南 紫音 ヴァイオリン・リサイタル
Shion Minami Violin Recital
2014年7月2日(水)19:00~ 紀尾井ホール S席 1階 1 列 13番 4,000円
ヴァイオリン: 南 紫音
ピアノ: 江口 玲
【曲目】
フォーレ: ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ長調 作品13
イザイ: 悲劇的な詩 作品12
ヨアヒム: ロマンス 変ロ長調
フランク: ヴァイオリン・ソナタ イ長調
《アンコール》
イザイ: 子どもの夢 作品14
フォーレ: 夢の後に 作品7-1
南 紫音さんは私にとっては最優先アーティストのひとりであり、2005年のロン=ティボー国際音楽コンクールで第2位という快挙を成し遂げて以来、東京および近郊での演奏会はほとんど聴いていると思う。ある時期、年に1回紀尾井ホールでリサイタルを開いていたが、このところ少し間が空いてしまっていた。大学を卒業してドイツに留学したりと、活動の拠点が変わったりしたこともあるのだろう。前回、紀尾井ホールでリサイタルを開いたのは2012年1月のことで、それからもう2年半も過ぎている。その時も江口 玲さんのピアノでオール・フレンチ・プログラムだった。それ以降、オーケストラとの共演での協奏曲や室内楽の演奏などもほとんど聴いているが、ヴァイオリン・リサイタルとなるとちょうど1年前、トッパンホールでのランチタイムコンサートという短いコンサート以来のことである。
さて今日は久しぶりの紀尾井ホールでの本格的なリサイタルである。またこれは紫音さんの3枚目のCD『ファンタジー』発売記念という意味もあり、曲目もほぼCDと同じ内容になっている。これは、彼女が子供の頃から尊敬し憧れてきたイザイの無伴奏ソナタ全曲演奏会を2011年8月にフィリアホールで行った後、一旦イザイから少し距離を置いてみたら、イザイの交友関係の中に、彼のために書かれた素敵な曲がたくさんあることに気がついたのだという。今回のリサイタル(とCD)のプログラムは、そうしたイザイを取り巻く作曲家たちの作品を集めたということのようである。
もう一つの眼目。今回のピアノも江口さんだが、使用するピアノが1887年製のニューヨーク・スタインウェイ、通称「ローズウッド」である。この4月にフィリアホールで、川久保賜紀さんとベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会の時にも使用していた。長らくカーネギーホールで使用されていたピアノが紆余曲折を経て今日本にある。ホロヴィッツが来日した時にこのピアノを絶賛したという、伝説の(?)名器である。ベル・エポックのフランス音楽に、「ローズウッド」はどのような色彩をもたらすのであろうか。
1曲目は、フォーレの「ヴァイオリン・ソナタ 第1番」。最近、この曲はけっこうお気に入りである。ベートーヴェンやブラームスばかり聴いていると、フォーレの洒落た自由度の高い音楽がものすごく新鮮に聞こえることがある。また同時に、こういう曲こそは録音などではなく、ナマ演奏で聴きたいものである。
第1楽章は古典的な造形のソナタ形式で書かれているとはいえ、ドイツの音楽とは発想の原点が違うような瑞々しい感性に彩られている。紫音さんのヴァイオリンは、その瑞々しさを絵に描いたように、次々と現れる美しい主題や経過部の流れるようなフレーズを、実に明るい色彩で描いていく。心の内側から沸き立つような、若々しい感性が「青春」を感じさせて素晴らしい。
第2楽章は短調の緩徐楽章だが、こちらもソナタ形式。メランコリックな主題も紫音さんの手にかかると、新鮮で暖色系の彩りになるようだ。それを後ろ側から支えているのが江口さんのピアノ。「ローズウッド」のアコースティックな音色は、暖色系でとても優しく響く。
第3楽章はスケルツォに相当する。目まぐるしく変わる曲想に対して、紫音さんのヴァイオリンは多彩に音色を使い分けてくる。ピツィカートの弾む感じなど、実に躍動的だ。
第4楽章はロンド。華やかさの中にある種の屈託を含んでいる主題と、負の部分を払拭するような享楽的な旋律が交錯するあたりは、一筋縄ではいかない屈折した心理を持つフランスの音楽ならではといったところだ。紫音さんは、基本的には明るい色彩の音色だと思うが、華やかで快活な演奏の中にも、ふと見せる翳りのある表情があり、絵画で言うなら色彩の濁りのような部分だが、これが鮮やかな対比を生みだし、彩りに広がりと奥行きを創り出している。
