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明日は明日の風が吹くのだ

人生いつでも波瀾万丈

頑張れ、ともこー@(^_-)。

2011-04-05 19:22:15 | 社会・経済

> 僕を含め、ほとんどの反対って言ってる人たちは、人の命について
> 語ってるんですよ。
> それに対してお金の話をされても、これはまるっきりかみ合いませ
> んよねえ。
> どっちが大事か、ということです。簡単でしょ?

2つ目のお話、「電力会社役員の憂鬱。」から抜粋しますね。

> 日本経済は壊滅的な打撃を受けるだろう。
> 経済破壊による死者数は、年間何万人になるか想像もつかない。

「経済破壊による死者数は、年間何万人になるか想像もつかない」というのは、ひどいふけいきになるので、びんぼうやびょうきでしんでしまうひとがなんまんにんもでます」ということです。

これがわかってからもういちどがんばってみましょう。簡単でしょ?


「2つのストーリー。」偽さんに返信。

2011-04-05 19:09:06 | 社会・経済

こちらこそご無沙汰しています。2通のコメント、ありがとうございました。

> 基本スタンスが”原発反対”で、現状から可能な範囲の落し処を出してるのが
> 管理人氏の見解と見ます。

とはまさにその通りで、簡潔かつ的確なまとめをいただき感謝です。ここまで理解されないと自らの文章構成能力に自信を失いそうですが(笑)、そうでもないとわかって安心しました。

ともこー@(^_-)さんに対する自分のコメントがかなり手厳しいことに驚かれたかもしれませんが、実は彼は大学時代の同級生でして、「手心を加えるのは同級生に対して失礼である」という姿勢で議論に臨んでいます。このBlog以外の場でも原発問題についての意見交換をしていた経緯があった上でのことですから、彼への返信をご覧いただくにあたってそういう事情をご理解いただきたく。表現を変えて同じような話を何度も繰り返してきたのですが、いまだに彼には当方の意見を理解しようという姿勢が見られません。各個人で意見が違うのは当たり前の話ですが、他人の意見を否定するのはちゃんと理解してからにして欲しいのですけれども。

とはいえ、素直に読めば、藤波心ちゃんにもわかってもらえるように書いたつもりなんだけどなあ。Blogにここのリンク先を書いておいて、それでも彼女がともこー@(^_-)さんと同じ意見を維持し続けるかどうか見てみたいのですが、偽さんと違う理由でやめておきます。こっちが炎上しそうなんで(笑)。

> 私自身の様な愚民はもちろんの事、全ての人が長期に渡り受け入れられる
> 方法でないと

そんなそんなモッタイナイ!偽さんが愚民だったら、自分は一体どうなっちゃうんですか?(笑)
しかし、こういう「敢えてへりくだる姿勢」を見せることは、相手の緊張を和らげるのに役立つかもしれませんね。勉強になります。自分にはいつでも正面突破しか戦略がないので(笑)。

「本来の生活」「身の丈に合った生活水準」について、記事を書いた時点の彼には具体的なアイデアはなかっただろうし、今もないと思っていますので、返答はないでしょう。偽さんのコメントを見て、真剣に考えてくれることを祈ります。

「みんなが節約すれば」ってのは間違いなく美徳ですし、それで家庭生活で用いる電気は節約できますけれども、産業界が使う電気の節約は不可能です(コストダウンのため既に「目一杯」節約中ですものね)。国を挙げての節約励行の効果は限定的なもので、原発廃止にまで結びつくことはあり得ない。大人であれば常識として持っているはずの認識ですが、「シンプルライフで原発廃止」なんて思っている人は、その常識にすら欠けているわけで。

「どうしてそれなのに原発は沢山あるの?」

に対する答えは、自分ももっと知りたいところです。「どうして」を知れば知るだけ、

「どうしたら原発を減らせるの?」

につながると思うからです(逆に、絶望するかもしれませんが...)。国と電力会社だけを悪者に仕立て上げて「はいオシマイ」、後は国と東電を叩くだけ...って思考停止状態では「なーんにも」分かんないでしょうね、これからもずっと。だいたい、国だって電力会社だって、「みんなのために」原発を造ってきたんですから。

