【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 10月04日(金曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-10-04 05:10:44 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 就寝前にお父さんが見る定番番組だったきょうの出来事が放映開始(1954年)、でも櫻井キャスターが登場するには更に四半世紀以上待たねばならなかった。 ◆ ローマ教皇パウロ6世がドルを求めて初訪米(1965年)。 ◆土曜8時にいかりや長介の「8時だョ!全員集合」の号令が初めて日本全国に響き渡ったり(1969年)、世にも奇妙な物語のホストが仕切るお昼の看板番組が放映開始(1982年)したりとこの日は長寿番組にとっての特異日。尚、1970年の『遠くへ行きたい』は現在も放送中。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 10回= ◎ ◎

1921-1956期 追考 « 世界初の有人深海調査を支援 (1/3) »

……National Geographic Journal Japan 〉 ニュース〉 旅&文化〉 より……

2012年4月04日 / (Web編集部)

 ついこの前の3月26日、『タイタニック』や『アバター』の監督で、ナショジオの探検家でもあるジェームズ・キャメロン氏が海洋最深部のマリアナ海溝での有人潜行に成功したことはこのサイトでもお伝えいたしました。

 このニュースはテレビでも取り上げられていたから、(ナショジオのマーク入りのニュース映像を)ご覧になった方も多いのではないでしょうか。

 ちなみに、中の人は某国営放送の朝のニュースで見て、画面の左上にナショジオの黄色い四角形とロゴが出てきたときにはめちゃくちゃ驚きました。しかも、右上にも黄色い四角形がもうひとつ。画面の上、左右に黄色い□が仲良く並んでいたのです! ええ、あれは記念すべき瞬間でした(笑)。録画しとけばよかったなあ。

 そういえば、この4月から黄色い四角が変わっちゃいましたね。あ、変わったのはナショジオじゃありませんよ。3月中に成功してありがとう。キャメロン監督。

 というように、キャメロン監督のおかげで、ナショジオの有人深海調査プロジェクトがにわかに注目を集めましたけれど、これはなにも今回に限った話ではありません。というか、ナショジオはしょっぱなから有人の深海潜水調査に関わっていたのです。

 世界ではじめて有人深海調査が行われたのは1930年でした。調査船の名前は「バチスフィア(bathysphere)」。「bathy」の語源はギリシャ語の「深い」で「sphere」は「球」、つまり、「深海の球体」です。開発したのは生物学者のウィリアム・ビービとエンジニア兼スポンサーのオーティス・バートンでした。

 深海調査をはじめる以前から、ビービは名の通った鳥類学者でした。ニューヨークのブロンクス動物園に所属し、未開のジャングルを探検しては鳥をはじめさまざまな生きものを調べて、一般向けに記事を書いて人気を得ていました。セオドア・ルーズベルト大統領も彼のファンだったそうです。

1925年、ビービは48歳のときに海に目を向けはじめます。   当初、彼は船で海に出て、さまざまな場所の生物を採集し、観察しました。なかには水深900メートルの海底も含まれていました。深海から引き揚げた網に、これまで見たこともない生物がたくさんいるのを見て、ビービは深海への夢を一気に膨らませます。

 この目で海の中を見てみたい。太陽の光が決して届かない暗闇の世界にどんな生きものがいるのか直接確かめたい。強く願ったビービは、銅製のヘルメットに空気を送る形で調査をはじめます。いわゆる「フーカ潜水」です。でも、銅製のヘルメットでは水深18メートルが限界でした。そりゃそうでしょう。ヘルメットだけで深海は無理に決まってます。

 とはいえ、ビービが体験した水中の光景はほとんどの人が見たことのないものでした。海中という新たな世界を切りひらいたビービはさらに人気を博します。

 1928年、海に魅せられたビービはフロリダ沖のバミューダ諸島に移住し、海洋研究所を立ち上げます。深海への情熱はつのるばかり。そんな彼に資金援助を申し出たのがニューイングランドの大きな商店の跡とり息子でエンジニアだったオーティス・バートン(29歳)でした。  意気投合した2人はさっそく深海調査船の開発にとりかかります。

「バチスフィア」の完成は1929年。

 設計はオーティス・バートンで、直径1.5メートル弱、厚さ4センチの鋼鉄の球体に、のぞき窓用に厚さ7.5センチの石英ガラスがはめ込まれています。総重量は2.5トン。幅35センチの鉄の扉だけでも150キログラムもある。船内には計器類がびっしりと並び、サーチライトが1灯だけ備わっていました。

 動力はありません。なぜなら、長さ1500メートルの細いケーブルで吊り下げるだけだったからです。まるでウルトラヘビー級のヨーヨーですね。ケーブルの重さだけでも2トンもありました。  記念すべき初調査は1930年6月のこと。場所はバミューダ諸島数キロ沖合いの水深2780メートル地点でした。

 無人のテストを何度か繰り返したのちに、6月5日にビービとバートンがはじめて乗り込みます。ドキドキしたでしょうねえ。無人のテストをしたとはいえ、そんなことをしようとした人は過去にいませんでしたから。

 世界ではじめてのチャレンジです。当時は潜水艦の記録ですら120メートルでした。ビービが目指した深さは以前網を入れた900メートルです。万一、深海で浸水しようものならあっという間におだぶつです。

 ビービはその模様を『ナショナル ジオグラフィック』1931年6月号の特集「海の墓場への往復旅行(A Round Trip to Davy Jones’s Locker)」と題してレポートしています。

 余談になりますが、Davy Jones’s Lockerとは「(死んだ船乗りが横たわる)海底」という意味。デイヴィ・ジョーンズって、どこかで聞いたことありません? 『パイレーツ・オブ・カリビアン』に出てきましたよね。フライング・ダッチマン号の船長として。そう、タコとカニと人間の合いの子みたいなアレです。それから、『ワンピース』の「デイビーバックファイト」の考案者だったり、「ホーディ・ジョーンズ」のモチーフにもなっています。それなりにメジャーな表現みたいですよ。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

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次回は “   « 世界初の有人深海調査を支援 » (2/3)  “ に続く・・・・・

・・・・・ Bathysphere and Beyond | WCS ・・・・・

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