「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

ムスリムの穏健計(p519~)

2012-12-18 22:28:41 | 現代イスラム批判
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 英国紙スペクタクターで、パトリック・スークデオはこう穏健派ムスリムの神話をこう喝破した。

 コーランの平和的条文はマッカ時代つまり黎明段階のものに過ぎない。イスラムの真名はより好戦的なマディーナ時代の条文にある。預言者ムハンマド自らが各種の討滅行為をジハードの名の下で指示した。戦争の家をイスラムの家に変態させるのは、全ムスリムのダーワなのだ。

 イスラムは平和という呪文は1400年前無効化した。ヒジュラ後の622年以降のイスラムはすべて先軍だったのだ。確かに植民地時代は共存が唱えられたこともあったが、それは終わった。当代のジハーディは中世のウラマー達と同じく、「イスラムは戦争」という真名に迫真している。
 では穏健派ムスリムとは何なのか?2004年リヤドでテロルが発生した時、「ラマダンの聖月の間に行うのは反イスラム」と言ったサウジのウラマーがAP通信によれば穏健派に当たるらしい。しかし、この政府系ウラマーであるシェイク・サリーフ・アル・ファズワンは「奴隷制はイスラムの一部なり、ジハードの一部なり」と500万のムスリムを前に宣言した人物だ。
 マレーシアのマハティール首相も2003年こう述べた。「13億のムスリムが数百万のユダヤに負けてなるものか。ユダヤ人は今、敵を分断統治してセカイに君臨している。社会主義、共産主義、人権、民主主義という否定しにくき思想を発案した彼らは確かに強国の覇者だ。しかし、ムスリムは最後に勝つ。欧州人もかつて自己の身份を探るために、我らの学術に屈していたではないか」
 同じくマレーシアのイスラム学者ファリシュ・ヌールは、「マレー世俗体制は既に死せり。焦点はただイスラム社会の種類のみにあり」と宣言する。同国では宗教警察が同棲婚者を定期的に逮捕しているわけだが、それでも同国は「イスラム諸国中随一の穏健国家」となるらしい。
 アフガンではNATO軍が「穏健民主」体制の誕生を目指して交戦する中、バーミヤンの大仏破壊に立ち会った人物が国会議員に選ばれた。マウラウィ・ムハンマド・イスラム・モハンマディはタリバンの2001年の大仏破壊の際、バーミヤン州の知事だった人物だ。また、西洋の支援する「穏健」な警察はある時、姦通したアフガン娘を石打処刑した6人を逮捕した。石打が野蛮だったからではなく、無許可で刑を執行したからだ。
 ニュージーランドのムスリム系労働党議員アシュラム・チョードリーのような徒は西洋世界内部での同性愛者や婚外婚者への石打処刑をスルーする構えだ。例えば、2004年マルセイユで23歳の娘が石打処刑された時も学術界はスルーした。
 コペンハーゲン市議会のベン・ハドー議員が言うように、ムスリムの全生活を律するシャリーアを非難するのは即ち「ムスリムとの戦争」を意味する。つまり、世俗法を受け入れさせることはムスリムへの宣戦布告でもあるのだ。このシャリーアには夷教徒の服従も含まれる。つまり、「信教の自由」にはイスラム国で夷教徒を二級市民にする権利も含まれている。
 オーストラリアのピーター・コステロ蔵相[保守系の次期首相有力候補]がハワード公認の下「ムスリムは我らの価値観を受け入れて英語を学び、女性を敬うべき」と述べた時、大きな反発が起きた。
 英国美女王に選ばれたムスリムのハマサ・コヒスタニ嬢は、世上の反イスラム的烙刻描写が「穏健派」をもテロに走らせると警告する。つまり、ムスリムが夷教徒を大量討滅してもムスリムを非難してはいけないらしい。これで、穏健派が自己批判とでもいうのだろうか?
 不運なことに、ジハーディたちはPC主義の謀宣で西洋の防衛力を弱めることに成功している。英国のテロ対策班は研修時にイースト・サセックスの私立ジャミーア・イスラミーヤ校に通い、イスラム文化への理解を深めて多様性の使徒となる。
 2006年8月、英米間の航空機を爆破する計画が露見した時、政府に召喚された英愛ムスリム機構連合は、過激派に対処するため家族問題にシャリーアを導入するよう訴えた。そうすれば青年が不平感を抱かなくなると。「小緑蹴球団」の電評士チャールズ・ジョンソンが言ったように、「中世の宗教法を特別適用すれば、問題は解決する」と主張したのだ。他のイスラム団体も同様の要求を行った。
 ここに、過激派と穏健派の共謀関係を見て取ることが出来よう。ジハードは穏健派にとっても多くの要求を行う好機なのだ。過激派が爆撃し、穏健派が影から脅迫する。これは好坏警官遊戯だ。ムスリムは常に暴力を振るう存在ではない。しかし、ムスリムは定期的に夷教徒という驢馬への討滅作戦を展開し、誰が主人なのかを顕示しようとする。
 残念なことに英国驢馬はムスリムに屈するばかりだ。北西イングランドのある病院ではブルカと同じ形の衣装が女性患者用に導入された。蒼の「超信仰お寝巻き」だ。王立プレストン病院でも導入されている。
 ヘブライ大でイスラム史を教えるモシェ・シャロン教授は夷教徒との停戦ヒュドナについてこう語る。