幸せなことに我らが日本は独裁国家じゃありませんから、「国益=国民益」なんですよね。「それは建前」というツッコミがあっても、建前がある以上はそれを大きく崩すことは出来ないのですから。

なになに、「国会議員と電力会社が癒着してる」って?いいじゃないですか、それが国家に益するならば、おおいに結構。古い原子炉を計画通りにドンドン廃炉して、少数精鋭の最新鋭炉に置き換えて安全性を高めてくれるのなら、大歓迎です。朝三暮四の御苦労さんな方々に屈することなく、存分に豪腕をふるっていただきたい。あ、もちろん「古いのそのまま」じゃダメよ。

...いけね、話が脱線した。「よい事も悪い事も含めて伝え、考えさせるのが分別のある大人の為すべき事」というのも、まさにその通りですね。中学生に問いかけられた時に、中学生とまったく同じ意見しか出せないような大人にはなりたくないものです。最終的に同じ意見が導かれたとしても、大人である以上は意見に「奥行き」がなければなりませんし、中学生に考えさせることが出来るだけの知識や、知識がなくともそれに取り組む思考の深さが必要です。

米軍の空母がすべて原子力である理由ですか?うーん、自分には「長大な航続距離」「大パワー」しか思いつかないですねえ。他に何かあるんでしょうか?化石燃料で米空母を運用するなら、給油船やそれを取り巻く護衛艦が船団に加わるんでしょうねえ。

それよりも自分が気になっていることなんですが、原子力空母や原子力潜水艦が撃沈されたら、中の原子炉はどうなるんでしょうか?マンガ「沈黙の艦隊」では「原子炉閉鎖!」の一言で片付いてますけど、そんなに簡単なのかなと。なので、原子力艦船の撃沈ではひどい海洋汚染が生ずるのではと心配です。眼前の陸上にありながら、大人数の決死隊を投入しても一向に出口の見えない福島第一原発を見るにつけ、その思いがよりいっそう強くなりましたね。

ところで偽さん、ハンドルネームから748Rが外れましたよね?とうとう748Sを手放されたということでしょうか?近況報告お待ちしていますね(笑)。


「2つのストーリー。」mffactory02さんに返信。

2011-04-04 22:31:48 | 社会・経済

「2つのストーリー。」に寄せていただいた、mffactory02さんのコメントへの返信です。前回同様、まずmffactory02さんのコメントをご紹介。記事「『2つのストーリー』について少し解説。」もご覧ください。

まず、原発だけにそこまで依存していたのか、というと、若干だけ訂正が・・。

他にも今回の震災で停止してる火力発電所がたしか7基ほどあったはずです。

いろんな意見があって興味深いですね~。

若干、僕のイメージが違うのは、

東電の社員っていうのは一握りで、
けっこうな人数はおそらく下請け(関電工と言われる)、孫受け(なんたらスタッフ、だとかの地元派遣会社)だ、ということです。だからこそ詳細を東電は秘匿しがちなわけで・・。
 つまり、各々、責任感はあまり無いのかな、というのもあります。
み~んな、誰かが責任を負ってるんだろう、という思考。

高卒の僕からすると、な~んでこれだけ大卒のインテリがたくさん居て、アイデアが陳腐なんだろう?って思います・・管さんの演説も信じられんほど、 ちぐはぐだし、(高卒でももうちょっとまともに演説しそう)、都議選でもいっさい荒川や隅田川で水力発電を、とかって言いだす候補は皆無。


