「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

棄教者アスガルのすゝめ(p508~)

2012-12-16 22:41:31 | 現代イスラム批判
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――西洋はイスラム世界の要求に今後も対峙していけるでしょうか?
アスガル:「西洋諸国はイスラム史の教訓にあまりに無自覚です。以下の事例を参考に対策を組み立てるべきでしょう。

 ・預言者様はマッカ亡命後10年の内にユダヤ人を討滅して多神教徒を改宗させ、絶対君主になりました。預言者は「数の力こそ第一」と世界征服への野心を覗かせました。預言者様が存命なら、その日が来た時、銃をとって先制掠奪するようムスリムを教唆することでしょう。
 ・マッカ黎明期のムスリムを庇護したキリスト教国のエチオピア地方の一部は、ムスリムの数が多数になるなり、旧恩を忘れてイスラム化していきました。1683年ヴィーンで大敗していなければ、欧州全域もイスラム勢力によって征服されていたことでしょう。
 ・アッラーはムスリムに対して恒常的にジハードし、夷教徒を討滅するよう煽動しています。

 教訓は多数存在するのに、イスラムは平和で寛容だと多くの領導者が唱えています。映画監督が反イスラムと火病的に暗殺されても、預言者様の妻に関する書籍の出版が脅迫で封絶されても、こうした文句が繰り返されているのです。
 イランのアフマディネジャド大統領がイスラエルの完全滅光を訴えていますが、これは西側指導者のいうように大統領が狂人だからではありません。大統領はアッラーの御心を叶えるために嫌ユダヤ流を発露しているのです。
 しかし、必要な武器無しでどうやってイスラエルを滅光するのでしょうか?マレーシアの「東方凝望人」マハティールが2003年OICの会談で答えを示してくれました。

 13億のムスリム人民が数百万のユダヤに負け続ける訳はない。少し落ち着いて、ムスリムの淵源たるコーランとスンナの道に回帰するのだ。偉大なる預言者様の23年の闘争に学ぶのだ。…今は武力だけでなく金融、経済、技術などあらゆる面で力を涵養する時だ。時はかかるだろうが、忍耐もイスラムの美徳なり」

 ユダヤ人を攻撃する準備段階として、ムスリムは富裕なる夷教国で耽々とイスラムの種を蒔いています。罪人や中二病患者を引き入れた後は、嫁を相手に生殖に励みます。西洋娘を改宗させて、イスラムの伽藍に入れることも忘れません。そして、十分数が増えたら、自治や分離独立を夷教国に向けて要求します。インドやフィリピン、タイ、中国のように。
 PC主義とスルー主義を続けていれば、西洋にもやがて米国の「哲学夜史」ウィル・デュラントが言った事態が顕現するでしょう。

 イスラムのインド征服ほど獄壌劫火なる出来事はないだろう。善霊と自由に満ちた泰和なる文明はいつでも内部または外部の蛮賊により転覆されうるのだ。

――西洋に何を提言しますか?
アスガル:デュラントの箴言を心に留め、以下のような政策を速やかに打ち出して戴きたいです。
 
 ・世俗の価値観の受容を誓ったムスリムのみを受容する
 ・モスクや墓地の新規建設を阻止し、青少年がムッラーの嫌夷教徒流に染まらないようにする。宗教学校や金曜説教の内容も監視する
 ・パキスタンやイラク等の前線でイスラムのテロリストと交戦すると共に、イスラム諸国に対し、嫌夷教徒流を青少年に教えないよう政治・経済面で圧力を加える

 この影響は西洋だけでなく全世界に及びます。西洋諸国はイスラムを封絶する戦いで決して妥協してはいけないのです。

――信仰と個人の自由を維持する範囲内で、こうした政策が可能でしょうか?
アスガル:西洋諸国はイスラムの蹂躙活動を防ぐためにこうした措置を自由の枠内で採れるでしょう。

 1. 入国査証の審査をより厳格化する
 2. モスクはもう十分にある。不逞イマームや教師を監視することはムスリム青年を保護する上で寧ろ欠かせない措置だ。

 アッラーはコーランで次のように啓示し、悪の存在を認めました。

 奴らは世上の眼は騙せても、我(アッラー)の眼は誤魔化せぬ。夜に悪事を謀ろうとも、我は万事を凝望する、誠我は奴らの万事を知悉せし者なり。

 これを援用すれば、イマーム監視に反対するムスリムの声を封絶できるでしょう。アッラーが夷敵を監視しているのなら、西洋の治安当局もイマームの紅世なる宣布から国民を護るために介入して構わぬのです。
 更にいえば、宗教や個人の自由はそれを遵守できる者だけに与えられるべきです。誰も、宗教関係者だからといって罪人を庇護することには賛同しないでしょう。教勢拡大のために夷教徒からの略奪または殺人行為を肯定する徒は自由の枠外に置いても良いのです。

