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ワッハーブ・クールの源流たるサウジは何十年間もテロルを醸造してきた。PLOに資金援助してきたし、9・11の実行犯は大半がサウジ人だった。遂に米国の圧力により実態調査が行われることになったが。
サウジ王室は夷教国のムスリムを支援するため、1500以上のモスク、202の大学、210のイスラム施設、2000近くのマクタブを建設してきた。サウジ政府は他国のイマームにも1000~4万ドルの報奨金を出し、多くを自らのワッハーブ・クールの燐子とした。他国も同様のことを行っているが、20年間で870億ドルを支出したサウジに敵う国はない。南アジアや極東アジアでもこうしたワッハーブ・クールなイマームが活動している。
ここで、イスラム4大法学派(ハナフィー、シャーフィイー、マリーキ、ハンバリ)の原則を確認したい。ワッハーブ・クールの燐子は多くがハンバリ派の徒だ。
西洋マスゴミや「穏健派」はサウジ式のワッハーブ・クールをスンニ派神学ファッショとか保守サラフとか「守旧イスラム」と呼ぶ。アルカイダの思想はサラフ・ジハードとでも呼べようか。しかし、実行者自身は「ムワヒドゥーン」と呼ばれるのを好み、穏健派の解釈を嫌っている。
ワッハーブとは18世紀、今日のサウジで活躍したウラマーの名前に由来する。「偉大なる預言者様に帰れ」と唱える彼の原理主義的再解釈に従うと、嫌夷教徒流はアッラー的にカッコよい態度であり、民主主義は「20世紀の紅世なる大戦の根源」で、夷教徒式発想を全拒絶するのは当然ということになる。
ワッハーブ・クールはクウェートやUAE等でも結構強い。ムワヒドゥーンたちはその理念が一宗派の枠で括られることに反発し、サラフィー思想と呼ばれるのを好む。
ムスリム同胞団などが奉じるサラフィー思想は元来、ワッハーブ・クールより近代的とされる。ただ、イスラム自体への近代的解釈を拒絶する点では共通だ。近年では同胞団とサウジ王室の連携強化により、融和して汎イスラム連合を形成する動きも活性化している。
サラフィー主義は黎明期の70~80年代とは様相を異にしてきている。その思想では資本主義や社会主義は勿論、経済や政党などといった西洋の根本的価値観までが拒絶される。代わりに、イスラム的政治計画でなくシャリーアの宣布が真摯にダーワ(呼びかけ)される。
サラフィーによれば、歴史は預言者ムハンマドに始まり、木鐸は預言者の3世代の内に出揃う。その後のウラマーはあくまで「中興者」に過ぎない。ただ、その思想の系譜は預言者の時代から続いてきた訳ではないようだ。
サラフィー思想では暴力ジハードは夷教徒の占領軍に対してのみ許され、イスラムを称する政権に発動してはならぬとされる。また、非暴力での改革運動が必要でも、内戦(フィトナ)は駄目だとする。(サルマン・アッラウダ)
ただ、抑圧政権を倒すよう呼びかける者もいる。その筆頭がエジプトのムスリム同胞団の「原理の道標」サイード・クトゥブだ。クトゥブはサダトらを暗殺した罪で結局収監された。(ラーベ・アル・マドハリ)
近年ではアルカイダのサラフィー思想がジハードの名の下で文民を討滅し、サウジや同胞団にまで牙を向ける。サラフィー同士の対立も酷い。しかし、ここで重要なのは、彼らの影響力を矮小化しようとするイスラム謝罪主義者が西洋で展開するマスゴミ工作だ。
非公式網と行動するサラフィー主義
アラブ世界を詳細にみていくと、サラフィー思想を統一的に動かす階層的組織はどこにも存在しないことが分かる。誰でも「俺はサラフ(眞道)を顕現しているぞ」と自称できる分権的な思想なので、サラフィーも弟子を獲得するのに忙しい。つまり、サラフ細胞はどこにでも出現しうるという訳だ。
「行動するサラフィー」たちは先祖と同じく、友人関係などの非公式網を使って組織を拡大する。そのため、友人が一気にサラフィー化することもあるのだ。その連帯感は極めて高い。
イスラム謝罪主義者とワッハーブ・クール
イスラム謝罪主義者によると、ワッハーブ・クールを実践しているのはサウジやタリバンなどの「ごく一部の邪世の徒」に過ぎない。しかし実際には、多様な形でワッハーブ・クールの燐子たるサラフィーたちが運動している。先に挙げた地域以外でも、アルジェリア、モーリタニア、ソマリア、パキスタン、インド、中東、ボスニア、コソボ等にサラフィーたちが跋扈しているのだ。
