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明日は明日の風が吹くのだ

人生いつでも波瀾万丈

相互理解。~300万という数字が意味するもの~

2013-04-24 23:27:52 | 国際・政治

相互理解とは、文字通りお互いに理解し合うこと。

ここで注意しなければならないのは、互いに自分の視点から相手を眺めても、得られるものは限られているということです。「相手が何を理解してもらいたがっているか」という視点が決定的に重要だと私は考えています。

私は元来理系コースの人間で、高校では地理を選択しましたから、世界史の知識は非常に乏しいと言って良いと思います。しかし、そのわずかばかりの知識の中でも、南北朝鮮が誇り高い人々の集まりであることを窺い知ることは容易だと考えています。

古より、朝鮮は超大国である中国の歴代国家と陸続きに国境を接してきました。何故だか知りませんが中国は世代が変わろうと常に大国でしたから、朝鮮単独では対抗すべくもなく、中国から属国として支配されたり、時には滅ぼされたりしていることは私も知っています。それだけでなく、日本海には倭冦が存在していましたし、秀吉が率いる日本の出兵を受けたりもしています。千数百年もの長きに渡って、厳しい立地条件の中で歴史を刻んで来ているわけですね。大国に攻められ、滅ぼされても不屈の闘志を以てその度に立ち上がり、国家を再興してきた。そういう歴史なのだと私は理解しています。国の大小が戦争の勝敗を決めることはあっても、国の大小が国民の優劣を決めるものではない。その思いは、勝てないと分かっていながらも太平洋戦争に突入して行った我が国が、他のどの国よりも良く知っていることです。

私がここで注目したいのは、極めて困難な条件にありながらも、朝鮮の人々が自らの民族としての存在を守り続けて来たことです。中国の支配を受けたからと言って、「じゃあもう、いっそ中国人になればいいじゃないか」というような人たちは、現代の南北朝鮮に住む人たちの御先祖さん達の中にはいないわけです。もちろん、歴史の中で大陸内部に移動した人たちや、日本に渡って「渡来人」となった人たちは大勢いらっしゃるわけですが、いま南北朝鮮にいる人たちはそうではない。自分たちの民族、自分たちの生まれた故郷、自分たちの文化を固く守って来た人たちなのですね。これは、誇り高い人々にしか出来ないことです。

そのように誇り高い人々が、「未来永劫に大国の圧力に屈しなくて済むような力を持てる」と思ったならば、いかなる犠牲を払ってでも手に入れようと試みるのは自然な話だと私は考えます。

さて、タイトルで掲げた300万という数字ですが、これは1990年代に北朝鮮で餓死された人々の数です。

北朝鮮から公式に発表される数字は存在しませんから、300万人という数は推計で、報告によって33万人から840万人という幅がありますが、いずれにせよ途方もない犠牲です。この厳しい時期にもGDP比60%とも言われる軍事費への支出は続いており、もちろん核ミサイル開発にも巨額の費用が投じ続けられてきました。2300万人と言われる北朝鮮の人口から、10年で300万人もの人命が失われている状況は、想像を絶するものだと思います。そして今もなお、年間数万人が飢餓で命を落としているとも言われています。

核ミサイルのある未来史と核ミサイルのない未来史とを比べた上で、それだけの犠牲を払う価値がある、つまり国家の指導部は「核ミサイルさえ完成すれば、千数百年の犠牲の歴史に終止符を打てる」と考えていると見るべきで、これはもう断固たる決意と言ってよいでしょう。先進国首脳会議G8が「もっとも強い言葉で非難」しようと、無意味なことです。そもそも大国の圧力を跳ね返して自らの民族を守るために、膨大な犠牲を払って手に入れた唯一の「希望」ですから、大国からの圧力で手放すわけがありません。なので、余程のことがなければ「彼らが自ら核を手放すことはあり得ない」という前提の下で、我々がとるべき行動を考えねばならないでしょう。

私が通勤電車に揺られながら考えていたことは、「国の誇りとはなんだろう」ということでした。

民族の独立、文化の継承は確かに非常に重要なこと。しかしながら、そのために今ある国民の命を犠牲にすることが上記の考察のように正当化されてよいのか?未来の国民の生命のために、今ある国民の生命を犠牲にするという選択が許されるのだろうか?300万人を犠牲にすることで未来の3000万人の命を救うことになるのかもしれないけれど、人の命とはそういう「算数」で計算して良いものなのか。

