「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

棄教者の命運(p537~)

2012-12-24 22:53:24 | 現代イスラム批判
 前へ

 ボスニア初代大統領のアリヤ・イゼトベゴヴィッチは1970年の「イスラム主義宣言」でイスラム原理主義国家の樹立をこう訴えた。「ムスリムは個体の概念にあらず。ムスリムの生命は常に信仰の環境を顕現させることにあり。セカイを改造する者へと自己を改変する者なり。政治なきイスラム運動は有史上一度も存在せず」。つまり、「ムスリムは個人として自由意思を持つべきでない」(フランツ・ローゼンタール)のだ。アリー・シーナーのいう「脱自分」意識が集団としての暴衆となり、無心暴蹴団となって発動するのだ。これがイスラムの抑圧なる真名である。
 しかし、ハイエクも『隷属への道』でこう語る。

 我らは今、個人の行為の上に倫理が生まれること、個の自発的義侠心が保証される空間でのみ倫理が生まれることを忘却しようとしている。この空間外には善悪は愚か、義を担保する仮想意思総体も存在しえない。それなしでは、いかに慈悲深き組織でも面子を護ることはできまい。

 英国警察の档案によると、ムスリムの警官は夷教徒の警官より10倍不義を告発される。パキスタン系等の警官は「大家族の扶養義務」、親戚やチングとの金銭関係から汚職に走るようだ。なのに、ムスリムの納税意識は弱い。彼らにとっては部族の生活が第一なのであって、個人や国家は敵なのだ。この精神が夷教国に汚職と部族の械闘を齎している。
 アリー・シーナーはこういう。
 
 「碩聖の門宦」アル・ガザーリーは『哲学者の矛盾』で、アリストテレスなどのギリシア哲学を不信心と糾弾し、その方法論を反イスラムと断じた。イブン・シーナーはガザーリーにとって、ギリシア哲学の燐子に過ぎなかった。ガザーリーは理性より信仰を優越させ、非理性と愚昧を実質的に讃えた。
 ムータジラ派など理性を啓示の上に置く学派もあったが、彼らはガザーリーや「土光の門宦」ルーミーらの属するザ・シャリーア団に封絶され、衰滅した。ルーミーは彼らを「樹脚」と呼んで群衆を扇動した。
 こうした宗教と向き合う場合、西洋は内部の民主主義と表現・信仰の自由の精神を護持し、弱勢が多数派を安心して批判できるよう誘導していくべきだろう。

 棄教者イブン・ワラクも、「イスラムは全体主義のイデオロギーだ。そこに個はない。イスラム原理主義とかイスラムのテロルとかいう呼称があるが、イスラムは真名より全体主義の集団主義なのだから、そうした区別は虚構に過ぎない」とする。
 棄教はイスラムにとって最大の大逆罪だ。イブン・ワラクやアリー・シーナーという名前はあくまで筆名に過ぎない。棄教を罪とする根拠はコーランとハディースにある。コーランを引くと、

 (4・89)奴らは自分が無信仰なのと同じく、汝らも無信仰化することを望む。故に奴らが我(アッラー)の道に改宗するまで、奴らをチングにしてはならない。もし奴らが背信すれば、どこでも奴らを殺光せよ。奴らの朋とする莫れ。

 イブン・カシールの代表的な注釈も文字通りのものだ。ブハーリーのハディースでも、「イスラムからの改宗者は殺せ」とある。アリストテレス哲学者イブン・ルシュドは、本職がマリーキ派のウラマーだったが、それでも棄教死罪を肯定した。これは現代のアズハル学院でも同じだ。シャーフィイー学派の1991年版の解説書には「棄教は死罪級の大逆罪なり。イスラムに回帰せよとの説得に応じぬ場合は、即座に処分せよ」とある。

