【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《植村直己》 =025=

2017-09-22 06:19:25 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠ 

◇◆ 先住民に学ぶ =6/6= ◇◆

 イヌートソアの話を聞き、植村はこの老夫婦の養子になることを承諾する。儀式はごく簡単だった。3人が両手を出し、重ね合わせる。それだけである。終わって、お茶を飲み、クジラの生肉をかじった。どこに届け出をする必要もない。しかし、村長の養子になったことで、植村はこのエスキモーの村により強く溶け込むことができた。

《しかし私は満足だった。これでシオラパルクでの極地訓練が、よりスムーズにゆくだろうといううれしさよりも、まず人間同士のあたたかい肌にふれたような気持で、私は最高に幸せだった。私はそれ以後、イヌートソアを「アダダ」(お父さん)、ナトックを「アナナ」(お母さん)と呼んだ。》(同前、「エスキモーとの狩猟生活」)

 植村は、イヌートソアについて、次のように見るべき点はしっかりと見ているのである。

《イヌートソアは若い頃、政府機関につとめたり、極地をおとずれる遠征隊のガイドとして働いたことのある、シオラパルクきっての教養人である。それだけに、白人から受ける有形無形の人種差別を肌で感じていたようだ。》(同前)

 そのように書き、イヌートソアの話を紹介している。

「白人はわれわれをだます。わしは遠征隊に何度も加わったことがあるが、地理もぜんぜんわからず、たった五頭の犬橇さえまっすぐに走らせることもできないのに、白人は威張ってばかりいるんだ」。

 そんなことをいうイヌートソアの眼鏡にかなったのが、植村なのである。植村がエスキモーに対してまったく偏見をもっていないばかりか、エスキモーに学ぶ姿勢でいることをイヌートソアは見抜いていた。

 エスキモーの人びとに学ぶ、その社会に溶け込むということで、植村直己ほど徹底したものはきわめて少ないはずだ。そうではあるけれど、エスキモーの社会で植村がどうしてもなじめなかったこともなくはなかった。

 その一つは、性にまつわる習俗である。男も女も、老いも若きも、また既婚者も未婚者も、性交においてきわめて自由奔放であり、しかも人目をはばからなかった。植村自身も女性に押しかけられて危うく「難を逃れた」ことが数度ならずあった。困ったあげく、「私はドクターからオヒョーを使ってはいけないと言われている」という決まり文句を使って逃げることにした(オヒョーは性器のこと)。『極北に駆ける』には、開放的な男女の交わりへのとまどいが語られていて、植村のきまじめな対応がユーモラスにも感じられる。

 もう一つは、アルコールへの嗜好である。ビールでもウィスキーでも、エスキモーたちはある限り飲みつづけ、泥酔する。それによって危険な事件が起こることもある。デンマーク政府は、エスキモーへのアルコール類の販売量をきびしく規制しているが、月に1回アルコール類を買える日は、人びとがほとんど例外なく泥酔する。

 エスキモー社会には、もともとアルコールがなく、外部世界(白人社会)から入ってきたものである。それだけに飲酒に自制が利かない。植村は飲酒にかんしてもドクター・ストップを応用して辞退しつづけているが、同時にエスキモー社会の重大な問題として憂慮している。この問題に簡単な解決法は見当らないというのが現状だ。

 植村の先住民からの学び方をひと通り追ってみた。先にも述べたように、植村はそのとき天才的としかいいようのない適応力を発揮している。その学習と適応力こそが、植村の冒険の下支えになったのであった。

=補講・資料=

雪の家・イグルーの特徴(風や寒さを防ぐさまざまな工夫)

イヌイットはアザラシ猟をするため、数日ごとに移動します。そのときにつくられるのが、イグルーという雪の家です。雪でつくるのは、木材や石などの建築材料が手に入らないため。仮設の住居ということもあって、時間や手間をかけずに建てられます。日本の「かまくら」と似た形ですが、つくり方が異なります。

イグルーづくりは、積雪を切り取ることからスタートします。雪の大きさは、およそ1m×0.5m、厚さ30cm。いくつか切り取った雪のブロックを、下から順にドーム状に積み重ねて半球のドーム型に家をつくっていきます。入口の形はアーチ状になっていたり、屋根が平らであったりすることもあります。入り口と居室のドームとは、トンネルのような通路でつながれています。複数の部屋をつくるときには、半球のドーム同士をつなげて部屋を増やすのが一般的です。 長い間、採集狩猟やトナカイの遊牧などで移動生活を行ってきたイヌイットですが、最近では一定の場所で暮らす定住化が進んでいます。

イヌイットが暮らす寒冷地帯の冬は気温が-30~40℃に下がるときもあり、寒さの厳しい地域です。雪を材料に建てられるイグルーは、そのような寒さにどのように対応しているのでしょうか。まず風をよけるために、イグルーの入口の向きは、通路となるトンネルの軸をはずして少し曲げてつくります。こうすることで、冷たい風や雪がまっすぐ部屋まで吹き込まないようにしています。また寒さや湿気を防ぐため、内部の床や壁に動物の毛皮を敷いたり張ったりします。天井の高さは、人間の背丈より少し高い2メートル程度。イグルーの中では基本的に座って過ごします。部屋の中で煮炊きをし、一番奥のスペースには、寝台またはベンチとして一段高い床が設けられています。

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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