 イスラム界の平和とはムスリム間にのみ成立するものである。夷教徒に対する平和はあくまで停戦(ヒュドナ)に過ぎない。この世界観は末劫まで永続する。イスラムの勝利なき平和は理念的に存在しないのだ。
 オスロ合意を結んだ後、アラファト議長はヨハネスブルクでこう謝罪した。「ユダヤ人と反イスラムの条約を結んだと糾弾する向きもあるかもしれない。しかし、違う。これも偉大なる預言者様の行動に倣ったものだ。フダイビーヤ物語を思い出してほしい」と。これはマッカのクライシュ族と結ばれたヒュドナのことだ。ヒュドナは10年の筈だったが、預言者は1万人の兵を鍛錬し、2年にしてマッカへ行軍した。議長はこの前例に倣った。

 オスロ合意に関与したノルウェーの外交官テルへ・ロッド=ランセンも後年「アラファトはいつも騙し屋だった」と認めた。アラブ民心はイスラエルとの平和を決して望んでいない。合意はあくまでイスラエル側の弱みに過ぎず、フダイビーヤ物語の格好の対象となった。
 シャロンは「シャリーアによれば、ヒュドナは10年切りだ。その上、ムスリムが強勢ならば、ヒュドナ中でもジハードしてよいとある。ヒュドナが成立するのは、夷教徒側が圧倒している時だけだ」と述べた。ムスリムは平時にも様々な浸透工作を行う。平静はあくまで相対的なものに過ぎない。
 ジハード監視隊のヒュー・フィッツジェラルド副会長もまた、穏健派ムスリムについて「今日の穏健派は明日にも非穏健になりうる。西洋社会をみる限り、彼らの子息はよりイスラム主義に走っている」と述べる。2005年11月、カナダで暴露された情報機関の研究によると、難民でなくカナダで生まれ育った者の方がより多く過激派の道へ突き進んでいる。
 フィッツジェラルドは「覚醒女アヤン・ヒルシ・アリになるムスリムは20人に1人なのか、100人に1人なのか、1000人に1人なのか、10万人に1人なのか」と懐疑し、イブン・ワラクや改宗者ワリド・シューバット、マグディ・アラム、相対学者バッサム・ティビら「啓蒙者」の希少性を指摘する。そして、「夷教徒よ、己の姿をムスリムに魅せつけよ。さすれば、ムスリムがイスラムの真名に世上を腐偽させる要素があることを知るだろう」と述べる。
 ニューヨーク・サンのユセフ・イブラヒムはムスリム団体の沈黙振りに辟易する。「役人語以外でテオ・ヴァン・ゴッホ監督殺害を糾弾する言葉を聞いたことがない。イスラムでは沈黙は容認と同じと教える。イスラムの真名に回帰するムスリムを前に、欧州人は一体何をしているのだろう?」
 正統な疑問だ。ユーラビアの巧妙なる親イスラムの隠形工程網の前に、多文化主義を語るEU人材は沈黙するばかりだ。欧州文明の身份存続に関わる危機を自らが齎したことを拒むかのように。
 夷教徒の多い地区では、1946年のチェコスロバキアの例を見習うべきかもしれない。この年、ズデーテン地方にいた350万のドイツ人が不忠ゆえにベネシュ布告によって追放された訳だが、今日そうした先例を出す必要がある地区が域内に生まれてしまっている。
 今こそイスラム世界への封絶策を打ち出すべき時だ。ムスリム移民を完全に差し止め、シャリーアを求める国内移民は祖国へ送還する。ジハードを唱える者は市民権を剥奪する。
 ムスリムを観る時はどうか映画「マトリックス」を観る視線で眺めて欲しい。同映画では皆が仮想夢総体に連結された奴隷とされている訳だが、ムスリムはこれと同じ存在なのだ。どうか排外主義などといわず、この封絶策を受け入れて欲しい。穏健派と過激派は表裏一体で欧州のイスラム化を進めているのだから。
 棄教者イブン・ワラクが『イスラム棄教』で記したように、真の穏健派ムスリムは実在するが、イスラム自体に穏健の概念はない。我らはワラクの様なカッサンドラ的に静かなる証言にこそ耳を傾けるべきだ。
 
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2.50 なぜ穏健派ムスリムには期待できないのか(p515~)

2012-12-18 21:30:26 | 現代イスラム批判
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フョードマン同志


