【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

小説・耶律大石=第二章_11節=

2015-04-20 16:48:32 | 浪漫紀行・漫遊之譜

 凍てつく黄河の左岸を鳥海に向けて、商人姿の石隻也は北上していた。 興慶の街から鳥海までは彼の足では早朝に出立すれば日が陰る前に鳥海に着ける。 初めての道とはいえ黄河を眺めながら北上すればよく、迷うことは無い。 また、この道は蒙古高原に向かう隊商の幹線路でもある。 興慶で過ごした何蕎宅での四日間で燕京からの長旅の疲れも取れ、大石統師の下に帰れると思えば自ずと脚が進む。 

 昨夜、何蕎が話してくれたた忠弁亮の店は街道に面していた。 鳥海では一番の商人であろうか大きな構えの門前で案内を乞うと直ちに中庭に通され、温かい小部屋に導かれた。 肥満した体躯を軽快な歩みで入って来た女性の後ろからチムギが顔を出した。 隻也を驚かそうと二人して相談しつつ現れたのであろう。 事実、隻也には彼女がここに居るとは思いのつかなかった異変であったのだ。 

 主人の忠弁亮が北方の商いに出て不在の事、楚詞さまが蒙古東北のタタル偵察に行っている事、等の情報を聞き込んだ隻也はセデキ・ウルフから預かった忠弁亮が世話した二頭の駿馬と鞍への答礼の品を女主人に手渡した後、燕京の状況やチムギの父母からの伝言の言付け また、彼女の実家の状況を夜半に至るまで話し、女主人が手造りの料理を心行くまで味わった。 それは、隻也が初めて口にするウイグル料理で羊肉が主体であった。 暖かい寝床で熟睡した翌朝も暖かいウイグル料理が出され、聞けばチムギが手造りと言い 深窓で育った彼女の一面を知った驚きを胸に、可敦城に飛ぶように旅立っている。 彼の脚なら、三日の旅程で北庭都護府・可敦城に至ったであろう。 

 

 さて、病を隠し 焦りのような不安を抱えている金の初代皇帝阿骨打(アグダ)は、女真族完顔(ワンヤン)部の族長として名を成したのは45歳の時であった。 北方の騎馬遊牧人の長としては高齢であった。 祖父は生女真・完顔部の族長烏古廼(景祖)、父は烏古廼の次男劾里鉢。 生母は女真ダラン(挐懶)部の首長の娘である翼簡であった。 女真族完顔部を率いる一族の血門であるが、 完顔部は女真人であるが遼からは間接統治を受ける生女真の一部族も混在しており、生女真の本流は松花江の支流である按出虎水(アルチュフ河)流域(現在の黒竜江省ハルビン市)に居住し 遼王朝に屈服していた。

 しかし、阿骨打の先祖は完顔部の族長として遼から節度使の称号を与えられ、遼の宗主権下で次第に勢力を拡大していた。 阿骨打は完顔部の族長・節度使を務めた父劾里鉢、叔父の盈歌、兄の烏雅束を補佐して完顔部の勢力拡大に功があり、彼の働きで 1100年ころまでに完顔部は生女真をほとんど統一した。 1113年、兄が死ぬと阿骨打が完顔部を継ぎ、都勃極烈を称し自立を志向した。 翌1114年遼に対して挙兵し、遼の拠点寧江州(現在の吉林省)を攻撃し、これを占領。 また、女真人を軍事的に組織し、遼への牙を磨いて行った。 阿骨打自身は雄々しい容貌を持ち、身の丈八尺の偉丈夫で、寛大で厳格かつ寡黙な男性で、女真族の理想的な君主であったという。 

 自他ともに指導者として立ち振る舞う阿骨打は、1115年 女真族を心服させ 按出虎水で皇帝に即位し、国号を大金と定めた。 按出虎水にある会寧(上京会寧府)を都に定め、遼の天祚帝率いる大軍が侵攻してくると迎撃し、天祚帝軍を撃破する。 北の遼に苦しめられてきた北宋は阿骨打の威勢を聞いて遼を挟撃しようと図り、1120年、金と海上の盟といわれる同盟を結んだ。 これにより阿骨打は遼との決戦に臨み、同年遼の都上京を占領し、さらに燕京に迫った。 翌1121年遼の天祚帝は燕京を放棄して西走し、遼の支配地の殆ど阿骨打に帰していった。 