300万人といってもピンと来ないかも知れませんが、実は日本人にとっても意味のある数字です。

軍人210万人、民間人90万人。

これは我が国が太平洋戦争4年間で失った人命で、その数、合わせておよそ300万人です。我々の享受する平和は、我が国の国民300万人、そして我が国と戦った国々の方々の尊い犠牲のもとに達成されたものです。

走る電車に揺られながら、聞こうと思わなくても聞こえて来るくらいの大きな声で熱心に話し続ける高校生の会話に私が感じたことは、彼らは「今日と同じ明日が永遠に続いてゆく」と疑いもせず信じているのだろうなあ、ということでした。四十路にもなると現実にそんなことがあるはずがないと分かって来るけれど、若者がそのように思える社会を我々の先輩たちが築き、そして維持して来たことこそ、我が国の誇りなのだなと私は思います。

そしておかしなことではありますが、車内で思いを巡らせていたもう1つの歴史上の出来事は、「無血開城」あるいは「大政奉還」でした。黒船来襲後の日本において、充分な戦闘能力を持つ徳川幕府側が全面戦争することなく大政奉還したという史実は教科書に書いてありますが、鵜呑みにしないでちょっと考えてみれば、俄に信じ難い出来事です。何しろ日本人の中で最も誇り高い武士集団の総元締が幕府です。ハラキリの言葉が生まれる母体となった武士の行動規範に照らせば、戦わずして政権を明け渡すという決断がどれほどの胆力を要するものか、想像を絶するように思います。坂本龍馬が偉かったのか、それとも徳川慶喜が偉かったのかは私にはよく分かりませんが、武力衝突はあったものの、その後で諸外国に漁父の利を取らせるほど国力を疲弊させる規模のものではなかったわけですから、当事の日本の中心にはそれなりに先見の明があった人々がいた、ということになります。

互いに2つの朝鮮を認める、あるいは南北朝鮮を統一する、いずれにしても南北朝鮮いずれの指導者や国民には断腸の思いが生ずることは避けられないのでしょうが、同じ言語と文化を持つ同胞の間ですら互いに認め合い、融和することが出来ないのであれば、周囲の諸国家と友好関係を維持することなど出来るはずもない、と世界中が思うことでしょう。

東西ドイツは戦争することなく統一を果たしましたし、幕末の日本も全面的な内戦を避けながら新政権に移行しました。朝鮮民族が真に誇りある人々の集まりであれば、ドイツ、そして日本に出来たことが出来ないはずはありません。同胞相食む内戦が始まる前に時間を戻すことは出来ませんが、63年に及ぶ内戦をいかにして収束させ、その戦史に終止符を打つか。その手並みによって、周囲諸国の信頼と尊敬を集められるかどうかが決まって来るでしょう。

「未来永劫、決して周囲国家から圧力を受けることのない国家基盤を整備する」

このために北朝鮮が膨大な犠牲を払って努力してきたことを、私は理解したと思っています。そこからもう一歩進んで、平和を愛する国として国際的な信用を得るためには、核兵器を手にしようと決意したときと同じだけの強い意志を以て、「武力を振りかざした外交を行わない」という方針を数世代に渡って堅持し続ける必要があるでしょう。

日本は太平洋戦争後の68年間、戦闘を目的に国外に軍隊を派遣したことはありません。この長い積み重ねの結果、日本を「好戦的国家」と看做す国は世界の中で少数派になっているだろう、と私は信じています。

北朝鮮の指導者が、振り上げた拳をどこに降ろすのか。それを考える過程では、おそらくは難しい決断を迫られることにもなるでしょう。しかし、その困難を乗り越えて、若者が餓死や戦争で突然に命を奪われることなく「今日と同じ明日が永遠に続く」と信じられる社会の建設に向かって舵を切る英断を切に願っています。