 出典

 米国イスラム関係評議会(CAIR)で長年議長を務めたオマル・アフマドは1998年7月カリフォルニアでこう語った。「米国のイスラムは夷教と対等になるためでなく、米国を征服するためにある。コーランが米国の国是となるのだ」と。2005年には、テキサス州ダラスでハマスに資金援助してテロを幇助した容疑で、CAIRのテキサス支部を創設したガッサン・エラシ―を始めとする3兄弟が捕まった。
 こんな組織がイスラム征服の野望を語っているのだから、西洋マスゴミが集中砲火しているだろうと思いきやそうはならない。
 2006年8月、民心が公共機関の中東人への監視強化を支持する中、CAIRは逆に自分たちのような組織と協同してこそ、イスラムのテロル問題を解決できると訴えた。対テロ戦争の協力者候補を疎外しては、より治安が悪くなると訴えながら。CAIRのケンタッキー支部はFBIのために、イスラムとムスリムへの烙刻をカイゼンするための「感受性訓練」を行ってまでいる。
 しかし、デトロイトでは8割のムスリムがシャリーア導入を支持している。イスラム組織は大体サウジからのワッハーブ・クールに魅了されている。米国の8割のモスクがサウジの資金を受けているようだ。
 北バージニアのムスリム学生協会(MSA)は一見穏健とみられている。しかし、2003年クイーンズボロー大学の講演会で、ファヒードという会員は訴えた。「我らは国連も連邦政府も法秩序も拒光する。連邦議会も拒光する故、陳情も行わない。我らはただ政府を転覆し、ムスリムを大統領にしてシャリーア独裁体制を築くのみ」
 「穏健派」ムスリムとは何なのだろうか。ロバート・スペンサー先生は1991年に初めて議会宣誓したムスリムであるイマーム・シーラージュ・ワハジュの例を挙げる。ワハジュは「イスラム問題を論じねば、米国は転覆す。ムスリムにもっと政治力があれば、カリフ国家を米国に樹立できるだろう」と述べた。そして、1993年世界貿易センターを爆破したシェイク・オマル・アブデルラフマンの講演会をワハジュは支援していた。スペンサーによれば、この事件で穏健派の基準線が大きく下がり、コーラン認定のタキーヤ、キットマン戦術が蔓延した。戦争は詭道なので、ムスリムは戦争の家に潜入するために嘘をつくことが認められている。西洋の逸材はこうしたタキーヤ戦術に無知なので、容易に分断させられる。
 2006年7月、独ケルンの列車を爆破しようとした容疑で、レバノン人青年ユセフ・モハメドが逮捕された。この事件にユセフの級友は「そんな。人の悪口を言ったことのないどうみてもフツーに親切だったあいつが」と絶句した。預言者ムハンマドへの戯画騒擾がユセフを凶行に走らせたのだ。
 これは9・11テロの実行犯モハメド・アタと同じだ。アタもドイツ組で、物静かな青年だった。西洋のジハーディ候補生が不信心者に笑裡蔵刀するのは共通の傾向らしい。髭を剃り、西洋社会に同塵した模範生のように見せかけるのもアルカイダの計略の一つなのだ。