いつもコメントありがとうございます。最近マンネリ化していてコメントをくださる方が少ないので、和みます(笑)。

おっしゃる通り、東海村火力を始め(というか、名前を知ってるのはここだけ...)、停止している火力発電所がいくつかあるようですね。ただ、自分が読んだ雑誌記事では、それらの発電能力は、停止した原発の合計に比べればかなり小さいようで、「原発一カ所の発電能力が凄まじいことがよくわかる」と記載されていたように思います。このため、「役員の憂鬱」のお話では、その辺りを簡略化してしまいました。ま、そういう事実と必ずしも一致しない内容がいくつかあるので、「お話」として書いたわけです。事実を伝えるのが目的ではなく、考え方を説明するための「たとえ話」ですから。

「社員の犠牲を払って運転を行っているのだ...」という下りですが、自分で引用。

「東電だけでなく、原発をかかえる各電力会社は、それぞれの社員を原発設備に配置している。もちろん、基準値内の被曝は前提で、そういう社員の犠牲を払って運転を行っているのだ。「作業員を現場に行かせる人間は被曝しない」と仰るかもしれないが、では誰がその「罪」を被って指揮を執ってくれるというのだ?」

これもご指摘の通り、最も危険な作業は正社員でなくパートや下請けさん、孫請けさんがやっているのは容易に想像できます。ただ、そこまで細かく説明すると、字数がまた増えてしまいますのでこれも簡略化しました。その代わりに、「責任」と言う言葉ではなく「罪」という言葉を用いているのです。

mffactory02さんが、現場作業の全てを統括する立場にいるとしましょう。そのとき、危険性情報を隠して下請けさんを現場に行かせるなら、良心が痛むことはありませんか?毎朝「おはようございますっ!」と笑顔で元気に挨拶してくれる気持ちのいい若者を、危険を隠して現場に送り出すんですよ。

バレなければ責任も罰もない。しかし、誰かを騙して命懸けの作業を命じたのは自分です。こういうのを「罪」と表現しました。

「罪」は法律上のものではなく、個人的なものです。信仰のある人にとっては神との契約を違えるものでしょうし、無神論者にとっても自分を騙す行為です。いずれにしても、終生つぐなうことの許されない罪を統括指揮者が背負うことになるのです。もし平然とこれを実行できる人がいれば、その人は周囲の人間に対する愛など持ち合わせていないのですから、その人自身も誰からも愛されることのない、不毛な人生を送っていることでしょう。

高卒、大卒なんて全く関係ないですよ。真剣に考える人と、自分が怖いからといって後先考えないで騒ぐ人がいるだけです。中学生とまったく同じ意見だと言ってる人も大卒ですからねえ。「いろいろ考えて肉付けした結果、中学生と同じ意見になりました」ってことなら勿論それでOKなんだけど、「まったく同じ、シンプルに考えりゃわかる」ってことらしく(もう、ガッカリ)。こちとら口を酸っぱくして「怖いからって慌てて廃止すると、そのせいで何万人死ぬかわかんないよ」って言ってるのに。その話を聞いた上で「何万人餓死しようが自殺で死のうが、原発で死ぬよりマシだ」っていうセリフが返ってくれば、それはそれでちゃんとした意見になるはずなんですが、すっかり思考停止したようで。そんなわけですから、高卒・大卒なんて気にする必要ないです。

「原発はまだしばらくは維持するしかない」という意見は、現実に放射能が降っている東日本に住んでいる人間にしか発信できないと自分は思っています。西日本の人が言えば「テメー、他人事だと思って好きなこと言いやがって」になるでしょう?

まあ、今後ほんとにヤバくなったら自分も仕事をほっぽり出して関西に逃げ出すかもしれませんが(実家が関西なので、独り意地を張っても両親にも心配かけちゃうだけですし)、少なくとも東にいる間は自分の思ったことを言ってもいいのかなと考えていますね。

荒川や隅田川での発電は、ちょっと現実的でないかもしれません。水力発電は、水の落差(物理の用語では「位置エネルギー」と言います)を利用して発電するものですから、平野を流れるそれらの川だと、設備コスト・運転コストに見合った発電が出来ないんです。個人の趣味の範囲で電気を起こすことは出来るでしょうけれども、残念ながら商業ベースには乗らないでしょうね。

