【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 10月03日(木曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-10-03 05:10:39 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 遭難のモールス信号・・・― ― ― ・・・としてせんないが おおさわぎする そうどう 略して「SOS」を制定(1906年)。これが、日本が世界に誇る涼宮ハルヒシリーズ誕生の遠因となる。 ◆ 東京オリンピック開会を前に日本武道の聖地が竣功(1964年)。しかし、半世紀以上経った今ではミュージシャンの聖地と化すことに。本年は非難轟轟の自民党の聖地と化す。 ◆ ドイツの東半分とベルリンの東半分を支配していたソビエトの犬がご臨終(1990年)。ドイツがやっと再度一つになったものの、東西を隔てた様々な格差は統一から40年近く経っても悩みの種。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第9回= ◎ ◎

1921-1956期 追考 « シトロエンといえば車じゃなくて探検隊? (5/5) »

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2012年3月07日 / (Web編集部)

マルコ・ポーロ以来の大遠征ついに完結!

 ヒマラヤとカラコルム山脈をなんとか越えたシトロエン―アールト中央アジア探検隊は、こんどは内乱に巻き込まれます。折りしもこのときの新疆(しんきょう)省は、中国最大のイスラム教民族「回族」の馬仲英による反乱の嵐が吹き荒れる最中でした。

 おまけに、再会後の出発が中国の足止めにより11月になったせいで、冬の厳しい寒さとも戦わなければなりません。

 最低気温は-20℃以下。ウィリアムズはゴビ砂漠で両手に凍傷を負い、ペンを口に入れてインクをあたためないとメモもできないときもしばしば。  ここから先はハリウッド映画さながら、スリルとサスペンスの脱出劇です。「いったん出発してからは、最後の目的地にたどりつくまでひとときも休息できなかった」とウィリアムズが書いたのは率直な心情でしょう。

 記事の最終回となった1932年11月号「地中海から黄海まで自動車で(From the Mediterranean to the Yellow Sea by Motor)」(全68ページ)からちょっと引用してみましょう。  これは再会前の“中国隊”についての記述ですが、

「許可が遅れたのは私たちの遠征の意図が十分に伝わっていなかったのも一因だった。どうやら中国の当局は遠征隊をうさんくさい一行と見ていたようだ。貴重な鉱物資源が目当ての探査ではないか、あるいは中央アジアで少数民族の反乱を扇動しようとしているのではないか……はては遠征隊の自動車がキャタピラをつけ装甲車のような格好をしていることから、中国侵略を狙ってカムフラージュした日本軍ではないかという疑いまでかけられた」

 再会後は、夜露をしのぐ場所がほかにないために、15体の凍れる死体の間で一夜を過ごしたり、馬仲英に追われる途中でみせしめにさらされる27個もの山賊の生首と出くわしたり、黄河に張った氷が割れて「銀の三日月号」が水没し、すんでのところで何百本もの貴重なフィルムが助かったり。

 挙句のはては中国政府と銃撃戦を繰り広げる場面も。

「ゴールが近くなった頃、内モンゴルを出る直前に隊は突然、中国兵から銃撃を受けた。道の両側の土塀の陰から隊列をめがけて銃弾が打ち込まれたのである。隊長の車とその後のトレーラーが集中的にねらわれ、11発もの銃弾を受けた。私たちは応戦体制をとった」

「元兵士の隊員があざやかな射撃で応戦した。まず機関銃を4発撃ち、しばらく間をおいてからもう一度4発、さらに間をおいてあと4発撃った。これで弾を無駄遣いすることなく、しかもこちらに機関銃があることが相手に分かった。このねらいは見事に当たり、中国兵はほどなく射撃を止めて白旗を掲げて、話し合いを申し入れてきた。隊長が出てきて、「敵と見誤り、ちょっと誤解があったようだ」と言ったのには怒りを通り過ぎてあきれてしまった」

 いやはやとんでもない遠征でした。中央アジアが北極、南極につぐ空白地帯とはいえ、冒険の質は極地とまったく違いますね。  それでも1932年2月12日、探検隊一行はなんとか最終目的地の北京に無事到着します。かかった日数は314日。走行距離1万2400キロ。

「地中海からアジア大陸を横断し、中国の黄海まで到達したのはマルコ・ポーロ以来の大旅行である……遠征隊の成功後間もなく、各界の専門家たちが競って中央アジアを訪れるようになり、新しい発見を続けている。シトロエン―アールト・アジア大陸横断自動車旅行の真の歴史的意義は今後にその評価を待たなければならない」とウィリアムズは筆を置いています。この冒険がそのままスウェン・ヘディンによる「さまよえる湖」発見のルートにつながったことを考えれば、その意義はおのずと明らかでしょう。

第一期黄金時代を飾った『ナショナル ジオグラフィック』の2大スター、ジョゼフ・ロックとメイナード・オーエン・ウィリアムズの回はこれで終わりです。

 呪術やシャーマンを好んだジョゼフ・ロックがジェームズ・ヒルトンの『失われた地平線』をはじめとするファンタジーの世界を開拓したとするならば、ツタンカーメンの墓や中央アジアのスリリングな大遠征をレポートしたメイナード・オーエン・ウィリアムズが開けたのは冒険活劇の扉でした。そして、このレポートでウィリアムズは押しも押されもせぬ『ナショナル ジオグラフィック』のスターのひとりになりました。これだけ面白いレポートを書けば当然でしょう。

 話は変わって、インディ・ジョーンズのモデルはマチュピチュを発見したハイラム・ビンガムという説がありますが、彼は危険に満ちた冒険はしていません。純粋な考古学者でしたから。

 確かに、インディ・ジョーンズは考古学者だけど、映画の冒険の世界はどちらかというとメイナード・オーエン・ウィリアムズのそれに近い感じがします。ウィリアムズの冒険の主人公にハイラム・ビンガムをあてはめたといわれると、中の人にはとてもしっくりくるのですが、そんなことはないのかな。

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次回は “   « 世界初の有人深海調査 » (4/5)  “ に続く・・・・・

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