 プラハのモスクで裏教義の隠し撮りが行われ、AOETVで放映された時にはチェコのムスリム界が激震した。改宗希望者を装った記者がムスリムから「俺たちは姦通死罪を含むシャリーア施行を望む」という言葉を聞き出したことを暴露したのだ。
 アラビア語の分かる記者は、ストックホルムのイマームが語る内容がアラビア語とスウェーデン語で異なることに気付かされる。一例を挙げると、イマームのハッサン・ムーサがアラビア語で「米国がイスラムを強姦している」と絶叫した。しかし、その内容はスウェーデン語では訳されず、平信徒は「ムーサは親米的だ」と応じる。誤訳が生じるのは、「アラビア語はスウェーデン語より豊饒なる言語ゆえに、全訳しきれぬから」らしい。
 こんな欺瞞がアッラー公認で横行する現在、どうして夷教徒がムスリムを信頼できるだろう?できるわけない。確かに全ムスリムが信頼できないというわけではないが。
 ノルウェー一の論客難民ムッラー・クレカルは「西洋とイスラムとの現在進行中の戦争で、イスラムは必ず勝つ」と公言して憚らない。「お前らの世上を変えてやる。ムスリムが蚊の如く増える現状を見よ。貴様らの女の出生率は1.4だが、俺たちは3.5だ。2050年までに欧州人の3割がムスリムになる。我々式はお前ら式よりも強いのだ」
 イタリア人記者の故オリアナ・ファラチ女史は『理由力』で1972年、パレスチナ人テロリストのジョージ・ハバシュのことを回想する。ハバシュはイスラエルだけでなく欧米にもジハードするから、「西洋の泰和は失われる」と述べ、「ジハードは一歩ずつ、一粍ずつ、一年ずつ、数十年ずつ進行する。決意、頑固、忍耐こそ我らのセカイ征服戦略なり」と語った。女史は後になってこの発言がテロだけでなく、「文化、人口、奪国、移民、妊娠、多文化主義を通した戦争工作」だということに気付かされた。
 米国国務省はムスリム同胞団を友好勢力とみなして対話しようとしている。しかし、同胞団のアケフ議長は2004年、「大悪魔」米国は間もなく崩壊すると公言した人物だ。「イスラムには論理と使命がある。イスラムは欧米を侵略できる」とも述べた。西洋征服を語ってやまないそんな組織に欧米は手を差し出そうとしているのだ。
 デンマークのオーデンセ教会元司祭ポール・アンデルセンはムスリムとの「対話」活動を警告する。オーフス大での討論会であるムスリムは、「必要なところにはジハードを、可能な場所には対話を。対話など宣教の一部に過ぎぬ」と述べた。アンデルセンはこの問題をデンマーク世界ムスリム連盟に持ち込んだのだが、「イスラムそのものを論じるのは西洋式の人為的思考に過ぎない」と一蹴された。こうした条件の下での対話とは結局のところ、イスラム空間を拡大するためのものに過ぎない。

