【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

未知の世界へ 関野吉晴 =014=

2018-01-30 06:19:46 | 浪漫紀行・漫遊之譜

〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇

= Webナショジオ_“北極探検 二つの物語”に転載・補講 =

☠ 関野吉晴の探求心はどこから来たのか   ☠

◇◆ 決断 =後節= ◆◇

台風と出航

 朝起きると、再び新しい決断を迫られることになった。ルソン島の西側にあった熱帯低気圧が台風になり、時速20kmで北上しているというニュースが飛び込んできた。熱帯低気圧の存在は知っていたが、中国に進み、消失すると思っていた。もしも北上して台風になったら困ったなと思っていたが、どうやらよくないコースをたどりそうだ。

 私たちは台湾の東の海を北東に進む。台風3号が北上を続ければ、台湾の西側を進み、やがて私たちと並走し、追い越していくことになる。幸い台風は小型で私たちの航路は風速15mの強風域にも入らないようだ。しかし小型とはいえ台風だ。うねりも大きくなり、風も強まるだろう。私たちは台風が発生したらどこかで避難することにしていた。

 前年は台風1号が発生したのが7月中旬で、その後も台風の数は少なかった。しかしこの年は台風1号によって出発を遅らされた。台風2号の時はルソン海峡の中央部バタン島で9日間待機しなければならなかった。そして3号の到来だ。2011年は台風が多いだけでなく、私たちに近寄ってくる。

 緊急ミーテイングを開いた。初日も2日目も風速10~12mの南風が吹くという予想だ。絶好の条件なのだが、3日目の6月12日に、台風が私たちより北上した時、どんな風が吹くかが問題だ。

 不安は2つあった。
1. 北上している台風3号が、東に寄ってきて、最悪の場合は私たちのほうに進路変更してくるのではないか。
2. 3号が私たちより北に進んだ場合、北寄りの風が吹くのではないか。北寄りの風が吹くと、縄文号は潮だけが頼りで、目的地に向かって進めない。

 新嵩さんが与那国島の気象観測台の知り合いに電話をした。
 1について、「3号が変則的な動きをすることはないだろう」という判断だった。
 2については、台風3号が北上した場合、北寄りの風は吹かず、私たちのいる台湾の東側は南西の風になるだろうという予想だった。予想をうのみにするわけではないが、3日間の風が、1日目南風、2日目南風、3日目南西の風と願ってもない条件がそろった。

 新嵩さんも判断に迷っていた。この日の朝9時に、出入国管理官が花蓮から車でおよそ200km南下して、やってくる。成功港は国際港ではないので、出入国管理事務所はない。わざわざ出前で、管理官がやって来てくれる。安全がかかわっているので、管理官に断って出発を遅らすことは可能だと、新嵩さんはいう。

 10人の命を預かっている。慎重に決断しなければならない。前年は慎重に決断して航海を中断した。結果論だが、続行したらゴールまで行けただろう。中断後、翌年の偵察のためにルソン海峡の真ん中にあるバタン諸島に行ったら、台風は発生せず「絶好の航海日和」が続いた。しかし、それは結果論で、この年の中断は致し方なかった。沿岸警備隊のガルシア司令官に「信じてくれ。俺たちがこの海を誰よりも知っている。危ないから今年はあきらめてくれ」と言われた。万一遭難しても、フィリピンの海軍、沿岸警備隊共に救助活動はしないという通告があった。

 若い前田次郎、佐藤洋平は出発を延ばしたほうがいいと思っていた。不安げな顔をして決断を待っていた。マンダール人たちは私に決断は任せると言う。一方いつもは最も慎重な渡部純一郎が「行きましょう」と言う。私も「こんないい風を逃したら、次のチャンスはいつ来るか分からない」と思っていた。最高の風が吹いていること。私たちのカヌーが思ったより安定していて、多少荒れた方がよく走ることが3年間の航海で分かっていた。

 そして決断した。手続きが済んだらすぐに出航することにした。

= 補講・資料=

八重山列島

八重山列島(やえやまれっとう)または八重山諸島(やえやましょとう)は、南西諸島西部の島嶼群で、宮古列島とともに先島諸島の一部を成す。

中心となる石垣島をはじめ、竹富島小浜島黒島新城島(上地島、下地島)、西表島由布島鳩間島、有人島では日本最南端の波照間島などの石西礁湖周辺の島々と、これらから西に離れた日本最西端の与那国島の合計10の有人島、及び、北に位置する尖閣諸島など多くの無人島からなる島嶼群である。面積では沖縄県全体の約4分の1に相当し、県内では沖縄本島に次いで西表島が2番目、石垣島は3番目の大きさである[7]

行政区分では、沖縄県石垣市八重山郡竹富町及び与那国町の1市2町からなり、有人島では、石垣島が石垣市、与那国島が与那国町にそれぞれ属し、他の8島はすべて竹富町に属する。国指定の天然記念物が多数ある一方、1637年から琉球王国に課された重い人頭税で島民が苦しんだり、1771年の八重山地震に伴う明和大津波で多くの人命が失われるなど、過酷な歴史がある[7]。多くの人命を奪う風土病であったマラリアは1962年に撲滅された。

有人島 : 石垣島石垣市)  / 竹富島竹富町)  / 小浜島(竹富町)  / 黒島(竹富町)  / 新城島(竹富町)  / 西表島(竹富町)  / 鳩間島(竹富町)  / 由布島(竹富町)  / 波照間島(竹富町)  / 与那国島与那国町

無人島 : 大地離島(石垣市)  / 平離島(石垣市)  / 川平湾小島(石垣市)  / 真謝離マジパナリ)(石垣市)  / 婿離(ムクパナリ)(石垣市)  / 嫁離(ユミパナリ)(石垣市)  / マヤ離(マヤパナリ)(石垣市)  / サイ離(サイパナリ)(石垣市)  / クバ離(クバパナリ)(石垣市)  / キバ離(キダパナリ)(石垣市)  / チャバンチキ離(チャバンチキパナリ)(石垣市)  / 嘉弥真島(竹富町)  / 仲御神島(竹富町)  / 内離島(竹富町)  / 外離島(竹富町)  / ウ離島(竹富町)  / 鳩離島(竹富町)  / 赤離島(竹富町)  / 祖納地崎(与那国町)

・・・・・新節につづく・・・・・

 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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