合同葬から、思い起こす事柄。
俳優としての、津川氏の演技でもあり、
政治的なTV番組での発言でもあり、
妻を先に亡くしてのマイクを向けられた時の夫としての言葉でもあり、
それに、両親への思いを語る娘さんの言葉からも、
生前の父親津川としての愛情も伺えます。
そこまで言って委員会の番組でのお姿。
拉致問題に取り組む、啓発活動。
それから、俳優としての印象に残る、東条英機役。等
その画像を加えて、
故人を偲ぶことにします。
プライド~運命の瞬間~ 特報・予告編
最後に映画作品の公式ページから、
引用しておきます。
今、なぜ東条英機 東映映画「プライド 運命の瞬間」
裁判の本質を見抜き闘った人物
●伊藤俊也監督にインタビュー 記事、加えておきます。
伊藤俊也監督
―映画構想のきっかけは。
昭和史への興味はあったが、東京裁判という素材は映画出資者から依頼があって検討を始めた。出資者はパール判事を中心に裁判を見直す物語を希望したが、ぼう大な史料に基づく私なりの調査を経て、東条こそ裁判の本質を見抜き、闘った人物として立ち上げるにふさわしいと確信した。
―東京裁判の不当を訴えた監督は、日本人がどんな戦後をたどれば良かったと考えているのか。
東京裁判から始まるアメリカの戦後戦略は五十年間日本を規制した。裁判に続く憲法、日米安全保障条約もセット。この認識を欠いた言葉だけの反体制、平和運動は、沖縄の現実をどうみるのか。だれもがあの戦争に抵抗できなかったという怯(おび)えがヨロイとなり、憲法に触れるだけで軍事国家に逆行すると騒ぐ硬直状態を問い直すべきだと。
それと、あわせて思いだす。NHKドラマ『東京裁判』
NHKの取材班にオランダのプロダクションが、それにカナダが加わって、東京裁判で11人の判事たちの意見が衝突したように、ドラマの方向性でNHKと海外のプロダクションとの間に意見・思惑の違いが途中で発生し、合意に達するまでにかなりの苦労がありながらも完成したという。
なかなか見ごたえあったので近くはそのドラマを印象に残しています。
ドラマは、公式記録の他、世界各地を調査して新たに見つかったという手紙や記録、証言、覚書、日記などを基に、70年前の東京に集まった11か国の代表の11人の判事たちが判決を出すまでの攻防や葛藤を描いたドラマでした。裁判の場面には、当時の実際の裁判の、白黒からカラーにした映像を使っていました。
第1話から第4話まであって、たしか、その週の内には見終えた記憶があります。夜10時半頃から約一時間ぐらいの放送でした。
「A級戦犯」に指定された東条英機や東郷茂徳や広田弘毅などの人たちとキーナン検事の映像なんか、実際の裁判記録も映像に紹介として取り入れての斬新なドラマ手法でした。
極東軍事裁判
1945年8月8日に制定された「国際軍事裁判所憲章」には、「侵略に対する罪(平和に対する罪)」と「人道に対する罪」と「通常の戦争犯罪」とが決められ、「侵略に対する罪」は、侵略戦争を起こした責任を国の指導者個人に問う罪だそうです。
ドラマの展開は1946年の春。東京の帝国ホテルに11人の判事たちが集まるところから。
彼らは11か国の戦勝国を代表していた。オーストラリア・アメリカ・英国・ソビエト・フランス・中華民国・オランダ・カナダ・ニュージーランド・インド・フィリピンの出身者たち。一人一人が母国の威信と歴史文化を背負いながら。
彼らが来日したのは、日本の戦争指導者を裁く「東京裁判」を開くため。
裁判の焦点は、ナチスを裁くニュルンベルク裁判と同時に新しく制定された「平和に対する罪」。それまでの国際法では合法とされていた「戦争」そのものを、史上初めて犯罪とみなし、国家の指導者個人の責任を問う新しい罪の概念が導入。
この「平和に対する罪」については、弁護側は事後法だと否定。実行の際に適法だった行為については、のちに制定された法律が遡って処罰することはできないという法の原則にのっとって主張。
当初は短期間で決着がつくと思われた東京裁判。ところが途中大きく揺れ、混迷と長期化の様相を見せていく。
裁く側の判事団の中で、意見が鋭く対立していく。
最終的に判決は、イギリス・アメリカ・中華民国・ソ連・カナダ・ニュージーランドの6か国の判事による多数で決定。ただし個別意見も5つ提出されている。中には「事後法で裁くことはできない」と全員無罪を主張したインド出身のパール判事の個別反対意見書も含まれていた。
このドラマのなかで、レーリンク判事が主人公かともおもえるシーンもありました。
いろいろと心の中で反問を繰り返すシーン。それと竹山という文化人との友情。
誰、この竹山という人と思っていたら、あの昔読んだ記憶のある、小説「ビルマの竪琴」の著者、ドイツ文学者の竹山道雄でした。
東京裁判と間接的に関わっていたなんて。
国際法を逸脱して裁判を「復讐の道具」にした戦勝国を批判した「パール判決書」
東京裁判で印象にのこしているのは、過去に読み終えた小説『人間革命』3巻との関連。
戦争の「残虐行為」の数々にもふれ、断罪していきながら、パール判事の日本無罪論を紹介されていたことを振り返る。
パールの言論戦を「人類史上に、永久に記憶されるべき正義の言論戦」と讃えて、文明に名を借りて、勝者が敗者を裁く裁判、これは公正な裁判とは言えないという論旨展開に着目、その論旨を全面的に紹介されていたことを。