やはり期待していたとおり、紫音さんのヴァイオリンはフランス音楽がよく似合うようである。活き活きと元気で、伸び伸びと自由で、色彩感も鮮やかで、そしてちょっぴり皮肉でクールな側面を持っている。素敵な演奏であった。また、全体を通して、江口さんのピアノが、実に良い雰囲気である。ちょっと乾いた音の粒立ちを聴かせる、古色然としたアコースティックなサウンドは、煙草の煙に霞むサロンの奥から聞こえてくるような感じがする。まさに今日演奏される曲たちと同じ時代に生まれたピアノ「ローズウッド」ならではのサロン的な雰囲気と、紫音さんの瑞々しさが対比をなすと同時に、ベル・エポックの時代性が表現されているようで、素晴らしい試みであったといえる。
2曲目はイザイの「悲劇的な詩」。1892~1893年頃の作品。元はヴァイオリンと管弦楽のために書かれたとのことだが、その形式出演奏されることは滅多になさそうである。原題は「Poème élégiaque」なので、エレジー、つまり悲歌。曲想は悲しげで沈鬱なものが次々と現れてくるが、悲嘆に暮れるイメージとそれを客観的に眺めるクールな側面が感じられるのが、フランス音楽の感性だ。紫音さんのヴァイオリンの基本的に明るい色彩感が、悲しいイメージにほっとするような優しい視線を注いでいるようで、なかなか素晴らしい。一方的に悲しげな音楽にしてしまえばそれまでのこと。そこからもう一歩踏み込んで、この屈折した感情をうまく表現できる人はけっこう少ないのではないだろうか。紫音さんの成長著しいところを感じた。
後半は、ヨアヒムの「ロマンス 変ロ長調」。どういう訳かここに1曲だけドイツ系の音楽が入っている。やはりフランス音楽の中に入ると、「ロマンス」であっても厳格な音楽であり、ドイツ・ロマン主義という感じがモロにしてしまう。ドイツに留学中の紫音さんにとっては、むしろこの曲の方が現在の日常に近いのだろうか。この曲だけを取り出して聴くのなら、とてもロマンティックな演奏だったと思うが、他の曲と雰囲気がちょっと違ってしまっていたのも確かだ。
後半のメイン曲は、フランクの「ヴァイオリン・ソナタ」。言わずと知れた名曲中の名曲だが、1886年にイザイのヴァイオリンにより初演されている。叶うのなら、その初演の演奏を聴いてみたいものである。
第1楽章は、比較的早めのテンポを採り、緊張感の高い演奏を聴かせてくれた。とはいえ、濃厚なイメージではなく、淡々とした感じに加えて、早めのテンポで軽快感とリズム感も出している。冒頭などは、例のサロンの煙草の煙ごしに聞こえてくる古色ピアノにむせび泣くようなヴァイオリンが被さっている。強さも弱さも控え目でダイナミックレンジを狭くしている。サロンの情景が目に浮かぶような、絵画的な質感を感じた。
間をおかずにアタッカ気味に第2楽章に入る。冒頭のピアノの奔流のような音の流れは、さすがに江口さんのクラスだと文句なく上手い。実にダイナミックな推進力を持って、ヴァイオリンからも勢いを引っ張り出す。まさにこの曲が創られた時代のピアノがなっているのだ。現代の機能的なスタインウェイとは全然異質の音だ。イザイもこのような音を聴きながらヴァイオリンを弾いたのであろうか。紫音さんのヴァイオリンも江口さんのピアノに触発されてか、これまでとすこし違った力感の加わった演奏に変わっている。音に1本、強い芯が通ったような気がした。
第3楽章へは完全にアタッカで入った。第2楽章の最後の音が消える前に、ピアノが鳴り出す。聴く者に息を継がせないぞ、というお二人の意志を感じた。ある意味では、このヴァイオリン・ソナタの中でもっとも特徴的な楽章。形式も自由、演奏家の感性が表現のすべてを担うことになる。前の楽章から力感が加わり、強く鳴り出した紫音さんのヴァイオリンが、この緩徐楽章を支配的に演奏するようになった。旋律が大きなうねりのように歌い出し、江口さんが伴奏にまわったように感じられた。
ちょっと間合いを取って、第4楽章のカノンに入る。数多くあるヴァイオリン・ソナタの中でも、もっともヴァイオリンとピアノが有機的に絡まる楽章だろう。江口さんのピアノにもチカラが漲ってきて、紫音さんのヴァイオリンも芯が鋼のように剛直かつしなやかなチカラを持つ。終盤のテンポが徐々に速くなっていくカノンはスリリングに盛り上がりを見せ、駆け抜けるように曲が終わった。会場からはBravo!!の声が飛んだ。う~ん、素晴らしい!!