――本日は本フロントページ誌の会見に応じて戴き、どうも有難うございました。

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イスラムの文明衰退作用(p505~)

2012-12-16 22:31:32 | イスラム史批判
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――イスラム思想のムスリムと夷教徒への影響についてどう思いますか?
アスガル:ムスリムはイスラムの被害者です。多くがイスラムの真名を知らぬまま戒禁に囚われてしまっています。イスラムは人間を義体化し、アッラーの燐子にしてしまいます。何事でも「ビスミッラー」とアッラー無しでは何もできない人間に改造してしまうのです。
 イスラムは幽玄界を信じ、多くの時間をアッラーへの礼拝に費やす宗教です。そこから生まれるのは人類の発展に貢献する科学者や世俗学者ではなく、ウラマーばかりです。以下の事例をみれば、「人智」の世界でムスリムがいかに貢献していないかが分かるでしょう。
 イスラム諸国会議機構(OIC)は57国ありますが、その中の大学は僅か500程度、つまり300万人に1つしか大学がないのです。米国の大学の数は5758、インドの数は8407です。2004年上海交通大学の纏めた世界大学500選に、イスラムの大学は一つも入選しませんでした。
 これだけでもイスラムによる教育阻害作用は明白です。この105年間でノーベル賞を獲ったムスリムは3人だけです。1400万人のユダヤ人は180も獲得しているのに。

――イスラムは確かに礼拝ばかりしている宗教ですが、これが神意によるものでないとしたら、どうした人為的理由でこうした規則がつくられたのでしょう?
アスガル:イスラム以前の無明時代、アラブの多神教徒たちは夜明け、正午、日没の3回カーバ神殿に向けて礼拝していました。預言者様はこの慣習を踏襲しただけですが、コーランの中に具体的記述はありません。スンニ派は1日5回礼拝しますが、シーア派は基本的に3回です。
 預言者様は教勢が貧弱だった頃、自分の新興宗教はアラブの多神教とそれほど変わるものではないことを示すために礼拝儀礼を取り入れました。この宥和策はヒジュラ後も続き、一時はユダヤ人に妥協して礼拝のキブラ(方角)をエルサレムにしました。宥和が失敗するとカーバに戻りましたが。
 ムスリムが半島外へのジハードを始めると、礼拝に新たな意義が加わりました。不毛アラブのムスリムたちは征服地の富と清真なる美女たちに大いに魅光されました。初代カリフのアブー・バクルはアラブの民にシリアへのジハードへ赴くよう布告したのですが、ペルシアのルスタム将軍は使者に対し、「君達が貧困から逃れるための生計手段として出陣に追い込まれたことは分かっているよ」と返しました。正に「天国でも遊牧の便宜のためでもなく、麺麭と嫁のため」(アブー・タンマム)に出陣したのです。
 時が経過すると、富と嫁への欲望が制御不能な程昂揚しました。そこでムスリムの領導者たちは欲望を抑制するために、祈りの回数を5回に増やし、様々な動作を付け加えました。当世中東の独裁者のような措置ですが、領導者たちは何とかこれを定着させることに成功しました。その結果、1日の相当部分が礼拝にとられることとなり、文化も経済も大いに衰退することになったのです。ムスリムも早くこの戒禁を自覚すべきでしょう。

――イスラム国の大半は貧困国です。これはイスラム神学と関連するのですか?
アスガル:勿論です。貧乏はイスラムの美徳です。彼らはそれに自足し、自ら清貧に甘んじるのです。自尊心や独立性を放棄してまで。
 しかし、ムスリムは責任を認めず、夷教徒の富者に貧困の病理を求めます。コーランは「我(アッラー)はキリスト教徒に現世の富を与えた。来世で罰を与えるために」と嫌キリスト流を煽動します。そしてムスリムは夷教徒がセカイから衰滅する日を待望しているのです。

――これが不信心者へのジハードに直結するのですね?
アスガル:そうです。イスラムの家と戦争の家に二分するイスラムの世界観はコーラン認定のものです。夷教徒は改宗するか討滅されるかしかないのです。ムスリムは夷教徒をチングとすべきでないとコーランに記されている訳ですから。特に多神教徒に対しては殺害を直截煽動しています。これを把握しておかねば、極めて危険です。

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2.48 イスラム棄教――元ムスリムに聞く(p502~)

2012-12-16 22:05:04 | アジア
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ムハンマド・アスガル (聞き手 ジェミー・グラゾフ)