でも、そういう知恵を出し合うってことが重要だと思うんですね。みんなが意見をせっせと出し合えば、その中に実現できるものがいずれ出てくると思います。自分も「核兵器を解体して原発で燃やしてしまえ」とか、国防の識者が見たら気絶しそうな珍説を出したりしてますし(苦笑)。

 


「2つのストーリー。」haiyanさんに返信。

2011-04-04 21:24:48 | 社会・経済

「2つのストーリー。」に寄せていただいた、haiyanさんのコメントへの返信です。まず、haiyanさんのコメントをご紹介。記事「『2つのストーリー』について少し解説。」もご覧くださいね。

東北への派遣お疲れさまでした。
先日ニュースで福島第一の稼働は40年前と言っているのを聞きました。
自分もプラント屋のはしくれであるので、機械の耐用年数の常識は分かっているつもりです。ちなみに自分たちの建設するプラントの耐用年数は、毎年それなりに予算を使っても15年から20年というのが常識です。(官公庁の運用する設備として)
なので、正直なところ冗談だろって思いました。40年前の設備の安全基準と、現在の安全基準は違うのは当然ですし、金属部品はそもそもそこまで持ちません。ポンプや配管、その他の補機類は当然交換されているでしょうけど、さすがに炉本体の交換は無理でしょう。海外でも、設備の安全診断をしてさらに10年稼働を延長させる原発があるようです。
なぜ?と思いましたが、そういう事情なんですね。(設備更新したくてもできない)
現時点で、原発が必要なのは明らかですし、その責任は1企業で負えるものではないということも今回はっきりしたので、現在稼働中の原発については国家の責任と予算で安全管理して行かないととどうしようもないんじゃないかな。(そもそも原発導入ってどこの主導で行われたかわからないけど、間違いなく国が絡んでますよね)

コメントありがとうございます。

東北旅行ですが、体力的にはしんどかったですが、むしろ現地の方々から元気を分けてもらったような気がします。「負けるもんかって」気持ちが伝わって来て。これからも大変な日々が続きますが、本当に頑張って欲しいと思いますね。

やはり、現役のプラント技術者から見てもまさに異常としか言いようのないことが行われていますよね。自分も機械工学科を卒業したエンジニアのタマゴでしたから、設計寿命10年のものを40年も使おうとしていたことに唖然としています。

ポンプや配管、補機類ですが、これらはおそらく全交換はされていないだろうと自分は見ています。強い放射線を浴びながらの作業ですので、非破壊検査をして明らかな問題があったところだけ作業しているでしょう。

これはhaiyanさんの意見をお伺いしたいところですが、「10年使い切り」で設計するなら、配管の接合にも溶接部分が多いんじゃないでしょうか?自分が設計するなら、フランジ部から漏れを生じて運転停止・被曝作業発生という流れは出来るだけ避けたいので、10年持つはずの肉厚の配管にしてなるべく溶接で繋ぎたい。そうなると交換はさらに容易ではないと予想されます。この辺りは、実務経験がない自分にはわかりませんので。

おっしゃる通り、現在の我が国に原発が必要であることは間違いありませんし、原発は企業任せの丸投げにしておいて良いものではないというご意見については、全くその通りだと思いますね。

原発の導入には、間違いなく国家が絡んでいます。経済的な目的だけでなく、技術立国日本として科学技術で最先端を走り続けるため、またいつの日か核燃料製造技術を国防に役立てるため等、様々な目的があったことと思います。

正直、根っからの原発大っ嫌い人間にとって、放射能混じりの水道水にはほんと勘弁して欲しいんですが、自分がイヤだからといってこのタイミングで原発を廃止しろって言うのは間違いだと思うので、ほんとにイヤだけど我慢しています。こうなってくると、haiyanさん名古屋に転勤してて良かったよねえ。人生、何が幸いかわからんもんです。自分には転職するなら「両親の願いを聞き入れて関西に就職」って選択もあったのに、震災前に都内に勤めることが決まっていたので逃げ遅れました。ある意味、親不孝のバチですな(苦笑)。