アンコールは2曲。いずれも新譜CDにも収録されていて、この2曲のプロモーション用のビデオ・クリップがYouTubeなどに公開されている。イザイの「子どもの夢」は終わりのないような浮遊感がまさに子どもの夢のようだ。紫音さんのヴァイオリンから、先ほどまであった強い芯が抜けて、柔らかく優しい、そして美しい音色がホールにひたひたと漂っていく。フォーレの「夢の後に」は、大人の夢から醒めた後の気怠さだろうか。なんて美しい曲なのだろう。そしてなんて美しい演奏なのだろう。曲が終わっても長い沈黙が続き、やがて漣のように拍手が起こっていく。コンサート全体が、まさに「ファンタジー」のようであった。
さて終演後は恒例のサイン会。CDが発売されたばかりだから、当然のごとく長蛇の列ができた。こういう時は、サインは1点のみというのが常識かつ礼儀でもあるので、今回はCDのジャケットはパスして、持ち込んだ写真(ビデオ・クリップかにキャプチャーしたもの)にサインをいただいた。ひとりひとりに「ありがとうございました」と丁寧に応対する紫音さんを観ていると、真面目な性格がよく分かる。演奏の方がよほど奔放な印象を受けるくらいだ。
今回は、というよりは過去からほとんどずっと、江口さんとのデュオである。ヴァイオリン界における、あるいは若いヴァイオリニストにとって、江口さんのチカラは絶大なものがある。多くのヴァイオリニストが「困ったときの(困っていなくても)江口さん頼み」にしている。今回の紫音さんにとっては、いままで頼りにしていた江口さんとはちょっと違っていたかもしれない。今なら紫音さんの望む通りに演奏してくれるに違いない。演奏を通して聴いた感じでは、ピアノの音がそれほど大きくなく、ヴァイオリンと絶妙のバランスを保っていたように感じたものである。江口さんの持ち込んだ「ローズウッド」は、フィリアホールで聴いた時よりは音が拡散して残響音が少なく音がこもらなかった。ホールが広いからか、音量を控え目に弾いたからなのかは分からないが、良いバランスだったことは間違いない。
今回はCDとは違って、「ローズウッド」の同時代性が、楽曲に豊かなベル・エポックのイメージを与えてくれたように思う。その試みは大成功で、1度しかないコンサートならではの貴重な音作りができたのだろう。聴いている私たちも、夢見心地の2時間であった。
さてここで提案なのだが(私ごときが提案してもどうしようもないが)、紫音さんもそろそろ誰か、自分に合った、自分と対等暮らすのパートナーを見付けたらどうであろうか。江口さんが良くないという意味ではなくて、経験の少ない者同士が考えて新しい音楽を創造していく、そういった表現形式を考えても面白いと思うのである。相手は男性でも女性でも構わないが、同世代であることが大切。できれば異性との組み合わせの方が、デュオはスリリングになる。若い男の子を食ってしまうような、肉食系の紫音さんを是非聴いてみたい気がするのだ・・・・。
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【お勧めCDのご紹介】
今日紹介するのはもちろん、南 紫音さんの最新作『ファンタジー』です。本文にも書いたように、イザイの周りに集まった素敵な曲たちを収録しています。今日演奏された曲では、ヨアヒムの「ロマンス」以外の曲がすべて収録されています。今年2014年4月7~9日に録音されたものですから、感性の上でも今と変わらないものだと思われます。ピアノは江口 玲さん。紫音さんの3枚目のアルバムです。
Shion Minami Violin Recital
2014年7月2日(水)19:00~ 紀尾井ホール S席 1階 1 列 13番 4,000円
ヴァイオリン: 南 紫音
ピアノ: 江口 玲
【曲目】
フォーレ: ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ長調 作品13
イザイ: 悲劇的な詩 作品12
ヨアヒム: ロマンス 変ロ長調
フランク: ヴァイオリン・ソナタ イ長調
《アンコール》
イザイ: 子どもの夢 作品14