 エジプトの「フェミ婚外子」ナワル・エル・サーダウィはエジプト憲法からイスラムを国教とする部分を削除するよう2003年訴えた。「コプト教徒の存在力や“宗教は神と人のもの”であることを考慮するよう」述べたのだ。米国やイスラエルとの闘争を支持するとも言い添えた。反応は様々だったが、アズハルの元ウラマー長は「3日以内にサーダウィが改悛せぬなら、棄教発言としてシャリーアで罰するべきだ」と返した。
 ダヴィード・ガーテンスタイン=ロスがいうように、「棄教はアフガン、コモロ、イラン、モーリタニア、パキスタン、サウジ、スーダン、イエメンでは死罪となる。他国ではそこまで行かないが、最大の脅威は国でなく民心だ。故に多くの棄教者は棄教を隠蔽する。2003年にはバングラデシュで、キリスト教への改宗者がルカの福音書の映画を見た帰路に撲殺された。同国ではキリスト教への改宗者は常に原理主義者の恐喝に怯えている。
 英国では2004年チャールズ皇太子が棄教死罪を止めるようムスリム領袖との対話会で訴えたが不首尾に終わった。国外キリスト教徒の迫害を告発するバーナバス基金のパトリック・スーフデオは棄教死罪の全廃を訴えてこう語る。「個人の自由選択こそ世俗社会の基幹です。ですが、イスラムに個人の選択という価値観は存在していません」
 ロンドン・タイムズによると、西洋社会の15%のムスリムが棄教状態にあるが、彼らは家族などから迫害され、処分されることもある。「キリスト教でこうしたことがありますか?」とある棄教者は語る。無神論者となったアンワル・シェイクはカーディフでイスラム批判の本を出したため、何度も脅迫を受けた。「どんな結末も引き受ける」と言いながら書き続け、安らかにこの世を終えられたが。

 次へ

イラクへの「民主主義」(p536~)

2012-12-24 22:40:01 | 中東
 前へ

 イスラムの俺最強症候群の脅威をスルーすると、イラク等に「民主主義」を輸出する時紅世の事態を招くことになろう。
 2005年9月、バグダッドのカルデア系キリスト教徒の司教が新憲法への懸念を表明した。2条1項の「イスラムに与否なく反する立法これを通さず」という条文が夷教徒への差別の「扉を公然と開く」と懸念したのだ。英国のグリン・フォード議員は、アッシリア人への救援を訴える。「アッシリア人は投票権を奪われ、討滅作戦の標的になっている。国際社会はアッシリア人など弱勢の権利を護るよう行動すべきでないのか?」と、
 グノーシス系のマンダ教徒の7歳児を焼殺したムスリムは「燃えろ、汚辱の不信心者よ」と叫んだ。女の医者、警官、記者もまた「雑魚なる標的」と化していると自らも討滅対象のイラク女性国民評議会のラジャー・アル・クザイ議長は語る。
 イラクのキリスト教徒は全人口の4%だが、2006年一季度(第一四半期)の間アンマンに逃れた難民はキリスト教徒が最大だった。シリアでも亡命者の44%がキリスト教徒だ。カトリックのアンドレオス・アブーナ司教らはこう語る。「学校ではキリスト教徒は不信心者と教え込まれている。英米軍には教会を救うという歴史的使命が課せられていたというのに、彼らは無作為でした。財政援助してくれれば、モスルとかを防衛できたことでしょう」
 イラク人が選挙でイスラム原理主義政権を選んだのなら、ブッシュ大統領は「愕然とはするが、民主主義は民主主義だ」と受容すると述べた。本当に同義でしょうか、大統領?
 ここで、民主主義を暴衆支配と呼んだプラトンの批判に立ち返ろう。権力の均衡と抑制がないと、民主主義はこうした形態に堕する。ベンジャミン・フランクリンらは「民主主義とは2匹の狼と1匹の羊の点心投票、責由とは武装羊の投票会」という発想から、民主原理主義ではない立憲制共和国を構想した。しかし、現在の米国は建国の父たちの診断を無視して、弱勢や個人の権利の稀薄な民主主義をイラクに押し付けようとしている。イスラムの真名を考察せずに。その結果、夷教徒や女性が討滅されているのだ。