「2つのストーリー。」ともこー@(^_-)さんに返信。

2011-04-04 20:14:15 | 社会・経済

この記事をご覧になる前に、前記事「『2つのストーリー』について少し解説。」をご覧ください。

ともこー@(^_-)さんのコメントを青字で、自分のコメントは黒字で記します。

まず最初に質問します。このエントリーに対しては、この質問に答えてからコメントをつけてください。

ともこー@(^_-)さんのご自宅と職場(自営業ですよね)での、自家発電比率を教えてください。これほどまでに原発による電力供給を拒否されるなら、すでに一般家庭向けに販売されている太陽光発電パネルや太陽熱温水器、エンジン発電機などは当然導入されているはずです。自然派生活を主張しておいでのようですから、1KWを超える電力を使うことはまずないでしょう。自分が持っている6万円前後の900W発電機でも充分賄えるはずです。電力会社に依存せず、どれだけやれるのかの身近なサンプルとして、ご意見を頂戴したいと思います。


あくまで個人的な意見として。

所属団体を明示しない限り、ふつう意見は個人のものですが、あえて断りを入れるというのはともこー@(^_-)さんは反原発団体の代表ではないという意思表示でしょうか?


田舎のおっちゃんの立場、良く分かります。
しかしちょっと視点を変えてみると、田舎の路線バスは何故に1日2本だけになってしまったのかという疑問がでてきます。
これほどまでに車が一般的でなかった時代は、皆バスを利用し、本数も多かったはずです。

設定については、前のエントリーで解説を入れました。昔話を議論するための設定ではありませんので、この話題は今回はいったん脇に置いておきましょう。ご希望とあればこれも含めた議論にしますが、文字数がさらに増えます。

 

車のある生活は確かに便利。電気を湯水の如く使える生活も、極楽。
でも、それはどうして可能になったのか。

明治時代から綿々と続く、産業界のたゆみない努力の成果です。我々の先輩に深く感謝しましょう。


それと車のリスクを減らすには、エアバックなどの最新の装備に頼るよりも、マナー、じゃないかなあ。

原発よりもクルマのほうが100倍危ないと前のエントリーに書きました。原発の100倍も危ないものについての議論なのに、そんないい加減な評価をして済ませるつもりですか?

ともこー@(^_-)さんが原発の危険性を非常に強く恐れているのはよく分かるのですが、その100倍のエネルギーを以て、クルマの安全対策を研究してみてください。上の発言が暴言に等しいと分かるはずです。

もちろんマナーは大事です。ただ、100倍危ないクルマがその論理でいいのなら、原発もマナーでいいでしょう。危険な立地に危険な設計の老朽炉でも、注意深く運転すれば大丈夫。そんな議論あり得ないでしょう?

考え得る全ての手段をとらないと、目指すべき「交通事故死者ゼロ」の目標には到達できませんよ。ともこー@(^_-)さんは原発で1人でも死者が出たら大騒ぎするはずですが、交通事故で毎年1万人近い人が亡くなっていることには平然として、上のような思慮に欠けるコメントをつけてしまったのです。そこに早く気づいてくださいね。


それから廃炉寸前の原発を使い続けたのは、反対派が新設を阻止したからではありません。

ともこー@(^_-)さんがもし「新設が困難という状況に反対派は関与していない」と主張するなら、これまでの反対派の活動実績はゼロで、すべて空回りということになってしまいますが、それでよろしいでしょうか?結構すごいことを言っておられるようですよ。


誰も、古い原発を使うことを電力会社に勧めたりしませんので。
そこは努々勘違いしてはいけません。


当たり前です。


それはあくまで国と電力会社の都合です。

問題のある言葉が、この極めて短い一文に2点含まれています。

まず「あくまで」について。

この言葉は、それに続く「国と電力会社の都合」以外の要素は一切ないという断定を意味します。つまり、「原発反対派には一切責任がない」と主張しているのと同じです。こういう姿勢は、往々にして大きな間違いを犯す原因になりますし、しかもその後の反省にも結びつきません。

