戦争を深くは知ることのない世代の自分。
それでも、少しくは
戦争体験談を聞く中から歴史に学ぶことが。
日本が内地と呼ばれ、外地とよばれてた台湾。
日本が戦争に敗れて台湾から引き揚げていった後
当時の台湾は、日本統治時代から台湾に住む台湾人の内省人を、国民党軍としてやってきた中国人(外省人)が支配する構造になっていた。
台湾では内省人の抵抗を抑え込むために国民党が戒厳令を敷き、選挙を認めない独裁政治が推し進められていた。この植民地的支配構造を打ち破って、内省人と外省人の区別なく平等に普通選挙に参加できる民主主義国へと台湾を変えていったのが、李登輝氏だったのでしょう。
国民党内にいての体制内革命。
引き立てた蒋経国、蒋介石の威を借りた
というところも並の学者肌ではない。
李登輝氏が行ったのは実に平和的な無血革命とも呼べるものだったのは間違いのないところ。
そこに至る道がどれほど困難なものであったかは容易に想像できよう。
現在共産中国のほうは世界中を敵に回すような動きを示している、だが現実には当然ながら世界中を敵に回すことはできない。
香港にしても然り。
当然ながら台湾への脅しのような振る舞いにしても。
アジアに位置する民主主義国日本にとって、今日の台湾はその民主主義を守っていくための実に重要なパートナーでもある。
台湾の存在は欠かせない。
国際的なメッセージという観点からして、
対中関係を懸念する外務省の反対を押し切って、李登輝氏に日本滞在ビザの発給を決めた森氏が葬儀に参列するというのは好ましい選択であったろうと思います。
できうれば、「政府特使」などの肩書をつけていかれたほうが、
もっと良かったのにと。
そこは共産中国に気兼ねしているようなところが見受けられて少しく情けない話である。
大陸からの香港民主化の声への強権的鎮圧とか、南沙諸島とかへの覇権主義的な
侵犯行為を見せつけられているだけに。
絶好の「発信するチャンス」であると言えるのに、何を遠慮しているの
という感慨もある。
李登輝氏が愛してやまない「日本精神」という言葉を耳にもしてきた。
常々、台湾の民主化を実現できた精神的
バックボーンなのだと李登輝が語ったことがある。
それは「はい」という素直な心、「すみません」という反省の心、「私がします」という奉仕の心、「おかげさま」という謙虚な心、「ありがとう」という感謝の心からなる「日常の五心」をいう。
「日常の五心」の根底には、心の内から響いてくる本物の正しさにまっすぐ向き合い、これに沿って自らの生を真剣に進めるという人間のあり方が
あると言うもので
それは李登輝氏が愛してやまない「日本精神」であり、戦前の日本人が実に大切にしてきたものであり
日本にも暮らした経験、そこから学んできたのだという。
李登輝氏はこの「日常の五心」=「日本精神」を大切に懸命に努力を続けていった結果として、困難な中、無血革命を成功させて行ったのでしょう。
哲人政治家李登輝氏の葬儀に参列する日本の政治家一行。
今回の
適切な弔意の内容にもふれながら、
大切な、隣国、台湾を
今後も見続けていかなければ
という思いをあらためて
強く
することに。
支持は揺るぐことはないにしても、一つの中国という
観念には
アンビバレントな思いも。
同じような気持ちでその鈍さに
心焦がしている人も
いるだろうなと。