 次へ


無敵イスラム軍(p533~)

2012-12-24 21:09:07 | 中東
 前へ

 ムスリムの俺最強症候群は深刻だ。「原理主義の父」サイード・クトゥブの『道標』では、「信仰者の心髄では、貧富を問わず夷教徒への勝利感が眞心より存在する」とし、こう語る。「信仰者なら、無明なる先人の制度と知識に対して、イスラムの制度と叡智を上位に置くのは当然だ。信仰者は誤謬なる先人を上より見下ろし、先人オワタと無上の優越感に浸るのだ。…ムスリムは今日物理力を喪って制圧された状態だが、良心を喪わぬ限り、ムスリムこそが征服者を上回る現世の王であることに変わりはない。現況はやがて去り、逃げ道なき篤信の潮流が巻き起こるのだから」
 アラブ優越思想も最強だ。「イスラムなきアラブ人が存在しうるか?イスラムこそアラブ人に齎された唯一のイデオロギーにして、アラブ人を人類の領導者に押し上げたものなり。イスラム抜きでアラブ人がどう人類史に残れよう?」
 『道標』や『コーランの陰影』でジハーディを焚き付けすぎたために、クトゥブは1966年ナセルの手で処刑された。故に、クトゥブを「過激派」と切り捨てる向きもあるが、クトゥブのイスラム至上思想は広く世界に流布している。
 ヒュー・フィッツジェラルドはこういう。「ウンマは平等とされているが、アラブ人はなんとなく偉いという黙契が存在する。コーランの原語に選ばれたアラビア語を話すアラブ人はそれだけで偉い存在なのだ。預言者も信徒もアラブ人だった。アラビア語以外の翻案コーランは望ましくない存在とされ、非アラブの子弟たちは意味も分からぬまま7世紀の古代アラビア語のコーランを暗唱する。…サウジはアパルトヘイト国家だ。ムスリムと夷教徒の区分だけでは飽き足らず、ムスリム内にも一級のアラブ人と二級の非アラブ人という等級構造が世上に存在する。
 このアラブ人最強主義は反イスラムの武器として過小評価されている。「多くのムスリムをしてイスラムの中のアラブ至上性、優れた文明を貶めるアラブの黙契に気付かせるのが重要だ。この戦術は特にイランでよく機能するだろう」
 モロッコでは先住民族たるベルベル人の影響力が制限されている。「我らアラブにあらず、真の歴史を光復するぞ!」ある年の労働の日、ベルベルのタマジット語で数百人が示威した。モロッコの過半数はベルベル系ともいわれるが、モロッコ憲法はアラブ国家と自称している。アフリカ全体でベルベル人は2500万人ほど存在する。
 
 イスラム式不平等の思想は既に欧州へ輸出されている。2005年、デンマークで2人の移民が殺された時、後に預言者戯画騒擾で憎悪煽動を行ったイマームのアブー・ラバンは加害者に対して20万クローネを弁償するよう求めた。これは預言者の時代の駱駝100頭分に相当する額だ。血金の発想はコーランに由来する。「信徒よ、殺人への報復刑をここに定む。自由人には自由人、奴隷には奴隷、女には女への。ただし、害者の兄弟が報復軽減を申請した場合は、犯人は眞心より丁重に弁償せよ。これは信徒への我の情け深き慈悲である」
 デンマーク多文化主義の「左世の王」ポリティケン紙はこの血金の発想を検討価値ありとする。しかし、このイスラム式正義は重大な問題を抱えている。第一これは、西欧の司法体制を無視した部族的な仇討の発想法だ。西欧にも確かに同種の伝統があったが、この部族法を忘れて久しい現在、イスラムの方も血金を放棄すべきだろう。これを認めるのなら、西欧人も自衛のために部族法に回帰せねばならない。
 その上、前近代段階のイスラムの場合、血金は不平等に支払われる。性差別を伴うこれはアパルトヘイトそのものだ。サウジの法廷は女の人命は男の脚と同価に過ぎぬという判決を下した。交通事故で妻を殺し、夫の脚を負傷させたシリア人に対して、それぞれ1万3300ドルを弁償するよう命令したのだ。これが棄教者の場合、殺人無罪となることもある。夷教徒の場合は不平等だ。2002年4月9日のウォール・ストリート・ジャーナルによると、サウジで死亡事件への血金の額はシャリーアに基づき、こう定められている。

