【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

シリーズ・登山家の横顔_002ー②

2013-10-17 13:27:22 | 冒険記譜・挑戦者達

=ウーリー・ステック(スイス)=

最強の能力は集中力  

 フランスのシャモニー ( Chamonix ) の近くにそびえる巨峰グランド・ジョラス( Grand Jorasses ) の北壁をシュテック氏は2時間21分という猛烈な速さで登り終えた。  

 現在33歳のシュテック氏は、ベルン州のなだらかに起伏するエメンタール村( Emmental ) の出身だ。あらゆる登山スタイルの中で最も危険といわれるフリー・ソロで世界トップレベルの1人に数えられている。 シュテック氏は、これまでロープや落下防止用のギアを使わずに危険なルートに度々アタックしてきた。 たった1回のミスは恐ろしい死を意味しかねない。  

 「彼が持っている最強の能力は集中力です。あの水準のクライミングをするには彼のような集中力が必要なのです」 

 とシュテック氏の友人で10年来のクライミング・パートナーでもあるシュテファン・ジグリスト氏は語っている。  

 

人道主義的な標高 

 空高くそびえる崖の壁にしがみつきながら登山をしたことのない人にとって、シュテック氏の水準がどんなに高いか正確に理解するのは難しいだろう。 彼のレベルのクライミングでは、強靭さ、持久力そして精神力の鋭さが試される。 同様のことができるのは、世界最高レベルのクライマーのうちほんの一握りだけだというほどその難易度は高い。 

 シュテック氏のクライミングの才能は天性のものだが、彼はトレーニングを規則正しく行っている。オリンピック選手についているトレーナーのもとでのトレーニングを絶対に欠かさない。 その結果、彼は指先を使った片手懸垂やランニングを準備運動なしに3時間も行うことができる。 崖の上では、文字通り顔が白くなるまで、氷で覆われたむき出しで急勾配の道筋をかき分けながら進む。  

 4月にシュテック氏はシモン・アンターマッテン氏と共に、ネパールの6500メートルのテンカムポック峯 ( Tengkampoche ) の北壁登頂に成功した。 この山は「黄金のピッケル ( Piolets d’Or ) 」と呼ばれる登山家にとっての聖地の1つで、2人はその厳しい北壁を大胆にも新しいルートを開拓しながら登攀に成功した。 

 さらに2人は昨年、雪深いアンナプルナ連峰 ( Annapurna ) で、自分たちの登攀を途中で中止し、瀕死の遭難者を救出したことで有名になった。 

「トップレベルのクライマーが自分のことだけに完全に没頭するのはよくあることです。彼らのようにトップレベルの先端にいる人間がほかの人を助ける心構えがあるということが分かってうれしく思います」

 と過去に両足を電車事故で失ったものの、8000メートルのアンナプルナの登頂に成功したイギリス人登山家ノーマン・クロウチャー氏は4月に2人の勇気を称えているのです。 

 シュテック氏の登攀記録  

・アイガー北壁、ヘックマイアー・ルート2時間47分 33秒 ( 2008年2月13日 ) 

・グランド・ジョラス北壁、マッキンタイア・ルート2時間21分 ( 2008年12月28日) 

・マッターホルン北壁、シュミッド・ルート1時間56分 ( 2009年1月13日)


・・・・ アイガー悲劇の記憶(アイガー・バンド事故小史)  

  今から50年前、アイガー登山史上初めての救助活動が世界の注目を浴びた。北壁で遭難した4人のうち、生還したのはクラウディオ・コルティ隊員1人だけだった。 

『コルティのドラマ ( Corti-Drama ) 』と題された本が、このほどスイスで発行された。当時の救助活動の詳細や、報道機関による生還者コルティの責任追及と彼の名誉回復までを追った。 

 事故が起こった1957年当時、グリンデルヴァルトからクライネシャイデック ( Kleine Scheidegg )まで の模様は双眼鏡で見ることができた。イタリア人のコルティとステファノ・ロンギ登山隊がアイガー北壁を登っている様子は、双眼鏡を通して観察されていたのである。イタリア隊が出発した2日後、ドイツ隊のギュンター・ノートドゥルフトとフランツ・マイヤーも同じルートを登り始めた。 