激動の20世紀に我々の戴いた天皇陛下は、建国以来の不敗の伝統を自らの代で断ち切る決断をして下さいました。日米間には勝敗以外の決着は存在し得ませんでしたが、南北朝鮮の間であれば、勝者も敗者もない結末を導くことが可能だと思います。ここは是非とも南北指導者集団の叡智の結集を見せていただきたい。願わくば1950年代に38度線で引き裂かれた人々が存命のうちに。


中央線にて。

2013-04-18 01:30:13 | 国際・政治

大勢の国民が飢餓に苦しみ、その指導者が戦争だと叫んでる国があるかと思えば、ほんの目と鼻の先にある国の電車の中では、制服を着た高校生たちが一所懸命に恋愛談義してたりする。カップルではないようだけど、男の子と女の子。

何なんだろうねえ、民族の誇りって。

日本は敗戦国だけど、だからといって日本人は誇りを失ったりはしていないと思う。戦争して勝つことだけが誇りの根源とは限らないということを、彼の国の人々にも知って欲しいと切に願う。


リーダーの言葉に思う。

2012-08-18 09:47:35 | 国際・政治

「Stay Hungry. Stay Foolish. 」Steve Jobs

「(日本は)加害者と被害者の立場をよく理解していないので、(私が)目を覚まさせようとしている」李明博

前者は、Apple社の創業者であるジョブズ氏が、2005年にスタンフォード大学の卒業式で行った「伝説のスピーチ」の結びの一節で、彼が影響を受けた書籍「Whole Earth Catalog」裏表紙の言葉を引用したものです。

後者はごく最近に韓国・李明博大統領が韓国内の大学で語ったものです(出典:読売オンライン)。学生向けの言葉か、たまたま集まった報道関係者向けだったかは不明ですけれども、学生向けのものという前提で話を進めます。

ジョブズ氏は、自らの半生における数々の困難な場面について言及しています。しかし、その困難のどれについても誰かを恨んだりしたようなエピソードはスピーチ内に見当たらず、むしろ逆境を糧として、ただひたすら純粋に自ら信じた道を突き進んで来たことを語っています。

一方、読売オンライン記事を通して見る李大統領は、自らのイジメ体験を例に引きながら、「加害者・被害者」関係を強調しているようです。

私は日本人なので、韓国の若者の皆さんがどうお感じになったかはわかりません。しかし、我が日本の首相、例えば野田総理が自分の母校にやって来て「我々は被害者であることを加害者にわからせてやる」などと語るのは聞きたくない。それは、国家元首から「我々は敗者であると自覚を持て」と言われているに等しいと私は感じます。若者にとって、こんなガッカリなスピーチは滅多とないように私は思いました。

李大統領はまた、同じ場で「日本は今や世界最高の国家ではないか。中国が大きくなったと言うが、中身を見れば日本は(世界)第2の強国だ。我々とはるかな差がある。科学技術、社会システムなどいろいろ……。」とも語ったそうです。私が韓国の学生であれば、日本の電機メーカーに壊滅的な打撃を与えている産業界など、日本を打ち負かしている分野を列挙して、残りの部分について「後はココで追いつけば総合力でも日本に勝てる、諸君はこれを頑張ってくれ」というような、景気のいい演説を聴きたいと思うでしょう。間違っても国家元首から「かつての加害者は、今なお我々とはるかな差がある」などという弱気な言葉は聞きたくもありません。

日本は太平洋戦争でアメリカに大敗しました。無慈悲の極みである、全国主要都市に対する無差別空襲や、2発の原爆「実験」も経験しています。だからといって、祖父母、父母の世代の日本人が復興やその後の発展につながる努力を続けて来たのは、アメリカに対する恨みからではないことを知っています。

アメリカに大敗した日本の国民である私ですが、我々を武力制圧し、今なお占領の延長線上にある国軍駐留を続ける戦勝国アメリカ、その国民であるジョブズ氏の言葉を冒頭で紹介しています。怨を忘れないことよりも重要なメッセージが、この言葉に含まれていると感じているからです。

