日、鼻水・くしゃみ・目の痒みと本格的な症状に変わった。
免疫力が、加齢で低下していたわけではなく、例年より感じるのが遅かっただけだった。
これから数ヶ月、辛い日々が続くと思うと哀しくなってきた。
今年は、未だに花粉を感じられないでいる。
花粉症を発症して約30年、例年なら1月上旬には症状が出ていたはずなのだが・・・
妻曰く、「老齢化が進んできて免疫力が低下してきたんじゃないの?」だって
何かの原因で体質が変わったかも、なんて事が無ければ良いが・・・
今年は、例年になく花粉症の症状が出るのが遅くて軽かったので、ひょっとしたらこのまま花粉シーズンを乗り切れると思い始めていたのに、先日の「春の嵐」で微かな望みが木っ端微塵に砕かれてしまった。
症状が、過去最大かもしれない。
とにかく、目の痒みが辛い。
南部せんべい、岐路に “発祥”の八戸で廃業相次ぐ
南部地方を代表する菓子で、土産物としても人気の高い南部せんべい。発祥の地とされる八戸市で製造業者の廃業が相次ぎ、“元祖”の味が岐路に立たされている。最盛期には市内だけで100店舗ほどあったと言われるが、現在は20店舗に満たず、業界団体の八戸煎餅組合(上舘一雄組合長)も事実上の休眠状態。家族経営の店が多く、企画力や営業力で市外の業者に水をあけられているのが現状で、「八戸せんべいの火が消えてしまう」と危機感を訴える関係者もいる。 小麦粉と塩を水で練り、丸い鋳型で焼いた素朴な味わいの南部せんべいは、青森県南や岩手県北地域を中心に古くから食されてきた。シンプルな製法だけに、店ごとに味や歯触りの特徴があり、住民はそれぞれ好みの味を求め、親しんできた。 かつては店頭での直売や個人商店での販売が中心で、一定の固定客を確保できていれば商売が成り立った。しかし、スーパーの台頭などで販売形態は大きく変化。大量生産で安く商品を納入できる市外の業者が攻勢を強めてきた。 岩手県の業界団体が首都圏でPRに力を入れた影響もあり、「南部せんべいは岩手の名産」とのイメージが定着。「せんべい汁」ブームでおつゆせんべい需要が増えた部分もあるが、“発祥の地”は長く苦戦を強いられてきた。 「家族で経営してきたが業績不振が続いていた。働く人もおらず続けられなかった」。数年前に店をたたんだ八戸市内のせんべい店の家族は取材に対し、廃業の理由をそう明かした。 苦境を象徴するように、50年前は70店ほどあった組合の加盟店も激減し、稼働している店は現在9店のみ。主立った活動はなく、年1回の新聞広告も負担が大きいため、2018年を最後に取りやめる。 上舘組合長は「解散も取り沙汰されたが、名前だけは残したい。108年続いてきた組合の歴史を途切れさせるのは忍びなく、将来若い人に引き継げたらいいのだが…」と力なく語った。 発祥の地の足元が揺らいでいる現状に、危機感を感じている関係者は少なくない。市内のある菓子卸業者は「正直、商品の宣伝や企画力は岩手県や津軽、下北地方の業者が市内より上手。『発祥の地なのに…』という悔しさがあり、商品開発などに力を入れなければ」と指摘する。 八戸市のまちづくり団体「八戸せんべい汁研究所」前所長で、“超ウルトラ主任研究員”の田村暢英さん(64)も「せんべい自体が消えたわけではないので消費者は意識していないが、市内の業者が減っているのは間違いない」と危機感を訴える。 一方、せんべい汁ブームに前後し新規参入した事業者もいることから、チャンスは残されているとの見解を示す。 「今ならまだ伝統を守りながら新商品を打ち出していくことができる」と強調し、“元祖”復活を強く願っていた。
私が生まれ育った村?にも、八戸せんべいを焼いているお店があり、「お米」を持たされてせんべいを買いに行く「物々交換」が懐かしく思い出されます。
当時のせんべいには、裏に「八戸名物」と書かれていたと記憶しているが、東北新幹線が盛岡止まりになってから徐々に「南部せんべい」として認知され、現在に至ってしまった事は仕方がなかったのかも知れません。
が、「せんべい汁」ブームに乗って『元祖』復活を期待したい。
