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オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

5/15(火)読響/第515回定期/三浦文彰と下野竜也が採り上げたツウ好みのシューマン……!?

2012年05月17日 00時35分23秒 | クラシックコンサート
読売日本交響楽団 第515回 定期演奏会

2012年5月15日(火)19:00~ サントリーホール・大ホール S席 1階 4列 26番 7,000円
指 揮: 下野竜也
ヴァイオリン: 三浦文彰*
管弦楽: 読売日本交響楽団
【曲目】
ライマン: 管弦楽のための7つの断章 -ロベルト・シューマンを追悼して-(日本初演)
シューマン: ヴァイオリン協奏曲 ニ短調*
《アンコール》
 パガニーニ:「パイジェルロの水車屋の娘から 我が心もはやうつろになりて」による変奏曲 作品38*
シューマン: 交響曲 第2番 ハ長調 作品61

 友人に誘われて読売日本交響楽団の定期演奏会を聴く。先週(2012年5月10日)のサントリー面曲シリーズに続いての読響だが、正指揮者下野竜也さんによる2回連続になってしまった。週末にはオペラシティ・マチネーも予定しているので、今月は10日の間に読響を3回も聴くことになる。

 さて今日のテーマはシューマン。公演プログラムの解説文によれば、シューマンはかなりツウ好みの音楽だという。従って、ツウではない私は、シューマンはあまり得意ではない…。それでも好みの前方席だったし、三浦文彰さんのヴァイオリンが聴けるので、誘いに応じて来たのだが…。

 1曲目の「管弦楽のための7つの断章」は、現代のドイツ語圏を代表する作曲家アリベルト・ライマン(1936~)の1988年の作品で、今日の演奏が日本初演となる。演奏前に下野さんによるプレトークがあり、この曲の解説をしてくださった。シューマンの遺作「最後の楽想による幻覚の変奏曲 変ホ長調WoO.24」の主題が盛り込まれているといい、ピアノ(録音)で主題の旋律を聴かせてくれた。プログラム・ノートの解説よりも実際に音で聴く主題の方がはるかに分かりやすいので、このプレトークは良かったと思う。というのは、曲自体はひとつしてまともに響き合う和音が現れないような曲で、冒頭から完全な不協和音の連続。各楽器の音が互いに否定し合っているように、見事に響き合わないまま、進行していく。7つの断章といっても明確な切れ目はなく、混沌とした音の集積の中から、断章3でシューマンの主題がホルンに現れると、たとえ断片的であっても、その明瞭さ、清廉さ、が限りなく透明に浮かび上がってくる。この効果は絶大で、先ほどプレトークの時に主題を敢えて聴かせてくれた意味が分かった。そしてやっと現れたその主題は、またも不協和音によってかき消されて行く。シューマンの精神が病に冒されていったように…。曲に対する評価、演奏に対する評価も、正直に言えばよく分からない。現代音楽も決して嫌いではないが、この曲に関しては、よく分からないというよりは、音楽的に自分とはあまり共鳴しないようにであった。

 2曲目はシューマンのヴァイオリン協奏曲。とりあえず、今日はこの曲を聴きに来たようなものなので…。
 まず三浦さんのヴァイオリンについて。彼のヴァイオリンは独特の音色、あるいは響きを持っている。音に角がないというか、柔らかい音で艶やかでもある。「ビロードのような」と形容したら良いだろうか。音程も極めて安定しているし、技巧的にはこれ以上のものはないくらいである。全体の印象は、決して音量が豊かな方ではなく、(曲のせいかもしれないが)ダイナミックレンジもそう広くはないようだ。それでいてしっかりとした構造感とメリハリが効いているのは、ppからffまでの全域で細やかな表情付けがあり、単調に陥らないからだと思う。スケールの大きな演奏というよりは、繊細にして端正な演奏というべき。音量は大きくなくても、音色は豊潤である。
 今日の演奏に関しては、いや演奏の方は素晴らしかったと断言できるが、何しろ曲が面白くないので、聴き終わっても充足感が不足してしまった。演奏の方にではなく、聴いている私の側に不完全燃焼の気分が漂う。シューマンのヴァイオリン協奏曲は、どこか曖昧な主題と、単調な動機の繰り返しのような経過部の連続で、音楽的な盛り上がりにも乏しく、聴いていても何が言いたいのか分からないような所がある。ヴァイオリン協奏曲だといっても、独奏ヴァイオリンにそれほど特徴的な、あいるは技巧的な要素が乏しく、ずっと引き続けているのに旋律線が見えてこない…など、要するに曲がつまらないのである。シューマン・ファンの方には反論されそうだが、ツウではない私にはどうしてもそう思えてしまうのだ。したがって、三浦さんが卓越した演奏を聴かせてくれていにもかかわらず、不完全燃焼になってしまうのである。一方、下野さんは小編成とはいえオーケストラの音量をかなり抑えめにして、独奏ヴァイオリンを引き立たせるような役回りに徹していたようだった。
 アンコールで弾いてくれたパガニーニの変奏曲は、あっけにとられるほどの超絶技巧の博物館のような曲で、三浦さん自身も(あるいは聴衆もかもしれない)鬱屈としたものを吐き出すようなお祭り的な演奏であった。見守るオーケストラの皆さんもにこやかに温かな視線を送っていたのが印象的。皆に好かれる三浦さんである。そういえば今日のサントリーホールはいつもより女性客が多かったような…。

 後半はシューマンの交響曲第2番。この曲もはっきり言えばツウ好みなのだろう。ツウでない私には、つかみ所がなく、何度聴いても曲がアタマに入ってこないような感じ。第1楽章は長い序奏の後に続くソナタ形式の本体部分も、小さな動機が繰り返されて主題を形成しているのだと思うが、一本調子に延々と続く印象で、主題の対比も明瞭でなく、全体がボンヤリしている。救いはリズムが躍動的なことくらいだ。第2楽章のスケルツォもメリハリがなく、元気いっぱいの曲なのにどうしても退屈してしまう。第3楽章の緩徐楽章は、悲しくも美しい主題が明瞭に現れるという点では非常に分かりやすいが、ハ長調の交響曲で緩徐楽章がハ短調というのが…よく分からない点である。第4楽章は、一見明快な主題で始まるが、様々な主題が現れ、徐々に混沌としてきて一応は派手に終わる。
 明らかにロマン派の曲想で、深く聴き込んでいけば、奥深いところで良さが分かってくるのであろうが、どうもシューマンは苦手である。下野さんはこの曲に対しても、明快なリズム感と、各パートのバランスをうまく取ることで、曲の構造をガッチリと作り上げていた。混沌とした中から、明瞭なフレーズを浮かび上がらせたり、単調に陥りがちなリズムに適度な間合いを入れたりと、曲の描き方としては、苦労の後がよく見える、立派な演奏だったと思う。読響の方も、時折金管が不安定になるお馴染みの部分を除けば、しっかりしたアンサンブルを構築していたと思う。ただし、曲のせいもあるのか、いつもの馬力のある読響サウンドとはちょっと違い、大人し目のナイーブなところを見せていた。

 日頃から、シューマンは苦手に思っていたので、今日のようにダイレクトにシューマンのプログラムを聴けば、その苦手意識も少しは解消するかと思っていたのだが、結果としてそうもいかず、やはり私にとっては分かりにくい作曲家のままである。

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