 一方、宋軍は“方臘の乱”など国内の内乱鎮圧に振り向けられていたため到着が遅れ、阿骨打は北宋との盟約に従って燕京を攻め残した。 その後、宋軍が到着して燕京に攻めかかるが、弱体化した宋軍は耶律大石らの率いる遼の残存勢力に連敗したため、宋軍の司令官童貫は金に対して燕京を落とすよう要請し、金軍が燕京を攻略した。 金の将軍達はこのまま燕京を金の領土にすべきだと主張したが、阿骨打は盟約を尊重して燕京以下六州を北宋に割譲し、代わりに燕京の人民を全て連れ去った。 またこの代償に、金は遼にかわって宋から歳幣に銀20万両・絹30万匹・銭100万貫・軍糧20万石を受けることになった。 北遼の耶律大石統帥が五原に去った後のことである。 

 その後、阿骨打皇帝は逃亡した遼の天祚帝の追撃を試みた1123年の親征途中で発病し、部堵濼(ウトゥル、現在の瀋陽付近)で56歳で病没した。 耶律時が偵察で知りえた事実はここまでであったが、阿骨打皇帝の同母弟の呉乞買が後を継ぐ事に成った。 呉乞買が二代目皇帝・太宗として即位するのは同年の1123年9月であるが、この情報に基づき、耶律大石は“北帰行”をこの年の冬から開始している。  後の事ですが、天会3年(1125年)9月27日に、応州にて天祚帝が捕獲されたと知った 呉乞買は遼王朝の命脈を絶ち、内モンゴルを支配下に置いている。 これによって、遼は完全に滅亡したが金帝国への歳幣の支払い等を巡って北宋と対立て行く。  

 二代目皇帝・太宗(呉乞買)は、寛大で人格者だった太祖・阿骨打と違い、勇猛果敢で実行力に富んだ性格だった。 燕雲十六州の奪還を目指す宋軍が燕雲地方に駐留する金軍を牽制する動きの情報を知ると激怒した。 翌年の天会4年(1126年)、金は直ちに北宋との戦端を開いて首都開封を包囲し、混乱を極める宋を“靖康の変”で滅ぼし、欽宗とその父で上皇の徽宗を北へと連れ去った。 金は華北一帯を領有し、揚子江の南に逃れた宋は南宋として生き延びる。 しかし、この時、太宗(呉乞買)は北宋・欽宗の皇后朱氏や徽宗の妃韋氏、皇女、女官達、女性数千人も同様に拉致して、北の上京に設けた金の官設の売春施設である洗衣院に彼女達を監禁した。 洗衣院に閉じ込められた宋の皇女や女官達は、生涯を遊女として虐げられ 一名を除いて誰も生還していない。 太宗(呉乞買)はこのような蛮行を平然と行う性格を有していた。

 オルドス地方(鄂爾多斯)は、現行の行政地区では内モンゴル自治区南部の黄河屈曲部、西・北・東を黄河に、南を万里の長城に囲まれた地方を言う。 黄河対岸(北側)の河套平原なども含め、河套(かとう)ともいう。 五原は河套平原の中央部にある湿原地帯であり、いたる所 自由気ままに蛇行した黄河が取り残したのであろう大小の湖、沼がある。  逆U字型に三方を取り囲まれるオルドスの大部分が海抜1500メートル前後の高原で鄂爾多斯高原と呼ばれ、南方 万里の長城を南に超えれば黄土高原に続く。

 オルドス地方の中核地である鄂爾多斯からは、延安・銅川・西安の城郭都市はほぼ直線的に真南に位置し、楡林・大原・石家庄は真東に並んでいる。 鄂爾多斯に円の中心点を置けばこれらの城郭都市は等距離の同心円上にくる。 従って、モンゴル高原から華北、華北からモンゴル高原に通じる交通上の要衝が鄂爾多斯であり、古くは蒙古高原の支配者匈奴と秦・漢が争奪した地帯であった。 遊牧民族王朝(遼、西夏、元など)あるいは中華王朝(唐、明など)による支配を受けた。  しかしながら、オルドス高原の一部はステップであり、農耕には適せず遊牧民の世界であった。

 因みに、後年にチンギス・カンが西夏の都興慶(現在の銀川)攻略のおり、西夏軍は30万以上を圧倒して夏期の避暑のため六盤山に本営を留め、ここで彼は西夏の降伏を受け入れている。 しかし、金から申し込まれた和平は拒否しつつ 金帝国攻略の戦略を練っていたのだが、突然 陣中で危篤に陥った。 このためモンゴル軍の本隊はモンゴルへの帰途に就いたが、西暦1227年8月18日、チンギス・カンは陣中で死去する。 彼は死の床で西夏皇帝を捕らえて殺すよう命じ、また末子のトルイに金を完全に滅ぼす計画を言い残したという。 元朝のクビライ・カアンはトルイの四男。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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