読売オンライン記事は、李大統領が大学で語った内容のごく一部しか伝えてはいませんので、実はこの部分以外はそこに集った若者を勇気づける素晴らしい内容のものであったのかも知れません。また、ジョブズ氏が人格的に極めて偏った人であることは有名な話で、その「語録」には相当ひどい言葉も沢山あります。しかし、若者に向けたメッセージの断片だけから比較すると、どちらに魅力を感じるかと言えば、私はジョブズ氏と答えるでしょう。

李大統領がどうお考えか私に知ることは出来ませんが、日本人は加害者である歴史と被害者である歴史を非常に近い時期(あるいは同時期)に持っているために、いずれの心理も理解し得るという、世界でも比較的稀な集団だと私は考えています。隣国の大統領がわざわざ自国の若者の誇りを傷つけながらに教えてくださらなくとも、被害者の心情は知っていると私は思っています。

20世紀前半の日本は、確かにアジア諸国にとって脅威的な存在であったのかも知れない。しかし、太平洋戦争に負けたからこそ、すなわち国が焦土と化したほどの被害者であるからこそ、太平洋戦争以後の日本人全てに強く平和を希求する心が生まれたのです。核兵器を保有する軍事強国に周囲をぐるりと囲まれてなお、違憲合法な自衛隊組織を合憲化しよう、核兵器所持を検討しようと発言するだけで白眼視されるような国です。

日本国憲法の前文には、このような一節があります。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

大韓民国憲法の前文にも、同じような文がありますね(Wikipediaより)。
「恒久的な世界平和と人類共栄に貢献することで我々と我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保する」

これらの文章は一見似ているように見えますが、よく見れば大きな隔たりがあることに気づきます。大韓民国憲法の前文は、「世界平和に貢献することで、自国民の安全を確保する」と言っています。しかし、日本国憲法の前文はこう語っています。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

日本人は自分を守るためには(武力に拠らず)、隣人の良心を信じることにした。私たちは、日本人だけでなく世界中の人が幸せに生きる権利を持っていると考え、そのために貢献したい。私たち日本の憲法には、そう書いてあります。少なくとも、私の解釈では。

武力制圧された被害者としての経験が生々しい敗戦直後に、加害者である意識(深い反省)と加害者としての歴史(即ち、周囲諸国の強烈な反日意識)を背負いながら、それでもなお周囲諸国の隣人の良心を信じて武器を捨て、世界のために貢献しようと誓った。これが日本人の「被害者意識」なのだ、と私は考えています。李大統領が望む形ではないかもしれませんが、少なくとも彼が想像しない形で「加害者と被害者の立場をよく理解」しているのが戦後の日本人なのです。

自らを動かすモティベーションに、「怨」は必要ない。ただ純粋に理想を追い求める、それだけで良い。大学に集う若者に語りかけるには、そういう言葉こそがふさわしいと思いました。もちろん有権者相手の選挙演説や政府間交渉の場なら話は変わってくるでしょうけれども。

歴史は繰り返します。かつて日本には朝鮮半島からやって来た方々を「渡来人」として尊敬し、大いに学んだ時代がありました。確かに韓国併合という出来事もありましたが、その後67年を経過した今となっては、両国の関係には大きな変化が生じていると思います。今後の日本は緩やかに衰退国家へと移行すると見込まれますから、いずれまた遠からず韓国優勢となる時もやってくるでしょう。国家は栄枯盛衰を繰り返すもの。幾千年の時を重ねていつの時代になっても、そのときどちらが優勢であっても、歴史をひもといて歪み合う理由を探し出そうとするのではなく、その時々で支え合う、互いにとって良きパートナーであることが出来るような関係を両国の間に築いてゆきたいものです。難しいことでしょうが、出来ると信じることから未来は開けるもの。

最後に、ジョブズ氏のスピーチからもう一度引用します。

ハングリーであれ。愚か者であれ。

シンプルながら、言うは易く行うは難い言葉ですが、忘れないようにしたいと思います。イマジンを歌ったジョン・レノンも、やはり日本を武力制圧した連合国側の人ですが、彼の訴えかけるメッセージは敗戦国民である我々日本人の心にも届いています。


チャーリーさんに返信。~含油藻類のこと~

2011-05-12 18:50:34 | 国際・政治

チャーリーさんのコメントへの返信です。前エントリーで発電について書いたので、続いて物流について書こうと思っていたのですが、丁度いいタイミングでコメントをいただきました。

