【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 09月23日(月曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-09-23 05:10:03 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 京都市下京区にて花札屋が店開き(1889年)、100年経つと何故かファミコンの会社になっていた次第。創業者は山内房治郎。 ◆ VIP満載の特急列車が、集中豪雨で宙吊りとなった線路に突入して脱線転覆(1926年)。山陽本線特急列車脱線事故。 ◆ 頭の固い百科事典によると、秋はこの日から始まるそうだ。即ち、秋分。なぜか、国民の祝日の一つ。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第6回= ◎ ◎

1921-1956期 « 世界初の水中カラー写真は命がけ »

……National Geographic Journal Japan 〉 ニュース〉 旅&文化〉 より……

なんだか過剰なタイトルですみません(笑)。

ホントは「世界初の水中カラー写真」だけにしたかったんですけどね。それで十分でしょう? でも、当時のカラー写真の撮影は何しろすごく大変だったので、「カラー写真の撮影は命がけ」とくっつけて短縮しちゃいました。だから、このタイトルには2つの要素がこめられています。

 とはいえ、実際に世界初の水中カラー写真の撮影も命がけでしたから、ウソではありませんよ。念のため。

 さて、第一次世界大戦のせいで、しばらくの間掲載を見送っていたカラー写真が復活した記事は1921年3月号の「ロンドンからオーストラリアへ飛行機で行ってみた(From London to Australia by Aeroplane)」でした。このなかにのったスリランカとインドのスナップです。  グロブナーにとっては満を持しての復活です。

 前回ご紹介した飛行機同様、この時期グロブナーはカラー写真に入れ込んでいました。先を読んでいたのはもちろんですが、彼は相当な新しいモノ好きでもあったようです。

 他にカラー写真を使う雑誌はほとんどなく、また、大多数のカメラマンがカラー写真なんて撮ってもムダな苦労と思っていたにもかかわらず、カラーの時代が来ることを確信し、グロブナーは1920年にカラー写真研究所を設立します。出版界ではもちろんはじめての試みです。    同時に、アメリカとヨーロッパを探し回って、カラー写真を撮れるカメラマンをぜんぶで10人集めました。

 第3章の第10回 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20111227/295022/?P=3 でお見せしたように、この時代のカラー写真は「オートクローム」と呼ばれるもので、連続して撮影できるフィルムではなく、1枚ずつ交換するガラスの乾板を使いました。

 機材は一式そろえると100kgを超えたそうです。ガラスの乾板が何枚もいるんだから、当然でしょうね。重かっただろうなあ。おまけに、感材がきわめてデリケートだったり、乾板にほこりがつかないように細心の注意を払う必要があったりして、撮影から現像まで高度なテクニックがいる。

 基本的にすべてカメラマンまかせのため、撮影したらすぐにカメラマンが現像をして編集部へ原板を送っていました。家財道具を持ち運ぶような荷物の量で、カメラマンはとても大変でした。  実際のところ、アメリカ西部の風景写真を専門にしていたフレッド・ペイン・クラットワーシー一行は、デスバレーで身動きがとれずに砂嵐に巻き込まれ、「ぼくのすぐ後ろにいた人が窒息死した」なんていうコワい話が1928年の6月号にしれっと出てきます。

 今のナショジオのカメラマンも相当な冒険野郎たちですが、当時からの伝統だったんですね。それにしても、砂嵐で窒息死するとは知らなかった……。砂漠に行ったら気をつけよう。行かないけど。

1921年から1930年にかけて『ナショナル ジオグラフィック』に掲載された1818枚のカラー写真の約95パーセントがこの10人が撮影した写真でした。つまり、カラー写真を撮れるカメラマンはそれだけ貴重でした。  そのカラー写真のなかでも、偉業のひとつが世界ではじめてのカラーの水中写真です。

 カメラマンはカラー写真研究所の主任チャールズ・マーティンと魚類学者のW・H・ロングリー博士です。場所はフロリダ州ドライ・トルトゥーガス諸島の沖に広がるサンゴ礁。  で、実はこのときも負傷者が出ました(笑)。いや笑っちゃいけません。

 オートクロームはモノクロと比べて感度が低く、当時としては超高感度の乾板を用意したにもかかわらず、水深わずか4.5メートルでも暗すぎて撮影できなくなってしまいました。  予想外の事態です。

 そこで、マーティンがマグネシウムの粉を用意してストロボにしたところ、これが暴発してしまったのです。記事にはこう書かれています。 「約28グラムのマグネシウムが暴発したせいで、ロングリー博士は6日間も寝込むほどの大やけどをしてしまった。もし1回分がぜんぶ爆発していたら、命にかかわる大事故になったか、少なくとも失明はしていただろう」

 1回分は約450グラム(1ポンド)。28グラム(1オンス)のおよそ16倍ですから、全部爆発したらそりゃヤバかったでしょう……。  でも、身の危険をおかしてまで撮影した8枚のカラフルな熱帯魚の写真は、1927年1月号に掲載されると一大センセーションを巻き起こしました。

 ロングリー博士のこの成功は学術論文にもたびたび引用されていますから、やけどした甲斐はあったというものですね。

次回は “ ナショジオが見た大正の日本 “ に続く・・・・・

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上部記載文中、文字色が異なる下線部位を右クリックにて“参考記事”を開示

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森のなかえ

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