 出典

 フロントページ誌、本日はイスラムの教義の真名を知って棄教したムハンマド・アスガルさんに接見します。アスガルさんは25年間コーランを研究し、私たち夷教徒が戦慄すべき解釈作業に取り組んできました。夷教徒人材や一般市民のためにです。

――まず貴方のムスリムとしての生い立ちを教えてください。
アスガル「私はバングラデシュの敬虔なムスリムの家に生まれました。両親からはイスラムの教義を学び、マドラサに通ってその真名を知らぬままコーランを暗唱していました。青年期には真正ムスリムたろうと心掛けました。スーフィーの聖廟に詣で、預言者様の誕生日を祝い、南アジアのムスリムが信仰強化のために行うメフフィル・エ・ミラードの集会にも親族と共に参加しました。あの頃は眞心から、アッラーと預言者様の御心に叶わないと最後の審判で楽園に行けないと思っていました。

――どうやって説明抜きにコーランを暗唱させるのですか?
アスガル「ムスリムは今日15億6500万人いますが、アラビア語を話せるのは3億人程度です。コーランのアラビア語は7世紀のクライシュ族が話していた言葉なので、その真名を理解するのは当代のアラブ人にとっても容易ではありません。残りの12億人、多くは南・東南アジアにいる訳ですが、アラビア語話者でない彼らもコーランの原語を暗唱できます。ハフェズ・エ・コーランという暗唱作法で。
 どうして理解していないコーランを非アラブのムスリムが暗唱できるのかといえば、それはムッラー(導師)の御蔭です。文盲で貧困なムスリムは特にムッラーに従います。インド世界のムスリムを観察すればそれは明白でしょう。ここに教養ある富裕階層が加わることもあります。礼拝で用いるコーランの文句は特に暗唱されます。

――怪奇ですね。自分で分ってもいない章句を唱える宗教の信徒は。どうしてイスラムの教義を懐疑し始めたのですか?
アスガル「25年前、亡くなった母上の遺体を安置してはいけないとマウルヴィ[聖職者]に言われたのが転機になりました。その時ルンギがイスラム的でないと言われたのです。ミャンマーのものが有名なルンギ(ロンジー)ですが、これはインドのサリーと同じく下半身が開いているので、地面から見ると急所が見えてしまいます。この点が多くのムッラーによれば、大罪に当たるというのです。バングラデシュの男なら皆履いている衣装をです。しかし、彼らはサリーを着用する女たちには同様のファトワを出さず、大地が下から覗き見するのを放任しているのです」

――この事件は貴方にどんな影響を与えましたか?
アスガル「イスラムの真名を探る営みを始めることになりました。そこで、英語やウルドゥー語、ベンガル語に翻案されたコーランを読んでみましたが、そこにルンギを禁じるような条文を発見したのです。また、こんな条文を発見した時は衝撃を受けました。
 
 2章223 嫁は汝らの耕地なり。だから意のままに耕地に赴け。善行を果たした後に。我(アッラー)を畏れよ。汝らは(来世で)我に会うのだぞ。さあ、この吉報を信徒に伝えるのだ。
 
 つまり、実質的にアッラーはムスリムに対し、嫁を同意なく強姦しても良いと教唆したのです。ここに、同意の下の性交という概念は不在です。アッラーは祈りという善行を果たした後なら、強姦しても最後の審判で赦免する予定なのでしょう。

――上の章句がアッラーの啓示でないとするなら、この根拠はどこにあるのでしょう?
アスガル「私の判断では、コーランとは預言者ムハンマドの武勇伝を纏めたものです。つまり、この章句は預言者の実践した行為に基づくものなのです。3240番ハディースにいわく

 偉大なる預言者様は肌を焼いていたザイナブという女に草明され、みごと俺の嫁にして性交なされた。その後、偉大なる預言者様は使徒に対し、「女の盛衰は悪魔の如し、故に女を視かければ、嫁にして欲望を満光させよ」と命じられた。

 今日のムスリムも預言者様の言行に従って草明した俺の嫁と性交し、歓喜してるからと言って強姦にも及んでいます。

――なので棄教したのですね?
アスガル「そうです。イスラムの教義の真名に良心が耐えられなくなったからです」

――親族と小社はどう反応しましたか?
アスガル「親族はコーランの真名を聞いて私の意見を受け入れてくれました。ただ、地域社会は別でした。棄教の噂を聞いたチングは話してくれなくなり、脅迫まで受けました。イスラムの真名を語り続けたら危ないと判断して、家族一同米国へ移住した訳です。司法省から護衛依頼も出ていますが、氏ねと脅迫されたこともあります」

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