 被害者がムスリム男子なら10万リヤル、ムスリム女子なら5万リヤル、キリスト教男子なら5万リヤル、キリスト教女子なら2万5000リヤル、ヒンドゥー男子なら6666リヤル、ヒンドゥー女子なら3333リヤル

 アリー・シーナーは「ムスリム男子の価値はヒンドゥー女子の33倍もある。これがコーラン認定のイスラム式人権とするなら、どうしてイスラムの民主主義を語れよう?」と述べ、イスラム政府に存在するファッショの黙契を列挙し、「イスラムは政治であり、政治イスラムはファッショである」と総括する。

 ・偉大なる聖職者による権力集中
 ・全社会、全宗教を覆う統制主義
 ・テロルと検閲による異分子の抑圧
 ・夷教徒へのゴーマン主義
 ・宗教アパルトヘイト
 ・反理性、帝国主義

 トロントのライアソン大学におけるムスリムの俺最強症候群は深刻だ。ムスリム学生協会が「多信仰の広間」の使用権をムスリムだけで「永久予約」したのだ。広間はイスラムにとってのみ心地よい空間に改造された。カナダ学生協会が介入した時もあったが、嫌イスラム流の問題だけが告発された。
 米国議会図書館のレイモンド・イブラヒム司書はロサンゼルス・タイムズで警告する。

 法王ベネディクト16世がイスタンブールのハギア・ソフィアを訪れる前、大きな懸念がトルコ人にあった。このモスクに改装された正教徒の君府で、法王が十字架を掲げるなどキリスト教を復古するようなどんな紅世の事態が生じるだろうと。

 法王は「東方の君府」たるハギア・ソフィアでジンミーとして行動したので、問題は生じなかった。しかし、「イスラムが自己批判する前に西洋が自己批判を繰り返したことで、西洋はまた、イスラム特権を再確認することになった」

 次へ

イスラムと民主主義(p530~)

2012-12-24 20:56:03 | 現代イスラム批判
 前へ

 イスラムは民主主義と共存するのか?オランダのピエト・ハイン・ドネール司法相はこう言った。「3分の2のオランダ人がシャリーアを望むなら、それも選択肢だ」
 この困境(ジレンマ)についてはこう考えたい。僕らの望みは一人一票などの選挙制なのではなく、良心や言論、武装の自由、世俗法の下の平等と権力の濫用防止、民心の合意にあると。自由選挙は飽く迄こうした民主的価値観を成就させるための手段に過ぎない。
 シャリーアは侮教と棄教に対して死罪を課すが、これは言論の自由という民主主義の真名とは相容れない。故にシャリーアは民主的ではない。また、女性、夷教徒、奴隷との間に差別を定め、夷教徒に武装させず、真の財産権も認めない。コーランの中にあるシューラという相談の伝統も具体性がなく、スルタンは棄教以外のあらゆる行為を許されている。
 西オンタリオ大学のサリム・マンスール教授はこう語る。「民主主義文化の淵源には個人を政治と世上の倫理中核とする発想がある。これを絶対不可侵とするところが他文化と大きく異なるところだ。民主主義を多数派の統治形態と捉える誤謬に嵌まってはいけない。民主文化内部の異分子や弱勢を保護するところに民主主義の真名があるのだ」
 これはサミュエル・ファイナーが『比較政府』の中で「立面民主主義」と呼んだ非自由民主体制とは異なる。立面民主主義とは権力を握る少数の精鋭が権益のために民主主義思想に頭を下げているだけの状態だ。
 イスラム諸国では幼少期から夷教徒への優越感を植え付ける教育が行われているが、これこそ真の民主主義への障害だ。ウォール・ストリート・ジャーナルでサード・エッディン・イブラヒムというイブン・ハルドゥーン開発研究所所長が「中東の民主主義蘇生を」という意見文を掲載していた。エジプトで何度も投獄されたイブラヒムは楽観していう。