> 石油を作り出せる藻とか

これのことですね。

日経新聞オンライン記事へのリンク
http://www.nikkei.com/tech/ssbiz/article/g=96958A9C93819696E0E2E290E38DE0E3E3E0E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E5E2E3E0E2E3E2E1EAE4E2

これには自分も強い関心があります。前回のブログ記事の内容は、発電について想定して書いたものですが、物流(主に自動車)ではまだ当分の間化石燃料が残ると考えています。最大の理由はエネルギーの可搬性です。

電気自動車で日本のトラック全てを動かすのは現実味がないと思っています。化石燃料は、大きなエネルギーを簡単に備蓄・運搬出来るという意味で、非常に有利です。電力に可搬性を持たせるとなると、自分の知る限りでは蓄電池か、水素ガス製造かの2択になってしまいます。しかし、蓄電池ベースの電気自動車にトラックに使えるほどの航続力を持たせるのは困難です。水素ガスボンベを車に備え付けるとなると、事故時に危険ですから1台当たりの積載量は厳しく制限されるでしょう。水素吸蔵合金は重量から自動車に向かないとされ、また日本中のトラックに装備出来るほどのレアアース資源が供給されるかどうかも疑問です。

そういう意味で、含油藻類の技術には強い関心があるんですね。エネルギーとして自動車に使える可能性があるだけでなく、素材としてプラスチック材料にも使えるわけですから、石油が枯渇した後でも高分子材料を製造出来る道が開けるわけです。また、これまでのバイオマス燃料には食糧を生産すべき農地を奪う、また耕地拡大のため森林破壊が進むなどの問題がありますが、含油藻類にはそうした問題はなさそうです。このため、個人的には大きな期待を寄せています。チャーリーさんは「スーパーサブ」と表現されましたが、物流界ではエース級になる可能性を秘めていると思います。技術開発が順調に進んで欲しいものですね。


現段階での原発に関する認識。~ノー・モア「想定外」~

2011-05-02 20:11:14 | 国際・政治

(2011/05/03加筆)

長らく続いて来た原発ネタですが、現段階での自分個人の認識をまとめていったん中締めにしようかなと。思うことがあればまた書きます。不十分な検討があればドシドシご指摘くださいね。

原子力発電を肯定する理由
・CO2排出が少ない(CO2排出は地球温暖化に責任なしとは言えない)
・海水からウランを抽出する技術は既に完成しているので、資源は無尽蔵
・化石燃料使用量を減らせる
・化石燃料使用量を減らすことで、日本による産油国への干渉を減らせる
・資源確保目的の産油国への干渉を減じて世界平和に貢献し得る可能性がある
・化石燃料依存から脱却することでの、日本のエネルギー供給の安定化に寄与
・エネルギー供給安定化による日本経済および国防への寄与
・単位発電量あたりの死亡者数は、石炭火力・水力・ガス火力よりも少ない
・核廃棄物の保管は、これまで喧伝されていたほど厄介でもない可能性がある
・核兵器保有国に囲まれた中での核技術保持
・高温ガス炉など、これまでの軽水炉より小出力ながら安全な炉がある
・自然エネルギーが原発並みに育つにはまだ当分時間がかかる

原子力発電を否定する理由
・危ない
・怖い(危険性が五感で判断出来ない)
・核廃棄物の処理方法が未確定かつ万年単位の管理が必要
・核兵器開発の基礎技術である
・立地を巡って、地域住民内に対立を生ずる
・差別問題を生じている可能性がある
・臨時雇用現場作業員の高レベル被曝が常態化している可能性がある

個人的な希望
・核兵器がまだ世界中にゴマンとあるので、まずそれを解体。出て来た核燃料は簡単に再利用出来ないように原発で焼却処分したいので、原発廃止はそれから。


パッと思いつくのはこれくらいですかね(資料を見ながら書いてるわけではないので、忘れ物があったら追加するかも)。これらのうち、このBlogでまだ取り上げていなくて、「そりゃオカシイ」とツッコミが入りそうな点だけを取り上げてみます。