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ナチス称賛に奔ったウトヤ島の遺族労働党員

2012-12-18 00:19:21 | 訳者による総論
 

(2012年12月の意見文)

 ノルウェーで、ウトヤ島の惨劇を利用した言論封絶工作が活発化してきた。ウトヤ島事件の遺族の中にはなんとナチスを称賛する青年党員まで出現した。
 ノルウェー国会(ストルティング)では電網空間上を含む仇恨言論(ヘイトスピーチ)を犯罪化することを狙いとした法案が審議されている。これは表向きイスラム至上主義の言論も犯罪化するとしているが、実質的にはイスラム批判を封絶する方向へと働くのではないかと懸念されている。
 更に11月には、イスラエルのガザ地区攻撃に反対する活動の過程で、ムスリムの労働党員が「ユダヤの慰安婦め、帰ってきたヒトラーにシャワーされるがいい」という発言をフェイスブックで発していたことが判明した。この労働党員ハリド・ハッジ・アフマドは何と、2011年のウトヤ島事件で犠牲になった77人の青年労働党員の遺族だった。しかし、労働党はこの確信犯的嫌ユダヤ流発言をユダヤ人小社への謝罪程度で幕引きさせてしまった。
 
 これらの出来事について汎東亜後全球連盟は東アジアを代表してこのように考える。

 ・欧州を征服しようとする一部ムスリムが、アラブの春で「民主主義」の絶対正義を手に入れ、欧州独立宣言を逆用してあらゆる批判を侮教と呼び封絶しようとしている。仇恨言論禁圧法はその一環として用意されているものだ。この法律を通すのは何が何でも阻止しなければならない。

 ・「その論理は欧州独立宣言に掲載されているから、お前の議論は無根拠だ。お前は欧州独立宣言とブレイビクの味方か?」という論法を駆使して、一部ムスリムが実際に正当な批判までをも抑圧している。このような論理は卑劣であり、決してその戒禁に嵌まってはならない。

 ・ノルウェー労働党は第二次世界大戦直後、エイナール・ゲラーシェン首相主導の下スターリン型の共産主義を跳ね除け、民主体制と共存できる積極国家体制を築いた。このことは、イスラム党員が「マルクスは無神論者」と唱えてやまぬ現在こそ、積極的に見直されねばならない。そして、当代におけるゲラーシェンの道とは即ち、仇恨言論法の制定に反対することである。

 ・ウトヤ島事件は今後の欧州・イスラム関係史に於いて、スターリン級の重要度を以て語られ続けることだろう。そして、この欧州独立宣言もまた欧州反イスラム言論の金字塔となることだろう。

 ・ブレイビク裁判は正しく当代の安重根裁判だった。安重根は結局処刑されてしまったが、ブレイビクは西洋法治主義に則って懲役21年の判決を受けた。これは現代西洋法治体制のシャリーアに対する勝利として永く語り継がれるべきである。

 ・同志扱いされているフョードマンはこの偉大なる判決の意義を全否定し、死刑判決にすべきだったと唱えている。これではムスリム遺族ハリド・ハッジ・アフマドと同列だ。その通りにすれば、国家をよりイスラム化することに逆説的に貢献することになるだろう。フョードマンは思想的連環を否定したことで、逆に欧州白人の威信を大いに低下させた

 ・フョードマンを始め、欧州の反イスラム活動家は、ウトヤ島事件との思想的連環を否定している。しかし、論理的にみてフョードマンの言論はこのような事件を起こす素地を備えている。ならば、「ウトヤ島式の解決策は支持できないが、問題意識だけは欧州独立宣言と共通だ」と主張する方が、より多くの支援者を獲得できることだろう。