≪救助後も注目が続く≫

 2隊ともなかなか前進できない。そうこうしているうちに、北壁を登る途中でイタリア隊はにっちもさっちもいかなくなってしまったのである。1日後、6カ国からなる救助隊が、コルティ隊員を山頂から320メートルのザイルを垂らして救助することに成功した。しかしロンギ隊員は、寒さとひもじさで死亡した。  

 ロンギ隊員の遺体はザイルに釣り下がったまま、回収されたのは事故の2年後のことである。その2年間、野次馬の興味の対象となったことはいうまでもない。グリンデルヴァルトにとって不名誉なことだが、現地の人々は冷静に受け止めていた。遺体を回収するために山に登ることは不可能だと判断されていたからである。  

 ドイツ隊のロートドゥルフトとマイヤー両隊員の行方は分からず仕舞いで、憶測が飛んだ。中にはコルティの責任を問うものもあった。コルティは自分が助かりたいがため、2人のドイツ人を墜落させたのだというのだ。4年後、行方不明だった2人は遺体で発見された。その結果、2人は頂上に到着し、その後の下山で疲労のため死亡したということが分かった。コルティはやっと「無実」を認められ、名誉を回復したのだった。

苦い思い出 

 事故から50年目にあたる今年、スイス人のダニエル・アンカー氏とドイツ人のライナー・レットナー氏による本が出版された。イタリアに暮らすコルティを訪ねるなど、著者は当時の模様を知る証言者に聞き歩いた。救助活動の模様などを詳細にわたって記録したカメラマン、アルベルト・ヴィンクラーの写真も入手した。ヴィンクラーの報道写真は当時、マスコミにより世界中に流されたものである。 

「当時子どもだった人も、登山隊員をどのように救助しようとしたか、詳しく覚えている」と著者のダニエル・アンカー氏。遭難事故は現地の人の脳裏にいまでも鮮明に残っているのだ。 

 さらにアンカー氏によると、グリンデルヴァルトの村にとって「コルティのドラマ」は苦い思い出だという。3人を救助できなかった上に、当初は救助活動を拒否したからである。「技術面でも機材面でも、その準備はなかった。スチールザイルによる救助方法は当時まだ知られていなかった。また、アイガー登山はグリンデルヴァルトの村人にとってタブーでもあった。事故を起こすのは登った人が悪いからだという考えだったのだ」

 

≪報道合戦≫ 

 この救助活動は世界のマスコミの注目を浴びた。現地の人たち以外は、救助は可能だと考えていた。「登山家はどれだけ耐えられるのだろうかということに興味が集中した。しかも、夏でニュースがさほどなかったことも報道合戦に拍車をかけた」。もしテレビが当時あったなら、必ず中継されたはずだとアンカー氏は言う。 

 同時に、この遭難事故によりグリンデルヴァルトは観光面で大いに儲かったことも否めない。もちろん、彼の救助が失敗したことは現地の人々にとって辛いことだったろうとアンカー氏は言う。 

 2年後、ロンギ隊員の遺体回収は、オランダの出版社が出資して実現した。出資者は、ほかのリコプターなどを飛ばすことを禁止し、回収の模様を独占しようとしたが、それはかなわなかった。

 

≪ハイキングの気持ちで上るのは危険≫ 

 その後、救助技術は大きく進歩した。特に現在のグリンデルヴァルトの救助活動は評価が高い。夜間に起こった遭難事故でも、厳しい状況下の救助活動もヘリコプターのおかげで可能だ。しかし、今日のハイテク技術で登山者の危険が無くなったかというと、それは間違いだ。携帯電話で救助を呼ぶことも考えられるが、バッテリーがなくなっていたり、天候によって電話が通じなかったりもする」とアンカー氏は警告する。 

 アイガー北壁はすでに何百もの登山隊が登ったとはいえ、その魅力は消えていない。グリンデルヴァルトを訪れる観光客にとっては、一種の舞台ともいえる。登山隊員の様子を、グリンデルヴァルトから見ることができるからだ。また、登山者にとっても魅力ある場所だ。牧草地から1800メートル上ったところにあるにもかかわらず、電車が通る音やカウベルが聞こえる、特別な場所なのだ。

 北壁の登頂歴;


We are the WORLD

https://www.youtube.com/tv?vq=medium#/watch?v=OoDY8ce_3zk&mode=transport

【 Sting Eenglishman in New_ York 】

http://www.youtube.com/watch?v=d27gTrPPAyk

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

                          森のなかえ

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