フォーレ: 夢の後に 作品7-1
南 紫音さんは私にとっては最優先アーティストのひとりであり、2005年のロン=ティボー国際音楽コンクールで第2位という快挙を成し遂げて以来、東京および近郊での演奏会はほとんど聴いていると思う。ある時期、年に1回紀尾井ホールでリサイタルを開いていたが、このところ少し間が空いてしまっていた。大学を卒業してドイツに留学したりと、活動の拠点が変わったりしたこともあるのだろう。前回、紀尾井ホールでリサイタルを開いたのは2012年1月のことで、それからもう2年半も過ぎている。その時も江口 玲さんのピアノでオール・フレンチ・プログラムだった。それ以降、オーケストラとの共演での協奏曲や室内楽の演奏などもほとんど聴いているが、ヴァイオリン・リサイタルとなるとちょうど1年前、トッパンホールでのランチタイムコンサートという短いコンサート以来のことである。
さて今日は久しぶりの紀尾井ホールでの本格的なリサイタルである。またこれは紫音さんの3枚目のCD『ファンタジー』発売記念という意味もあり、曲目もほぼCDと同じ内容になっている。これは、彼女が子供の頃から尊敬し憧れてきたイザイの無伴奏ソナタ全曲演奏会を2011年8月にフィリアホールで行った後、一旦イザイから少し距離を置いてみたら、イザイの交友関係の中に、彼のために書かれた素敵な曲がたくさんあることに気がついたのだという。今回のリサイタル(とCD)のプログラムは、そうしたイザイを取り巻く作曲家たちの作品を集めたということのようである。
もう一つの眼目。今回のピアノも江口さんだが、使用するピアノが1887年製のニューヨーク・スタインウェイ、通称「ローズウッド」である。この4月にフィリアホールで、川久保賜紀さんとベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会の時にも使用していた。長らくカーネギーホールで使用されていたピアノが紆余曲折を経て今日本にある。ホロヴィッツが来日した時にこのピアノを絶賛したという、伝説の(?)名器である。ベル・エポックのフランス音楽に、「ローズウッド」はどのような色彩をもたらすのであろうか。
1曲目は、フォーレの「ヴァイオリン・ソナタ 第1番」。最近、この曲はけっこうお気に入りである。ベートーヴェンやブラームスばかり聴いていると、フォーレの洒落た自由度の高い音楽がものすごく新鮮に聞こえることがある。また同時に、こういう曲こそは録音などではなく、ナマ演奏で聴きたいものである。
第1楽章は古典的な造形のソナタ形式で書かれているとはいえ、ドイツの音楽とは発想の原点が違うような瑞々しい感性に彩られている。紫音さんのヴァイオリンは、その瑞々しさを絵に描いたように、次々と現れる美しい主題や経過部の流れるようなフレーズを、実に明るい色彩で描いていく。心の内側から沸き立つような、若々しい感性が「青春」を感じさせて素晴らしい。
第2楽章は短調の緩徐楽章だが、こちらもソナタ形式。メランコリックな主題も紫音さんの手にかかると、新鮮で暖色系の彩りになるようだ。それを後ろ側から支えているのが江口さんのピアノ。「ローズウッド」のアコースティックな音色は、暖色系でとても優しく響く。
第3楽章はスケルツォに相当する。目まぐるしく変わる曲想に対して、紫音さんのヴァイオリンは多彩に音色を使い分けてくる。ピツィカートの弾む感じなど、実に躍動的だ。
第4楽章はロンド。華やかさの中にある種の屈託を含んでいる主題と、負の部分を払拭するような享楽的な旋律が交錯するあたりは、一筋縄ではいかない屈折した心理を持つフランスの音楽ならではといったところだ。紫音さんは、基本的には明るい色彩の音色だと思うが、華やかで快活な演奏の中にも、ふと見せる翳りのある表情があり、絵画で言うなら色彩の濁りのような部分だが、これが鮮やかな対比を生みだし、彩りに広がりと奥行きを創り出している。
