「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

2.36 欧州内のムジャヒディーン網(p451~)

2012-12-07 22:49:36 | 東欧
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ヱヴァン・F・コールマン(2006年?)


 出典不明

 マドリードとロンドンでのテロル以来、政治家も国際テロ組織の関与する過激主義の凶滅なる脅威に覚醒したようだ。中東より流れる灼血を目撃した欧州内の不逞ムスリム青年、それに生粋の白人までが汎欧州ムジャヒディーン網に参与してしまっている。
 しかし、ここで重要なのは真の起源を探ることだ。その根源はウサマ・ビン・ラディンのスーダンやアフガンでの武勇譚ではなく、ボスニア内戦だった。ボスニアにはソ連とアフガンで戦闘したジハーディが流入していたが、彼らが欧州内で次世代の汎イスラム革命戦隊を養成したのだ。アルカイダの勧誘員が2002年、筆者にこう語った。「人民は宗教にこそ身を捧ぐ。そのゲンバがアフガンだ。ジハーディは敗れたが、ムスリムを討滅する悪逆天翼の夷教徒どもへの闘争は今も進行中だ」
 ボスニア内戦は終わりなき日常に煩悶する欧州のムスリム墳青たちに義士なる逃避先を与え、時には前途有望たるムスリム人材をも奇異なる冥界へ連れ込んだ。その頃バーミンガム大学に通っていたアブー・イブラヒムはボスニアへ行ってジハーディの訓練を受け、謀略動画に出演した。自動小銃を翳し、イブラヒムは嘲笑する。

 「ボスニアなんて弾丸無双の紅世でしょう」と皆は言う。しかし、それは違う。ここにはケバブだって氷菓だって麦菓だってある。電信事情もばっちりで休みだってばっちりさ。来なイカ、君達。人生最高の同朋に出会えるよ。ブラジル、日本、中国、中東、新大陸とか世界中から人が集まってるんだ。

 ボスニアは地理的にも欧州中枢部へジハーディを送る玄関にもなる。アフガンの技術がテロル予備軍に伝授されているのだ。ボスニア内戦初期、サウジ人のアルカイダ司令官「バルバロス」はクウェートでこう語った。「俺はムスリムに千載一遇の好機が到来したことを告げにやってきた。アッラーは我らにジハードの好機を与え給うた。ジハードを通して欧州をイスラム化するための」
 これに欧州内のムジャヒディーン細胞が貢献したことはいうまでもない。米国に移送された英国人ムスリムのババー・アフマドのように。彼は「我らは道具だった。外地の同胞たちは君達の想像以上のことを成し遂げた。我らはジハード論に関する文書を相互翻訳した。同胞たちは電子化作業も行っている」と述べている。
 ボスニア内戦時、ボスニア政府は外国(西洋含む)からジハードにやってきた義勇軍を隠密に調査していた。ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍の文書には、ザグレブ、ロンドン、ヴィーン、ミラノ、トリノ等に資金提供者や募兵人がいたことが記されている。ボスニア政府は、中東やアフガンからやってくる戦士たちには期待したが、西欧からやってくる戦士には懐疑的だった。清真にムスリムを救いにやってきた者もいたが、明白な重罪人もいたからだ。彼らは個人情報の提供を拒んでボスニアの市民権を取得しようとしていた。
 フランス人「アブー・ワリド」はその典型だ。彼は改宗ムスリムで本名をクリストフ・ケイズと呼ぶ。ボスニアでムジャヒディーン部隊の野戦司令官を務めた後は北フランスで「翡翠ギア」武装イスラム集団(GIA)のテロ網「ルーベの匪賊」を統括した。最期にはベルギー国境の高速路銃撃戦で1996年射殺されたが。
 ムジャヒディーンでさえ嫌がる火病的な募兵者もいる。スペインで活動していたシリア人バラカット・ヤルカスは最終的に2001年、9・11のテロ犯を幇助した容疑で逮捕され、懲役27年を求刑された。
 ボスニア内戦はアルカイダやGIA等に資金調達や団員募集で巨万の好機を与えた。欧州系のムスリムがボスニア政府に入り込む一方、NATOは介入時にあろうことか悪辣な討滅作戦に関与した容疑者たちに西側諸国への政治亡命を認めてしまった。GIAらは西洋内の休眠細胞を再度刺激した。彼らは内戦後もテロ行為を続けている。

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2.35 エジプトでの教科書ジハード (p449~)

2012-12-07 22:40:01 | 中東
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アンドリュー・ボストム


 出典

 3人のムスリム青年が別の青年で「打ち首ごっこ」をする動画がイスラム急進系のシェイク・アブー・ハムザの電頁を通して流れた時、大きな反駁が起きた。しかし、エジプトの児童用教科書に含まれる夷教徒への憎悪教育に比べれば、これは大したものではない。ジハード関連の打ち首を日常系の出来事のように記す描写をみてみよう。
 
 神学(2001年版)
 偉大なる預言者様と聖コーランは、最大の使命についてこう唱えています。「敬虔なる者をジハードへとみちびき、不信心者を打ち首にし、力をうばって捕虜にし、眞心からしたがわせることこそ、ムスリムの使命であります」アッラーはこう仰せになりました。「戦場で不信心者と会ったら首を斬れ。降伏したら一まずしばりつけ、身代金を取り立てるなり好きにしろ」と。

 別の文書には「ひざを打ちつけよ」ともある。現代人からみると慄光するが、これが1300年間続いてきたジハードの真名なのだ。そこに曖昧模糊な処はない。訳者いわく

 教科書内のジハードは軍事演習の一環だろうか?内地も含め、夷教徒や不信心者への敵対が煽られている。内外を問わずジハードは絶対であり、これに参加せぬ者は糾光される。
 
 19世紀カイロやルクソールで過ごした学者E・W・レーンも「エジプトの教育内容には驚愕する。夷教徒や異端ムスリムに対する呪詛が溢れている」と述べる。その中にいわく、

 アッラーよ、呪光されし悪魔より我が身をお救い下さい。アッラーよ、慈悲深く情熱に溢れ、全真名の顕現者、使徒の守護者にして欧亜のスルタン、地中海と黒海の大ハーンであられ、偉大なるマフムード様の御子として。アッラーよ、全セカイの領導者よ、どうか我らの側に立ち、野蛮なる夷教徒の討滅に力をお貸し下さい。そして、夷教徒を孤児とし、奴らの住居、兄弟、嫁を我らのものにして下さい。全セカイの森羅万象を知悉するアッラー様。

 1949年、イスラム学者のS・D・ゴイステンはアラブ世界についてこう警告した。

 イスラム火病主義が公然と煽動されている。西側の生活様式に染まっていた作家が競ってイスラム世界の傑雄や美徳を語り、教養人は「東方の青年学士器官」と自称する雑誌「新東方」の下へ結集する。そこには「イスラムを火病的に死守しよう。ムスリムたる者とのみ友誼を結び、邪なる不信心者とは徹底して縁切りしよう」とある。

 この風潮は10年後も顕現した。レバノンのアントワーヌ・ファッタル法学部教授が嘆いたように、シャリーアの下でムスリムとジンミーは完全に隔離されたまま生活を送れるようになった。アズハルでもナジャフでもザイトゥーンでもジハードはセカイの末劫まで続くと教えられている。
 これは50年後の今も続いている。西側諸国の領導者は経済制裁を臭わせてでも、憎悪天翼なるイスラム諸国の「教育」措置を封絶させねばならぬだろう。

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