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Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

11/28(土)「飛翔」南 紫音 ヴァイオリン・リサイタル

2009年11月29日 00時02分59秒 | クラシックコンサート
「南 紫音 ヴァイオリン・リサイタル」

11月28日(土)18:00~ 紀尾井ホール S席 1階 2列 9番 5,000円
ヴァイオリン : 南 紫音
ピアノ : 江口 玲

【曲目】
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 変ホ長調 作品12-3
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ短調 作品105

ラヴェル:ハバネラ形式の小品
チャイコフスキー:ワルツ・スケルツォ 作品34
リヒャルト・シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 作品18

《アンコール》
チャイコフスキー:メロディ
ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女

 このところ注目してきた南紫音さんのヴァイオリン・リサイタル。紀尾井ホールでのリサイタルは2007年から毎年この時期に行っている。ピアノはもちろん江口玲さん。
 今回のリサイタルは、ベートーヴェン、シューマン、リヒャルト・シュトラウスという独墺系のソナタを中心とした重量級のプログラムだ。名曲の小品を集めてお茶を濁すようなプログラム構成ではなく、バッハの無伴奏から現代ものまでをバラエティ豊かに並べるでもなく、テーマのはっきりとしたプログラムである。そこに彼女自身のテーマ、あるいは決意のようなものが感じられる。それだけに、どんな弾き方をしてくれるのか、あるいは昨年からどれほど成長しているのか、この日が待ち遠しかった。ちなみに昨年は、ベートーヴェンの1番、ブラームスの3番、ラヴェルの遺作、サン=サーンスの1番と、こちらもかなり重量級のプログラムで、少々彼女には荷が重かった印象が残っている。
 もうひとつの聴き所は、楽器が変わったこと。日本音楽財団から貸与されているのは、グァルネリ・デル・ジェスの1736年製「ムンツ」。これまで使用していたストラディヴァリウスの1700年製「ドラゴネッティ」(この音色はデビューCDで聴ける)と比べて、彼女の音楽がどう変わるのか、楽しみだった。

 1曲目のベートーヴェンのソナタ第3番。古典的な造形の中に若々しい躍動感を伴い、ヴァイオリンとピアノが対話しあうような曲だ。さて曲が始まって気がついたのは、南さんのヴァイオリンの音色に艶というか息づかいのようなものが感じられるようになったことだ。以前からひとつひとつの音を丁寧に積み上げていくような几帳面さがあり、それがある種の壁になっていて、やや自由さに乏しいようなところがあったのだが、今日の演奏はこれまでとは違う。ひとつの楽器から生まれる音が多彩な色の違いを描き分けているのだ。これは楽器が変わったからではない。演奏者の側が変わったからのようだ。
 1曲目にはまだ堅さが見られたが、2曲目のシューマンになると、より鮮やかな色彩感が表出してきた。自由を求めるロマン派の音楽が、より自由度の高い解釈から生まれる演奏にぴったりと呼応していくようだ。技術的にみても、左手の指使いがかなりしなやかになり無駄がなくなったような。ボウイングも丁寧かつ繊細さを見せ、ピアニッシモからフォルテッシモまで破綻がなく、素早いパッセージのレガート、鋭いアタックなども申し分なし。全身を大きく使い、リズム管にもゆとりが感じられるようになった。

 休憩をはさんで、後半はラヴェルとチャイコフスキーの小品を2曲。続いていよいよリヒャルト・シュトラウスのソナタだ。この曲はシュトラウスが若い頃の作品で、彼の代名詞でもある交響詩やオペラを作り出す以前の時期に当たる。しかしシュトラウスらしい、ロマンティシズムに溢れる美しい旋律や流れるように転調していく和声の独特の使い方は、すでにその片鱗が現れている。第1楽章のソナタ形式や終楽章のロンドなど、古典的な形式を採りながらも自由に展開していく、伸び伸びとして壮大なイメージを持つ、非常にすばらしい曲である。ピアノ・パートも、オーケストラに編曲すればそのまま協奏曲になってしまうと思われるほど、色彩感豊かなダイナミックなものだ。
 南さんのヴァイオリンがこの曲になっていよいよ本領を発揮する。艶やかな音色、駆け巡る躍動感、時折見せる寂寥感など、実に表現の幅が広い。技術的にもよく弾き込んでいて、完全に曲をものにしているのがわかった。演奏中の表情も良い。時折見せる嬉しそうな微笑みは、伴奏ピアノとヴァイオリンの音がよく聞こえていて、自分の望む音楽が奏でられていることへの充足感を表しているのだろう。かつてのような演奏中の堅い表情は見られず、自信に満ちた堂々たるステージさばきであった。

 もうひとつ特筆すべきは江口玲さんのピアノだ。前半のベートーヴェンやシューマンでもいえることだが、とくにシュトラウスではピアノがオーケストラのように多彩な表情を求められる。江口さんのピアノは音がキラキラしていてロマン派の音楽によく似合う。一見するとサラリーマンのオジさんのような風貌だが(失礼)、ヴァイオリンの伴奏をさせたらこの人の右に出る者はいないというべき存在の名人。ソリストをうまくサポートして、本来の実力を引き出す見事なピアノの伴奏だった。シュトラウスの曲のように、ヴァイオリンとピアノが対等の技量と表現を求められる場合、がっぷり四つ、なんだけどさりげなくヴァイオリンを歌わせてくれる、見事なサポートだった。

 さて、グァルネリ・デル・ジェスの音色についてだが、やや硬質で立ち上がりの鋭い、ストラディヴァリウスにくらべると尖った感じの音だった(ような気がする)。正直言えば、記憶に残っている音色と、いま聞こえている音色を比較できるほどの耳を持っているわけではない。直接聴き比べれば違いはわかるだろうが、過去の記憶との比較は会場や聴く席の場所などのいろいろな要素が加わるので何とも言えない。それでもグァルネリ・デル・ジェスの方が攻撃的な音だと思う。今日のリサイタルでは、南さんの演奏が変わってきた。ご自身の目指す方向が定まってきたのか、日々の経験の積み重ねで大人になってきたのかはわからないが、とにかく「硬さ」が取れて一回り大きくなったような気がする。そんな彼女に、この楽器はすばらしい「自由さ」を与えてくれたような気がしてならない。

 今回のリサイタルの選曲から見ても、技巧重視ではなく、表現力の可能性にチャレンジしているように思う。楽器を思うように歌わせ、ある時は叙情的に、ある時き情熱的に、時として変わる心の襞を描き分ける表現力。昨年のリサイタルや、前回聴いたブルッフの協奏曲の時と比べると明らかに違う。これまで殻に閉じこもっていた蛹から美しい大型の蝶が羽化したように感じた。この後はもっと大きな世界に向かって羽ばたいていくのだろう。来年は「飛翔」の年になってほしいものだ。この後、この二人のコンビでほぼ同じプログラムのリサイタルを各地で行うことになっている。来年3月にまた聴ける機会がありそうなので、それまでの間に、さらに弾き込んで、作品を練り上げていってほしい。もう一段高く「飛翔」した南さんに会える日が楽しみです。

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