学生時代、いくつかの開発支援NPOを見学し、お話をお伺いしたことがあります。彼らは、支援対象への自団体の関わりによるマイナス面をきちんと評価していました。「問題が起こっても『あくまで』自分たちのせいではない」なんて言う団体は皆無です。ていうか、常識です。

「よかれと思ってやったことだから、結果は100%いいものに決まっている」なんて幻想は、今すぐ捨ててしまうことです。

もう1点。「国と電力会社の都合」です。

国と電力会社が達成しようとしたのは、我々が父祖の代から望み続けたものです。

「税金は安くしろ、福祉は厚くしろ」といっても無理なのは分かりますが、でも実際の選挙戦ではほとんどの政党がその無茶を実現すると主張して票を取ろうとしますよね。で、明らかな矛盾であっても騙されて投票してしまう。「税金を増やして福祉を充実、赤字国債発行も減らします」なんて言ったら、間違ったこと言ってなくても落選確実。原発もそれと似たようなもんです。

日本にはあらゆる資源が乏しく、小学校のときに習ったように、いわゆる加工貿易で生計を立て、1億の国民を食べさせて来たのです。この基本的な枠組みを抜け出した新たな経済構造はまだ構築されていませんので、我が国の産業界は世界の先端を目指して走り続ける必要があります(それでも空洞化が進んでしまいましたが)。資源のない国ですから、1億の国民を自給自足で食べさせることは不可能なのです。

そういう事情を斟酌すれば、電源政策の失敗による電力不足で産業界の活動にブレーキをかけるような事態は、絶対に避けなければならなかったとわかります。オイルショックを経験して、石油依存が日本社会にとっては非常に危険であることが歴史的事実として経験されていますから、石油依存比率を下げることは重要な国策です。

こうした状況を考えれば、原発をある一定の比率で利用するのはやむを得ない選択であったでしょう。

闇市でなくても、スーパーに行けば並ばないで食糧が欲しいだけ買える。我々が普通だと思っていることも、産業界や国、電力会社の努力が支えて来たのです。もちろん、選んだ手段に問題はあったかもしれません。しかし、目指すところは国民の幸福な生活であったのは間違いないのです。そのオコボレで私腹を肥やそうとする汚い奴らもいたでしょうが、私たちの日本はそれだけで動いてはいません。だからこそ、これだけの繁栄が築けたのです。


そして、私たちが考えなくてはいけないのは、原発のおかげで達成されている今の生活は、本来あり得ないものである、ということです。

「本来」ってなんでしょうね。原発の代わりに安全なエネルギーさえあれば、今の生活で全く問題なさそうですが。まさか原始時代に戻れとでも?


原発の燃料であるウランが、世界中の採掘場でどのように採掘され、それが精製運搬される過程で誰が被曝し、そして日本の原発で誰が犠牲になってさらに被曝しているのか。

石油だって石炭だってそうですよね。採掘の現場で大勢の犠牲者を出して我々のもとに届いているのです。

とある書籍からの抜粋という、twitter上の情報になりますが、下記に。
----------引用ここから----------
電力発電に関する死者の状況:石炭6400、水力4000、ガス1200、原子力31人。1テラワットあたりの発電の事故等での死者数の比較:(’70~’92)ジェームズ・ラブロック「ガイアの復讐」 p175より http://<wbr></wbr>amzn.to<wbr></wbr>/aAJvMJ
----------引用ここまで----------

「出典がネット上での孫引き」っていい加減っぷりだと流石に無責任だと思い、昨日紀伊国屋に行ったのですが、在庫切れだったので通販か別店舗で購入しようと思っています。

上の数字を見ると、原発が怖いからと言って国内から原発を廃止すると、産油国・産炭国に犠牲者を押し付ける結果になってしまいます。

 