南部地方を代表する菓子で、土産物としても人気の高い南部せんべい。発祥の地とされる八戸市で製造業者の廃業が相次ぎ、“元祖”の味が岐路に立たされている。最盛期には市内だけで100店舗ほどあったと言われるが、現在は20店舗に満たず、業界団体の八戸煎餅組合(上舘一雄組合長)も事実上の休眠状態。家族経営の店が多く、企画力や営業力で市外の業者に水をあけられているのが現状で、「八戸せんべいの火が消えてしまう」と危機感を訴える関係者もいる。 小麦粉と塩を水で練り、丸い鋳型で焼いた素朴な味わいの南部せんべいは、青森県南や岩手県北地域を中心に古くから食されてきた。シンプルな製法だけに、店ごとに味や歯触りの特徴があり、住民はそれぞれ好みの味を求め、親しんできた。 かつては店頭での直売や個人商店での販売が中心で、一定の固定客を確保できていれば商売が成り立った。しかし、スーパーの台頭などで販売形態は大きく変化。大量生産で安く商品を納入できる市外の業者が攻勢を強めてきた。 岩手県の業界団体が首都圏でPRに力を入れた影響もあり、「南部せんべいは岩手の名産」とのイメージが定着。「せんべい汁」ブームでおつゆせんべい需要が増えた部分もあるが、“発祥の地”は長く苦戦を強いられてきた。 「家族で経営してきたが業績不振が続いていた。働く人もおらず続けられなかった」。数年前に店をたたんだ八戸市内のせんべい店の家族は取材に対し、廃業の理由をそう明かした。 苦境を象徴するように、50年前は70店ほどあった組合の加盟店も激減し、稼働している店は現在9店のみ。主立った活動はなく、年1回の新聞広告も負担が大きいため、2018年を最後に取りやめる。 上舘組合長は「解散も取り沙汰されたが、名前だけは残したい。108年続いてきた組合の歴史を途切れさせるのは忍びなく、将来若い人に引き継げたらいいのだが…」と力なく語った。 発祥の地の足元が揺らいでいる現状に、危機感を感じている関係者は少なくない。市内のある菓子卸業者は「正直、商品の宣伝や企画力は岩手県や津軽、下北地方の業者が市内より上手。『発祥の地なのに…』という悔しさがあり、商品開発などに力を入れなければ」と指摘する。 八戸市のまちづくり団体「八戸せんべい汁研究所」前所長で、“超ウルトラ主任研究員”の田村暢英さん(64)も「せんべい自体が消えたわけではないので消費者は意識していないが、市内の業者が減っているのは間違いない」と危機感を訴える。 一方、せんべい汁ブームに前後し新規参入した事業者もいることから、チャンスは残されているとの見解を示す。 「今ならまだ伝統を守りながら新商品を打ち出していくことができる」と強調し、“元祖”復活を強く願っていた。
私が生まれ育った村?にも、八戸せんべいを焼いているお店があり、「お米」を持たされてせんべいを買いに行く「物々交換」が懐かしく思い出されます。
当時のせんべいには、裏に「八戸名物」と書かれていたと記憶しているが、東北新幹線が盛岡止まりになってから徐々に「南部せんべい」として認知され、現在に至ってしまった事は仕方がなかったのかも知れません。
が、「せんべい汁」ブームに乗って『元祖』復活を期待したい。
正月早々、体調を崩してしまった。
熱はないのだが、鼻詰まりが酷くて口呼吸になってしまい苦しい。
普段、肩凝りはほとんどした事はないのに両肩がズッシリと重いし、体がダルくてちょっと寒気がしている。
多分、インフルエンザではない思う。
ここ数年、歳のせいか回復に時間がかかるようになっているので、今日一日寝ていたのだが症状は一向に良くならない。
明日、病院で診てもらうしかないのか?
新年を迎えて改めて思うが、歳はとりたくないと・・・
明けましておめでとうございます。
ブログを開設し、その日に思った事や感じた事を書き続けてきて間もなく12年になります。
これからも、毎日更新を目標に続けていきたいと思います。
一貫性は求めず、その都度思った事を素直に書ければ良いと考えています。
本年もよろしくお願いします。
ブログを開設し、その日に思った事や感じた事を書き続けてきて間もなく12年になります。
これからも、毎日更新を目標に続けていきたいと思います。
一貫性は求めず、その都度思った事を素直に書ければ良いと考えています。
本年もよろしくお願いします。
毎年恒例の年末「アメトーーーーーーーーーーク!」を観なければ、新年は迎えられない。
「 運動神経悪い芸人」は、無条件に笑える。
自分も運動神経は悪いが、あれ程酷くはないと思っているので、村本氏に「お前の事だ!」と言われるかもしれない。
玄関前の、2.5メートルぐらいある木の枝が伸び過ぎ、道路にだいぶはみ出し歩くのにも邪魔だったので、少しだけ枝を切るつもりだったのだが、気が付けば丸裸になってしまった。
枝を切る前に調べればよかったのだが、この木はもうダメらしい?
上手くいったら、画像を載せようと思っていたが、あまりにも酷い姿になったので控えます。
木の名前は不明。