やはり期待していたとおり、紫音さんのヴァイオリンはフランス音楽がよく似合うようである。活き活きと元気で、伸び伸びと自由で、色彩感も鮮やかで、そしてちょっぴり皮肉でクールな側面を持っている。素敵な演奏であった。また、全体を通して、江口さんのピアノが、実に良い雰囲気である。ちょっと乾いた音の粒立ちを聴かせる、古色然としたアコースティックなサウンドは、煙草の煙に霞むサロンの奥から聞こえてくるような感じがする。まさに今日演奏される曲たちと同じ時代に生まれたピアノ「ローズウッド」ならではのサロン的な雰囲気と、紫音さんの瑞々しさが対比をなすと同時に、ベル・エポックの時代性が表現されているようで、素晴らしい試みであったといえる。
2曲目はイザイの「悲劇的な詩」。1892~1893年頃の作品。元はヴァイオリンと管弦楽のために書かれたとのことだが、その形式出演奏されることは滅多になさそうである。原題は「Poème élégiaque」なので、エレジー、つまり悲歌。曲想は悲しげで沈鬱なものが次々と現れてくるが、悲嘆に暮れるイメージとそれを客観的に眺めるクールな側面が感じられるのが、フランス音楽の感性だ。紫音さんのヴァイオリンの基本的に明るい色彩感が、悲しいイメージにほっとするような優しい視線を注いでいるようで、なかなか素晴らしい。一方的に悲しげな音楽にしてしまえばそれまでのこと。そこからもう一歩踏み込んで、この屈折した感情をうまく表現できる人はけっこう少ないのではないだろうか。紫音さんの成長著しいところを感じた。
後半は、ヨアヒムの「ロマンス 変ロ長調」。どういう訳かここに1曲だけドイツ系の音楽が入っている。やはりフランス音楽の中に入ると、「ロマンス」であっても厳格な音楽であり、ドイツ・ロマン主義という感じがモロにしてしまう。ドイツに留学中の紫音さんにとっては、むしろこの曲の方が現在の日常に近いのだろうか。この曲だけを取り出して聴くのなら、とてもロマンティックな演奏だったと思うが、他の曲と雰囲気がちょっと違ってしまっていたのも確かだ。
後半のメイン曲は、フランクの「ヴァイオリン・ソナタ」。言わずと知れた名曲中の名曲だが、1886年にイザイのヴァイオリンにより初演されている。叶うのなら、その初演の演奏を聴いてみたいものである。
第1楽章は、比較的早めのテンポを採り、緊張感の高い演奏を聴かせてくれた。とはいえ、濃厚なイメージではなく、淡々とした感じに加えて、早めのテンポで軽快感とリズム感も出している。冒頭などは、例のサロンの煙草の煙ごしに聞こえてくる古色ピアノにむせび泣くようなヴァイオリンが被さっている。強さも弱さも控え目でダイナミックレンジを狭くしている。サロンの情景が目に浮かぶような、絵画的な質感を感じた。
間をおかずにアタッカ気味に第2楽章に入る。冒頭のピアノの奔流のような音の流れは、さすがに江口さんのクラスだと文句なく上手い。実にダイナミックな推進力を持って、ヴァイオリンからも勢いを引っ張り出す。まさにこの曲が創られた時代のピアノがなっているのだ。現代の機能的なスタインウェイとは全然異質の音だ。イザイもこのような音を聴きながらヴァイオリンを弾いたのであろうか。紫音さんのヴァイオリンも江口さんのピアノに触発されてか、これまでとすこし違った力感の加わった演奏に変わっている。音に1本、強い芯が通ったような気がした。
第3楽章へは完全にアタッカで入った。第2楽章の最後の音が消える前に、ピアノが鳴り出す。聴く者に息を継がせないぞ、というお二人の意志を感じた。ある意味では、このヴァイオリン・ソナタの中でもっとも特徴的な楽章。形式も自由、演奏家の感性が表現のすべてを担うことになる。前の楽章から力感が加わり、強く鳴り出した紫音さんのヴァイオリンが、この緩徐楽章を支配的に演奏するようになった。旋律が大きなうねりのように歌い出し、江口さんが伴奏にまわったように感じられた。
ちょっと間合いを取って、第4楽章のカノンに入る。数多くあるヴァイオリン・ソナタの中でも、もっともヴァイオリンとピアノが有機的に絡まる楽章だろう。江口さんのピアノにもチカラが漲ってきて、紫音さんのヴァイオリンも芯が鋼のように剛直かつしなやかなチカラを持つ。終盤のテンポが徐々に速くなっていくカノンはスリリングに盛り上がりを見せ、駆け抜けるように曲が終わった。会場からはBravo!!の声が飛んだ。う~ん、素晴らしい!!