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ワッハーブ・クールの源流たるサウジは何十年間もテロルを醸造してきた。PLOに資金援助してきたし、9・11の実行犯は大半がサウジ人だった。遂に米国の圧力により実態調査が行われることになったが。
サウジ王室は夷教国のムスリムを支援するため、1500以上のモスク、202の大学、210のイスラム施設、2000近くのマクタブを建設してきた。サウジ政府は他国のイマームにも1000~4万ドルの報奨金を出し、多くを自らのワッハーブ・クールの燐子とした。他国も同様のことを行っているが、20年間で870億ドルを支出したサウジに敵う国はない。南アジアや極東アジアでもこうしたワッハーブ・クールなイマームが活動している。
ここで、イスラム4大法学派(ハナフィー、シャーフィイー、マリーキ、ハンバリ)の原則を確認したい。ワッハーブ・クールの燐子は多くがハンバリ派の徒だ。
西洋マスゴミや「穏健派」はサウジ式のワッハーブ・クールをスンニ派神学ファッショとか保守サラフとか「守旧イスラム」と呼ぶ。アルカイダの思想はサラフ・ジハードとでも呼べようか。しかし、実行者自身は「ムワヒドゥーン」と呼ばれるのを好み、穏健派の解釈を嫌っている。
ワッハーブとは18世紀、今日のサウジで活躍したウラマーの名前に由来する。「偉大なる預言者様に帰れ」と唱える彼の原理主義的再解釈に従うと、嫌夷教徒流はアッラー的にカッコよい態度であり、民主主義は「20世紀の紅世なる大戦の根源」で、夷教徒式発想を全拒絶するのは当然ということになる。
ワッハーブ・クールはクウェートやUAE等でも結構強い。ムワヒドゥーンたちはその理念が一宗派の枠で括られることに反発し、サラフィー思想と呼ばれるのを好む。
ムスリム同胞団などが奉じるサラフィー思想は元来、ワッハーブ・クールより近代的とされる。ただ、イスラム自体への近代的解釈を拒絶する点では共通だ。近年では同胞団とサウジ王室の連携強化により、融和して汎イスラム連合を形成する動きも活性化している。
サラフィー主義は黎明期の70~80年代とは様相を異にしてきている。その思想では資本主義や社会主義は勿論、経済や政党などといった西洋の根本的価値観までが拒絶される。代わりに、イスラム的政治計画でなくシャリーアの宣布が真摯にダーワ(呼びかけ)される。
サラフィーによれば、歴史は預言者ムハンマドに始まり、木鐸は預言者の3世代の内に出揃う。その後のウラマーはあくまで「中興者」に過ぎない。ただ、その思想の系譜は預言者の時代から続いてきた訳ではないようだ。
サラフィー思想では暴力ジハードは夷教徒の占領軍に対してのみ許され、イスラムを称する政権に発動してはならぬとされる。また、非暴力での改革運動が必要でも、内戦(フィトナ)は駄目だとする。(サルマン・アッラウダ)
ただ、抑圧政権を倒すよう呼びかける者もいる。その筆頭がエジプトのムスリム同胞団の「原理の道標」サイード・クトゥブだ。クトゥブはサダトらを暗殺した罪で結局収監された。(ラーベ・アル・マドハリ)
近年ではアルカイダのサラフィー思想がジハードの名の下で文民を討滅し、サウジや同胞団にまで牙を向ける。サラフィー同士の対立も酷い。しかし、ここで重要なのは、彼らの影響力を矮小化しようとするイスラム謝罪主義者が西洋で展開するマスゴミ工作だ。
非公式網と行動するサラフィー主義
アラブ世界を詳細にみていくと、サラフィー思想を統一的に動かす階層的組織はどこにも存在しないことが分かる。誰でも「俺はサラフ(眞道)を顕現しているぞ」と自称できる分権的な思想なので、サラフィーも弟子を獲得するのに忙しい。つまり、サラフ細胞はどこにでも出現しうるという訳だ。
「行動するサラフィー」たちは先祖と同じく、友人関係などの非公式網を使って組織を拡大する。そのため、友人が一気にサラフィー化することもあるのだ。その連帯感は極めて高い。
イスラム謝罪主義者とワッハーブ・クール
イスラム謝罪主義者によると、ワッハーブ・クールを実践しているのはサウジやタリバンなどの「ごく一部の邪世の徒」に過ぎない。しかし実際には、多様な形でワッハーブ・クールの燐子たるサラフィーたちが運動している。先に挙げた地域以外でも、アルジェリア、モーリタニア、ソマリア、パキスタン、インド、中東、ボスニア、コソボ等にサラフィーたちが跋扈しているのだ。
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