少しずつゆっくりと
『ジュエリーの歴史6000年』を学ぼう
『エーゲ文明とジュエリー』第3回
クレタ文明[ミノス文明]からミケーネ文明へ(3)
◎
クレタ島の人々は
民族的には地中海人種と小アジアの混血という説もあるが
どうもはっきりしていません。
彼らは絵文字や線文字A(BC18世紀〜BC15世紀頃まで
クレタ島で用いられたが現在未解読)と呼ばれる文字を使用し、
高度な文明を築いていたことはわかっているのです。
エーゲ海は大小様々な島で構成され、
このため海上貿易が盛んでした。
クノッソス宮殿などの遺跡から壮大な宮殿を営む為政者が、
海上貿易によって莫大な富を得ていた事は想像に難くありません。
そのクレタ文明は、BC1400年頃まで栄えますが、
数度に渡る火山の噴火や地震などや
インド・ヨーロッパ語族の侵入などがクレタ文明に影響を与え、
衰退を招いたといわれています。
また同じ頃に最初のギリシア人と云われるアカイア人が
ギリシア半島のミケーネ、ティリンスに南下して
ミケーネ文明を築きます。
やがてミケーネがクレタ島を征服して
クレタ文明は終焉を迎えるのです。
代わってミケーネがエーゲ海を中心とした文明を築き、
線文字Bを使い(現在ほとんどが解読されている)
紀元前1200年頃まで繁栄を築きます。
*画像はアガメムノンの仮面。
ギリシア神話でもっとも有名な一人で、ミケーネの王としてトロヤ戦争の総指揮官であった。
ただ彼が実在の人物であったか神話の人物かははっきりしない。
発見したのはシュリーマンで、埋葬穴(円形墓群A5号)にあった死体の顔の上にあった。
シュリーマンはこれをアガメムノンの墓であると信じ、それ以来アガメムノンの仮面として一般的である。
しかしながら考古学上では、この仮面はBC1550〜BC1500年頃のものとされ、アガメムノンの時代よりも早いとされている。
またこの仮面はミケーネの竪穴墓の中で発見された5つの仮面のうちのひとつであり、アガメムノンの仮面の信憑性が疑問視されている。
アテネ国立考古学博物館所蔵。