「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

西洋民主カイゼン計画(p527~)

2012-12-23 22:34:46 | 理想の西洋世界
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 ここに民主体制のカイゼン案を提示する。
 
 ・公衆、つまり政治面以外で団結している集団を再生しなければならない。ここから生まれる相互意識が政策決定者と公衆との間の信頼を担保する。汚職した領導者は解任される。今日、超国家機関がこうした関係を弱化させている。多文化主義と大量移民も相俟って。
 ・公衆は真の意味での言論の自由を保証される。残念なことに、多くの西欧諸国では左翼的な検閲活動により敏感語にまつわる問題が封絶されてしまっている。マスゴミは政界の領導者に追随するばかりだ。
 ・ただ、公衆の中にムスリムは含まれない。イスラムそのものが民主体制への脅威だからだ。ムスリムはイスラムを非難せぬ夷教徒にまでジハードの矛先を向け、特別待遇を訴えて自由を破壊する。
 ・公衆同志の間の境界線をしっかり確定させる。非公衆への差別なき国家はやがて機能停止する。

 現在の西欧に上のような条件はまるで残っていない。集められた税金の用途に口を出せない国民は市民ではなく、スペクタクル社会を蠢くただの客体にすぎない。公衆が国家内で何事かを決定したとしても、国際法や国連などの超国家機関がそれを無効化するなら、そこに何の意味があろう。現在西欧の7割の法律はそうした機関が策定している。国民議会は空洞化した。西洋はもう真正の民主主義国家ではなく、「自由世界」の側にいないのかもしれない。真の責由が普通選挙の中失われつつある。
 EUは何故民主的でないのか?それは規模と官僚厖獣のせいだ。ハイエクは『隷属への道』でこう書いた。

 全権が常人の理解を超えた巨厖組織にある時、民主主義は伸張するだろうか?政治訓練を行うための学校を持つ土着の政府無くして、民主主義が顕現することはなかった。民心の馴染む責任意識が育ち、常人が理解できる公共空間に参与できて初めて、隣人を理解する民主精神が育つのだ。政策理解に必要とされる知識が官僚でないと理解できないほど複雑怪奇なら、個人の創造力は削がれるばかりだろう。

 しかし、規模だけは同等の米国の制度はある程度機能している。問題はEU機関の制御不足だ。2006年、欧州監査院は12年連続でEU予算を虚飾天翼と否決した。欧州理事会の予算の半分が不適切に監査されたのだ。しかし、マスゴミはこの件を大きく報道しない。5億人民の予算に関する問題がだ。米国でこうした事態を想像できるだろうか?EUはソ連の政治局員と同じく、説明責任を有していないのだ。そこに、均衡と抑制が働くわけはない。
 国家単位なら民主主義を樹立しやすいかもしれない。しかし、「納税十字国」スウェーデンでは、言論の自由が大きく抑圧されている。官僚機関の力を制限するのは民主主義のために必須だ。前近代の絶対君主たちは不当な命令を出しても納税する限りは放任してくれた。しかし、今の民主国家はどうだろう。欧州先住民の文化遺産を穢し、イスラムの「寛容」を説く教育から子供を隔離させることができない。これが責由だろうか?
 ノルウェーの子女教育に責任を持つオイステイン・ジュペダル(社会主義左翼党)は、「育児の最善の担い手は親だというが、それは誤りだ。ヒラリーのいうような村としての幼稚園が最善なのだ」と述べた。流石に後で、育児に最大の責任を持つのは親だと自制したが。
 EUが民主的でない最大の根源は、欧州公民という概念が存在しないことにある。大半の公民は自分の身份をイタリア人、オランダ人などと看做すばかりで、欧州人という意識はよくて「越えられない一位」に次ぐ二位に過ぎない。米国では多文化主義によりアジア系、アフリカ系という概念も台頭しているが、それでも第一身份はアメリカ人だ。反動した白人まで自らを欧州系アメリカ人と位置付け始めたら、国家体制が崩壊する危険性もある。
 ノルウェー進歩党のカール・ハーゲンは移民政策を非難する。一方、フランスで「汚職討滅団」を率いるノルウェー生まれのエヴァ・ジョリー治安判事はこう語る。「職に国籍や市民権を求めるのは旧思考よ。国家語でなく、全球なる欧州語でセカイを考えなさい。他国の者を雇用するのは義務よ」。ジョリーは欧州人気取りだが、とっている国籍はノルウェーとフランスだ。
 民心は儚き「セカイ益」よりも自身の利益に奉仕してくれる者を重役に選出したいはずだ。母国への忠誠心を感じぬと公言する者に仕事を任せたがるだろうか?英国の哲学者ロジャー・スクルートンはこう語る。「彼ら自由人材は嫌外人流には耐性があるが、嫌故郷流という嫌悪意識という戒禁にも同程度に嵌まりやすい」
 また、『西洋とその他――全球化とテロの脅威』では西洋に根付く「個の国家」という身份を確信してこういう。

 個の国家を形成するのは憲法に基づく法支配と交代する公務員だ。決定事項は必ずしも民主的でないが、そこには全市民が参与できる余地が含まれている。そこで好まれるのは強要でなく交渉、戦争でなく泰和だ。

 これが機能するためには、共通の利益を第一とする共同体への忠誠心と帰属意識がなければならない。イスラム諸国にこれはない。あるのはウンマの理想のみで、国民国家や領土統合という概念はシャリーアに存在しないからだ。
 しかし欧州では、身份たる個の国家が超国家機関によって上から、移民の盲流によって下から解体されようとしている。欧州統合の過程で啓蒙的な代替案は存在しないのだ。

 西洋に亡命した者達は、国境線による司法境界の恩恵を受けて西洋の政経の果実を享受している。しかし、超国家機関が発達して国境が融解し、拒絶の文化が蔓延すれば、従来の西洋式自由は忽ち維持しにくくなるだろう。
 数百年ぶりにイスラムは単一の目標に向け大団結している。西洋文明と全球化工程が希代の統一感を生み出す背景となった。これも西洋の強盛振り、法体制、送金・通信体制が世界人民の大志を超国境で統合しているからだ。
 西洋文明は全球化とは縁のない市民権や国家への忠誠心、領土上の境界の上に発展した。一方、イスラムはウンマという全球的な大義を持つ宗教だ。皮肉なことに、全球化はイスラム先軍主義者に、オスマン帝国以来の欧州侵入の機会を与えた。西洋民主主義の制度にイスラムは見事に寄生している。
 全球化はムスリムに世界イスラムウンマへの霊夢を見させているのだろうか?全球化は畢竟イスラムを強め、西洋を弱めるのだろうか?

 この問いへの答えは真摯に求められねばならない。長期的には、通信技術がイスラム批判の方向へ向かう可能性もあるが、短期的には極めて危険な問いだ。

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