・核廃棄物の保管は、これまで喧伝されていたほど厄介でもない可能性がある

先日、チェルノブイリ原発事故から25年を経過したのを機に、現地で追悼式典が行われました。犠牲者の数は報告によって異なっており、75名とするものから約3万人とするものまで、極めて大きな開きがあります。しかしながら、最小でも75名の犠牲者は出ているわけで、それだけでも十分すぎるほどの重大事故です。事故被害者の皆さんのご冥福と、後遺症を背負う皆さんの苦しみが少しでも軽くなりますようお祈りしたいと思います。

ただ、ここでひとつ自分の中に疑問が生じています。「現地で追悼式典が行われた」ことです。チェルノブイリ事故では、原子炉内の核燃料が空中に飛び上がって爆発するという極めて異常な事態が発生しており、もちろん通常の停止手順ではなく「石棺」による封じ込めによって事態が収拾されました。しかし、石棺は内部の放射能を完全に密閉し得るものではなく、現在もなお放射性物質の流出が続いているとされています。なのに、なぜそんな場所で追悼式典を開くことが出来るのか?また、チェルノブイリ原発で事故を起こしたのは4号炉ですが、事故後も1~3号炉は運転を続けられましたし、この1~3号炉の運転員に重大な健康被害が生じたという情報も伝わってきません。

Wikipediaを見ると、「その場所から人間がいなくなったことが自然の復活をもたらしつつあるようで、たとえば事故後およそ20年後現地に入ったウクライナ系米国人ジャーナリストによれば、イノシシを主として、幾つかの希少な動植物が数を増やしているという」ともあります。そうなると、核廃棄物処理はもちろん厄介なものではあるけれども、いま我々が懸念しているほどの問題ではないのかもしれません。

チェルノブイリでは、核燃料が露出した原子炉をそのままコンクリートで固めるという手法が取られました。被曝前提のおよそ理想的とは言いがたい作業環境で造られた急ごしらえのコンクリート塊ですが、その不十分な構造物がさらに劣化して放射性物質が漏れ出し続けていても、そのすぐ側で働いたり、記念式典を開催出来たりするわけです。ならば、核燃料を正規の手順で取り出し、化学的に安定性の高い物質に溶かし込んでから適切な建造物内に保管すれば(素人の発想だとウランやプルトニウムを鉛に溶かしてペレットを作り、ガラスに埋没とか)、さほど大きな問題は生じないようにも思えて来ます。となると厄介なのは、原子炉や建屋などの放射性物質が付着した構造物でしょうね。

もちろん、人間とそれ以外の動植物とでは放射線耐性が違いますし、人間にとっては自分という「個」の死は恐ろしいものですから、核廃棄物保管所の周囲をわざわざ選んで人間が居住するというのはまったく現実的ではありません。しかし、例えば広島・長崎への原爆投下直後には「原爆の跡地には50年間草の1本も生えない」と言われていたのが、今ではまったくの誤りであったと分かっていますし、チェルノブイリの周囲には人間以外の生命が旺盛に繁殖しているというのも事実でしょう。ここから、「核廃棄物の保管は、これまで喧伝されていたほど厄介でもない可能性がある」という話に繋がってくるわけです。

原発は危険なものですが、だからといって絶対悪として見るのは明らかな誤りです。このBlogをお読みの方はお気づきかもしれませんが、筆者は原発を「嫌いだ」と書いたことはあっても、単なる「悪」と書いたことはないはずです。嫌いだからといって原発を追い出した結果、もっと嫌いなものを呼び込むことになりはしないか?むやみに原発を怖がっていないで、落ち着いて考えを広げてゆきましょうよ、というのが当初から一貫している姿勢です。

個人個人が考えた結果は、どうなっても構わない。というより、いろんな立場からのいろんな意見があるべきなんです。ただ、ポストセブン記者のように、自分の主張に都合のいい情報だけで考えを組み立てないように心がけたいものです。原発が果たしてきた、そしてこれからも果たしてくれるはずの役割をしっかり評価した上で、それを使い続けるのか、廃止するのか、公正な意見を選択するのが我々の世代の果たすべき役割なんだと思いますね。