僕は、遠くの誰かの犠牲によって得られるエネルギーは、もう要らない。
自分の身の丈に合った生活水準でいい。
そう思っています。

あくまで個人的な意見ですが(^_-)

先に出て来た「本来の生活」と「自分の身の丈に合った生活水準」が同じ内容を指すとみなします。

原発に加えて、上記書籍の内容を加味すれば、「遠くの誰かの犠牲によって得られるエネルギーは、もう要らない」という言葉によって、ともこー@(^_-)さんは

「原子力も、石炭も、石油も、水力も、すべて利用しません」

と明確に宣言したことになります。

まず、ともこー@(^_-)さんの仕事がこれらのエネルギー源抜きで出来るかどうか?電力を大量に使うインターネットショップは閉めなければなりません(Google検索2回でお湯が沸くと書いておきました)。トラックを使う全国宅配もやめて、自分で手渡しできる範囲にしなきゃ。原料も自分の足でリヤカーを使って受け取りに行こう。

そこまでして頑張っても、原子力・石炭・石油・水力のすべてを拒否した「貧しい社会」になったら、どれだけのお客さんが残ってくれるのか?

それくらいのことを検討して初めて、

遠くの誰かの犠牲によって得られるエネルギーは、もう要らない。
自分の身の丈に合った生活水準でいい。

という言葉が、責任を持った発言になるのですよ。

仕事を失うのは、ともこー@(^_-)さんだけじゃありません。医者である自分も職を失います。

ともこー@(^_-)さんが主張する、エネルギー依存度の低い社会である国のひとつとして、かつて学生時代に自分が訪れたネパールがあります。僕はこの国の人たちが大好きですが(カネはなくとも超前向きのイイ感じ)、医療の置かれた状況は極めて厳しいものでした。医療の技術水準が低いのではなく、供給量が絶対的に少ないのです。これは医療の問題ではなく、国家の経済力の問題です。国家経済が充分に成熟して、初めて医療にカネを回せるようになるのです。

自分は、日本が目指している方向は大筋では間違っていないと思っています。

産業を発展させ、医療や福祉が充実した、治安の良い、安心して長生きできる暮らせる国づくりを目指すことのどこに問題があるのか?要は、原発が危ないというだけの話なのであって、安全でクリーンなエネルギー源が開発されれば、今回議論しているあらかたのことは片付きます。

次世代エネルギーの開発にも、巨額の研究開発費用が必要です。この巨額の費用を生むためには、それに投ずる費用を捻出できるだけの体力が産業界になくてはなりません。そういう意味で、次世代エネルギーを生み出すためには、いま直ちに原発を捨てるのは愚行です。あと数十年の間に、次世代エネルギーへの移行が進んでゆくと自分は予想していますので、現在の社会のありようを急激に変化させることなく、ゆるやかにそれにつなぐのが最善だと考えています。その数十年の間、最大限の集中力を発揮して原発の危険を管理しきり、安全なエネルギー源を開発して次世代のために残してゆくのが、21世紀前半に暮らす我々の世代の役割だと思います。次世代のための「産みの苦しみ」の時代を我々は生きていると考えると良いでしょう。

原発反対運動家が、どこまでの未来を睨んで反対活動を繰り広げているのか?自分の印象では、正直なところ「目の前の原発建設さえ止めればそれでいい」と思っているようにしか見えないのです。

真剣に原発反対運動を展開するのであれば、原発の危険性については十分勉強しているはずですよね。しかしながら、老朽炉の延命が行われた福島第一で、ニュースに取り上げられるほどの抗議活動が粘り強く行われ続けたなんて情報は、寡聞にして自分は知りません(延長決定は一時のものでも、延長運転は継続しているのですからね)。最新炉の建設よりも、老朽炉の延命の方がはるかに重大な問題であるはずなのに、「わかっていながら」それを看過して新設原発の周囲に群がるのなら、単なる「自団体の宣伝」に過ぎないと批判されても仕方ないように思いますし、より罪が深いと思います。