アンコールは2曲。いずれも新譜CDにも収録されていて、この2曲のプロモーション用のビデオ・クリップがYouTubeなどに公開されている。イザイの「子どもの夢」は終わりのないような浮遊感がまさに子どもの夢のようだ。紫音さんのヴァイオリンから、先ほどまであった強い芯が抜けて、柔らかく優しい、そして美しい音色がホールにひたひたと漂っていく。フォーレの「夢の後に」は、大人の夢から醒めた後の気怠さだろうか。なんて美しい曲なのだろう。そしてなんて美しい演奏なのだろう。曲が終わっても長い沈黙が続き、やがて漣のように拍手が起こっていく。コンサート全体が、まさに「ファンタジー」のようであった。
さて終演後は恒例のサイン会。CDが発売されたばかりだから、当然のごとく長蛇の列ができた。こういう時は、サインは1点のみというのが常識かつ礼儀でもあるので、今回はCDのジャケットはパスして、持ち込んだ写真(ビデオ・クリップかにキャプチャーしたもの)にサインをいただいた。ひとりひとりに「ありがとうございました」と丁寧に応対する紫音さんを観ていると、真面目な性格がよく分かる。演奏の方がよほど奔放な印象を受けるくらいだ。
今回は、というよりは過去からほとんどずっと、江口さんとのデュオである。ヴァイオリン界における、あるいは若いヴァイオリニストにとって、江口さんのチカラは絶大なものがある。多くのヴァイオリニストが「困ったときの(困っていなくても)江口さん頼み」にしている。今回の紫音さんにとっては、いままで頼りにしていた江口さんとはちょっと違っていたかもしれない。今なら紫音さんの望む通りに演奏してくれるに違いない。演奏を通して聴いた感じでは、ピアノの音がそれほど大きくなく、ヴァイオリンと絶妙のバランスを保っていたように感じたものである。江口さんの持ち込んだ「ローズウッド」は、フィリアホールで聴いた時よりは音が拡散して残響音が少なく音がこもらなかった。ホールが広いからか、音量を控え目に弾いたからなのかは分からないが、良いバランスだったことは間違いない。
今回はCDとは違って、「ローズウッド」の同時代性が、楽曲に豊かなベル・エポックのイメージを与えてくれたように思う。その試みは大成功で、1度しかないコンサートならではの貴重な音作りができたのだろう。聴いている私たちも、夢見心地の2時間であった。
さてここで提案なのだが(私ごときが提案してもどうしようもないが)、紫音さんもそろそろ誰か、自分に合った、自分と対等暮らすのパートナーを見付けたらどうであろうか。江口さんが良くないという意味ではなくて、経験の少ない者同士が考えて新しい音楽を創造していく、そういった表現形式を考えても面白いと思うのである。相手は男性でも女性でも構わないが、同世代であることが大切。できれば異性との組み合わせの方が、デュオはスリリングになる。若い男の子を食ってしまうような、肉食系の紫音さんを是非聴いてみたい気がするのだ・・・・。
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【お勧めCDのご紹介】
今日紹介するのはもちろん、南 紫音さんの最新作『ファンタジー』です。本文にも書いたように、イザイの周りに集まった素敵な曲たちを収録しています。今日演奏された曲では、ヨアヒムの「ロマンス」以外の曲がすべて収録されています。今年2014年4月7~9日に録音されたものですから、感性の上でも今と変わらないものだと思われます。ピアノは江口 玲さん。紫音さんの3枚目のアルバムです。
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