個人的な結論としては、当初からあまり変わっていないと思います。

「核分裂技術に基づく原子力発電は、次世代エネルギーが成熟するまでのツナギとしての存在であり、次世代エネルギーの台頭とともにその座を譲るべき。ただし、次世代エネルギーが開発されても、世界から核兵器を一掃出来る可能性がわずかでも残されているならば、原発には核燃料焼却処理施設としての利用価値があるので、世界からの核兵器廃絶の可能性が閉ざされたと判断されるまでは規模を縮小しても維持する必要がある。核兵器廃絶の可能性がないと判断されたならば、その時点でのアジア諸国の核武装を含む軍事状況や、日米安保空洞化の進行状況に応じた日本の核武装論をきちんと検討した上で原発の維持/廃棄を決定する。」

永遠に繁栄する国はありません。あれほど強かったソ連は今はありません。唯一の超大国として君臨するアメリカにだって以前にはない翳りが見られ、いつまでその勢いが続くか分からない。日本だって、GNP世界2位だと思っていたらいつの間にやら中国に抜かれて3位に転落し、2位再浮上の予感などありはしない。

資源小国である日本ですが、カネがある間は化石燃料を買い漁ることも出来るでしょう。しかし、商売の世界では「金の切れ目が縁の切れ目」であることは、日常生活よりも厳しい掟です。日本のウラン燃料は主にオーストラリアやカナダの鉱山から供給されていますが、多少コストが高くなってもよければ海水からウランを抽出する技術はすでに確立しています。幸い、日本は周囲を海に囲まれていますので、ほぼ無尽蔵のウラン資源が目の前にあることになります。こういう状況下で敢えて原子炉を手放し、化石燃料争奪戦に加わるには、それなりの覚悟が必要です。少子化と容赦ない産業空洞化が進む日本が没落国家と成り果てた後も、どんどん残り少なくなって争奪戦の激しさを増してゆく化石燃料を買い求める力を私達の子孫に残せるかどうか? 夢を見ている人も多いのですが、自然エネルギーはまだ、日本における化石燃料と原子力によるエネルギー供給の「すべてを」「確実に」代替出来るほどに育つとは、到底言えない状況です。

原子炉を止めるのは難しくありません(ゴミ処理は面倒ですけれども)。しかし、やがてもし原発を再び動かしたいと思う日が来たら、いくら設計図が残っていようと、設計図を活かし、改良を加えられる技術者や作業員が散逸してしまった後では、再び育ててるのに数十年を要するでしょう。

日本が核技術を放棄することでいちばん喜ぶのは、実は日本人ではないかもしれない。イヤな発想ですが、そういう視点すら原発問題を考えるには必要なのです。それくらい、いろんなことを考えなくてはなりません。福島原発事故発生で、世界中の原発計画が見直されましたが、天然ガスなどの資源輸出国であるロシアはその気になれば天然ガスを輸出から国内供給に振り替えて原発依存率を減らせるはずですが、これまでの原子力開発計画を維持すると表明しました。いったんは原子力計画を凍結した中国も、その後に計画継続を表明しています(小説通りになって来たな...)。原発延命計画を停止したドイツですが、ドイツは風力での電力供給が不足した時にはフランスの原発から電力を購入して補うシステムです。日本が簡単に真似してよいものではありません。いま目の前にある恐怖だけではなくて、世界の動向、すなわち世界各国の原発に対する評価と日本をターゲットに含む資源戦略・外交戦略も視野に入れながら、我々の子孫の世代までを見通した判断をしたいものだと思います。

前のエントリーにも書きましたが、原発大国の日本ですら原発を持ちきれずにガスタービン化したら、フランス・ロシア・中国はともかく、他の諸国のエネルギー政策指針に大きな影響を与えることでしょう。そういう意味では、日本のことだけを考えている場合でもないのです。日本と、そして世界の将来のために、いま日本で暮らす我々の冷静な判断が求められていると思います。もちろん、判断の結果が、原子力放棄でもよい。しかしそれは、怖くて思考停止した結果ではなく、あらゆる犠牲を理解し覚悟した上で、より高みを目指す選択であるべきでしょう。「想定外」は、今回の事故だけでもう充分ですから。

原発関連のエントリーINDEX