ますぶちStyle/宝石箱の片隅

ジュエリーや宝石、真珠を中心に、ジュエリー・ビジネス、歴史まで幅広く書いていきます。是非ご一読下さい。

『エーゲ文明とジュエリー』第3回 クレタ文明[ミノス文明]からミケーネ文明へ(3)

2022年10月29日 | 日記

少しずつゆっくりと

『ジュエリーの歴史6000年』を学ぼう

 

『エーゲ文明とジュエリー』第3回

 

クレタ文明[ミノス文明]からミケーネ文明へ(3)

 

クレタ島の人々は

民族的には地中海人種と小アジアの混血という説もあるが

どうもはっきりしていません。

彼らは絵文字や線文字A(BC18世紀〜BC15世紀頃まで

クレタ島で用いられたが現在未解読)と呼ばれる文字を使用し、

高度な文明を築いていたことはわかっているのです。

エーゲ海は大小様々な島で構成され、

このため海上貿易が盛んでした。

クノッソス宮殿などの遺跡から壮大な宮殿を営む為政者が、

海上貿易によって莫大な富を得ていた事は想像に難くありません。

そのクレタ文明は、BC1400年頃まで栄えますが、

数度に渡る火山の噴火や地震などや

インド・ヨーロッパ語族の侵入などがクレタ文明に影響を与え、

衰退を招いたといわれています。

また同じ頃に最初のギリシア人と云われるアカイア人が

ギリシア半島のミケーネ、ティリンスに南下して

ミケーネ文明を築きます。

やがてミケーネがクレタ島を征服して

クレタ文明は終焉を迎えるのです。

代わってミケーネがエーゲ海を中心とした文明を築き、

線文字Bを使い(現在ほとんどが解読されている)

紀元前1200年頃まで繁栄を築きます。

 

 

 

*画像はアガメムノンの仮面。

ギリシア神話でもっとも有名な一人で、ミケーネの王としてトロヤ戦争の総指揮官であった。

ただ彼が実在の人物であったか神話の人物かははっきりしない。

発見したのはシュリーマンで、埋葬穴(円形墓群A5号)にあった死体の顔の上にあった。

シュリーマンはこれをアガメムノンの墓であると信じ、それ以来アガメムノンの仮面として一般的である。

しかしながら考古学上では、この仮面はBC1550〜BC1500年頃のものとされ、アガメムノンの時代よりも早いとされている。

またこの仮面はミケーネの竪穴墓の中で発見された5つの仮面のうちのひとつであり、アガメムノンの仮面の信憑性が疑問視されている。

アテネ国立考古学博物館所蔵。


AZClubジュエリーの歴史セミナー 『ジュエリーの歴史初級講座』のご案内“歴史を疑え”

2022年10月29日 | 日記

ジュエリーの歴史を知れば

ジュエリーがもっと楽しくなる、面白くなる(vo.12)

ゆっくりと少しずつ一緒に学んでいきませんか!!!

AZClubジュエリーの歴史セミナー

『ジュエリーの歴史初級講座』のご案内

“歴史を疑え”

 

◎ 

ジュエリーからっちょっと外れますが、

この2点の絵画は左がジェリコー、右がダヴィッドが描いたものです。

描かれたのは左が1812年、右が1801年です。

ジェリコーはロマン主義の画家そして

ダッヴィドは新古典主義の画家と言われています。

私たちは何気なく見てしまいますが、

この絵を比較してロマン主義と新古典主義の違いが解る人は、

かなり専門的な知識がある人でしょう。

ジュエリーについても同じようなことが言えます。

また何冊かジュエリーの様式や分類などについて、

参考書が出ていますが意外と何故そうなのか、

ということに関しては書かれていません。

こんなところからもジュエリーの歴史を見ると面白いでしょう。

“歴史を疑え”とは本に書かれていることを鵜呑みにせず、

自分なるの視点で考えてみよう、ということなのです。

Webinar

11月14日(月)19:00〜21:00・定員7名・参加費2500円

*ご参加を希望される方は jewellerystory_0512@yahoo.co.jp までお申し込み下さい。

折り返し参加費の振込先をご案内します。

*『AZClub(エージークラブ)ジュエリーの歴史研究』は少人数による歴史を研究するグループです。これからジュエリーの歴史に取り組みたい方を中心に年間数度、様々なテーマを選び、対面とWebinarによるセミナーを実施しています。