 かつて、ドイツでも日本でもスラブ圏でもカトリック圏でも社会は本質的に民主化しないと学術界でさえ唱えられていた。文化の真名に民主的価値観に敵対する戒禁が埋め込まれているのだと…
 
 しかし、研究所の名前に冠される14世紀の「歴史序説」イブン・ハルドゥーンはこう語る。「ウンマではジハードは義務なり、ムスリムは劍を以てでも夷教徒を改宗させるべきなり。ウラマーは権力政治の朋なり。イスラムは夷国に影響を及ぼすのが義務故なり」と。これは決して寛容や開明、民主主義とは相容れない。ハルドゥーンのキリスト教徒観を引こう。「キリスト教徒の教条に触れることはしない。コーランの記す如く、その全ては虚妄なり。改宗せぬなら、ジズヤか死を選ぶのみだ」
 アンドリュー・ボストムの『ジハード伝』によれば、11世紀のアル・マワーディの代からディミテュード制が始まった。マワーディはジズヤとジハードの不可分性を確信犯的に語る。そして、休戦はジズヤが支払われる間だけで、ジズヤが止まると直ぐにジハードが再開されるのだ。
 ジンミーへの制限は多い。2005年、カタールで改革派のエミールにより1300年振りに教会が出来たが、そこに十字架の尖塔はなかった。キプロスからやってきたクリーヴ・ハンドフォード司教は「我らはイスラム国では客人に過ぎず、主人の要求に答えただけです。内部はキリスト教そのものです」と語るが、これが従来のジンミー法に基づく措置なのだ。
 「穏健で寛容」な筈のマレーシアでも事態は深刻だ。タミル系インド人のヒンドゥー寺院が違法だからと壊されたが、これは当局の建築許可が下りなかったからだ。カトリック教会の場合でも、建築許可が下りるまで30年かかった事例もある。
 インドの場合、ハナフィー派は何とか偶像崇拝のヒンドゥー教徒もジンミーの一種にした。しかし、ハナフィー派の王や剣士たちは、ヒンドゥー教徒の名誉や巡礼慣習は徹底的に保護しなかった。他の法学派では「ヒンドゥーには改宗か死あるのみ」とされている。
 西洋謝罪主義者は「南アジアの械闘はお互い様だ」と論じる。しかし、パキスタンの夷教徒はほぼ完全に討滅されたし、バングラデシュでも数十年前は3割ほどいた夷教徒の数が今日では1割まで減った。それでも、インドのムスリムの数は高出生率のため増加している。これで「お互い様の敵意」といえるだろうか?
 パキスタンのシンド州ではムスリムがヒンドゥー娘を誘拐して強制改宗させる事例が続発しているので、若年婚が続発している。カラチだけでもそうした誘拐事件が19件発生した。人権活動家のヒナ・ジラーニはこう述べる。「インドのムスリム娘がヒンドゥーに強制改宗させられていますか?ムスリムは夷教娘を誘拐することで、夷教徒小社が殺人者に屈するよう仕向けているのです。偏見の対象たる夷教徒は賤業にしか就けず、出世の機会を奪われる訳です」

 次へ